不動産屋が店にやってくる
カワシマの店へ不動産屋が電話をかけてくる。
「正面口と裏口を閉め切っているオタクの店で、何故いつも満員御礼なのだ」と。
まさか異世界にお店が繋がりました、という訳にもいかないので、お店を臨時休業して逃げ出すことにしたカワシマ。
そこへ不動産屋の面々がやってくる。
1-a,カワシマはお店を臨時休業にする
「今の電話、誰からだ?」
「不動産屋の人。いつも正面扉と裏口締めきってるのに、なんで部屋の中が満員なんだってさ。ビルの他のテナントさんも不思議がってるし、大家さんは違法なことは御免だって」
まぁ聞かれるよなぁ、とアレクセイは零した。アレクセイも日本語は解る。電話での応対から大体のあらましは理解していたらしい。それでもカワシマに聞かずにはいられなかったのだろう。
「で、なんて誤魔化したの?」
「ビルに入居してる他のテナントさんの迷惑になるといけないから、早朝に集まってから三々五々帰宅してるんだ、人の出入りする姿が見えないのは別に変なことじゃないって」
「それってカワシマ、もっと他にいい嘘の付き方はなかったのかよ・・」
アレクセイの実家であるヴィンチ村は、ドワーフの住んでいそうな村の典型例だった。深い森の中にあって、そこで皆が木々の伐採やら或いは高値で売れそうな木々を管理している。そういう閉鎖的な環境でずっと暮らしてきた。そうなると他人に嘘を付くことが出来ない。付いた瞬間に爪弾き者にされてしまうからだ。逆に余所者に対しては容赦しない。それこそ見知らぬ他人が自分達の森を断りもなしに歩こうものなら、身包み剥いで追い出すというのが常だ。そういう精神構造のアレクセイにとって、余所者へ嘘を付くことにはさほど抵抗はない。寧ろ出来るだけ上手に騙しにいくくらいで丁度良いと考える。
「そこまで言うならお前が考えついてみろよ」
とカワシマに聞かれると言葉に詰まるアレクセイだった。どの世界の大家さんでも、自分の建物が得体の知れない世界と繋がって気持ち悪がらない人なんていないだろう。そうなればこの店はお終いだ。
「で、不動産屋はなんて言ってきたのよ」
「これからこのお店に伺いますだって・・。」
「・・・ヤバいぞ、おい、この店がこっちの世界に繋がってると不動産屋に勘付かれたら・・」
カワシマこそ何も言えなくなった。彼が普段からお付き合いしている不動産営業はこの道何年もやっているベテランだ。その場しのぎのでまかせにコロッと騙されたりはしないのは解っている。だがカワシマは時折衝動的に行動する悪い癖があった。
「客が皆どんちゃん騒ぎするからだ」
と責任転嫁しようとするも
「馬鹿かお前、居酒屋がしんと静まり返ってどうする。俺たちは葬儀屋じゃねえんだぞ」
というアレクセイの正論に再度黙るしかない。
「ともかく店を暫く休むぞ」
「いいのか?あんな電話があった後で臨時休業していたら、逆に怪しまれねえか?」
「じゃ、どう説明すんだよ?僕の店、異世界に繋がっちゃいました、なんて言って納得してくれるとでも?」
「そうさなぁ・・・」
「言っとくけどな。俺の店が退去させられたら、お前も困るだろう?何とかして言い訳考えてくれよ!!」
「何とかって言われてもな・・」
、とアレクセイは気が付く。普段は俺が無茶なことを言ったりやらかしたりして、それをカワシマがどうにか辻褄合わせをする事が多いのに、今日はまるで逆だ。カワシマとしては面白くないだろう。
居ても立っても居られないカワシマは、正面口の扉に臨時休業の看板を掛けた。それからいつも通り、本棚を移動させて正面口の扉を塞いでしまう。
「俺の店の入口も塞いでおくか・・?不動産屋がお前の店の裏口から入ってきたら、俺の店に来ちまうぞ」
カワシマはハッと気が付いた。カワシマの店の裏口は、本来ビルの非常階段へと繋がっている。だが今のところ、ビルの裏手にある非常階段を登ってカワシマの店に入ろうとすると、異世界にあるアレクセイの店に繋がってしまうのだった。
