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夫が私の事を、知らない女性の名前で呼び間違えました。

作者: うちわ

 辺境の領土を納める伯爵家の令嬢だったソフィ(私)は、ローズ公爵家の令息であるアランと政略結婚した。


 その関係で、夫アランが頻繁に参加する社交界にも、公爵夫人として一緒に参加する機会が増えた。


 そして私は今日も、嬉々として鼻歌を歌いながら、ブロンドの髪を櫛で溶かし、念入りに化粧をし、綺麗なドレスを身にまとい、夫アランと共に馬車で社交場へと向かうのだ。


「いやはや、ローズ公爵夫人は今日もお美しいですな!」

「まあ嬉しい! ありがとうございます。あまり言われ慣れていないから照れてしまいますわ」

「私は本心を言ったまでの事。それでいて気品がある。全くローズ公爵殿が羨ましいですな」

「振舞は夫から学んだものですので。私は特に褒められる要素は御座いませんわ」

「謙虚で夫を立てる所もまた素晴らしい」

「ふふ、事実ですので」

「ぜひ私もその振る舞いを学んでみたいものだ。どうですかな、今度ご一緒にお食事でも?」

「とても嬉しいお誘いですが、私には夫がいますので」

「それはそれは、とても残念ですな」


 そう言って私と会話していた公爵様が離れていった。


 ……ふう。

 よし! 次だ!


 私は気合を入れなおして、また談笑している貴族達の輪の中に入っていく。

 社交場に着いてアランと離れてから、こんなやり取りを周囲の貴族と何度も何度も行う。


 最近分かったけれど、私は人とお喋りするのが好きだ。

 

 なぜなら、自分の話をして相手に共感して貰うのは嬉しいし、反対に相手の話を聞いて新しい発見があるのも楽しいからだ。


 それに、お世辞かも知れないけれど、容姿を褒められたり、冗談でも口説かれたりすると、自分が魅力的な女と思えて嬉しくなってくる。


 ますます身なりを整えるのに力が入ってしまうというものだ。


 何より__、


「いつもありがとうソフィ。君がいてくれるおかげで、僕の貴族社会における信用も上がっているよ!」


 帰りの馬車でアランが嬉々として私に話してくる。


「私は何もしてないわ。貴方が頑張っているのよ」

「君がいてこそだよ! 今回はウィルス侯爵とのつながりも出来た! ウィルス領土内の鉱山には精霊術を付与出来る鉱石が多く採れると聞く。それを元に新しい武器や日用品を作れればいいんだが」


