三流探偵小説
俺は助手の淹れたコーヒーを飲みながら、頭の中で推理を組み立てる。
名探偵の俺が、こんな謎などするりと解決して見せよう。
五分後、導き出された結論を吟味するように、カップに残ったコーヒーを流し込む。だが、その結論を受け入れられず、呻くように呟いた。
「俺は名探偵だったのだ」
※※※
俺の名前は『二階堂 凱』。探偵を生業にしているナイスガイだ。
雑居ビルに事務所を開き、難解な依頼を鮮やかに解決するという刺激的な毎日を送っている。
そんな生活を続けていたら、いつからか名探偵と噂されるようになっていた。
過剰に持て囃されるのは好きではないが、実績に対する正当な評価だと思えば悪い気はしない。
初夏の爽やかな朝日を背中に浴びながら、デスクで新聞を片手にコーヒーを啜っていると、蝉の鳴き声が上品に思えるぐらいに激しい剣幕の喚き声が飛んできた。
「凱さん、なにをぼーっとしてるんですか! 依頼人が待ってますよ!」
嫌々ながら顔を向けると、声に見合わない小娘が腰に手を当てて頬を膨らませている。
こいつの名前は『遠藤 沙夜』。中学生にしか見えないが、これで成人だというから驚きだ。
そして一応、俺の助手だ。
腐れ縁から仕方なく雇っているのだが、俺が雇い主ということはとうの昔に忘れてしまったらしい。いつもこうやって、俺の平穏を乱してくる。
「ああ、わかっている」
出かかった文句をぐっと堪えて、短く答えた。名探偵は、いついかなる時も冷静沈着を是とするものだ。
今日も依頼人という名の迷える子羊が、助けを求めてやってきた。
世の為人の為に働くのは苦では無いが、ゆっくり新聞を読む暇もないというのも考え物だ。
───
依頼人は『醍醐 馬子』という、女子大学生だった。
ソファに座らせ、自己紹介をしながら、俺はそれとなく観察する。
彼女は、何かのロゴがプリントされた黒のTシャツにジーンズ、それにスニーカーというラフな格好をしていた。
だが、リムレス眼鏡の似合う整った顔立ちと、モデルのようにすらりとしたスタイルからは、どことなく上品さが感じられる。
よく見ると、金色の腕時計やシルバーのネックレス、小さなエメラルドの指輪、花のモチーフのピアス、蝶の七宝焼きが付いた髪留めなどのアクセサリは、大学生にはとても買えないような高級ブランドの物ばかりだ。
きっと裕福な家柄のお嬢様なのだろう。
ソファに座り話をする所作からも、育ちの良さが見て取れた。
こうやって依頼人を観察するのも探偵の大事な仕事だ。文章にして頭に叩き込むと、後で子細に思い出すことができる。
「それでは、そろそろ本題に入りますか」
俺は、すっかり冷めたコーヒーで唇を湿らせ切り出した。
「ご依頼はどういった内容でしょうか。各種殺人のトリック、失踪者の行方、隠し財産の在処、なんでもするりと解決して御覧に入れましょう」
俺は両手を扇に広げて、キメ顔を彼女に向ける。
そんな俺を無視して、彼女は自分を勇気づけるように小さく頷いてから口を開いた。
「あの、二階堂さんにお願いしたいのは、護衛なんです。来週の水曜日、一緒に着いて来て欲しいのです」
「護衛、ですか?」
思いもよらない言葉に、意図が掴めずオウム返しする。ウチは探偵であって要人警護の類はやっていないのだが。
「ええ、そうです」
彼女はもう一度小さく頷くだけで、それ以上続ける様子は無い。
なるほど、まずは小手調べということか。依頼内容を当てろ、という事だろう。
試されるのは本意では無いが、それに答えるのが名探偵というものだ。俺ぐらいになると、これくらいのことで動揺したりはしない。お望み通り、一から十を導き出して見せよう。
俺は腕を組み、目を瞑って思案する。彼女の特徴、言動にヒントがあったはずだ。
三十秒ほど考えてからゆっくりと目を開き、彼女と視線を合わせた。
「遺産についての話し合いに同席し、他の候補者の脅威から身を守って欲しいということですね」
彼女は、俺の言葉を聞くと目を見開いた。どうやら正解したらしい。
だが彼女は、「なぜわかったのですか?」とだけ言った。回答だけでなく、計算式も採点するタイプだったか。
多弁能無し、無用な説明はしたくないのだが致し方あるまい。