「そうだな、サッサとお前の店の正面口も塞いでおこう」
カワシマの店の裏口を出て、異世界の表通りへ出る。いつも通り、太陽が二つ浮かぶ不思議な光景だ。だがそんな事に二人は構いもせず、アレクセイの店の窓(というかひさしと陳列棚で区切られた四角い穴)から強引にアレクセイの店へ乗り込む。アレクセイは扉へ臨時休業の立て看板を掲げ、カワシマは店内の適当な家具を移動させて店の扉を塞ぐ。カワシマの家具を持つ手が覚束ない。手の震えが止らないせいだろう。アレクセイは何も言わず、カワシマの代わりに家具を持ってやった。
カワシマはもう傍目から見て居られないくらいに動転していた。それはそうだろう、今入居しているビルから退去したら彼はお店を開くのに掛かったおカネへの借金まみれになってしまうからだ。
「ともかくよ。不動産屋に居留守使うくらいなら、先に飲食ギルドの場長に挨拶すましとこうぜ。遅かれ早かれ済ましておかないといけないんだから」
ともかく何かしていないと不安でしょうがないらしいカワシマは、お、おおと言いながら同意するのかしないのかハッキリしない態度だった。恐らく頭の中が銀行から借りたローンで頭が一杯だったのだろう。それにギルドの場長へ挨拶もしないでこの街で商売することは難しいというのは、事情をあまり知らないカワシマでも想像が付いた。だがこの申し出がアレクセイが時折示す心遣いなのだ、と気が付くのはずっと後の話だった。
1-b, 不動産屋の丹澤氏
新宿区で不動産屋を始めてから、もう10年以上となる。この仕事を始める前、丹澤厚はパチンコ屋で役員をやっていた。役員といっても仕事は精々厄介な客との応対とか、地元の警察署への付け届けとか、よく解らない連中への接待とか、そんなのばかりだった。いわゆるパチンコ屋らしい実務は、全て店長や店員さん達がこなしていたので普段はする事がなかった。進んで用心棒になったつもりはないけれど、まぁ傍から見れば似たようなものだったろう。そういう事に嫌気が差して不動産屋に転職した。その選択が間違っていたと思わない。どの道あのままパチンコ屋で仕事を続けていても先はなかった。中途半端な生き方を続けるよりは、極々普通の人生を歩んで結婚したい。そういった事の積み重なりから、不動産営業に転職した。
だが不動産営業というのは、ラクじゃない。本当に。
まず仕事の線引きだ。仲介したテナントの言い分を100%聞き入れる訳にもいかないし、それでいてビルの大家さんのいう事を無視するって訳にもいかない。それにいつだって誠実でいられる訳でもない。嘘とまでは言い難いが、限りなくそれに近いことを言わないといけない時もある。不動産屋は信用ならないと言われるのには慣れている。世の中全てが全て真っ正直なことばかり言って回るほど単純には出来ていないのだ。それが解らない連中の戯言など聞き流すに限る。
だが休暇中にも電話が掛かってくるというのは頂けない。それこそ気の休まる時間などありはしないからだ。
休みの日だろうと、突然呼び出される。或いは夜中にいきなりスマホに電話が掛かってきたり。相手はこちらを何だと思っているのやら。尤も、最近はそういう客筋からは距離を取れるようになってきたが。意識して信用できる良い客とお付き合いするように頑張れば、その分だけ見返りもある。そう、魚心あれば水心っていうじゃないか・・。だからこそ内心で応援していた客に裏切りじみた行動をされると、人知れず傷つくんだよなぁ、と丹澤は独り言を言っていた。勿論丹澤とて、昨日今日不動産屋を始めた訳ではない。人を見たら泥棒と思えという格言通り、不動産業界で真実なんて1000に3つくらいなものだ。後の997は嘘だと。丹澤氏も嘘を付かれるのは慣れている。でも慣れるからって、心が傷つかない訳ではなかった。そんな事言ってたら商売にならないけれども。
