《第三章 第4話 祈りの残響》
放課後の教室に、ひとり残る。
夕陽が差し込み、机の影が長く伸びる。
桔梗が座っていた席――そこに、ノートが静かに置かれていた。
ページを開くと、誰かの字で書かれた祈りがあった。
「願わくは、この想いが、時を越えて届きますように。」
朋広は、胸の奥で何かが軋むのを感じた。
それは悲しみではなく、強烈な“記憶の痛み”だった。
「桜霊……君は、何を見せたいんだ?」
返事の代わりに、風が窓を揺らした。
次の瞬間、視界が滲む。
机、黒板、窓――すべてが白い光に溶けていく。
目を開けると、そこは過去の教室だった。
桔梗が笑い、友人たちの声が響いている。
「月城くん、今日もノート貸してくれる?」
「……おう。」
手を伸ばす。だが、触れられない。
桔梗の姿は光の粒となって揺らぎ、遠ざかる。
“祈りの残響”。
それが、この世界に残された彼女の最後の痕跡だった。
夜。屋上。
桜の木が夜風に揺れ、月光が枝を照らしていた。
桔梗の影が、そこに立っている。
だが、その輪郭はすでに透けていた。
「桔梗……もう消えるのか?」
「うん。でもね、怖くないよ。」
「どうして。」
「あなたが覚えていてくれるから。」
桔梗は微笑んで、両手を胸に重ねた。
「私ね、願ったの。“もう一度あなたに会えますように”って。」
「それが――この世界を生んだのか。」
「そう。記憶と祈りが、桜の力で形になったの。」
桜の花が夜空へと舞い上がる。
風が頬を撫で、涙が滲む。
「俺は、どうすればいい?」
「覚えていて。全部を。私がいたことを、私を忘れないことを。」
彼女がそっと手を差し出す。
触れた瞬間、光が弾けた。
景色が反転し、音も色も、すべてが融けてゆく。
最後に聞こえたのは――
「ありがとう。あなたと過ごした季節、全部、宝物だよ。」
そして、桜だけが残った。
月光の下、ただ一人、朋広はその下に立ち尽くした。
ノートを開くと、新しいページに小さな文字が刻まれていた。
『桜が咲くたび、私は君を思い出す。』
夜風がページを揺らし、花びらが一枚落ちる。
その花びらが地に触れた瞬間、音もなく消えた。
それは――祈りが届いた証だった。
“祈りの残響”。
それが、この世界に残された彼女の最後の痕跡だった。




