《最終章 第4話 桜の魂、きみに還る》
――その日から、街には一つの噂が広がった。
“春になると、桜咲学園の屋上に花の精霊が現れる”と。
だが誰も、その姿を見た者はいない。
ただ、風の中に優しい声が聞こえるという。
それはきっと、彼と彼女の声。
桜の木の根元に、古い日記帳が埋められている。
表紙には、小さく手書きでこう記されていた。
――『桜魂』
ページをめくると、桜の花びらが一枚、挟まっている。
その花びらに刻まれた言葉は、こうだ。
『きみの夢は、わたしの続き。』
時が経ち、街は変わっていく。
けれど、桜の花だけは毎年同じように咲く。
それは、誰かの記憶であり、誰かの想いの結晶。
そして春の夜、また風が吹く。
――桔梗。
――朋広。
二つの魂が交わる場所で、世界は再びめぐる。
記憶と現実、過去と未来。
そのすべてが桜魂の中でひとつに溶け合っていく。
やがて、満開の桜の下で一人の少女が立ち止まる。
彼女の瞳の中には、誰かを探すような光が宿っていた。
「この風……懐かしい」
その瞬間、桜の木が柔らかく揺れた。
光が降り注ぎ、少女の足元に花びらが積もる。
そして、その中に淡い声が響く。
――「ありがとう。僕は、君の夢の中で生きている。」
少女は微笑み、手を伸ばした。
そこにあったのは、ひとひらの桜の魂。
春の風が吹き抜ける。
花びらが舞い上がり、空へと溶けていく。
世界は再び、始まりの春を迎えた。
――春の風が、校舎を撫でる。
桜咲学園の屋上。
朋広は一人、朝日を見つめていた。
夜明けの空は澄み渡り、どこか懐かしい。
あの夜、桔梗と交わした「約束の光」がまだ胸の中に残っている。
夢の境界が溶けた今、世界は静かに再び始まりつつあった。
――桜魂。
彼女の残したその言葉が、心の奥で響く。
人と夢を繋ぐ“記憶の核”。
その根源が今、朋広の中で目覚めようとしていた。
「桔梗……僕は、君の願いを叶える」
そう呟くと、手のひらの中で淡い光が広がった。
それは花びらの形をしていた。
一枚、また一枚――朋広の周りをゆっくりと舞う。
桜魂は、命の記録。
人が生きた証を花として咲かせ、次の時代へ繋ぐ。
桔梗が望んだのは、失われた記憶ではなく、“繋がる未来”だった。
その光が屋上全体に広がっていく。
眠っていた桜の木々が一斉に芽吹き、花弁を開く。
春の風が吹き抜け、街全体が淡い桜色に染まっていく。
朋広の視界に、懐かしい影が浮かぶ。
――桔梗だ。
光の中に立ち、微笑んでいる。
「もう、泣かないでね」
「泣かない。今度こそ、僕が守る」
風が二人の間を通り抜ける。
桔梗の姿が淡く溶け、花の粒子へと還っていく。
「桔梗……ありがとう。君がいたから、僕はここまで来られた」
光が彼の胸の奥へと吸い込まれていく。
その瞬間、世界が静止した。
すべての音が消え、ただ一つ、心臓の鼓動だけが響いていた。
――ドクン。
――ドクン。
新しい命の鼓動。
桜魂が、彼の中で再び動き出す。
そして、風が世界を包み込む。
空は桜色。
地は柔らかい光に包まれ、誰もが一瞬、足を止めた。
「美しい」と誰かが呟く。
それが、桜魂の誕生を告げる言葉だった。




