選択 2
どこで知ったのだろうか。それに何故彼は深刻そうな表情をしているのだろう。
「なっなったけど……昨日から」
「……そうなんだ。母親が食堂でカネイトを見かけたって言うから」
「あぁ、へー。お母さんは俺ってよく分かったね」
どこか彼は心ここに在らずといった様子で「うん」と頷く。俺は彼のお母さんに覚えられるほど食堂で目立つような行動を取っていただろうか。料理に夢中であまり覚えていない。
「家の……事情とか?」
彼は顔を上げ気まずそうに聞く。
「そうだね」
と、なるべく重くならないようにサラリと言ってみる。
「そっか。事情は詳しく聞かないけどさ。人の役に立つとはいえ危ない仕事だろ? 異端審問官って」
「そう聞いたね。まだ働いてないからどれ位、危険なのかは分からないけど」
「そっか、まぁ昨日からだから当たり前か。あのさ、学校の事で何かあったらなんでも頼ってよ。あと気をつけて」
気をつけて。そうか。彼は心配してくれていたのだ。同じクラスの生徒として。
そう分かると彼の深刻そうな様子も腑に落ちた。
「ありがとう。気をつけるよ」
彼は一度目を丸くした後に「なんだ」と言って小さく笑った。
「え?」
「ハッキリ喋れるじゃん」
「え……いやーそのー」
「戻ってる」
彼はそう言って笑った後「本読んでた所邪魔して悪かったな」と席を立った。
「あっうん。また」
それからはいつも通り授業をこなして、昼休みになる。
「先輩、屋上これます?」
アマツカからメッセージが来た。このタイミングは珍しい。
いけるよ、と返し弁当を持って屋上へと向かった。
屋上への扉を開けると雲一つないのにどこかぼんやりとした青空が広がっていた。穏やかな日差しが屋上を照らし、春の優しい風が吹く。
そんな屋上を囲うように設置されたフェンスの近くにアマツカが座っていて、こちらへ手を振っていた。
「あれ、今日はお弁当買ったんですか?」
「うん」
給料を半分前借りしたおかげで懐はつい数日前が嘘のように暖かい。
「えー、せっかくおかず作って持ってきたのに」
見ると屋上には作ってくれたであろう揚げ物や野菜のベーコン巻きなどが並んでいた。
昨日の白飯ばかりだった、という話を覚えてくれていたのだろう。
「食べる、食べる。食べさせて」
「もちろん先輩には食べてもらいますよ。私一人じゃ食べきれませんから」
「うん。いただきます」
その後、しばらくアマツカの持ってきた料理を食べつつ今日あった学校のことなどを二人でのんびりと話していた。
「先輩、放課後はどうするんですか?」
そう聞かれ俺は箸を止める。
「放課後は初仕事なんだよね。神様の捜索とその排除、らしい」
「それ、大丈夫なんですか?先輩まだ訓練とか受けてないですよね?」
アマツカが眉を顰めながら聞く。
「そうなんだよね。まぁでもそこまで脅威じゃないっぽいから」
大丈夫、と俺は答えながらフェンス越しに遠くの山を眺めた。
痛いのも、辛いのも、嫌だ。俺の中で不安が少しずつ積もっていく。
「先輩は、どうして戦うんですか?」
「え」
「戦いたくなかったりしませんか?」
「うーん。する……かも」
てるてる坊主の神性体を狩る理由も戦う理由も俺にはあまりない。と、言ってもこの仕事から逃げ出すわけにもいかない。
行きたくない、行きたくない、で行かなくていいわけが無いこと位は教会からの仕事をしているうちに分かってきた。責任というやつだ。
「まぁでもやるしかないから、仕事だし」
自分に言い聞かせるように言って買った弁当を口にかきこんだ。
アマツカは何か考えている様子を見せながら「そうですね。気をつけて下さい」と頷いていた。
その後、学校は放課となり俺は鞄を部屋に置いて扉に手をかけた所で立ち止まった。
(あー嫌だ。誰か倒しといてくれないかなー)
見るとドアノブのレバーにかけた手が震えている。
昼間、アマツカにはそう言ったものの怖いものは怖い。当たり前だ。
思い出すのは、昨日見た地獄のような光景。ガソリンの燃える匂い、叫ぶ人の声、揺らぐ炎の熱。そして激しい眩暈の中、咳き込みながら道路を這って進んだあの時間。
