文字や言葉のない世界
「言葉を失くせ。体で感じるんだ」と、耳にしたり、SNS上の文字で目にする。
しかし、レシートをみても、数字と文字に溢れている。
〇〇薬局 お問い合わせQRコード
ご利用いただきありがとうございます。〇〇店
電話番号 〇〇〇〇ー〇〇ー〇〇〇〇
責No 〇〇〇〇
国産納豆40g 税込み ¥99
・・・・・
合計/10点 ¥2499
日付 〇〇
・・・・・・・・
1000円クーポン当たる
レシート番号〇〇
言葉をなくすどころか、言葉に埋め尽くされている。
かくいう私も徒然と文章を書いているわけだ。
地球の表面に住む宇宙人こと地球人が、言葉も文字も失って現代社会を生きた場合どうなるのだろう。
さっそく、想像していこう。
ぶいーんとコンビニの自動ドアが開く「いらっしゃいませ」と店員は言わない。
アイコンタクトでお客が来たと認知する。わたしも店員さんが気が付いたと認知する。
店内をうろうろしてお茶とおにぎりを買うことにした。値段は当然書いていない。おにぎりの具もわからないように思うかもしれないが、てっぺんに梅があり海苔で包まれている。また昆布、ゆかり、高菜などが混ざっており見た目でわかるようになっている。
数字はないので、料金もいらない。
店員はおにぎりを作ったり、お茶を陣列させることがほとんどだ。誰が無料で働くのかと思った諸君。この世界に奉仕する事以上に幸せなことはないのだ。
奉仕できない人は、工場生産の食べ物が支給されている。
衣食住には困らないのである。店と言ったが、実際は自分の分以上につくってあまった分を与える場所である。
道の駅に置いてある食べ物に近いだろう。当然日持ちはしないが、その分余分な生成物は入っていない。
店の看板もなければ、商品名の文字を書く必要もないので、そのまま出している。お腹を壊したと言う人もいない。だって、言葉はないのだから。
まるで、ユートピアに来てしまったように思うかもしれない。
しかし、こんなディストピアのパターンもある。
お金がないために、盗みばかりして奉仕もせず怠惰になっていた。
それでもはじめは、ある程度循環し工場ベースの食糧が支給されていた。
しかし、工場で機械を管理する人が奉仕をしたくなくなり辞めてしまった。
言葉はないので、文句をいうことはしないが食糧がこないことに激怒して工場で働いていた人を叩いたり、縛り付けて無理やり労働させた。
工場で働く人は、頭にきていつもより保存料を多く配分した。知らずに支給され食べたら体を壊してしまった。
配分量の文字は書いてないので証拠もない。怒るだけ怒って、怒る体も壊れてしまった。こうして、人類は奪い合って死んでしまった。
言葉や文字がなくなっても、変わらないことが見えてきた。
人類は書いて学び発展してきたというが、本当だろうか?
もう一度レシートをみてみよう。
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ご利用いただきありがとうございます。〇〇店
電話番号 〇〇〇〇ー〇〇ー〇〇〇〇
責No 〇〇〇〇
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レシート番号〇〇
書いて学んだのは、責任逃れと数字の計算での損得勘定だけではないだろうか。
文字や言葉があってもなくても、ユートピアにもディストピアにもなる。
結局、文字や言葉も生きるためのツールでしかないのであろう。