「んじゃチョット客先回ってきます」
と言って丹澤は会社の事務所を出る。そして会社で借上げている駐輪場にいき、適当な自転車を借上げる。ハンカチを持参しながら自転車で移動するのがやり方だった。雨の日だと自転車のサドルにも雨が振り仕切る。雨のしずくを拭かずにうっかりそのままサドルへ腰かけてしまうと、濡れたサドルには跨ることになる。見る角度によっては誤解を招くことになる。この商売、第一印象が肝心なのだ、そういうくだらない所で心象を悪くしたくない。どの自転車も大して変らないけれども、やはり使っているうちに何となく自分が使う自転車というヤツが決まってくる。お気に入りの自転車で、いざ駐輪場を出発だ。
バイクしか移動手段がなかった頃は、お店の目の前を通っている首都高5号線の下を神田川沿いに走っていき、それから江戸川通りに折れていくというルートでカワシマの店に通っていた。時間にして3分も掛からない。ただカワシマのお店付近には、バイクを停めてられる適当な駐車場がない。路上駐車なんてして違反切符でも切られた日には目も当てられない。違反切符の料金は自分の給料から差っ引かれる羽目になる。それだけは避けたい。その点、自転車であれば歩道も車道もどちらも行ける。ガソリン代も必要ないし、その気になれば裏道を使ってどんな所にでも停めることが出来る。新宿区内の狭い範囲を移動するだけであればそこまで苦になるような坂道もない。
ー問題はカワシマさんのお店で今何が起きているかだよな。
ボードゲーム店の店主、カワシマさん。コロナウィルス蔓延で外出を自粛して欲しいという呼びかけされているその最中の開店とは、なかなかに思い切ったことをする人だとは思った。このタイミングでないと、家賃や共益費の相場も上がっていくだろう。お店を開くとすれば今しかない。問題はどうやってこの修羅場を乗り切るかだ。正直、お店の経営が厳しくなってくると一線を超えてしまう人々というのはいる。契約書に違反していると頭で解っていても、この一度だけ一度だけという悪魔の囁きに抗しきれず、潜りで民泊を経営するなんてのは可愛いほうだ。この新宿区ともなれば、御法度の覚せい剤だのなんだのに手を染めている連中の話だって聞かない訳じゃない。世の中そういう方向にだけは頭が回る連中がいるから嫌になる。そんな中で彼は真っ当な商売人だと感じたからこそ、この物件を仲介した。神楽坂駅付近にある事務所から自転車で5分も掛からない。立地は最高によく、ただ自転車を止る場所には毎回苦労するビルだった。一階にはハンバーガー屋が入居しており、その店の店員とも丹澤は顔見知りだ。
ーカワシマさん、真面目そうないい人だったのに、やっぱ潜りで民泊とかしていたのかなぁ。でもそういうこすっからそうな人間には見えねえけどなぁ。でも潜りの民泊じゃないとすりゃあ、他にどんな可能性があるんだ。
2-a.グラン・タンリー通りを歩きながら、カワシマとアレクセイは必死で言い訳を考え始める
アレクセイのお店は街の南側にあるグラン•タンリー通りに面していた。どうやら街の固有名詞はフランス語に準拠するらしい。グランというのは「大きな」という意味であり、そうであるからには、プチ・タンリー通りもあるのだ。そちらの方には両替商や為替商などが軒を連ねており、カワシマは一度見たことがあるだけで余り世話になったことがなかった。グラン・タンリー通りを南下していくと、通りの両側を所狭しと飲食店が連なっている。大体この街の名前からして、ヨーロッパ風の料理を出す店が多いが、中にはトルコとかアラブ風な料理を出す店もある。無論トルコだのアラブだのというのは、カワシマの主観的なものであってこちらの世界でどの様な名前を持つ地方なのかは解らない。