 ローズ公爵家は代々『精霊士』という仕事をしている。


 『精霊』という目に見えない特殊な存在と契約して、『精霊術』という、人の傷を治したり、身体能力を強化したりといった様々な特殊な力が使えるのだ。


 また、精霊士は精霊術を武器や日用品にも付与することが出来るので、付与した物品の販売や流通も事業としてやっていたりする。


 ……。


 私は元々、人と話すのもあまり得意じゃなかったし、無理して社交場に必要な妃教育を受ける必要はないってアランから言われていたけれど。


 私の振舞がしっかりしていればアランの印象が相対的に良くなるし、周りの貴族に夫の良さをさりげなく説けば、更にアランの評価が上がったりして。


 こうして私の目の前で喜ぶアランを見るのは嬉しいし、その度にアランが私に抱きついてくるのも、うん悪くない。


 一日の疲れが吹っ飛ぶ瞬間だ。

 これも夫を支えるためだと思えば致し方あるまい。


 もとは政略結婚だけれど、優しくて思いやりがあって、常に私に気遣いをしてくれるアランを私は愛していた。


 だから本音を言うと、社交界で貴族令嬢達から言い寄られているアランを見ていると、胸が痛くなったりするのだけれど……。


 そんな感じで今日も一日平和に終わるはずだったのだが。






 ここで事件が起きた。






 夜道を走る馬車の中。


 気疲れしたのかアランが少し眠り始める。


 普段も事業で忙しくしているし、今回の社交界では貴族達との腹の探り合いで更に神経をすり減らしたことだろう。


 アランの寝顔をまじまじと見つめながら、ゆっくり休んで欲しい、そう思った。


「う、ん」


 アランの瞼が少し開く。


 いけない。起こしてしまったかしら。


「ごめんなさいアラン。私起こして__」

「うーん、ミカエラ。ありが、とう。愛、してる」

「……」


 寝ぼけたアランは私に対して意味不明な言葉を残し、再び眠ってしまった。


 胸が少しざわめく。


 ミカ、ミカエラ? ミカエラって誰? え、女性の名前?

 私をその人と間違えて呼んだってこと、よね?

 え、今、愛してるって言わなかった? どういうこと?




 ……。




「はあ!?」


 思わず大きめの声が出てしまう。


 お、ちょ、落ち着け私!!


 アランを引っ叩きそうになる右手を瞬時に左手で押さえる。


 いや、でも、だからミカエラって誰よ!?

 不倫? もしかして不倫なの!? う、嘘でしょ? アランが?


 いや、でも、あり得なくは、ない、かも。

 私と結婚する前はよく女性貴族を口説いてたって噂はあちこちで聞いてたし。


 以前その事で本人に真顔で問い詰めたら、


「い、今の僕は君だけしか見ていない。本当だ!」


 って言っていたけれど。


 それにアランってモテるのよね……。

 私の頭二つ分ほど身長が高いし、鍛えているから体も引き締まっているし、容姿も金髪碧眼で鼻筋も通っていて美しい顔立ちをしているし。


 駄目だ、私も夫に釣られて馬車の中で少し寝ようと思っていたのに、眠気が一気に吹き飛んでしまった。

 アランが起きたら聞いた方が良いかしら。


 正直今すぐ叩き起こして問い詰めたいけれど、真相を聞くのが怖い。


 何で私が緊張しないといけないのよ!


 その後、私の胸中は悶々としたまま、隣で幸せそうにスヤスヤ寝ている男の表情に腹を立てながら屋敷に戻り、


「ねえ、ミカエラって誰?」


 私の意を決した質問に対して、アランは、


「え? いや~、あはは。僕そんなこと言った?」


 とかなんとか言ってその日は有耶無耶になった。


 ……怪しくない?


 その日を境に、私のアランへの不信感は日に日に募っていった。


 なぜなら私生活の中で、アランが私の事を別の女の名前で呼ぶ頻度が増えていったからだ。


「アラン。クッキーを焼いてみたのだけれど」

「ありがとうクリスティーナ」

「……」

「ま、間違えた! ソフィ!」


 何を間違えたのだろうか。


「アラン。庭で良質な紅茶葉が取れたのだけれど」

「良いね。飲んでみよう。ありがとうアリス」

「……」

「ち、違うんだソフィ!」


 何が違うのだろうか。


 しばらくそんな日々が続いて、夜になって一人で考える時間が増えた。


 正直、アランから別の女性の名前で呼ばれると、とても傷つく。

 その人は誰なのか、どんな関係なのか、想像するだけで胸が締め付けられる。


 大体妻の名前呼び間違えるって何なのよ。

 そんなに私に興味が無いの?


