下
変わって、コテツを見送っていた教会の面々は、彼が教会が出たのをみると、早々に地下に戻った。
そして、彼らも移動の準備を整えた。
偶々、コテツが襲撃されたが、暗殺者がきていたことを思うと、居場所はすでに敵にばれている。ならば、この場所にしがみついている必要はない。
一行が手早く荷物を纏めて、表にでるが、時すでに遅かった。
「囲まれていますね」
冷静にヘンリーが現状を認める。
教会を取り囲むように殺気をにじませた敵がいる。
その数は、コテツの倍は優に超えていた。
「皇子、お下がりください」
ジャンとヘンリーが前に出る。ダリヤも、短剣を構え少年いやこの国の第1皇子であるアルバートを守るように立ちはだかる。
彼はこの国の第1皇子であった。しかし、アルバートを生んだ王妃は、病に罹り早くに亡くなった。
いわゆる後ろ盾のない状態だ。
そのため、王が亡くなった今、現王妃が自分の子である第2皇子を王にしようと、アルバートを抹殺しようと企んでいるのだ。
恐らくこの大量の暗殺者たちも王妃に雇われた者たちなのであろう。
暗殺者たちは、一言も発することなく、アルバートに襲い掛かった。
ヘンリーやジャンがいくら腕が立つとはいえ、数の差が埋められるはずがない。戦況が徐々に、暗殺者たちの優位に傾いてきた。
ジャンやヘンリーの鎧に血が滲みで始めると、毅然としていたアルバートの瞳が揺れ始める。
自分に対しての死は覚悟ができても、支えとなってくれていた者たちの死は受け入れがたい。
「皇子、今のうちにお逃げください」
「ここは我々が食い止めます」
もはや勝敗が見えてきたのだろう。ジャンとヘンリーがアルバートに向かって叫ぶ。
せめて、幼き皇子だけでも生き延びられるように。
彼らは王家に忠誠を誓い、前王妃に救い上げられた恩がある。
彼女が最後まで気にかけていた皇子を護るために命が懸けられるのであれば、本望だ。
また、正妃は公爵令嬢ということもあり、金遣いが荒く、国庫に手を出すほどであった。
そんな彼女が国を掌握しようものなら、この国の行末は目に見えている。
ジャンとヘンリーにとってだけではなく、皇子はこの国の希望なのだ。
こんなところで死なせるわけにはいかない。
決意を新たにヘンリーとジャンが剣を握りなおしたところで、教会内に轟音が鳴り響いた。
「いやはや。やはり、こちらにも来ておったか」
やけにのんびりとした声音に、少年が顔をほころばせる。
教会の入り口付近に固まっていた暗殺者をその足で吹き飛ばしたのは、噂の人物コテツであった。
「コテツ、無事だったか」
思わずつられて顔を明るく染めたダリヤだが、コテツの風貌をみて、思わず息を飲んだ。アルバートも同様に、動きをとめた。
この国に来てから買ったという、庶民にありがちなクリーム色のシャツが、赤黒く染まっていた。
アルバートはこの色を知っている。
城を追われるときにいやというほど見た血の色だ。
「コテツ、血が…」
「ああ、これは全部返り血だ。私の血は混じっておらんよ」
アルバートが絞り出すような声で指摘をすると、コテツは自身の体を見下ろしてのんびりと頷いた。
無傷を証明するためか手を広げて見せたコテツに、暗殺者たちが動揺した。
「馬鹿な、あの人数を無傷で退けただと」
思わず放たれたであろう低い声が、彼らの驚愕を現していた。
それに対し、不自然なほどのんびりした声音で、コテツが答えた。
「まさか、あの程度で私を仕留めようと思ったのか」
甘いぞと、コテツが嗤った。
その表情は、静かに闘志が滲み出ており、穏やかな彼としか接していないアルバートはその気迫に冷や汗を掻いた。
「皆良い剣筋であったが、遅いし力もない。これなら、私の息子の方がはるかにいい勝負をしてくれる」
決してコテツに送った暗殺者が弱かったわけではない。
これまで幾度の高度な依頼を成功させた、精鋭たちであったのだ。
ただ、相手が悪かった。