そういえば以前、魔術士アントニオが「夕方に寺院が銅鑼を鳴らして日の入りを知らせるんだ」とか言っていたのをカワシマは思い出した。となるとこの街には色々な種族だけではなく、出身地もバラバラという事らしい。観光客気分でぶらつけばそれなりに楽しめる街並みではあったが、今のカワシマとアレクセイにそんな心の余裕はなかった。
「やっぱ正直に言った方がよくねえか?相手は不動産屋だろ?嘘ついてもバレるぞ」
アレクセイが郷里の村を抜け出してこの街に流れ着いてきた時には、色々な業者に騙された。不動産屋なんかはその最たるものである。森の中で生活している垢ぬけない田舎者、というステレオタイプで見られがちなドワーフは、当初馬鹿にされがちだった。勢い奉公人として親方の提供してくれる下宿でも、何のかんのとピンハネされていたものだ。漸く独立して飲食店を立ち上げると、今度は不動産屋と大家がグルになってピンハネしようとする。水道料金の決め方でなんど涙を呑んだことやら解らない。そんな海千山千の連中がわんさかいる様な業種の人間に向かって、カワシマのような人間が咄嗟についた嘘が通用する筈もない。
「だからさ、ものは言いようというだろ」
「言い方も何も、お前の店の裏口がグラン・タンリーにある俺の店に繋がった。それ以上のことは言えないだろうが」
確かにアレクセイのいう通りであった。何やら今日のアレクセイはいつになく正論ばかり吐いてくるので嫌になる。
そうだけどさ、もっとこう、なんか、穏当な言い方が、とカワシマは言い訳がましくブツクサと言っているもそれを無視してこう続けた。
「正々堂々と本当のこと言った方が良い気がするけどな。小細工使っても良いことないぞ」
結局カワシマは自分の意見に凝り固まっているだけの事だった。それを認めたくないだけだ。要するに視野狭窄とでも言えばいいのか。
ー無理もない、とアレクセイは思う。カワシマにとっては、今出しているお店が全てだ。今すぐに退去となれば、借りたおカネの問題もあるだろう。カワシマがよく口にする「銀行」というのがイマイチピンとこないアレクセイだったが、要するに両替商人のことだろうと検討を付けている。まぁ連中の追い込みってのは、相当なモンだからな、焦る気持ちは解らないではないが。
そんなカワシマを横目にアレクセイはアレクセイで真剣に考えていた。幾ら他に方法が無かったとはいえ、場長の娘であるソフィアを脅して店から追っ払ったのである。これから場長に挨拶しにいく上で、場長が笑ってなかった事にしてくれるだろうか。
ー多分、そんな事はあり得ない。場長は直接には何も言わないだろうけれど。ああいう人種は他人の前だと格好つけるからな。けれど執念深く根に持って、何処かでその話を持ち出してくるだろうな。
アレクセイが真剣に考えている様子がカワシマにも伝わったらしい。二人は繁華な大通りを見渡すことなく、下を向いたまま歩き続けた。
グラン・タンリー通りは精々1kmくらいの長さでしかない。道幅は10mあるかなしか。辛うじて石畳なのが救いだが、馬車は通れそうもない。そうでなくとも様々な種族でごった返しており、王侯貴族が利用するような立派な馬車などとてもではないが、入れそうにないのだ。馬やロバ、他にも得体の知れない家畜みたいなのを連れている連中は全員が手綱を引きながら徒歩で歩いていた。仕方ないことだが、歩きづらいったらありゃしない。
「これって道幅拡張とか出来ないのかな」
とカワシマが何とはなしにアレクセイに話しかける。別に道幅が気になったとかそういう事ではなく、二人して重苦しく黙っている雰囲気に耐えられなかったから何か喋りたくなっただけだ。
「・・・無理だろう。こういう商店立ち退かせるだけで一苦労だぞ。皆カネに絡むと途端にガメついからな」
「お前が追っ払ったソフィア様みたいにか?」
するとアレクセイは途端に顔を顰める。まさしくそのソフィア様のことで悩んでいるのだ。
「あの人は別格だ。ていうか、昔から親父の名前を笠に着てやりたい放題と来てる。自分の店を大きくしたいからって、周りの店を地上げ出来るのはソフィア様くらいなもんだ」
