照明は明るく、トイレには戸惑う
自分の店の裏口が異世界の居酒屋に繋がってしまった場合、あなたならどうするか?
そうなったら開き直ってその異世界の居酒屋の店主と組んで金儲けに勤しむほかない。
まずは異世界にある居酒屋の店主に照明と水洗トイレについて教える主人公であったが・・
今二人はアレクセイのお店にいる。アレクセイの店の正面口は、たった今通ってきたカワシマの店が入居しているビルの非常階段に繋がっている。
ーどうしたものかな、俺のこのナリじゃあ、この世界のひと目を引くだろうし、かといってこのままジッとしている訳にもいかないし。
カワシマは切り出した。
「俺の店に来てくれ。俺の店で話そう!」
こんな小汚い店で商売していたら気が変になりそうだ、とまでは付け加えなかった。だが発酵したアンモニアの臭いと、ド田舎のぼっとん便所じみたにおいが漂う空間にいつまでもいたくはない。
アレクセイとしても異存はないらしい。彼は彼で、自分の店の家賃を払わないといけない。自分の店の正面玄関が、訳のわからないトーキョーとかいう街の非常階段に繋がったままの状態でお金を稼げる筈もない。それにしても、また非常階段を降りてから自分の店の正面口に戻るのは面倒だな。
そんな事を思って悩んでいると、アレクセイはやおら窓から外へ乗り出した。
アレクセイ”来いよ、カワシマ!”
言われた通りに窓から身を乗り出して外を眺めてみると、異世界の大通りが見える。
カワシマ「お前の店の入口から俺のお店へ?」
アレクセイ”そうだ!”
そういって得意げに頭を指差す。イチイチ癇に障るが、確かにその通りだった。自分の店に戻るにも、窓から身を乗り出さないといけない。考えてみれば変な話だ。ともかくアレクセイは馬鹿ではない。信用できるかどうかは解らないが。これは非常に大事な所だ。
カワシマは自分のお店にアレクセイを連れてくる。手持ちのスマホも、こちら側であればインターネットに繋がる。
まず店内を見渡してアレクセイがボソッと呟いたのは、”明るい・・・”という一言だった。
アレクセイが言いたい事は何となく理解できる。現代日本に生きる我々には理解しがたいが、彼らの世界では、昼間でも室内は薄暗い。カワシマも実際にアレクセイの店に入ってみて最初に思ったことが『うわ、薄暗い・・』だった事からして、この明るさは異常に感じられることだろう。
アレクセイ”魔法か何かなのか・・?”
カワシマ「・・・なんと言えば良いだろうな」
カワシマは頭を抱えたくなる。今後このアレクセイと一緒に仕事をしていく為にも、電気というものに慣れさせておく必要がある。だが今高校物理の授業を長々とやっている暇なんてなかった。
カワシマ「ーいいか、こりゃあ、有る種の魔法だ。でも今その魔法の仕組みを説明する暇はねえ!ともかくこれはな!電気ってんだ。スイッチ押せばモノを温めたり、明かりを付けたり、水を沸かしたりする事ができる魔法なんだよ」
アレクセイはカワシマの顔をまじまじと見ながら、恐る恐る部屋の明かりのスイッチを押す。すると部屋の明かりは瞬時に消えて、
”ヘア!?”
という情けない声を立てた。誰でも最初に経験する見知らぬものには、こういう態度を示してしまうものだろう。その様子をカワシマは思わず面白がって見てしまい、
「これ、そのまま見世物に出来ねえかな・・?」
と漏らしてしまった。するとアレクセイは熱に浮かされた様な勢いでカワシマに迫ってくる。
アレクセイ”そうだよ!それよ!カワシマ!この夜でも昼間みたいに明るくなる仕掛けさえありゃあ、一儲けできんぞ。時々居るんだよなぁ・・・。お前みたいな流れモンが。”
アレクセイの表情が余りにも凄すぎて、カワシマは彼の最後の一言を聞き逃してしまった。後々カワシマはその点を後悔することになるが、それは又別の話である。
カワシマ「・・電気ってそんなに珍しい?」
アレクセイ”だってこんな王宮とかそんなんじゃないお店にわざわざ魔法使いが魔術使って明るくしてくれんだろう!?”
カワシマ「・・・どういう事?お前たちの世界には、夜でも明るくする魔法みたいなものがないんだろう?」
アレクセイ”馬鹿にすんな!!あるにはあるさ!ただ恐ろしく高い賃金で魔法使い共を雇わないと無理だがな!!”
カワシマは漸く合点がいった。
カワシマ「給料ってどんくらい?」
アレクセイ”・・・お前にも伝わるようにいえば・・・。そうだな。この店全部を明るくできるような魔法使いを雇うのに・・・。大体・・・。俺の稼ぎ1年分って所か?”
