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異世界にお店を開く  作者: 作家を目指している不動産屋
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お店の裏口を開くと、異世界の大通り沿いだった

ーボードゲームバーを経営していると、色々と厄介なこともあるものだ

とオーナーのカワシマは思った。

カワシマのお店は東京の一角にある。長い間他の店で店長を勤めていたが、思う所あって漸く念願の自分のお店を持てた。自分の店というのはそれだけでいいものである。そんなに広くはないが、小綺麗で気に入っていた。裏口を除けば言うことはない。そう、裏口だ。元々この裏口だけは気に入っていなかった。

ビルの2階に入居している都合上、裏口がビルの非常階段への出入り口になっている。非常階段はどんな贔屓目に見ても綺麗とは言い難く、時折酔っぱらいが寝ていたり、誰が吐いたのか解らないゲロが撒き散らされていたりした。そうでなくとも隣のビルが間近に迫ってきている景色というのは圧迫感があって、あまり精神的によろしくはない。到底店の客には見せられないものだった。お店の雰囲気を考えるとあまり裏口を目立たせたくないが、かといって本棚なんかで塞げば大問題となる。非常階段に繋がっていくこの裏口こそが、火災から避難するときの出入り口となっているからだった。下手をすると消防署から行政指導が入る。一体どうしたものかと頭を痛めていた扉なのである。


その裏口から不特定多数の群衆が発するざわついた騒音が聞こえてくるのだった。

馬の嘶く鳴き声、金槌がトンテンカンと叩かれる工事音。大きな荷物がドサリと降ろされる音。その脇では、およそ日本語からかけ離れた言葉でのやり取りが聞こえてくる。女が金切り声を立て、男が野太い声で悪態を付き、子供が甲高い声で泣き叫ぶ声・・。

ーここはお店の裏口じゃないのか?幾ら都心の大通り沿いだからって、非常階段に繋がる裏口からこんな騒音が聞こえてくる筈がない。

「第一、馬の鳴き声とか意味わかんねえし」

そうだ。明治時代ならばいざしらず、21世紀に入ってから20年以上過ぎた今どき、東京で馬の嘶きなど聞こえてくる訳もない。だが現実に裏口からはそういった騒音が聞こえてくる。それも絶え間なくだ。これは何かが起こったとしか思えない。理屈はどうあれ、取り返しの付かない何かが起きたのは確かだった。


・異世界

扉を開けるのがここまで気が進まないのはこれが最初ではない。

高校の頃に職員室に呼ばれたとき。(「怒らないから正直にカンニングの手口を言いなさい」と言ってきた担任は、カワシマのことを小一時間は怒鳴り通した)

最初の会社へ就職面接にいったとき。(結局落ちた)

初恋の人に告白しようとして、教室の扉を開けたとき。(その女には彼氏ではなく彼女がいて、女同士で抱き合っていた)


結局は碌な結果にならないと解っていても、開けない訳にもいかない。そして今日は火曜日だ。毎週火曜はお店の定休日。だから万が一何かあったときのダメージは小さい。カワシマは恐る恐る裏口を開けてみる。太陽が眩しい。本来あるべき非常階段など影も形もない。大通り沿いだった。あるのは典型的な中世ヨーロッパの都市の光景だった。だがまず空の太陽にカワシマは目を奪われる。地球のそれよりは小ぶりな太陽が2つ。

「太陽2つある・・」

滋賀県で生まれ育った影響か、彼は感情をかき乱されると関西のアクセントが出てしまう癖があった。今も語尾が関西独特の上がり方をしていた。

ー空の青さは東京と変わらないけれども、地球上で見る太陽は常に1つの筈だ。でも2つある・・。

そこから視線を落としてみると、雄大な山並みやら、城壁やら、高く聳え立つゴシック様式じみた塔などが見えてくるのだ。なんにしても東京ではありえない。非常階段は何処に消えたんだろう?


・一旦落ち着いて考えよう

カワシマは無言で裏口の扉を閉める。

「・・・・一体何が起きたんだ・・・?」

街道沿いの大きな街の一角に、自分のお店の裏口が繋がってしまった。これは否定できない事実だ。さてそこから自分はどうすべきか?


1,何事もなかったかように裏口を無視して、通常の暮らしを続ける

2,この異世界に乗り出して商売に励む


だがどちらを選ぶにせよ、まずはこの異世界がどういった場所なのかを調べないと話にならない。こちらが異世界との扉を固く固く封印したつもりでも、何かの弾みで裏口が開いてしまう可能性もあり得る。異世界の連中が、無理やりドアをこじ開けてくるなんて事は十分に考えられるのだ。

かといって、軽率に誰かに相談する訳にもいかない。例えば大家に相談したら?