震える片手を握って抑え、落ち着こうと目を瞑りゆっくりと息を吸う。
「こいつは家にいらねぇから!」
突然、親父の声が頭に響いてくる。
「最後くらい俺の役に立てよクズ!」
(そうだ。俺は戦わないと。使える奴だと思ってもらわないと)
目を開き息を吐き出し顔を上げ気合いを入れ直す。
「もう捨てられるのはごめんだ」
両頬を手で強く叩く。
「ああそうだ!ビビんな俺!」
その勢いのままに扉を開けて、キドウさんからメッセージで指示されていた場所へ走って向かった。
「おーやる気満々やん」
先に待っていたキドウさんが手を振っている。走ってきたので息が切れた。
キドウさんの周りにいる黒いフードを被り武器を持っている三人は他のチームのメンバーなのだろう。俺の仕事の先輩ということになる。
「遅れました。カネイトと言います! よろしくお願いします!」
「「よろしくー」」
「若いねー」
様々な声が聞こえて来る。
もう一度礼をするとキドウさんが手を叩き「ほんじゃ、これでチームのメンバー全員揃ったし今回の仕事について話そか」とスマホを取り出し説明を始めた。
「今回の件は近くの小学校の六年三組で明日の遠足が晴れるように、とみんなでノートを切って紙を貼りあわせ大きなてるてる坊主を作った。それが今日教室に来るとなくなっていて、もしかしたらという事で、担任の先生から校長に相談が入り教会の方へと来たそうや」
なんとも可愛いらしい話だ。てるてる坊主が神性体などではなく何かの間違いであってくくれば更に良い。
「そもそもそのてるてる坊主が邪神に変化しているのか、まだ分かっていないそうや。目撃者はゼロっちゅうことやな」
「捜索からという事ですね。居そうな当たりはついているのでしょうか」
先輩の一人が手を挙げて質問した。
気付けば先輩達は集まっていた時のようなふんわりとした空気感では無くなっていた。俺もそれに見習い姿勢を正す。
「学校内は昼間のうちに教員の方と信者の方が全て調べてくれたらしいから中はない。それに児童四十人の明日晴れになってほしいって願いから大規模移動は考えづらい。学校周辺、特に教室の窓がある方向が怪しい。てるてる坊主らしく窓の所に吊るしてあったらしいしな」
「だいぶ絞れてますね」
「せや。さっさと終わらそ。カネイト君の新人研修もまだやしな」
「「えー!?」」
俺の背後から「ダメだこの人」と呆れたような声がした。どうやら普通はありえないらしい。俺もおかしいと思う。
「神器の予備ないから渡せんし、あんな研修意味ないやろ」
キドウさんは耳の穴をほじりながら言う。どうやら俺はこれから死地に赴いた後、意味のない研修を受けるらしい。
(最悪じゃん!?)
あぁ、意味が無くてもいいから研修を先にしておきたかったな。先ほどから緊張で心臓の鼓動がうるさい。
俺はため息をつきながら、小学校の方へと移動を始めたチームの後をついて行く。
「ほんま、ごめんなー。先に新人研修しとかんといかんのやけど、異端審問官なんて実践に勝る経験なしやと思うんよ」
キドウさんは手を合わせ申し訳なさそうにしている。
「いえ、頑張ります」
ここで弱音を吐くわけにもいかず改めてはっきりと口に出し気合を入れ直す。
「そんな気張らんでええで、今日なんて特に先輩達の動きを見とけばいいから」
「はい」
「せや、おーい! カネイト君の新人研修終わったら歓迎会でもするか」
チームの先輩達へキドウさんが声をかける。
「いいすっねー」
「キドウさんの奢りですよねー!」
キドウさんは「なんでやねん。カネイト君の分は出すけどお前らは自分で払えや!」と叫ぶ。
「「えー!」」
先輩たちからブーイングが起きた。
「カネイト君、高校生だから飲まないし、そんなに掛からないですよね。その分を!」
「その分を食わせるから!」
「えー食わせハラっすよ」
キドウさんは「えらい語感悪いな」と笑ってツッコむ。
「えっでも、カネイト君って確かすごい食べる子ですよね?」
「え?そうなん?」
俺は突然、話を振られて固まった。
(すごい……食べる?)