「先の者たちには随分がっかりさせられたものだが、そなたたちはどうだ。私を楽しませてくれるのか」
一歩暗殺者たちに足を踏み出すコテツに対して、暗殺者たちが思わず一歩下がった。
大柄というより、この国では小柄な部類に入る男に対して、暗殺者たちは自然界に君臨する獣の王と対峙した時のような、諦めにも似た絶望を抱いていた。
平たく言うと、コテツを目の当たりにして心が折れていた。
この男には敵わないと本能が告げているのだ。
「だが、私とて弱いもの苛めが好きなわけではない。この場で降伏し、少年に二度と関わらないのであれば、この場は見逃してやってもよいのだ」
ジャンとヘンリーによって多少数が減らされたとはいえ、両手が余るほどの人数に対して不遜な物言いである。しかし、この男にはそれだけの口をきいても許されるだけの風格があった。
暗殺者のボスは我慢の限界だというように吠えた。
「舐めた口をきいてくれるな。貴様には苦しんで死んでもらおう」
ボスの声に暗殺者たちは我に返った。そして、数での有利を思い出した。
この数相手にまず、1人で勝てるはずがない。
それだけの技量があっても体力が尽きるのが早いだろう。
そうして、安直に剣をコテツに向かって振り下ろした。
「ジャン、ヘンリーは少年を守るのに専念してくれるか。その方が戦いやすい」
さっくりと戦場から追い出されたジャンとヘンリーは、アルバートを守る位置につくと、お互いに顔を見合わせた。
「私たち、あっさりと戦場から追い出されましたね」
「まあ、守るのが俺たち騎士の仕事ではあるが」
どこか釈然としない雰囲気の二人をおいて、コテツと暗殺者たちの戦闘は幕を開けていた。
しかし、其の空気は数分ももたなかった。
「彼は、本当にただの旅人なんでしょうか」
「さあ。ただ、コテツの戦い方はまるで…」
戦場に生きたことのある者の戦い方だ。
生きるために特化した迷いのない一撃。それだけではなく、コテツの太刀筋は剣を習ったことのあるもの特有の型を持っていた。
「野獣が舞ってるみたいですね」
ダリヤの表現がまさにコテツの戦う姿そのものだ。
敵から噴き出す血さえ、決められた演武を舞っているかのように美しい。
不安げな面持ちでコテツの背中を見ていたアルバートも、いつしかコテツに魅了されているようだった。
「こいつ、化け物か」
まあ、敵にとっては恐怖の権化と化しているようだが。
ぽつりと呟かれた言葉に、コテツは声を上げて笑った。
「化け物と呼ばれたのは、初めてだ。そうか、私は化け物に見えるか」
話の合間も、向かってくる敵を切り捨てるコテツの頬に、血がとんだ。
的確に首を切り捨てているからか、コテツは頭から血を被ったかのようだ。
その姿に敵だけではなく、アルバートたちも畏怖していた。
「さあ、私をもっと楽しませてくれ」
そう微笑むコテツに、数が少なくなった暗殺者たちは、がむしゃらに立ち向かった。
◇◆◇◆
静かになった教会には、あの日の夜以上に血の匂いが充満していた。
微かに呻き声を上げているのは、手足を片方ずつ切り取られながらも、暗殺者最後の生存者となったボスであった。
さすがにあの数を無傷でとはいかなかったのか、服のあちらこちらに浅い切り傷を作ったコテツは太刀をボスの喉元に突き付けた。
「さて、答えてもらおうか。お前たちの依頼人は誰だ」
「答えると思うか」
「別にそれでも良いが、口を割らせる方法など、いくらでもある」
戦っている時の熱はすっかりどこかへ行ってしまったらしい冷めた目に、ボスは思わず息を飲んだ。
どうせ、隻腕片足ではこの先の未来など無いに等しい。コテツの動きはまさに戦人のものであった。それならば、拷問の方法とて熟知しているだろう。
しかし、ボスとて暗殺依頼を受けたプライドもある。最期に自身のプライドを失うわけにはいかない。容易に口を割らないと悟ったコテツは、深々とため息をついた。
「そうか、それは残念だ」
