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祭日、賑わう提灯と人

 


 金魚すくい、クレープ、やきそば、かき氷。ポップな文字が布地に並んでいる。

 ピンクの可愛らしい浴衣を着た小さい女の子が、ヨーヨー片手に私のすぐ横を通り過ぎていった。



「お祭りなんて久しぶりに来た」



 そう呟いたのは雫で、彼女は周囲の屋台を興味深そうに見回している。



「えっ、うそぉ。私、毎年行くよ」


「行く相手いないし」


「ちょ、悲しいこと言わないでって。ほら、今年はいるじゃん?」



 薫が言いつつ雫の肩を叩いた。その反対の手には既にチョコバナナが握られていて、謳歌する気満々のようである。


 私がこの夏にやりたいことの五つ目は、「お祭りに行くこと」。

 街はずれの川沿いにある公園。今日はみんなと一緒に、そこで行われる夏祭りに来ていた。



「あれ、てか近江いなくない? どこ行ったんだろ」



 ぱくり。チョコバナナを一口かじって、薫が頭を左右に振る。


 言われてみれば確かに、近江くんの姿が見当たらない。ついさっきまで「人混みは疲れる」と不服そうにしていたはずだ。



「あー、さっき『すぐ戻る』って言って何か買いに行ったみたいだけど」



 というのは霧島くん情報で、それを聞くや否や薫が声を上げる。



「えーっ! それ霧島が止めないと駄目じゃん。どうすんの、近江が勝手に帰ったら」


「俺のせいかよ」



 もしかして具合が悪くなってしまったのだろうか。いや、でも近江くんがそのまま帰ってしまう可能性はないこともない。

 もともと気乗りはしていなさそうだったしな、と少々気分が落ち込んでいた時。



「あ、近江!」



 人の流れに逆らわないよう、器用に歩いてきた彼は、平然とした顔で戻ってきた。顔色は別段悪くなさそうだし、とにかく帰らずにいてくれたことが分かって安堵する。



「ちょっと、どこ行ってたの。帰ったのかと思ったじゃん」



 大股で距離を詰めた薫に、近江くんは抱えていたプラスチック容器を指して受け応えた。



「どこって、唐揚げ買いに行ってたんだよ」


「……唐揚げ?」



 想定外の返答である。

 彼が開けた容器から顔を出したのは、まごうことなき唐揚げ。少し大ぶりで、しっかりと衣がついている。それを私たちの方に差し出して、近江くんは当然のように告げた。



「祭りと言えば唐揚げだろ。ちょうど五個入りだから、一人一個ずつな」



 みんながみんな、きょとん、という効果音が適切な顔で数秒黙りこくった。

 なんだよ、と怪訝そうに身を引く近江くんに、薫が口を開く。



「いや……え、本当に近江だよね? 中身違う人になったとかじゃない?」


「はぁ?」


「友達と分け合うとか、そんなことできる人だったんだね」


「足立の分は俺が食っとく」


「うそ! 冗談! 近江、めっちゃ優しーい!」



 それもそれで白々しいけれど、どうなのか。

 態度を一変させた薫は、無事に唐揚げにありつけたようだった。他のみんなも近江くんから一つずつ分けてもらっている。私は残念なことに揚げ物が苦手なので、気持ちだけ有難く受け取っておくことにした。


 とはいえ、本当に意外だ。まさか近江くんがこんなことをするなんて。

 何だかんだこれまで色々と付き合ってくれているから、根はいい人なんだろうな、と思ってはいたけれど、基本的に一人でいることの方が好きそうではある。



「え~、俺も何か買ってこよーかな。たこ焼きとか」



 霧島くんの独り言に、「ああ、たこ焼きいいよね」と薫が頷く。



「足立も食うならまとめて買ってくるけど」


「じゃあお願いしまぁす」



 よっしゃ任せろ、と親指を立て、霧島くんは人波に飛び込んでいった。

 その背中を見送り、少し寂しいような、残念なような気持ちになる。思わず追いかけるように数歩踏み出してしまい、我に返った。


 視線をずらした薫と目が合う。

 見られていたかな、と恥ずかしくなって、でも薫は何も言わず、揶揄ってくることもなく、ただ私を見つめて淡く微笑む。それがまるで「行っておいで」と勇気をくれているみたいだった。

