《第四章 第2話 君が残した春》
京都の朝は、静寂の中にざわめきを秘めている。昨日まで見知ったはずの路地が、今日もどこか異なる表情をして迎えてくる。
俺――桜井蓮は、薄暗い茶屋の二階で目を覚ました。畳の匂い。障子越しの淡い光。ここは、俺が“住んでいる”場所だが、同時に“隠れている”場所でもある。
携帯のバイブ音が静寂を破った。
「早朝から失礼。例の件、進展あり」
短いメッセージ。差出人は、京都府警の知人・橘。俺の素性を完全には知らないが、俺の推理力だけは信頼している男だ。
すぐに着替え、階段を下りる。店主の未散が、湯気の立つ湯呑みを滑らせてきた。
「朝からお仕事?」 「まあね。少し散歩してくるだけさ」 「蓮くんの“散歩”は大体事件の匂いがするのよ」
未散は笑ったが、目の奥には不安が揺れる。俺がここに来てから、奇妙な事件にばかり巻き込まれるのだから無理もない。
茶屋を出て鳥居前の細道へ。紅葉しかけの桜の葉が、ひらりと肩に落ちた。
「――桜は、血を呼ぶ」
昨日、死体発見現場で独り言のように呟いた男の声が、まだ耳に残っている。
あの現場。桜の枝で刺された遺体。まるで“何か”の儀式。
橘と合流すると、彼は地図を見せた。
「ここ数日で、桜に関わる不可解な死が三件。全て、枝が凶器だ」 「殺しに使えるほどの枝を手に入れるのは難しい。つまり――」 「犯人は、場所を選んで動いてる」
俺は地図上の三つの印を線で結んだ。そして気づく。
「中心に……神社がある。桜神社、か」
次の瞬間、風が冷たくなった。
この街の奥底で、何かが息を潜めている。
橘が俺の顔を覗き込む。 「蓮、お前……何か分かったのか?」 「まだ断片だけ。でも“繋がり”は近い」
そう言いながら、俺は胸の内に重い感覚を覚えていた。
――この事件には、俺自身の“過去”が絡んでいる。
まだ誰にも言っていないが。
桜は、いつも俺の血の匂いを知っている。