 もとは政略結婚だったけれど、アランも私の事を愛してくれていると思っていた。


 愛されてない可能性を感じて悲しいのか、他の女に走られて裏切られて悔しいのか、分からないけれど涙が出てくる。


 アランの考えていることが分からない。 

 ちゃんと思っている事があるならハッキリと言って欲しい。

 有耶無耶でいることが一番辛い。


 そんなことを考えながら、しばらく涙を流した。


 そして涙を流して、悲しい気持ちが落ち着いて、頭の中が少しスッキリしたあたりで、私は一つの結論を出した。


 ……。


 私から動くしかない。


 どうせ私から聞いてもアランにはぐらかされるし。

 真実を知るのは怖いけれど、問題をハッキリさせたいならもう私から行動するしかない。


 だから、次の社交界で見定めるのだ。


 私を呼び間違える頻度が増えたのも、頻繁に社交界に参加するようになってからだ。

 きっとアランが呼び間違える女性達は、社交界で繋がった令嬢達に違いない。


 ……。


 政略結婚の際に同意した誓約書には、不貞行為をした場合の離婚の許可が記述されている。


 もし、その場でアランの後を付けて、アランが不倫をしているそぶりがあれば、私は。




 そうして迎えた次の社交界の日。


 私は参加した貴族達と会話をしながら、アランの動向をさりげなく視界の端で追う。


 何とか頑張って愛想よく振舞っているが、流石に今日ばかりは意識が完全にアランの方に向いてしまう。


 しばらく様子を観察していると、談笑が終わって一人になったタイミングで、アランが辺りをきょろきょろし始めた。


 そしてアランは人目を忍んでさりげなく広場を抜けていってしまった。


「ごめんなさい。夫が呼んでおりますので私はこれで」


 会話の輪を半ば強引に抜けて、アランを追いかける。


 怒りなのか悲しみなのか分からない感情を胸に秘めながら、アランを追う私の足取りが早くなっていく。


 そして、アランが前方の通路を右折した所で、


「ミカエラ、どうだった?」


 アランが別の女の名前を呼ぶ声がした。


 え、ミカエラって、


『うーん、ミカエラ。ありが、とう。愛、してる』


 馬車で言っていた女性の名前じゃない!


 アランが楽しそうに談笑している声が聞こえてくる。


 やっぱり、不倫してたんだわ!

 私を裏切って、許せない!!!


 足音を大きく響かせながら私も通路を右折する。


 そして視界に入ったアランに対して、


「アラン!!! 他に好きな女性がいるなら、ハッキリ言ってよ!! そしたら離婚だって何だってするわよ!! 私だって、愛してくれない人の近くにいたって辛いだけだもの!! それに私は日々アランを支える為に頑張っているのに、アランは他の女性に現を抜かしてて、頑張ってる私がバカみたいじゃない!! 私だけを愛するって言ってたのも結局口だけで!! こうして私を裏切って!!」

「ちょ、ど、どうしたんだソフィ!?」


 泣きながら捲し立てる私に対して狼狽するアラン。


「どうしたんだって、何で分からないの!? 不倫をしてたんでしょ!? そこの女性、と? ……って、え?」


 どういう、こと?


 改めてアランの身の回りを確認すると、そこには誰もいなかった。


 どうして? だってさっきまで、


「ソフィ。僕は不倫なんかしないよ! 一体どうしたんだ」


 アランが私の両肩に手を置いて、真剣な表情で聞いてくる。


「だって、さっきまで、誰か、他の女性と話してたじゃない!」

「……あ」

「そ、それに。普段だって私の事、たまに別の女性の名前で間違えて呼んでたじゃない! だ、だから、他の女性と不倫してると思ったのよ!」

「そ、それは」


 アランの歯切れが悪くなる。


「やっぱり不倫してたのね!」

「ち、違うんだソフィ!」

「何が違うのよ! もういいわ! アナタともこれまでね!」

「聞いてくれ! 実は僕は……精霊と会話が出来るんだ!!」


 ……は? どういう事? いきなり何を言っているの?