「え?食堂で料理全種類取ってなかった?違う子?」
「取りました」
「「え!?」」
みんなの注目が一斉に俺へ集まる。不慣れな状況に汗が滲んだ。
「すごー。腹減ってたん?」
「減ってました」
緊張のあまり固い返事をした俺の周りで小さな笑いが起きる。
キドウさんが「じゃあ、ごめん!」と手を合わせ
「カネイトくんも自費参加で」
「彼の新歓なのに良いわけないでしょ!」
綺麗なツッコミが入り話にオチがついた。
なんとなく皆さんの話のやりとりが小慣れている気がする。昔からキドウさんはこんな調子なのだろう。
「この人サイコだから」
と、キドウさんを指差して先輩が言う。
「そんなわけないやろ! 人の心しか分からんわ」
先輩は呆れたような表情で手を横に振っている。どっちが正しいのだろう。なんとなく先輩な気がした。
「新歓どこに行くんですか? 先に予約取っておきません?」
「どこいこかねー粉もん食えるとこがいいなー」
「じゃあ居酒屋で」
「ダメダメ、高校生やから……ファミレス?」
みんな一斉に渋い顔をした後、俺を見て表情を笑顔に戻す。
「じゃあそれで。予約いらないっすね」
「はー。ファミレスにあったかなー粉もん」
そんなに食べたいだろうか。というか粉物という括りで食べたい物を決めたことがない。
「地元やと、スーパーの前とか道路の脇の所とかどこでも売ってたのにな」
俺は「そうなんですか?」と聞いてみる。
「せや。スーパーの前でたこ焼き売ってて、スーパーの惣菜コーナーでもたこ焼き売ってたで。両方買ったけど」
「ほんとバカでしょ?」
呆れたような声が聞こえてくる。
俺は「粉物、本当に好きなんですね」と笑っておく。
その時だった。
「あれ」
小学校近くの橋を横切った時だ。
そいつはいた。柱の影から頭だけを出してこちらをの様子を伺っている。
1m無いくらいの大きさの見た目はそのままてるてる坊主。スカートのように広がった下の部分はどこか真珠のような滑らかな光沢と透明感がある。少なくともノートで作られたようには見えない。
「おったわ」
背後で先輩達に緊張が走ったのが肌でわかった。
てるてる坊主はゆっくりと背を向け、跳ねるように逃げ出す。
一番てるてる坊主に近い場所にいたのは俺。
体を前に倒し地面を抉る勢いで踏み込む。腕を振り上げると同時に飛び出して体を起こし風を切って走り出す。
肌に寒くなってきた夕方の風が刺さった。
(蹴って一撃)
その命を終わらせる。
てるてる坊主の背後にはすぐに追いついた。ふわりふわりとくらげのように飛んで進むので足はかなり遅い。
「いける」
しっかり踏み込み神経を研ぎ澄まし、てるてる坊主の頭、ただその一点に集中する。
(……本当に良いのか。人に願われ生まれた神様を殺して)
一瞬、そんな事が頭を過ると同時に引き絞った弓を放つように足を振り抜く。
「え」
渾身の一撃は空を切った。
てるてる坊主はその裾を翻すように回して躱していた。明らかに逃げている時と動きが違う。てるてる坊主は機敏な動きで俺に近づき……
「うっえ」
てるてる坊主の頭突き。鳩尾に重い一撃が入った。一瞬、意識が遠のく。
気付けば体は宙に打ち上がり、あっという間に橋の手すりを超えて……夕暮れに照らされながら橋から落ちていく。
悲鳴の中で「おー、綺麗な背面跳びやな」とキドウさんの呑気な声がした。やっぱりサイコだ。あの人。
「馬鹿言ってないで助けないと!」