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泡沫、刹那に燃ゆ花の元

 


 背の低いろうそくに、ライターで火が灯される。幸い、今日は風も強くなく、立ち上がった炎はゆらゆらと穏やかに揺れていた。



「よし、ついた」


「水の準備も完了~。じゃあ早速やりますかあ」



 ぺりぺり、ぐしゃ、ばりばり。

 横から聞こえてくるのは、雫と近江くんが作業している音だ。買ってきた手持ち花火の台紙やらテープやらを剥がして、ばらしているのだろう。


 私がこの夏にやりたいことの六つ目は、「花火をすること」。私の家の近くの河川敷で、みんなと遊ぶことになった。



「花火を見たい、じゃなくて、やりたいっていうのが遥香らしいよね」


「……だ、だって、大きい花火は、病室からでも見えるから」



 薫の言葉に、咄嗟に言い返す。


 病院にいても、場所によっては窓から眺めることができた。看護師さんや他の入院患者の人と一緒に花火大会の気分に浸ることは、そう難しくなかったのだ。

 でも、みんなが手軽にやるような手持ち花火は、逆に巡り合う機会がない。一度でいいからやってみたいなと、常々憧れていた。



「一発目って何からやるか迷わね?」


「どうせ全部やるんだから、悩む必要ないと思うけど」



 淡泊な回答を寄越した雫に、霧島くんは「じゃあこの真っ直ぐのやつ」と花火を一本手に取る。ピンクの持ち手に、黄色や水色の紙が鮮やかだ。


 結局、最初はみんな揃ってそのススキ花火に着火することにした。

 先陣を切るのは霧島くんだ。花火の先端をろうそくに近付けて、しゅう、と一拍遅れてから火花が飛び出す。


 瞬間、意図せず肩が跳ねた。

 純粋に、びっくりしたのだ。手持ち花火って意外と勢い良く発光するんだなと、これはまた一つ新しい発見である。


 それを見るとほんの少しだけ怖くなって、最初の一本目は薫と一緒に持つことにした。

 目の前で真っ直ぐ散っていく光の粒が、オレンジ、白、青、と移り変わっていく。



「おー、きれいきれい」



 その感想には概ね同意だけれど、呑気な薫とは対照的に、私の腰はまだちょっぴり引けていたと思う。


 でも、本当に、綺麗だ。

 こんなに近くで、手元で、煌々としているのが不思議なくらい、何か生命を宿したかのように、火花は力強く吹いている。



「これ、誕生日のケーキの上に刺すやつみたい」



 いつの間にか二本目を楽しんでいたらしい雫が、自身の持っている花火を僅かに掲げてそんな比喩を漏らした。

 煙のない火花がぱちぱちと四方八方に飛んでいる。彼女が言うように、料理の演出にも使われるような類いの光り方だ。



「てか、みんなの誕生日いつ?」



 霧島くんが唐突に問うた。

 彼が燃え尽きた花火を、バケツの水に浸す。じゅ、と静かに火花の抵抗する音が響いた。



「私は六月」



 答えた雫に、薫が「私は五月」と続く。



「わ、私は十月だよ」



 流れに乗って私もそう伝えると、霧島くんはのんびりと口元を緩めた。


 必然的に、まだ口を割らない残りの一人へと視線が向く。



「近江は?」


「今月」


「えっ、まじ? いつ?」



 ワントーン上がった声で促す霧島くんに、近江くんが渋々といった様子で打ち明けた。



「……八日」


「八日って、」



 みんなで顔を見合わせる。そして次の瞬間、誰ともなく叫んでいた。



「今日じゃん!」



 そう、八月八日。まさしく今日。

 何それー、と薫が肩を竦める。



「言ってよ、水臭いなあ」


「自分から言うのも違う」


「でも言わなきゃ誰も祝ってくれないじゃーん」



 近江くんは自身の頭を軽く掻いた後、やや戸惑ったように目を伏せた。



「俺の誕生日祝いたいやつなんて、いないだろ」



 それから彼はずり下がっているわけでもないのに眼鏡を押し上げて、言葉を続ける。



「そのためだけにわざわざ夏休み中に会うやつも、連絡取るやつも、誰もいない」



 教室で静かに一人、読書に耽る近江くん。誰からも干渉されたくない、誰にも干渉したくない。それが彼の基本理念かと思っていたけれど、今こうして実際に話しているのを見ていると、脳内で築いてきた私の勝手な彼へのイメージとは、微妙に食い違っていた。