そのソフィア様なんだよねぇ、とアレクセイはアレクセイで頭を抱えていた。何?なんか問題あるの、とカワシマが聞くと
「ソフィア様ってさ。執念深いんだわ。本当。あの場はああ言うしかなかったけどな。果たしてあのまんま引き下がるのかって」
とアレクセイは白状する。
「でもいつかは俺も飲食ギルドの場長に挨拶にいかないといけないだろう?」
「そりゃあそうなんだけど。ソフィア様が親父になんか色々と吹き込んでいやしねえかなってな」
カワシマとアレクセイはほぼ同時に溜息をついた。自分の店が異世界に繋がってこんなに無理難題に晒されるとは思いもしなかった二人であった。
2-b,丹澤氏はカワシマの店に到着する
丹澤はビルの階段を使ってそのままカワシマが入居している2階のテナントへ行く。出入り口にあるインターホンを押しても、誰も出ようとしない。もう2,3回ダメもとで押してみる。反応がない。お店の固定電話へ発信するも応答なく、『本日は休業しました』という自動応答が返ってくる。おまけにカワシマの個人携帯には繋がらない。今は圏外にいるらしい。もうこれはただならぬ事が起きていることが解る。少なくとも、不動産屋から雲隠れしたい程度にはよくない事情を抱えているとは言えるだろう。一体何処に逃げているのやら。
ただ電気メータを確認した所、今この瞬間にも数字が変っていた。店内部の機器は電気を消費しているという事は、まだお店を捨てている訳ではないと解る。いよいよ違法民泊の可能性が高くなってきた。丹澤は他の可能性も探ってみようとした所、ふとした違和感に気が付いた。
音である。
明らかにカワシマの店内部から、不特定多数の人間が放つ騒音が聞えてくる。少なくとも馬の嘶きが聞えてきたり、荷馬車から荷下ろしをする男たちの声がする時点で普通ではないと解る。建設現場特有の掛け合いもそうだ。一人や二人の掛け声ではない。例えてみれば新宿駅の改札みたいな喧噪と言えばいいのか。街並みで聞えてくる雑踏の音というのが一番近い。この中に小さな街がまるごと入っているとでもいうのか?
「そんな馬鹿な・・」
と丹澤は独り事をいうも、強ち否定できない。これでは別のテナントさんから
『あの店、始終人間が沢山いるみたいなんだけどねぇ・・。何処から出入りしてんのかしらね?』
と苦情が来るのも致し方ないだろう。明らかに商業ビルのテナントから聞えてくるべき音ではなかった。時折り屋台の店主が呼び込みをする声や、何やら重みをもった家具が床にぶつかってしまう音が廊下にまで響き渡る。テレビか何かの音声だろうか?それにしては雰囲気が真に迫っている。いつの間にか階下のテナントから何人か階段の踊り場で様子を見に来ていた。
「これなんの音なんですかね」「なんで馬?嘶き?とか聞えてくるの?」
その質問は尤もであり、これから私がカワシマさんに事情を伺いますから、と彼らを宥める。これはもう本人から事情を聞かないとどうにもならない。丹澤は合鍵で扉を開ける。本来であればテナントへの入室は、店内にスタッフがいるときに限るべきではあるが、予め来訪を予告しているのにこの有様では致し方ない。勝手にビルの鍵を変えてはいないらしく、丹澤の持っている合鍵で扉は開いた。テナントによっては、不動産屋や大家に断りもなく鍵を変えてしまう連中すら居るのだ。ただ丹澤の印象としては、カワシマがそんな事をする様な人間には見えなかった。だがテナントの扉が開いたはいいものの、本棚で入れなくなっている。これでは意味がないのだ。怪しい事この上ない。何かやましいことがないと、こういった小細工はしないものだ。丹澤は会社から後輩を呼びつけて、男3人掛かりで本棚をずらす。カワシマの店の中には誰もいない。どうやら室内で何か音楽が流れているという訳でもないらしい。ならばあの馬の嘶きや屋台の呼び込みは何処から聞えてくるというんだ?