カワシマは微妙な表情を浮かべてしまった。一体それは、アレクセイの稼ぎが低すぎるのか、それとも魔法使いの年収が高すぎるのか解らなかったからだ。だがアレクセイがこの世界で貧乏人ということはないだろう。一応は都市の大通り沿いに飲食店を経営しているのだ。それなりに稼ぎがなければ家賃を払うことすらままならない。
カワシマ「・・・これってじゃあ、凄いことなの・・?」
アレクセイ”ああ、これだけで暫く出し物になるぜ。将来はどうか解らないけど”
カワシマとアレクセイは、早くもずる賢そうな笑みを浮かべてしまっている。彼らの表情は、カネのなる木を見つけた山師じみたものになっている。カワシマは早くもこの異世界での成功を確信してしまった。後になってみれば、それは単なる誤解だったのだが。
・正面玄関を本棚で塞ぐ
早速この異世界でアレクセイと組んで商売を始めようとするカワシマだったが、それでも少し気がかりなことがあった。
カワシマ「やっぱりこちらの世界の住民が東京にいけないようにしておこう。それは約束してくれ」
アレクセイ”なんでだ!”
カワシマ「俺のいる世界じゃ、無闇に人を殺したらいけないんだよ。お前さっき斧で相手を斬り殺そうとしていたろ?」
そう言われると
”あれはちょっと、その、腕を切り落とそうとしただけだよ・・”
と言い逃れをした。全く言い訳になっていない事に気がついていない。
アレクセイ”それに一人かそこらなら大丈夫だろ?役所っていい加減だし?”
カワシマ「だから、そういう事一切しちゃ駄目なの!俺のいる東京では!お店の中で壁に小便するのも駄目!窓からクソを投げ落とすのも駄目!」
アレクセイ”駄目駄目づくしで窮屈だな”
カワシマ「でもその分、凄く清潔だろう?」
アレクセイ”確かに。さっきもトーキョーとかいう街を歩いたが、道にはクソも小便も落ちてなかったし、乞食も殆どいなかった。死体も無かったしな”
カワシマ「普通大通りに死体があったら大事だろうが!」
アレクセイ”そりゃあそうだ。祭りの前には方付ける。それと領主様の代変わりとか、大事なときにはな。逆にいやあ、そのくらいだ”
カワシマ「伝染病とか、気にならんのか?」
アレクセイ”・・ごめん、何?”
カワシマはまたしても頭を抱えてしまう。伝染病の概念を教えようにも、細菌の存在も知らない相手にどうやって教えればいいのか?カワシマが頭を抱えていると、
”まぁ、いいじゃねえか。死体が一つや2つあった所で誰も気に留めやしねえよ”
と豪快にアレクセイは笑い飛ばした。
・トイレに関心を持つ
アレクセイ”じゃあさ。カワシマさんに聞くがな?お前らはクソとか小便どうすんのさ?”
カワシマ「・・・トイレでやるんだよ?お前さんだって人前でクソしないだろう?」
アレクセイ”そうだけどさ。でもそのトイレ?って何”
カワシマ「クソや小便をする為の空間。周りから見えないように衝立とかしてある」
アレクセイ”じゃあ、ここでしたクソは一体どこにいくんだ?それも魔法で何処かに飛ばしてるのか?”
ー色々と面倒なことに関心を持つ奴だな・・・
カワシマ「・・・トイレでしたクソや小便は、下水道っていう管を通じて排水処理場に運ばれるんだよ。その後どうするのか知らん。ただ濾過して、ある程度綺麗にしてから、多分海にでも流してしまうんだろうな・・」
アレクセイ”ふーん。お前らの世界じゃあ、カネを掛けておかしな事をするんだなぁ?そんな水道だのなんだのを作らなくても、そこらの川にでも流しゃあいいものを・・”
・疫病が数年おきに蔓延する社会
カワシマはアレクセイの物言いにまた頭を抱えそうになる。
ーそんな事をしたら、川が汚れるだろ!それ以前に疫病が蔓延する!
しかし疫病、というか細菌やウィルスという概念をこのドワーフ親父に教えるのは、ほぼ不可能に近かった。
カワシマ「・・・それが俺達の流儀なんだ。なんだろう、こういうことわざがあるんだよ。
『郷に入らば、郷に従え』ってな。」
アレクセイ”まぁでも、綺麗なことはいいことだ。売上も上がるだろうしな”
やはり馬鹿ではないようだ。
・水洗トイレの使い方を教える
”この世界のトイレってどんな感じなのか見てみたいんだよ”
とアレクセイに言われたので、カワシマはトイレまで案内する。
カワシマ「これが、水洗トイレだ。使い方解るか?」
そう言われてもアレクセイは上の空で生返事するだけである。
ートイレの何処が珍しいんだか・・・
とカワシマは呆れてしまったが、後になって彼自身が後悔することになるのだ。アレクセイの世界には水洗トイレなどない。下にバケツが置いてあるだけの汲み取り式便所がせいぜいである。
カワシマ「使い方は簡単だ。ズボンをおろして、クソや小便を捻り出したら、このティッシュペーパーで・・・」
アレクセイ”・・・この絹みたいな手触りのものが、紙!!!???”