「簡単な話です。まず醍醐さん、あなたの身なりから裕福な家柄だと推測しました。そんな方が、わざわざ探偵に護衛を頼みたいと言う。どうやらオフィシャルなイベントでは無さそうだ。
では、何か危ない橋を渡ろうとしているのか? いや、それなら警察や弁護士などの公権力を頼ればいい。裕福な家柄であればコネのひとつでもあるでしょうからね。つまり、内輪の揉め事に巻き込まれていると踏みました」
一息吐いて彼女の様子を窺うと、感心した様子で首を縦に揺らしていた。このまま話を進めてもよさそうだ。
「内輪の揉め事の大半は不倫かお金です。まだ大学生ということで不倫の線は薄い。ということはお金になりますが、お金に関する内輪の揉め事といえば遺産です。
しかし、遺産で揉めるとしてもなぜ探偵に? そこで改めて依頼内容を思い返すと『護衛』です。何らかの脅威を想定している。
そして、遺産で脅威といえば? そうです、他の候補者の凶行です。それに『着いて来て欲しい』とも言っている。危険があるなら行かなければ良いが、そういう訳にはいかない事情もあるらしい。
そこから導き出せる結論は、遺産についての話し合いに同行して、他の候補者の脅威から守って欲しいということです。どうでしょう、違いますか?」
そして、そんなイベントに同行してくれて、かつ不確かな憶測で動いてくれる業種は探偵ぐらいだろう。
俺が言い終わると、彼女は深々と頭を下げた。
「試すような真似をして申し訳ありません。やはり噂通りの方でした。ただ、護衛して欲しいのは人間からだけではないんです」
彼女は、助手がいつの間にか出していた紅茶を一口飲んでから話を継いだ。
「おっしゃる通り私の生家は代々続く資産家で、先日父方の祖父が亡くなり遺産相続の問題が発生しました。親族の中には資金繰りが厳しい人もいて、怪しい動きをしている人もいるようなのです。
それだけなら良くある話なのですが、遺言の本文はとある場所で開示するようにと指定されていました。その場所というのが、祖父が所有していた孤島に建てられた屋敷なんです。
そこにはいろいろな噂がありまして、旧日本軍の亡霊が出るとか、流刑地で落ち武者の祟りがあるとか、更には未知のウイルスで変異した怪物が棲むという話や、神隠しの伝承も残っているんです」
「はあ、どこぞのテーマパークも真っ青な豪勢な島ですね。きっと、どこかに徳川の埋蔵金も埋まっているでしょう」
俺の軽口をスルーして彼女は続ける。
「それで、ただでさえ不穏な空気の中、そんないわくのある島に行くのは恐ろしくて。誰か頼れる人はいないかと思っていたら、知人から二階堂さんのご活躍を聞きまして、これだと思い藁にもすがる気持ちで参った次第です」
なるほど、と素直に納得するには難しい理由だが、それでも俺を頼ってくれたとあれば依頼を受けない訳にはいかない。誰のどんな依頼でも断らないのが、俺の名探偵としての矜持だ。
俺は胸をこぶしで叩きながら、彼女に向かって大見得を切る。
「分かりました、ご安心ください。どんな脅威からも守って御覧に入れましょう」
彼女は安心した様子で胸を撫でおろしていた。
───
それから、依頼に関わる情報を聞き出した。
イベントの日時は来週の水曜日、午後五時開始。
屋敷のある島は醍醐家が所有しており、他の住人はいない。
断崖絶壁に囲まれて、ヘリコプターでしか上陸出来ず、スマホの電波も当然の様に届かないそうだ。絶海の孤島というやつか。
場所も、ここから電車、飛行機、船、最後にヘリコプターを乗り継いで、都合十時間かかるというから、今から考えただけでもげんなりする。今時、リモートという手は無かったのだろうか。
イベント参加者は次の九人だ。
醍醐 馬子……依頼人 大学生 二十一歳
醍醐 一雄……馬子の父親 会社社長 四十七歳
醍醐 和美……馬子の母親 主婦 四十三歳
醍醐 浩二……叔父 医者 四十四歳
田中 三咲……叔母 塾経営 三十九歳
田中 己弦……叔母の夫 塾講師 四十一歳
醍醐 四郎……叔父 投資家 三十七歳
澤田 孝弘……祖父の顧問弁護士 三十五歳
辻 総一郎……使用人 五十一歳