そして、ボスの首を躊躇なく刎ねた。
その予想外の行為に、アルバートたちは息を飲んだ。しかし、一人平然とした表情のコテツは、血をぬぐって刃を収めると、冷え切った瞳に炎を灯した。
「皆、無事であるか」
戦場に似合わない朗らかな笑みに、圧倒されたままのアルバートは何も返すことができなかった。
◇◆◇◆
私はどうやら常人と感覚が異なっているらしい。
そう感じ始めたのは、戦場に出るようになった14歳の頃だったように思う。
戦場に立てば、血が沸き立ち、もっと強い相手との戦闘を望む。もっと手強い相手を探すうちに、私と1対1で刀を打ち合わせてくれる武人はいなくなり、代わりに数で私に対抗してきた。それに私は異論はなかった。数が増えればそれだけ、個々の力が弱くても私にとっては手強い相手になるからだ。
そんな私を見て、父はこういった。
戦狂いと。
別に、他人を殺して快感を得ているだったり、他人の血を見て興奮するのではなく、自分の力を目の当たりにするのが好きなのだろうと、自分では思っている。だから、自分の力が示せるのなら相手を殺すくらい、なんとも思わなかった。
まさに、私にとって戦は遊びであったのだ。
今はさすがに落ち着いたが、戦闘になると血が沸き立つのは止められない。
だから、皆が凍り付いた表情で私を見ているのは、きっとまた何かを間違えてしまったのだろう。
決してさわやかとはいいがたい風が、私たちの間をすり抜ける。
沈黙を打ち破ったのは、ジャンだった。
「なんで、殺したんだよ」
「生かしておく必要がなかったからだ」
事実、私は先の戦闘で黒幕の名前を聞き出している。
この男に黒幕の正体を聞いたのは、私たちに従うようであれば戦力になるからだ。
ただ、彼は自身のプライドにかけてそれは許さなかったようだ。
潔い男であった。味方であれば、心強い男であっただろうが、敵であれば厄介なだけだ。
「私を襲ってきた男たちの中に、幹部であろう男がおった。その男曰く、依頼主はエリザと名乗るフードを被った女。ただ、どうやら依頼主はエリザは女王のめいどらしい。聞き覚えある名か」
「ええ、私の後輩にあたるメイドです。確かに、女王派のメイドの中心ではありました」
ダリヤが青い顔をしながら、そう答える。決まりだ。
少年は思っていたより高貴な身分の者であったらしい。
「すまない、巻き込んでしまって。改めて自己紹介を。この国の第一皇子、アルバート・イングリンフィールドだ。アルでいい」
バツが悪そうにそう告げるアルに先ほどまでの恐怖は薄れてきたようだ。
私は素直に名を告げてくれた少年に若干のうしろめたさを感じながらも、何食わぬ顔をした。
「さて、これからどうする」
私は、少年に問いかけた。
私がやりたいようにやっても彼らは何も言わないだろうが、この国の未来にかかわることだ。
将来の国を担っていく少年たちに決めてもらいたい。
「私たちは、暫くまた身を隠そうと思う。気を伺って、反乱を巻き起こすつもりだ。コテツは、この国人ではない。このような争いに巻き込むつもりはない。逃げてくれ」
私の身を案じるアルに対して、私は面白いと思った。
かつて私が傘を差しだした少年と姿を重ねることが多かったが、彼がついてこいと宣ったのに対して、アルは逃げてくれという。
「質問の仕方を変えよう。アルはどうしたい」
ふるりと、少年の瞳が揺れた。
「私は、父上のように民を護りたい。この状況で一番苦しんでいる民を救いたい」
自分の身も危ういというのに、そんなことを考えていたのか。
幼くても、王の器であるらしい。
そんな彼の手本となっているのは、賢王と謳われた彼の父親なのだろう。
くそ親父としか息子に評されなかった私とは雲泥の差である。
羨ましい限りである。
「よし、では私も手を貸そうではないか」
「えっ」
突然の宣言に間抜けな表情をさらす彼らに、私は笑みを浮かべた。
「国とり合戦は得意なのだ」
◇◆◇◆
もうすぐだ。