 きょとんとする私に、アランは話を続ける。


「だから、……さっきまで会話してたのも精霊なんだよ」


 数秒の間の後、観念した様にアランは口を開いた。


 アランによると、精霊士でも精霊と会話出来る人なんて普通いないらしい。


 基本は魔法陣と呼ばれる精霊に意思疎通出来る模様を用いて、精霊と契約したり、精霊術を使ったりしている。


 だから、魔法陣を用いず言語だけで意思疎通出来るアランは、珍しい所か周囲から異端児として気味悪がられていたらしい。 


「だから、君にもそう思われたくなかった。今まで精霊と会話出来ることを話さなかったのはそれが理由さ」

「……」


 幼い頃に異端児として見られて孤独な気持ちを味わうのはとても辛いと思う。

 それに精霊と話せる魅力まで含めて、アランという人間なのに。

 その人格を彼は否定されてきたのだ。


 だから、本来の自分を出す事に抵抗がある気持ちは分かる。


 私が何とかしてあげたい。


 でもその前に、


「心外ね。ちょっと私を見くびり過ぎじゃないかしら? アラン」

「ソフィ?」

「精霊と会話出来るからって、私がアナタを嫌うわけ無いじゃない」

「……」

「確かに初めは政略結婚だったけれど、優しくて思いやりがあって、常に私を気遣ってくれるアランを私は好きになったの。むしろ精霊とお話出来るなんて素敵なことだし、更にアランの魅力を見つけたって感じだわ」

「……ソフィ」


 アランが瞳をウルウルさせながら、両手を広げて、ゆっくりと私に近づいてくる。


「抱きしめさせてくれソフィ!」


 私はアランの額を手で押さえて制止させる。


「駄目よ。私はまだ怒っているの」


「あ、ああ」


 私の怒った様子を見て、シュンとするアラン。


「まず、今後は私に隠し事を一切しない事! 夫婦なんだから!」


「わ、分かった。済まない」


「それで、今ここで妖精と話をしていたのは理解したわ。で、妖精とは何を話していたの? それに最近私の事を呼び間違えていたわよね。あれは何なの?」

「そ、それは」


 口ごもるアラン。


「アラン!」

「実は、その、……精霊に、常に君を監視するように頼んでいたんだ」

「は? 監視!?」

「か、監視というか、その、君が外出時にケガをしないように見張って欲しいとか、あ、あとは、」

「……何?」

「……社交界で他の男が君に寄り付いて来ないかが心配で、その、見張らせてたり。ソフィは、自分が思ってる以上に、魅力的で、他の男性貴族からも人気が高いから」

「……」

「常に君の周りには精霊が張り付いてる状態だから、君の前で間違えて精霊に話しかけたりしてしまって」

「……」

「いけない事だって分かっていたんだが、ってうわ!」


 私はアランに抱きついた。


 不倫してると思っていたけれど、実は私の事をとても愛してくれていた。

 嬉しくなって、ついつい私もアランが好きだという気持ちが溢れてしまった。


「馬鹿ね。私はアラン一筋なのに。……ケガしないように見ててくれたのはありがとう」

「……本当に済まなかった。僕はソフィを死ぬほど愛しているんだ。もう君無しじゃ生きられないんだ。でも、その気持ちが暴走してしまって、結果君を傷つけてしまった」

「もう良いわよ。でも、これからは隠し事はしないでね」

「ああ」


 その後ローズ公爵家には新しい家族が増えた。


 まずアランと契約している精霊達。


「ミカエラにクリスティーナ、それにアリス。皆よろしくね! それと、ずっと私を見ててくれてありがとう!」


 私がそう言うと、誰も触っていないはずのテーブルの上で、モノが独りでに動き出す。


 私が驚いていると、私の目の前にティーカップが置かれ、そこに出来立ての紅茶が注がれた。


「皆も、「こちらこそよろしく」だってさ!」


 アランが笑顔でそう告げてくる。


「ふふ。ありがとう!」


 私には見えないけれど、常に私に危害が及ばないように見てくれていた子達に感謝する。

 もう私にとっても大切な家族だ。


 そして、しばらくしてローズ公爵家にて第一子が誕生した。


 名前はマリー。

 二人の愛の結晶である。


 その後、ローズ公爵夫妻はいつまでも熱愛しているとても仲の良い夫婦として、貴族社会で有名になるなんて、私もアランも思いもしなかったのである。

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