「でも、俺らがいるじゃん」



 孤独な隙間に、安心を与えてくれる声。かつて私が救われたのと同じように、いま霧島くんは、近江くんへ穏やかに笑いかけていた。



「わざわざ夏休み中に会って、連絡取って、集まってるよ。俺は、近江の誕生日祝いたいって思ってるけど?」



 眼鏡の奥の瞳が揺れる。彼の掛けている鍵が一つ、外れた音がした。



「私も、そう思う」



 薫が口を挟んだ。



「うん、私も」



 と、これは雫だった。

 私もどうにかして伝えたくて、勇気を振り絞る。



「近江くん、誕生日おめでとう……!」



 緊張した。だけれど、これはいま言わなければいけないと思った。


 みんなからの言葉と視線を受け取って、近江くんが呆気に取られたように黙り込む。



「……は、」



 やがて耐えかねたのか、彼は息を吐いた。それから固く結ばれていた口元を解いて、ぎこちなく笑う。



「そんなこと言うの、あんたらくらいだ」



 少し、照れ臭そうだな、と思った。でも近江くんの笑った顔は、想像よりずっと柔らかくて優しくて、それを見ることができて良かったとも、思った。



「うっわ、近江が笑ったとこ初めて見た。いいじゃん、近江クン、そっちの方が可愛いよ」


「は?」


「凄むな凄むな」



 薫が調子のいいことを言って、近江くんを怒らせている。だけれど、場の空気はさっきより幾分か和らいでいて、心地良ささえ覚えた。



「近江、おめでとー」


「おめでとう!」


「おめでとう」



 薫、霧島くん、雫。それぞれ順番に祝福の言葉を投げかけて、夏の夜、暗い中に心の一番奥が明るくなるような空気が広がる。


 おう、とか何とか。近江くんは小さく首を縦に振って、やっぱりちょっとだけ恥ずかしそうだった。



「じゃ、この花火は近江に捧げまーす」



 さっき雫に「ケーキに刺すやつみたい」と言われていたスパーク花火を一本。薫が火をつけて宣う。


 ティロン、と電子音が響いた後、霧島くんはスマホを掲げたまま口を開いた。



「はっぴばーすでーとぅーゆー、ほらみんな歌うぞ」



 彼に促され、みんなでお馴染みのメロディーをなぞる。

 正直、歌よりも花火の弾ける音の方が存在感があったのだけれど、細かいことは気にしない。


 名前を呼ぶところで、他のみんなは「近江」、私だけ「近江くん」、で二音零れてしまった。バラついたのに、歌い終わった後、霧島くんは「息ぴったりじゃん」と優しいフォローを入れてくれる。動画を撮り終えた彼は、スマホを操作しながら続けた。



「今の動画、みんなに送っとくわー」


「別にいい」


「何でだよー、照れんなって。思い出思い出」



 照れてない、いや照れてる、いらない、送っとくから、と二人の攻防戦がしばらく継続していた。

 霧島くんは近江くんの肩に腕を回して、まだ何やら言い募っている。近江くんは前と同じく「暑いから離れろ」とは抗議するものの、振り払うことはしない。そこに彼の人柄がよく表れている気がした。