女王は、その美しい顔に笑みを浮かべた。
野心家の彼女が欲しがった地位と権力があと少しで転がり込んでくる。
幼い少年の死によって。
闇ギルドが返り討ちになったと聞いた時には、憤激と焦りが胸に立ち込めたが、今となっては遠い昔。でっち上げた罪の数々で反逆者となった第1皇子には、国中からの精鋭を集めた王城の兵たちによって、追い詰められている。
しかし、気にかかるのは手を貸しているという東国の男。
目撃者としてはじめは気にかけていた男は、気が付けば第一皇子側の指揮を担うようになってるらしい。
何者だ。
つい先程、密偵が持ち込んだ報告書を手に取る。
分厚くも薄くもない数枚綴りの報告書。
他物と大差ないそれを1枚軽い気持ちでめくった。
大和の国からこの国は遠いが、冒険家を名乗る旅人がいなかった訳では無い。
その男も例に漏れずそれだろうと高を括っていたのだ。
しかし、報告書には目を疑う内容が記載されていた。
「まあ、嘆かわしい…。けれども」
上手く使えば、相手を根幹から揺るがすことができる。
女王は零れる声を抑えもせず、未来に思いを馳せ、わらった。
「女王陛下!!」
「騒がしい。何事ですの」
騒がしく部屋に駆け込んできた騎士に、女王はじとりと視線を投げた。
折角のいい気分が台無しである。
しかし、騎士から飛出た言葉は、先程とは比にならない程驚くものであった。
「反乱です。反乱軍が城に押し寄せています!その数1万はいるものと思われます」
「馬鹿な」
残念ながら、あの第1皇子には女王に牙を向けるだけの勢力は無いはずだ。
辺境に追いやった第1皇子派のもの達を掻き集めてもそのような数には到底届かないだろう。
であれば、どこからそのような数が出てきたのか。
「どうやら、その大半が民衆のようです!」
その言葉をきいた瞬間、女王は呆れて言葉を失った。
訓練も積んでいない、統率の取れていない民衆で国とりを行おうというのか。
どうやら、第1皇子たちは最後の賭けに出たらしい。
「まあ、私の兵の敵では無いですわね」
なんせ、周辺国から恐れられる精鋭達だ。
しかし、女王はこの時まだ理解できていなかった。
第1皇子の指揮を執る人間が、ヤマトの国で何をしたのかを。
まあ、理解出来ていたとしても対応は出来なかっただろう。
戦を学んだことの無い女王に、金の力でここまでの地位に上り詰めた騎士団長。
いくら持ちうる駒が精鋭であっても、頭が機能していなければ、烏合の衆とあまり変わらない。
なにより、騎士達の士気は、多くの戦場を経験したコテツでさえ驚く程に低かった。
ほとんど紅がない抜き身の刀を揺らしながら、コテツは頭を抱えた。
その前には、ヒステリックに叫ぶ女王の姿が。罵声であるようだが、その言葉はコテツの耳をすり抜けている。
「哀れだな」
「呆気ないですね」
なぜ、精鋭と謳われた騎士たちが負けたのか、それすらも理解できていないのか。
いや、わかりたくないのだろう。
自身が敗者であることを。
「そもそも、この国の兵士たちが精鋭と謳われたのは、兵士自身の実力もそうだが、なにより参謀の戦略が見事だったからと聞く」
旅のうわさで聞いたことがある。奇想天外な策略とそれを実現させる凄腕の騎士たち。
その時は話半分に聞いていたが、騎士たちの実力をみると事実に近いものだったのだろう。
戦ってみたかったというのが、コテツの本心である。
女王は、コテツの言葉を呆然とした表情で聞いた。
そして、喉が引き攣れるような笑い声をあげた。
「そうね、わたくしは負けたのだわ。でも、哀れね大和の旅人。あなたももうすぐ敗者になるのよ。最後にあなたの末路を見てあげる」
なぞかけのような言葉だった。
しかし、女王はそれっきり笑い声を上げるだけで言葉を発しなかった。
ふむっとコテツは思考をめぐらした。残念ながら、コテツには自分が敗者になる所以が理解できなかった。
「戯言か」
「いや、戯言にしては様子がおかしい」