 だから私も頷いて、消えた彼の背中を探しに行く。







 ――私が初めて霧島くんと会ったのは、中学三年生の春。始業式の日だった。


 いつも病院にいてばかりで、学校へ行くのは新学期が始まる日と長期休暇の前の日と、終業式の日くらい。名簿にはあるけれど、席にいることは片手で数えられる程度。それが私だ。

 きっとクラスの人だって私の顔を覚えていないし、行事の時に私を頭数に入れることもないに等しいのだろう。


 春は、新しい季節は、いつだって悲しかった。

 周りが期待に満ちた顔で出会いを構築していく横で、私は一人、静かにやり過ごさなきゃいけないから。教室で友達をつくっても、私はまた、病院に戻らなきゃいけないから。


 何より、忘れられてしまうのが怖いから。だから、最初から記憶に残らないように、ひっそりと。



「具合悪いの?」



 俯いて机の木目を眺めていると、不意に左隣から声が掛かった。

 びっくりして顔を上げた先、見開かれた瞳がしっかりと私を捉えている。こんなに真っ直ぐと見据えられたのは、いつぶりだろうか。もしかすると初めてかもしれない。



「出雲、だっけ。大丈夫?」



 覚えてくれている。私の名前を。

 先程行われた自己紹介の時間では、ぐだぐだで声が小さくて、みんなつまらなさそうに私を見ていたのに。


 咄嗟に言葉が出てこない。唇を動かすだけで一向に話し出さない私に、彼は「ああ」と苦笑した。



「俺、霧島。霧島斗和。クラス同じになんの、初めてだよな」



 どうやら、私が彼の名前を覚えていないと思ったらしく、改めて丁寧に名乗ってくれた。

 クラスメートの顔と名前はきちんと覚えるようにしている。そうしないと、本当に一人、取り残された気持ちになるから。


 そうでなくとも、霧島くんのことは印象に残っていた。自己紹介では明るくはきはきと喋り、いまテレビによく出ている芸人のモノマネまでしていたからだ。



「……あ、だ、大丈夫、ありがとう。緊張、してるだけだから……」



 いい加減返事をしないと、せっかく話しかけてくれているのに失礼だ。そう思って必死に口を動かす。緊張していたのは、本当に本当だった。



「はは、緊張してんの? 三年なのに」



 クラス替えも三回目。一年生の頃から毎日普通に登校していれば、それなりに友達や顔見知りも増えて、三年生になる頃には、知らない人の方が少ないくらいなのだろう。

 でも私は今日を含めて、学校に来た日はまだ二桁もいっていない。わざわざそれを打ち明けて変な空気になるのも嫌だったので、黙って頷いておく。



「おい斗和ぁ、お前そういうこと言うなよ」



 と、霧島くんの前の席に座っていた男子が振り返った。その人とは一年生の頃からずっとクラスが同じだけれど、私は彼のことが少し苦手だ。



「え? 何が?」


「出雲さんはさー、体弱いから、いっつも学校いないんだって。可哀想じゃん?」



 へらへらと笑いながら、可哀想、という単語を放った彼が、私に視線を移す。

 その、目。面倒なクラスメートを見るかのような目を、いつも彼から向けられていた。


 体が弱いから。休みがちだから。いつも教室にはいないから。

 自分で自分を慰めるために言い訳を並べるならいいのだけれど、他の人から言われるのは嫌だった。最初から線引きをされて、よそよそしく振舞われて。自分が酷く惨めな人間なような気がしてしまう。