「男子共! いつまでじゃれてんだ、うちらで花火全部やっちまうぞ!」


「やっちまうぞー」



 薫の威勢のいい呼びかけと、雫の若干気の抜けた同調が重なる。

 その言葉通り、二人はいそいそと花火に着火していく。


 しゅー、ぱちぱち、じゅわじゅわ。

 花火は色鮮やかで、視覚はもちろん楽しい。だけれど、音もよく聞くと多彩で、目を閉じても瞼の裏に夏の風流が浮かんでくるようだった。


 ろうそくがだいぶ短くなってきた頃、花火も粗方やり終えてしまった。

 最後に残ったのは線香花火。否、残った、ではなく、残した、と言った方が適切だろう。



「今あんまり風強くないし、いいかもね」



 雫が言いつつしゃがみ込む。彼女の指先が、線香花火の先についている、薄いピンクのひらひらを弄んでいた。



「誰が一番長く保たせられるか競争だなー」


「ベタすぎるけど、人数いるとそうなるよね」



 みんなそれぞれ一本ずつ細い火薬を握り、ろうそくに近付く。

 じんわりと優しい火の玉が出てくれば、あとは静かに落ちるその時まで、黙って待つだけだ。


 普通の花火がぱちぱちなら、線香花火はしゅわしゅわ、だと思う。微炭酸みたいな柔らかい音を立てて、散った火花が空気に溶けていく。


 結果からいうと、一番最初に脱落したのは薫だった。そして最後まで残ったのは近江くんだった。それも、彼は圧倒的に誰よりも長く火の玉を所持していたのだ。



「近江ぃ、何か小細工した?」


「は?」


「だって近江だけめっちゃ長かったじゃん!」



 口を尖らせる薫に、チャンピオンの近江くんが「持ち方だよ」とため息をつく。



「真っ直ぐじゃなくて、斜めに……四十五度くらいに傾けた方が落ちにくい」



 まじで? と、霧島くんが興味深そうに瞬きをした。四十五度を探すように、彼はまだ火のついていない線香花火を持って、手首を捻る。


 もう一度全員が一本ずつできるくらいには本数があったから、そのまま二回戦に突入した。



「おー……なんか確かに、さっきより長かった、かも」



 しばらくして、近江くんとほぼ同時に火玉を落とした霧島くん。その隣で、薫が「見て!」と声を上げる。



「私と雫のやつ、まだ結構元気!」


「あ、」



 そんなことを言ったそばから、落ちた、と雫が呟く。



「え、私が一位? やったあ」



 薫のはかなり長寿で、その後も弱々しく光りながら、ゆっくりと萎んでいった。


 残る線香花火はあと二本。バースデーボーイだから、という理由で近江くんに一本、それからジャンケンで勝った霧島くんにもう一本が託された。



「うわ、俺のめっちゃ火力強いんだけど。元気すぎね?」


「落ちやすいから気をつけとけ」



 近江くんの予言通り、霧島くんが持っていた線香花火は、比較的大きく火花を散らした後、すぐにぽとりと息絶えてしまった。



「早っ! ちゃんと斜めに持ってたのに」



 どうして、と問いたげに霧島くんが拗ねる。それを見た近江くんは、淡々と述べた。



「つくられる段階で一本一本、微妙に変わってくるんだよ。長く細く保つのもあるし、目一杯光ってすぐに落ちるのもある」



 人間でいう、個性みたいなもの、だろうか。

 そう思ったと同時、近江くんが私の心中を見透かしたかのように付け足す。



「線香花火の燃え方は、よく人の一生に例えられる」



 最初は弱く震えながら、少しずつ蕾が開いていく。その様子が、若々しい「牡丹」の花。

 それから大きく燃え盛るターンに移り変わって、人生で一番の節目、結婚や出産を経る中で幸せを掴んでいく。これが力強く勢いのある「松葉」。

 その後、火花が小さくなり、散り方も下を向いて穏やかになる。一段落して落ち着いた大人の時間、ゆっくり垂れ揺れる「柳」。

 そして僅かな火花が静かに舞い、火球も尽きていく。人生の終焉、花びらが儚く散り落ちる「菊」。


 近江くんの話す声は、熱くて暗い夜の中で、なおも涼やかだった。

 彼がこんなに沢山喋る人だなんて、全然知らなかったのだ。あの日、薫が声を掛けなければきっと、知らないままでいたんだろう。



「俺らは、まだ『松葉』ってことか」



 静寂が完全に幕を下ろす前に、霧島くんが口を開く。

 そうだな、と近江くんの返事は低かった。それで、彼は「でも」と言うのだ。



「さっきみたいに、『松葉』で落ちることもある」



 瞬間、みんなの顔が憂いを帯びた気がした。私も、身が引き締まる思いだった。


 必ずしも最後まで綺麗に光っていられるわけではない。できうる限り光り切って短命で終わる人生も、細々と長く光り続ける人生も、全部単位は同じ。一度生きると書いて、「一生」だ。


 長く保たせようとして傾けても、風が来たら揺れる。落ちる。それは一種、運命とも、偶然ともとれるもので。


 でもきっと、私たちは今、精一杯火花を散らして輝いている。それだけはどうしようもない事実だ。



「……そうだね。だから、今を大事にしないとなって思うよ」



 酷く優しく、悲しく、穏やかな顔をして、薫が目を伏せる。彼女の手が自身の左胸を押さえた。心音を確かめるように、ゆっくりと瞼を閉じて息を吐いている。


 八月八日。今日は、近江くんの、生まれた日だ。



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