彼女は、当たり前の様にすらすらとプロフィールを口にした。今日に備えて準備してきたのだろう。
この内、祖父の遺産の相続権を有しているのは、祖父の子四人。
つまり醍醐一雄、醍醐浩二、田中三咲、醍醐四郎となる。そして、当然と言うべきか、各人共に問題を抱えているそうだ。
一雄の会社は、祖父が会長を務めていた親会社から離反したが、事業が思うように拡大せず、資金繰りに行き詰っているらしい。それが原因で、醍醐夫妻は不仲になり別居中。
浩二は、医療事故を起こして裁判で係争中。状況は悪いとのことだ。
三咲は、少子化の煽りで生徒数が目減りして経営が右肩下がり。夫の己弦とは、経営者と従業員という立場の違いの為か、諍いが頻発している。
四郎は、大きく仕掛けた株が下落し、損失補填に駆け回っているという。
総じて順風満帆とは言い難く、何かしらの問題、特に共通するのは金銭に関わる問題を抱えている。そこに降って湧いた遺産の話だ。少しでも取り分を多くしたいと思う者がいても、なんら不思議では無い。
このような条件がそろった中で、絶海の孤島というシチュエーション。何も起きないという方が無理がある。
彼女が誰かに頼りたくなるのも分かるというものだ。
話の区切りがついて、俺が今までの言葉を反芻していると、彼女が「あの」と前置きしてから躊躇いがちに訊いてきた。
「今までのお話ですが、メモを取ったりはしなくて大丈夫ですか? 自分で言うのも何ですが、かなり複雑だと思うので」
俺も助手も、ただ座って話をするだけで、ペンのひとつも持っていなかった。確かに、探偵は手帳を愛用しているイメージがある。だが問題はない。
「大丈夫です。探偵たるもの、聞いた話は一言一句忘れませんから」
生まれついての探偵体質とでも言うべきか、依頼や事件に関することは全ていつでも思い出せる。
最後に日程の詳細をすり合わせ、その日の打ち合わせは終了した。懸念はあるが、特に問題ないだろう。
俺は、残りのコーヒーを一息に飲み干した。
※※※
あっと言う間に一週間が経ち、俺は醍醐馬子と共に件の孤島へ来ていた。
絶海の孤島のわりには穏やかな気候で、ピクニックすらできそうだ。
それを知っていたからか、彼女はTシャツの柄以外、先日と同じ格好だった。対して俺は、用心してサバイバルな格好をしてきたのだが、全くの無駄に終わりそうだ。
使用人の辻が操縦するヘリコプターで海を越え、屋敷横のヘリポートへ降り立つ。
豪華な門扉の向こうに、場違いなほど立派な欧風の建造物が見えた。辺鄙としか言いようが無い島にこんなものを建てるとは、醍醐家の財力がうかがい知れる。
俺が屋敷を眺めていると、助手が呑気に言う。
「すごい所に来ちゃいましたね」
「これぐらいの屋敷ならざらにあるが、それをこんな孤島に、というのは俺も経験がない。期待が膨らむな」
「期待って、何も起こらないことを祈ってくださいよ。下手に事件なんて起きたら、帰れなくなっちゃいますからね。早く帰って、先週やりきれなかった仕事を終わらせないと怒られちゃいますよ」
名探偵は公共の福祉とでも思われているのか、毎日依頼が舞い込んでくる。この一週間も、当然のように休みなく働き詰めだった。
だが、忙しかった覚えはあるが、どんな仕事をしていたかなどすでに忘却の彼方だ。人も事件もすべての出会いは一期一会、俺は過去を振り返らない主義なのだ。
屋敷に入ると、すでに他のメンバーは揃っていた。
俺と助手を入れて総勢十一名。全員、大広間に集まって、遺言の開示を心待ちにしている様子だ。
同行者を連れてきているのは、馬子だけの様子だった。どう考えても場違いなので全員から奇異の目で見られるが、そんなものは慣れている。馬子から紹介してもらい、挨拶を済ませれば問題は無い。堂々としていれば、そのうち自然と馴染むだろう。
話の最中、馬子から聞いていたこの島に伝わるいわくが話題に上った。醍醐家の中では鉄板ネタなのか、大いに盛り上がった。
話もひと段落ついて、さあ楽しい遺言の開示だと思っていたが、それは明日行うと澤田弁護士から説明された。今日は移動で疲れただろうから、という配慮らしいが、遺言を読み上げるだけなら一時間も掛からないだろう。すでに中身を知っていて、揉めることが確実だと分かっているからかもしれない。