後輩の頼木が丹澤に
「丹澤さん。これ、おかしくないすか?」
と囁く。丹澤も微かに頷いた。
もう一人の後輩である中村が
「裏口怪しいっすね」
と気が付く。確かに中村のいう通り、裏口の向こう側から街並みの雑踏としか言えない音が聞えてくる。
中村は反社や半グレじみた連中と話し合いをするときには必ず連れていく男だった。第六感というか勘が妙に冴えた所があって、こういう何かありそうな時には頼りになるのだ。丹澤とは違って高校を卒業した後に即座にこの業界へ入ってきた男だ。丹澤のように変な人種との付き合いなどというものは経験していないはずなのだが、妙に世慣れた所を見せつけてくる。これは本人の資質なのか、それとも高校の頃から既に宜しくはない人々とのお付き合いでもしていたのか。頼りになる男ではあるのだが。
「この裏口って非常階段だよね・・?」
「なんで馬の悲鳴とか聞えるんですかね」
と中村に視線を向けられても、さぁと返すしかない。中村は頭は悪くないが、微妙に語彙が貧弱な所がある。今も馬の嘶きを悲鳴という辺り、もう少し新聞や本とか読んで欲しいなぁと丹澤は思うのだが、そこら辺を煩く言うと煙たがられるのも解っている。
丹澤は裏口の扉を開けるしかないと解っていても、なかなか自分から開ける勇気がなかった。中村や頼木に視線を向けても『それは先輩がやってくださいよ』という視線を返される。ここら辺は今時の新入社員といった所だろう。先輩の為に僕たちが、などという愛社精神を彼らに期待するのはハナから間違っている。そこは丹澤も承知している。仕方なしに丹澤は自分で裏口の扉を開けた。恐る恐る10cmほど。扉を全部開け放ちはしない。その隙間から慎重に様子を見極めようとする。
扉を開けた先には、非常階段など見えない。雲一つない夕暮れ時の空には太陽が一つではなく二つあった。心なしか馬糞の香りやらなんやらが立ち上り、馬車や人混みの行きかう光景がチラリと見える。街を行き交う人々は、そもそも人間とはほど遠い恰好をしている連中も混じっている。どう考えても普通の景色ではなかった。丹澤はひとまずドアを締めた。頼木も中村も黙り込んでいる。
「幻覚かな?」
「ファンタジー臭いですね」
「疲れてるみたいなんで、俺もう帰っていいですか?」
どうやら三人とも似ているものは同じらしい。自分一人だけ幻覚を見てしまった訳ではないことに少しホッとしながら、
「三人揃って幻覚に掛かるって可能性は、無視してもいいよなぁ」
と丹澤は言った。もう一度だけ、今度は30cmほど裏口の扉を開けてみる。
空の片隅には箒に跨った魔女が忙しそうに飛んでおり、家々に手紙のような品々を配送していた。どうやら手紙は背嚢に背負っているらしい。太陽は何度みても二つだ。そもそもこのビルの裏手にある筈の非常階段など影も形も見えず、石畳の大通りが広がっている。丹澤はまたしてもドアを締めた。やはり幻覚ではない。カワシマさんの店がいつも繁盛してるのって、こういう理屈だったんですかねえと頼木が感心するも、いや感心する所じゃねえだろ、と中村が指摘する。確かにそうだ。
「どうすんすか、丹澤さん。カワシマさんの店」
「どうすんすかって俺に言われてもなぁ・・」
と丹澤は首を捻る。本当であれば上司なり誰かに押し付けたい様な案件だ。傍から見て居れば異世界と繋がったテナントというのは面白いが、不動産営業としては迷惑被る。
潜りで民泊経営していたってわけでもないし、店が繁盛してるならいいじゃない、と頼木は無責任な事をいう。
馬鹿かお前。冗談じゃないよ。大家さんがなんて言ってくるんだよ。カワシマさん退去させられちまうよ、と中村がこれまた尤もなことを言ってきて益々丹澤は臭い物に蓋をする訳にいかなくなってしまった。
「カワシマさんの店が違法民泊とかそんなんに手を染めてる訳じゃない事は解った。で、異世界からのお客さんで繁盛してるってのも解った。」
と尤もらしく丹澤は結論付けるも、それで何か問題が解決した訳でもない。
その異世界からのお客さんってのはどんな感じなのかね、と頼木が言うと