何かを確信している瞳。
「もうすぐ着くはずよ。ヤマトの国で何をしたのかまでは分からなかったけれども、あなた国から指名手配されているようね」
女王の言葉に、耳を疑った。
アルバートのみならず、コテツまでも。
「追手がかかる心当たりがないのだが…」
本心でわかっていないのか、困ったようにアルバートを見るコテツ同様、アルバートも困惑した表情を見せた。
この短期間でだが、コテツの為人を知ったアルバートが思うに、コテツは戦狂いさえ除けば、有能な人物であった。戦の戦略もそうであるし、人に指示を出すことにも手馴れており人材を見抜く目も一流であった。
間違いなく只者ではないとおもっていたが、まさか。
しかし、この本気で心当たりがなくしきりに首をひねっている様子を見ると、なんとも判断がつかなくなる。
そして、空気がざわついた。
扉の向こう側から、騒がしさが押し寄せてくる。
そしてその騒ぎの原因は迷いなく、この部屋に来たようだ。
女王が堪え切れず笑みをこぼした。禍々しいその表情にアルバートは女王が、追手を手引きしたのだとやっと理解した。
コテツに身を隠すように伝えるよりはやく、扉が勢いよく開かれた。
その瞬間、コテツは目の前に立つ人物に目を疑った。
コテツより一寸ばかり背の高い鋭い目つきの男が、コテツをにらみつけている。
この国では見ない、袖が広い衣装。そして腰にはコテツが佩いている刀と同じ装飾の武器。
間違いない、ヤマトの国の者だろう。
「ようやく見つけた」
少し違和感があるが、この国の言葉で男は言葉を発した。
それに対し、表情をなくし何も発しないコテツ。
アルバートはどうすることもできず、ただ突っ立ている他なかった。
すると、ヤマトの国の男は、ぐわっと大口を開いた。
「どこほっつき歩いてるんだ、このくそ親父!!」
「うむ、息子よ。息災なようで何よりだ」
途端、コテツは破顔し嬉しげな声をあげた。
アルバートは、目を丸くしてコテツと男の顔を見比べた。確かに眼差しや口元、雰囲気が似ている。
しかし、なぜこんなところに。
「追手と聞いていたが、まさか自分の息子だとはな…」
「下手に知らんやつだと返り討ちにするだろ。だから、わざわざ俺がここまで出向いたんだ。帰るぞ、親父。我らが皇が待っておられる」
誰も理解に追いついていないなか、女王が信じられないと声をあげた。
「なんで!?その男の首には懸賞金がかけられていたはずじゃ…」
「そうなのか?」
呑気に事実を確認するコテツに、息子はバツが悪そうに頬をかいた。
「いや、そうでないと、親父の姿すら見つけられなかっただろうし」
信頼といえばよいのかなんなのか。
この息子は親父が死ぬことなど一切考えていなかったらしい。
あまりの潔さに思わず唖然としてしまった。
「何はともあれ、これにて終幕だな」
「あ、親父また他所の国のことに頭突っ込んだだろ」
やいのやいのと賑やかな親子を横目でみつつ、アルバートは声を上げた。
「戦は終わった。我々の勝利である」
歓声が上がった。
◇◆◇◆
血がほどんど流されなかった戦は、後の歴史に名を刻むことになる。
しかし、そんなことは今は関係ない。
後始末もそこそこに、宴がはじまった。
主役は市民全員だ。今の現状を打破しようと、アルバートたちに手を貸してくれた。
アルバートは、にぎやかな会場を離れると、少し離れた場所で見守っていたコテツの横に腰を下ろした。後ろにはジャンも付き添っている。
「力を貸してくれてありがとう、コテツ」
「いや、なに。私ができることをしただけだ」
コテツはそういうと、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私は、ヤマトの国の武将でな、戦で功績を立ててきた。恥ずかしながら、異名までもらう程な」
そう苦笑したコテツに、ジャンははっとした表情を見せた。しかし、コテツは構わず話をつづけた。