本来ならここで部屋割りを説明することになるが、地上四階、地下五階のこの屋敷を文章だけで説明するのは、少々どころではなく煩雑なため割愛する。あいにく、見取り図も用意していない。
各自、一人一部屋あてがわれた部屋で過ごし、夕食で顔を合わせた後は解散となった。夕食時、嫌味とけん制の応酬になっていたことだけ記しておく。
──そして、予想通り事件が起きる。──
翌朝、俺は助手の悲鳴で目を覚ました。
寝間着のまま部屋を飛び出し急行すると、醍醐一雄が部屋の中で殺されていた。
凶器は短剣で、旧日本軍が銃の先に付けていた銃剣というものだった。
旧日本軍の亡霊に殺されたとでも言いたいのだろうか。
部屋の状況を検分すると、どうやら密室で殺されたらしい。しかし、わざわざ密室にする理由が分からない。労多くして功少なしの典型だが、犯人は無駄に頭が良いか、馬鹿のどちらかだろう。
そして案の定というか当然と言うべきか、凶行は終わりでは無かった。
各人の安否を確認したところ、姿が見えない人物が三人いた。三咲と四郎に辻だ。この時点で不在ということは、もうこの世にはいないだろう。
ほとんど死亡を確認する為に、三人を探すことになった。
まず田中三咲の部屋へ行くと、思った通り殺されていた。
凶器は刀で、落ち武者が使っていたにしては大分真新しいものだった。
刀は武士の魂ともいうから、きちんと手入れをしていたのかもしれない。
そして驚くべくことに、こちらも密室状態であった。犯人はよほど密室にこだわりがあるか、密室なら捕まらないとでも思っているのだろう。この犯人は馬鹿だということが確定した。
次に、醍醐四郎の部屋へ向かった。
三人目ともなると、死んでいても誰も驚かなかった。淡々と死亡確認をして、殺害現場を検分する。
凶器は斧だった。
確かに、怪物と言えば斧だからな。
もう言わなくても分かると思うが、ここも密室だった。しかし、亡霊と落ち武者はまだ、実体のない祟りとして密室の正当性を主張できると思うが、怪物はさすがに無理があるだろう。犯人は、怪物がせこせこ密室トリックでも使ったとでも言いたいのだろうか。おかしいを通り越して呆れてくる。
最後に辻総一郎だが、部屋にはおらず、辺りを捜索しても遺体はおろか失踪の痕跡すら見つからなかった。
なるほど、神隠しということか。
もしかしたら辻が犯人で、すでにヘリコプターで逃亡を図ったという可能性もある。そう思いヘリポートを確認するが、ヘリコプターはまだ存在していた。辻はどこに消えたのだろうか。だが、どちらにせよ辻は犯人ではないだろう。誰が死んだところで、直接の利益を受ける立場にないのだから。
辻の失踪が分かると、和美がもう帰れないとパニックになっていた。心配しなくてもヘリコプターなら俺が操縦できる。名探偵の嗜みだ。
だが、今それを言うと殺されるかもしれない。ギリギリまで黙っておこう。
この時点で残っているのは、醍醐和美、醍醐浩二、田中己弦、澤田孝弘、そして依頼人の醍醐馬子。そこに俺と助手を入れて七人だ。辻は安否不明なので一旦置いておく。
動機の面から犯人を考えると、いまのところ浩二が怪しい。祖父の子が三人死に、遺産を独り占めすることができるのだから。だが、こんなにも分かりやすい事件を計画するだろうか? 彼は曲がりなりにも医者なのだ。一般的な水準よりもずっと頭が良いはずだ。
ほぼ全員がそう思ったのか、自然と浩二に視線が集まっていた。
すると、自分が疑われていると気付いたのか、浩二が語りだした。
「しかしなあ、遺言を聞く前に兄さん達が死んでしまったってことは、和美さん、己弦くん、馬子にも相続の権利が発生したってことだな」
その発言に全員が黙り込む。
あたりが静寂に包まれる中、助手が反応した。こいつは、こういうときにずけずけと聞けるから助かる。
「そうなんですか? でも相続って、配偶者か一親等の血縁だけじゃないですっけ?」
「いや、数次相続といって、遺産分割前に相続権のある子が死んでしまうと、その配偶者及び子、つまり孫にも相続権が移るんだよ。そうだよな? 澤田先生」