「そうなの? 出雲」



 霧島くんが問うてくる。

 嘘をつくのも違うな、と諦めて、私は首を縦に振った。



「……明日から、また病院にいなきゃいけないから……」



 視線から逃れたくて、再び俯く。机の木目。私が今まで何度も、何度も何度も、見てきた景色。



「へーえ。じゃあ俺、めっちゃラッキーじゃん」



 能天気すぎるほど、明るい声色だった。

 思わず目を見開く。ラッキー? ラッキーって、どういうことだろう。


 顔を上げるのが怖い。先の言葉を知りたい。彼の意図が分からない。

 不安、興味、疑問。一度にたくさんの感情が襲ってきて、だけれど不思議なことに、不快ではなかった。


 恐る恐る霧島くんの顔を窺う。目が合って、彼は晴れやかに笑って、そして。



「出雲が学校に来るの、レアってことだろ。だから、今日会えた俺も、みんなも、超ラッキー」



 ああ、――眩しいなあ。


 窓の向こうで青空が流れている。それを背景にして、霧島くんは笑っている。

 ほんの少しの勇気を出して、顔を上げた先。真っ白なワイシャツが目の奥に染み込んでくるようで、痛いくらい。


 でも、それより何より、目の前で、視界の真ん中で笑う彼が、ずっとずっと輝いている。真ん中にいてくれて良かったと、心底思う。



「え――」



 驚いたように瞳をまん丸にした霧島くんの境界が、青空と混じって滲んでいく。



「あー。斗和、お前泣かせちゃったじゃん」


「え、ごめん! 出雲、ごめん! 俺なんかまずいこと言った!?」



 騒がしい声が聞こえる。


 ううん、違うよ。違うんだよ。私は、いま嬉しい。

 霧島くんが笑ってくれて、この教室で最初に話したのが霧島くんで、本当に良かった。







 ――あの日からずっと、私にとっての青空は君だった。

 辛い時、見上げて気持ちが明るくなるように。霧島くんは、ずっとずっと、私の憧れの男の子だ。


 青空を、探している。色鮮やかな浴衣とすれ違う中、たった一人、眩しい白のティーシャツを着た彼を、探している。

 だけれど、人が多すぎてよく見えない。たこ焼きの屋台を見つける方が早そうだと見当をつけ、私は辺りを見回した。


 薄ピンクの背景に、黒い太字で「たこ焼き」。鉢巻を巻いたタコのイラストと目が合う。

 見つけた。屋台のおじさんに注文をしている彼。


 地面を蹴った。それはほぼ衝動的なもので、霧島くんがそのままどこかへ行ってしまうんじゃないだろうか、と妙な不安を覚えたのだ。


 人混みを掻き分ける。走り慣れていないから、すぐに息が上がる。



「霧島くん、」



 ひゅう、と喉奥から弱々しい呼吸が這い上がってきた。体が悲鳴を上げているのか、自分の心が嘆いているのか、もう分からない。


 そういえば、おかしいのだ。今の私なら(・・・・・)何でもできるはず。それこそ、走るくらいどうってことない。

 それなのに、私はどうしてこんなに苦しいのだろう。



「霧島くん……!」



 急がなきゃ。もっと走らないと、彼が行ってしまう。


 もう私には、時間がない。まだ彼に何も伝えられていないのに、このまま終わるわけには――。



「霧島くん、待って!」



 渾身の力を振り絞って叫んだ。途端、心の重りが外れたように体まで軽くなって、一気に彼の近くまで駆け寄る。

 手を伸ばした。霧島くんの指に触れたと同時、後ろから強い風が吹いて、髪が宙になびく。


 弾かれたように振り返った彼が、ようやく私を視界に入れてくれた。霧島くんの目はこれでもかというほど見開かれていて、呆然と立ち尽くしている。


 真っ直ぐ、清らかな瞳。こんなに近くで、こんなに真正面から、彼の顔を見たのは本当に久しぶりだった。何だかそれだけで泣きそうになる。


 霧島くんはしばらく黙っていたけれど、やがて柔らかく微笑んだ。



「……出雲か」



 そう呟いた彼が、ゆっくりと私を見下ろしている。

 喋るのが苦手な私の言葉を、待ってくれているのだと思った。



「ご、……ごめんね。何でもない、何でもないの」



 安心した。自分の中にあった得体のしれないざわめきが、静かに収まっていく。


 霧島くんは答える代わりに、体の向きを変えて緩やかに歩き出した。私も慌てて横に並ぶ。

 今度はさっきと違い、まるで私に寄り添ってくれているような歩調だった。


 夏休みはあと半分。私のやりたいことも、あと半分。

 少しずつ暗くなってきた空の下、暖かく灯る提灯を見つめて、私は残された時間の価値を受け止めていた。



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