「私はヤマトの国の前大将軍、生頼景虎と申す。コテツはこの太刀の銘だ。名乗りできなかったこと許してくれ」
コテツ改め景虎にジャンは確信を持ったように問いかけた。
「まさか、あの大帝国華の国の軍勢を、わずか5千の兵力で退けた“ヤマトの虎”なのか」
驚愕のあまり、皇子の前であるにも関わらず、素の口調で問い詰めたジャンに景虎が苦笑した。
言葉は発しないが、肯定しているも同然だ。
釣り上げられた魚のように口をハクハクさせるジャンに対して、少年は聞き覚えがないのか首を傾げた。
「ジャン、知っておるのか」
「知ってるも何も…」
庶民の間では有名な話であった。
遠く異国のヤマトの国に、虎のように獰猛な剣士がいるらしい。
彼は一人で城を落とすほどの剣の腕を持った男であった。その戦う姿は、野生の虎に匹敵するほど素早く力強い。彼と戦ったものは一人残らず敗れていった。それはかの大帝国華の国の強力な軍隊であっても例外ではなかった。
彼がいる限り、ヤマトの国を属国にしようなどど思わない方がいい。
旅の詩人たちがこぞって歌っていた異国の話。
珍しい異国のことであるから、誇張させれて謳われていると思っていたが、実際にその功績をもつ人物がいると聞いた時には度肝を抜かれた。
その者の名前は生頼景虎。ヤマトの国の護り人。
ジャンがそう語り終えると、景虎はむずがゆそうに姿勢を直した。
「この国でも広まっているのだな」
「騎士を目指すものの憧れになってます」
話をしているうちに落ち着いたか、騎士らしい改まった口調に戻ったジャンに、景虎は困ったように眉を下げた。
「驚いたな。只者ではないと思っていたが。しかし、それなら尚更なぜこの国に…」
もっともな質問である。
本来国の重鎮であるものはそう易々と旅に出られるわけがない。
「いやなに、隠居した身であるからな。私がいなくてもどうにかなるだろうと思ってな。皇からの許可ももらってある」
あっけらかんと告げた景虎に、斜め後方から罵声が飛んできた。
「親父のためにもう1個階級作るって皇が言っていただろうが。それに、こんな長期になるなんて誰も聞いてないが」
「あの子もいつまで経っても甘えん坊ではいかんだろう」
ほけほけと朗らかに笑う景虎は、まるで孫を思うように"あの子"の話をする。
アルバートはそれが羨ましく思えた。
「あの子は、庶子であるから自分の家から追い出され、行き場を無くしておったんだが…」
見かねて傘を差し出してから数年後、下克上を果たし今や一国の皇になってしまった。
しかし、父のように慕ってくれているはいいものの、少し依存しているような気がするのも事実である。
だからこそ、物理的に距離を置いてみたのだが、どうやら我慢の限界らしい。
仕方ないと折れる辺り、景虎もあの子には弱いらしい。
「さて、我々はそろそろ出立しようか」
「もう、行ってしまうのか」
よっこらしょと立ち上がった景虎は、別れを惜しむアルバートに優しく微笑みかけた。
「達者でな、この国が良き国になるよう、心から願っておる」
「父が世話になった。何かあれば、力になろう」
旅をするには少ないように思える荷物を担いだ親子に、アルバートは力強い瞳を向けた。
「私はこの国がそなた達が羨むくらい、良き国にする。だから…」
その先は、甘えているようで口には出せなかったが、景虎は理解したらしい。
ひとつ大きく頷いた。
「では、次に来る時は土産を持ってこよう。何が良い?」
「そうだな、話に聞いていた柏餅というものを食べてみたい」
「相分かった」
柏餅は、景虎の故郷で子どもの成長を願って食べられる。
アルバートは父親としての愛情を、景虎に教えて貰った。あの子のように、傍にいて欲しいとは口が裂けても言えないが代わりに想っていて欲しい。
そんなアルバートの一方的な我儘も全てひっくるめて景虎は了承したのだ。
そして今度こそ背を向けて歩き出した。
太陽が登る方、ヤマトの国へ。