「え、ええ、そうです。よ、よくご存じで」
浩二に問われた澤田は、あからさまに落ち着きを無くして答えた。怪しいが、辻と同じく彼も利益を受ける立場にない。動揺しているだけだろう。
ともかく、親族全員に一応の動機があることが判明したが、特定するにはまだ人が多すぎる。
その後、名探偵である私の提案により、各部屋の状況を再確認しようという話になった。なにか重要な証拠があるかもしれない。
この屋敷の部屋は全て同じ造りで、デスクやベッドは落ち着いた品の良いアンティークで揃えられ、壁には全身が映る姿見が埋め込まれている。
屋敷の床は、全館毛足の長い絨毯で覆われているから、少々乱暴に歩いたくらいでは足音は吸収され全く聞こえない。毛足の長い絨毯はゴミが絡んだら掃除しにくいだろうなといつも思うが、金持ちは自分で掃除しないからお構いなしなのだろう。
被害者は、みな一様に鏡を背にしてうつ伏せに倒れており、致命傷を負わされた傷の状況が、背後から襲われたことを示していた。
一通り部屋を回ったところで、急に和美が叫び出した。
「いやよ、もう帰りたいわ! この中に犯人がいるんでしょ? 一緒にいるなんて絶対に嫌よ!」
「でも和美さん、一人になったら犯人の思うつぼですよ。皆で固まっていたほうが安全ですから」
俺が宥めるように言うが、和美は聞く耳を持たない。
「犯人が全員殺すつもりだったらどうするの? 固まっていたら一網打尽よ! 私は部屋から出ないからね!」
和美はそう言うと、部屋に走っていった。
重い空気の中、名探偵として何か気の利いたことを言わねばと考えていると、馬子がおずおずと切り出した。今日はコンタクトにしたのか眼鏡を掛けておらず、髪も下ろしている。うちの助手もこのくらい色っぽいといいのだが。
「あの、母の言うことを肯定するわけではないですが、私も犯人と一緒というのはちょっと気が進まないです」
馬子はそこまで言うとゆっくりと息を吐き、腕時計をちらりと見た。
「今日はもう遅いですし、各自部屋に籠っていてもいいのではないでしょうか。しっかり施錠すれば、手出しは出来ないと思います。明日になれば、異変に気付いた会社の方々が通報すると思いますので、それまでの辛抱かと」
これだけ殺していれば、もう犯人も殺さないのでは、という楽観もあったのだろう。特に反対意見も出なかったので、皆その意見に従うことになった。
──だが、事件はまだ終わっていなかった。──
次の日、醍醐和美と醍醐……、俺と助手と馬子と澤田以外が全員密室で死んだ。辻は知らん。
とりあえず、残ったのは四人だ。そして、俺と助手は断じて犯人ではないから、実質残ったのは二人だ。
こうなったら、もう両方を締めあげて吐かせた方が早いとは思うが、そんなことをしては名探偵の名折れだ。華麗な推理で、ぐうの音も出ないほどに謎を看破する必要がある。
確実に目の前に犯人がいるのに、呑気にも残った四人で推理大会をすることになった。
しばらく、ああでもない、こうでもないと話をしていたら、助手が興味深いことを言いだした。
「そういえば私、昨日と今日の深夜に廊下で女性の幽霊を見たんですよ」
「おまえ、殺人犯がいるのによく出歩けたな」
俺の突っ込みを無視して、助手は続ける。
「それで、ちょっと気になって後を付けたんですけど、廊下の曲がり角で見失っちゃったんですよね。その先には部屋も何にもないから、やっぱりあれは本物の幽霊だったんですよ。きっと一連の事件もその幽霊が……」
「馬鹿を言うな。幽霊が現実に干渉できるわけがないだろう。あるとしたらもっと高次の存在がだな」
幽霊嫌いの俺が、助手の話にむきになっていると、馬子はそれがおかしかったのか口を押さえてくすくすと笑っていた。
そのとき、馬子の腕時計が目に入った。
「あれ? 馬子さん、腕時計壊れてませんか?」
昨日の時点では確かに動いていたはずだ。
よく見ると、午前二時を指して止まっており、本体に目を向けるとリューズが取れている。
馬子は腕時計を確認すると、慌てて腕を後ろへやった。次いで、何か言おうと口を開くが、鯉のように口をパクパクと開閉するだけで言葉が出てこない。
腕時計を見られたのがそんなにまずいのか?