それをカワシマさんから確かめるのが当座の仕事ですね、と中村は丹澤を見つめながら言ってくる。俺たちに仕事を振るなよ、という意味でもあるだろう。
「ともかくカワシマさんが来るまで俺はここに張っとくわ。お前ら、もう家に帰っていいよ。定刻過ぎてるしさ。御免な、呼び出してな。」
すると頼木はそのまま本当に帰っていったが、中村はそのまま居残った。
アイツ、本当に帰りやがった、と中村が吐き捨てるように言う。丹澤は内心、帰るのは中村のほうで頼木ではないと思っていたので、彼にとっても意外だった。だが声には出さない。最悪二人とも帰ってしまうことも覚悟していたので、一人とはいえ残ってくれて嬉しかった。それにしても中村の方が残るとは・・。それにこういう面倒なことが起きたときに先輩に押し付けて逃げるようなヤツなんて、どの道要らない。頼木は口先ではそれらしいことを言うがイザとなるとすぐに逃げてしまう。だから戦力として見做していなかった。そこそこの名の知れた大学をそれなりの成績で卒業し社内研修では優秀とされた男だが、それまでの男だ。絶対に自分の限界以上の力を振り絞ろうとはしない。何かあるとすぐに諦めるか逃げ出す。あと2,3年しても変らなければ、ウチの会社から出て行って欲しいなぁ、と丹澤は漠然とした感想を抱いていた。
普段から仲間うちで会話してるときに「なんでこんな職場居るの?」という質問が出ることもあるらしい。キツいとされる職種では頻繁に出てくる話題だ。そういう時に中村は、カネだよカネ、じゃなきゃいねえよこんな会社、と即答するらしい。俺と同じような事考えてるヤツは他にもいるんだな、と丹澤は思ったものだ。一方で頼木がそういう時にどういう返答を返すのか、という話は聞いたことがない。
「スマホ通じないんすか?」
「圏外だった」
「異世界ですしね。基地局とかなさそうだな」
スマホの基地局どころか固定電話すらねえよ、と言いながらも丹澤は密かにこの街でWifiルータとスマホをセット販売したら売れないかな、などと益体もないことを考えていた。いやスマホだけじゃない。現代の科学技術で作れる色々なものが飛ぶように売れるだろう。そりゃあカワシマさんが隠そうとする筈だ。そうした丹澤の心を読み取ったものかどうか中村は一言
「スマホなんて御大層なものよか、普通の紙と鉛筆販売するだけで大儲けできると思いますよ?」
と尤もな事を言う。
「・・・なんで解った?考えてること」
「だって滅多に笑わない丹澤さんがにやけ面してるんだもの、そりゃあ勘付きますよ。スマホの基地局って単語でにやぁとしてたし」
自分の心の中を見透かされたようで不愉快になった丹澤は、
「余計なこと考えてないで、カワシマさんの店の件どうするのか考えろよ」
と不自然に先輩じみた態度を取り繕うのだった。だが中村の冷静な見立ては続く。
「でもこのパンデミック?俺難しい事よく解らないんですけど、要は外出しちゃいけないんですよね?そういう中で異世界と繋がったこと利用しないって、ないと思うんですけど」
「大家さんはどう思うかなぁ」
「でもそもそも大家さん、このビルに来ないじゃないすか?」
まぁそうなんだよ、と丹澤は頷いた。ビルの大家ってやつは、特に揉め事でも起きないかぎりはビルのテナントが何をしているかなんてイチイチ気にしない。
「だったらカワシマさんと一緒にこちらで物販とかやってもいいじゃないすか」
中村のいう事は言い得て妙だった。使い古しの鉛筆や、事務所で使われなくなったコピー用紙などを販売するだけでこの世界では良い値段で商売が出来ることだろう。なんせ中世に毛が生えたような世界だ。何やら魔法使いみたいな連中が視界に入ったが、それでも今時の製品には敵わないだろう。カワシマさんと一緒に商売するのもいいかもしれないな、とその時の丹澤は思ったものである。
「扉の隙間から様子を見ていても仕方ないからさ、ともかくこの世界出歩いてみないか?チョット」
「いいっすね。異世界ぶらつくなんて機会そうそうある訳じゃないですしね」
何処までもマイペースなヤツだなぁ、と中村のことを感心する丹澤であった。