カワシマ「そうだ。紙。但し植物から出来てるけどね。俺たちの世界じゃ珍しくもなんともないよ」
アレクセイ”馬鹿にするな、お前、俺等を舐めてんのか?大体、こんな高価なものでなんで尻拭くんだ?”
カワシマ「違うよ、そこらで駄菓子が買えるくらいの金額だしゃあ簡単に買える。」
アレクセイの世界では、紙というと羊皮紙を指す。”インテリが読み書きに使っているやたらと高価なもの”という漠然とした固定観念があるのだ。
アレクセイ”。。。おい、カワシマ。だとしたらさ。これで一儲け出来んぞ”
カワシマ「え?」
アレクセイ”紙だよ!紙!こんな薄くて綺麗で絹みたいな肌触りの紙が、そんなに安く手に入るならさ。それをトウキョウで買って、俺等の街で売り捌けばいい!一儲け出来る!!”
これまたアレクセイとカワシマは汚らしい笑顔を浮かべ合ってしまう。大体そういった悪企みは、途中で失敗するものと相場が決まっているがそれも後々になって思い知る。
だがカワシマの汚らしい笑顔は、実際に汚らしいものを至近距離で目の当たりにして歪んでしまった。
アレクセイはいきなりズボンを脱ぎ始める。顔には満面の笑みを浮かべたまま。
カワシマ「何をしているんだ?」
アレクセイ”馬鹿か?ズボン脱いでクソする為だろ?それとも何か?トイレでクソするなってか?”
別にクソをするな、とは言わないが、脱ぐなら脱ぐで先に言っておいて欲しい所だ。身長が小学生ほどしかないとはいえ、見た目は立派な中年オヤジであり、そんなドワーフの排泄行為を見せ付けられるのは拷問以外の何者でもない。
カワシマ「俺が見ている前でクソすんなよ!!!」
だがアレクセイはポカーンとした顔をしている。多分、彼にとって人前で排泄するというのは、極々当たり前なことなんだろう。他人から丸見えの状態でクソをするのが当たり前だという価値観に慣れなくてはいけないのかも知れない。
アレクセイ”それもお前の世界でいう『郷に入らば郷に従え』ってやつか?”
ここまでいくと、価値観の違いとかそんな事はどうでもよくなってくる。ともかく俺たちの世界の常識で押し通してしまうしかない。
カワシマ「いいか?よく聞け。
クソをするときには、トイレの中に入って鍵を掛けて便器に座ってしろ。
ウォシュレットで肛門をキチンと洗え。
それからトイレットペーパーで尻を拭け。
これが出来ないようなら、お前とも共同経営はナシだ」
アレクセイ”・・・ハハァ?俺たちみたいな未開の種族に、東京を彷徨かれるのは困るってか?”
カワシマ「・・・そうとまでは言わねえけどさ。面倒な店子だ、と大家に思われた瞬間、この店終わるから」
この言葉は何よりも効き目があったらしい。そうである。カワシマという理解力のあるパートナーがあって、始めてアレクセイは(彼にとっての異世界である)東京との接点が出来てくるのだ。カワシマの店が潰れてしまったらどうなる事やら。
カワシマ「このビルの大家が俺みたいに物分りがいいといいけどさぁ・・」
カワシマはここぞと言わんばかりに、アレクセイの弱みを突いた。カワシマもアレクセイも同じ飲食店だからこそ(加えて折からの疫病蔓延により、カワシマの店の経営状態が厳しいという事情もあって)共同経営する意味が出てくる。仮にカワシマの店が連日大繁盛している大手の飲食店であれば、アレクセイなど最初から鼻にも掛けられなかっただろう。
カワシマ「俺の立場も解ってくれよ、まぁ無理にとは言わないよ?でも共同経営ってお互いに言い分通していくもんじゃねえの?」
するとアレクセイはそれまでの態度はどこへやら、へへへ・・・と愛想笑いを浮かべる始末だった。何とも解りやすいドワーフだ。ここら辺の対応は、人種を問わんなぁ。
カワシマ「んじゃあ、取り敢えず正面の入り口を箱かなんかで塞ごうか?あと非常階段の入り口も塞いでおかねえとな・・・」
カワシマは本当に慎重な男だった。
つまり、この異世界から来る客が東京に紛れ込んでトラブルを起こしてもアウト。そして東京の住民が異世界に紛れ込んでしまってもアウト。その2つをクリアしないかぎり、異世界での商売など成り立たないと理解していたのだ。
アレクセイは悔しそうに呟く。
アレクセイ”異世界観光ツアーで一儲けしてやろうと思ってたんだがなぁ・・”
カワシマ「そういうのは先にしようぜ、まずはこの世界の連中に、俺たちの世界の技術とかやり方とかを少しずつ教えてからだ。それからだ。だって気の荒いゴブリンとかが東京で大暴れしたらどうする?」
アレクセイ”・・・この店潰されるわな。いや、この店だけで済めばいい。最悪、この建物が呪われてるってことで取り壊されるかも”
カワシマ「それだけで済めばいいさ。一番最悪なのは、そちらの世界とおれらの世界で戦争になることだ。俺もお前も。嫌だろう?そういうの」