そして、よくよく馬子を見ると、いろいろとおかしいことに気付いた。
「馬子さん、昨日まで付けていたアクセサリ類は何処にやったんですか?」
ネックレスにピアス、更には指輪についていたはずのエメラルドも見当たらない。そういえば、眼鏡と髪留めも今日はしていない。
もしやと思い、改めて部屋を確認する。
渋る馬子を引き摺って各部屋を巡ると、毛足の長い絨毯の奥から、ゴミと一緒に出るわ出るわ。証拠品の数々が。
一雄の部屋からは、ピアスに付いていた花。
三咲の部屋からは、髪留めの蝶。
四郎の部屋からは、割れたレンズ。
和美の部屋からは、シルバーのネックレスチェーンの一部。
浩二の部屋からは、指輪についていたエメラルド。
己弦の部屋からは、金色の腕時計のリューズ。
出てきたものを机に並べながら、記憶の中で馬子が身に着けていたアクセサリ類と照合するとどれも一致した。我ながら、よく覚えていたと思う。
「馬子さん、何か言い逃れします?」
俺は、憐みの目を向けて訊いた。
馬子はしばらく俯いた後、何かを思いついたように顔を上げた。
「えっと、全部屋密室だったんですよね。それだと、私がやったということにはならないんじゃないでしょうか」
「まあ、こういう屋敷には隠し通路があるのが常識ですから、少し探せば出てくるでしょう」
俺がそう言っている間に、助手が鏡に寄り掛かると、なんとそのまま向こうへ倒れてしまった。鏡の国かと思ったら、単に鏡がドアのように開閉しただけだった。
それを見ると、馬子は膝から崩れ落ち、全てを自供した。
馬子の自供は長い上に要点が不明瞭で、更にはいろいろと間違った知識の元に組み立てられており、聞いている方が頭が痛くなる類のものだった。
やはり、この犯人は馬鹿だった。名探偵の勘は当たるのだ。
ちなみに辻は、帰りにヘリコプターを操縦させる為、隠し通路の中に拉致されていた。
※※※
事件が解決した俺たちは、帰りの支度をしていた。
窓の外では解放された辻が、せっせとヘリコプターを飛ばす準備をしている。思ったよりも元気でよかった。
俺はゆったりとしたソファに腰掛けて、助手の淹れたコーヒーを前にその光景をぼうっと眺める。そうして、束の間の休息を満喫していると、ふと言いようのない違和感を覚えた。
今回の事件、あまりにも出来過ぎている。
いや、逆か? あまりにも出来が悪すぎる。
いつも事件はこんな感じだっただろうか? もう少し骨があった気がするが、過去を振り返らない主義が災いして思い出せない。
……本当にそうだろうか。試しにこの一週間のことを思い出そうと試みるが、何も思い出せない。なぜだ、どういうことだ。いくら考えても白紙しか出てこない。
それでも頭を悩ませていると、ふとある考えが頭に浮かんだ。
そもそも、そんな過去が無いのではないか?
いや、それこそ何を言っているというのだ。
ありえない疑問が俺の中を駆け巡る。
だが俺は名探偵なのだ、こんな謎などするりと解決して見せよう。
五分後、俺はある結論に至った。
しかし、導き出された結論を受け入れられず、呻くように呟く。
「そんな馬鹿な、俺は名探偵だったのだ」
思い返してみると、最初から変だった。
醍醐馬子の依頼内容を、あの少ない情報から導き出せる訳が無い。
あんなもの、当たる訳がないのだ。
一の情報から導けるのは、そのまま一でしかない。
過去を振り返らないのではない、記述されていないから思い出すことが出来ないのだ。
記憶力が良いから一言一句忘れないのではない、記述されているから忘れないのだ。
証言・証拠も、俺の観察眼が優れているから気付くのではない、そのように記述されたから認識することができているのだ。
名探偵だから、すべてが上手く行く。
意図せずとも証拠が集まるし、犯人はなにがしかのミスをしてくれる。
つまりここは、小説の中の世界だったのだ。……しかも三流だ、これ。