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《第三章 第1話 君を忘れる夢》

(本文・前半)

桜咲学園の中庭には、春を遅れて追いかけるようにして咲いた薄紅の花が、風にゆらめいていた。

月城朋広は、その風の中に微かな声を聴いた気がした。

――忘れないで。

誰の声か分からない。ただ、その響きが、昨日までの夢の中で桐原桔梗が言いかけた言葉と重なる。


授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。

桔梗の姿を探して教室を出ると、昇降口の前で彼女が立ち止まっていた。

桔梗は窓の外に咲く桜を見上げていたが、朋広に気づくと静かに微笑んだ。


「最近……夢、見てないの」

その言葉に、朋広の胸がひやりとする。

夢を見ない――つまり、二人の“記憶の接続”が途切れたということだ。


「俺は、まだ見てる。君のことを」

桔梗は目を伏せて、「それは、私の昨日の記憶だから」と呟いた。


放課後の教室は、夕日が射して長い影を落とす。

二人の影が重なったその瞬間、窓の外の桜がふっと揺れ、花びらが教室の中へ吹き込んだ。

その花びらは、まるで記憶の欠片のように光り、朋広の掌の中で溶けていった。


その夜。

朋広は夢の中で、薄明の桜並木を歩いていた。

霧のような光の中に、桔梗の姿が現れる。

白い制服の裾が揺れ、彼女は静かにこちらを振り向く。


「ねえ、朋広くん。夢って、いつか消えるのかな」

「……俺は、消したくない」

「でも、桜霊は“想いを風に変える”って言うの。残せるのは心だけ」


彼女が伸ばした指先が、夢の光に溶けていく。

掴もうとした手は、空をすり抜けた。

次の瞬間、目の前の景色が真白に崩れ、朋広は目を覚ました。


カーテンの隙間から差し込む朝日。

手のひらには、ひとひらの花弁が貼りついていた――。


(本文・後半)

桜咲学園に再び春の風が吹く。

だが、その風の匂いはどこか違っていた。

教室に入ると、桔梗の席に見知らぬ女生徒が座っていた。


「桐原さん?……ああ、その子なら転校したわよ」

クラスメイトの一言が、頭の奥で鈍く響く。

まるで昨日までの記憶そのものが切り取られたような違和感。


放課後、朋広は古桜の木の下に立った。

枝先には、彼女が好きだった薄紅色の蕾がひとつだけ残っていた。

「昨日の君を、忘れない」

その言葉が風に溶けた瞬間、桜の木の幹が光を帯びる。


――“記憶の共鳴、再起動”


頭の奥に響く声とともに、世界が一瞬だけ止まった。

時間が巻き戻る感覚。

視界に広がるのは、もう一度の“昨日”。


桜の木の下、桔梗が振り返る。

光の粒をまといながら、彼女は微笑む。


「ありがとう、朋広くん。あなたの心が、私を咲かせてくれた」


そして風が吹いた。

桜の花びらが夜空へと舞い上がり、星のように散っていく。

夢も現実も区別のつかない世界で、朋広はただ立ち尽くした。

その胸の奥で、彼女の声がまだ息づいている。


――昨日の君を、愛していた。

――今日の君を、想い続けている。


月が昇る。

桜霊の夜が、再び始まろうとしていた。

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