「カワシマさん、なんとかしてね?貴方の責任でね。」

となるに決まっている。

お店の客?冗談ではない。裏口が異世界に通じている様な面倒な所だと知れ渡れば、誰もお店に寄り付かなくなるだろう。

不動産屋に相談した場合でも、大体同じことだ。いい加減で大して役にも立たない業者を呼ばれて、それでいて結構な料金を請求されるという結末になることは目に見えている。


ーとなると、この異世界に乗り出して商売に励むしかないのか・・?

新しくお店を開くため、少なくない金額を突っ込んでいる。全部が全部自己資本という訳ではない。銀行だの知り合いだのから借りたお金というのも少なからず含まれている。今後ともお店の商売が順調であるという保証があればよいが、そんなもの何処にもないのだ。であれば、このチャンスを逃す訳にもいかない。ライトノベルでよく聞く話じゃないか。異世界に転生した途端、自分の人生に運が向いてきて大成功ってあれだ。今の自分は、まさに転機なのかもしれない。ここでボロ儲けのチャンスを逃したら、どうするというのか?まぁこの異世界で大損してしまうという可能性があるとはいえ、それは普通の商売だって同じことだ。


・現地調査

ーともかくまずは調べることだ、何か決めるのはそれからでも遅くはない。

問題を先送りしているのやら、慎重かつ現実的に対処しているのやら解らぬ態度のまま、カワシマは街に繰り出していった。

少し気負いを入れてそこら辺をほっつき歩いてみる。どんなに目立たないように心がけてもどうせ周りから浮くんだろうな、と覚悟していたが、案外すんなりと溶け込んでいた。

ーいや、周りが多種多様すぎてもう俺くらいじゃ驚かないってところか?

その通り、ご多分に漏れず、ファンタジー世界の定番である生き物で大通りは犇めき合っていた。

ゴブリン、オーク、エルフ、ドワーフ・・・。

身長も体長も違う多種多様な連中が犇めき合っているファンタジー世界において、肌が黄色いくらいでは最早なんのトレードマークにもならない。大体身長にしてから違っているのだ。身長が高めの種族は2.5m前後。一方で身長が低めの種族は1mあるかどうか。犬並みに外見のレパートリーが豊富だった。そういえば我々の地球でも、ホモ=サピエンスが登場するまでは多種多様な外見の種族で溢れていたそうな。有名な所だとネアンデルタール人とかアウストラロピテクスとかいった具合である。だがホモ=サピエンスが進出する地域では、何故か他の種族が1万年以内に滅びてしまうのだそうだ。恐らく全てホモ=サピエンスに殺し尽くされたのだろう。だから現代の地球上には、ホモ=サピエンスしかいない。何とも血腥い話である。


幸いにも、この異世界ではそういった話はなさそうだった。本当に異なる種族同士を尊重しあっているのか、或いはただ単に一つの種族が他を殺し尽くすことが出来るほど力がなかっただけなのかは知らないが、ともかく表面上は平和に共存している。勿論夫婦と同じで、互いに本心でどう思っているのかなど誰にも解らないのだけれども。


・目抜き通り

どれほどの人口を抱えた何という名前の街なのか、まるで見当もつかない。大体街の地図すら知らないのだ。まぁどうせ文字が読めないのだろうから、地図だけあっても仕方がない。

市場調査というか商売敵を探すためにも、カワシマは大通りを歩いてみる。道の両側には、商店が連なっている。幅は大体10mくらいか?どうやらここが目抜き通りらしい。目抜き通りだと見当を付けられた理由は、道が立派な石畳となっていたからである。アスファルトで舗装された道に慣れきっている現代の我々の感覚で捉えてはいけない。中世においては未舗装の道が当たり前なのである。

大通り沿いの建物はほぼ例外なく3,4階建てになっており、道の上にのしかかって来るようにせり出している。そして窓の近くには、例外なく鈴みたいな音が鳴るものが置いてある。

ー一体なんだろう?

そう思って暫く見ていると、ある時住民が窓を開けて鈴を素早く2,3回鳴らした。するとその下を歩いていた連中が、さっと窓の下から避難するのだった。窓の下に誰もいないのを見計らってから、住民は何かを道端にぶちまける。一体なんなんだろうか?

果たして住民が道端に投げ落とした中身は、大小便である。道行く人々は慣れたものであり、そうして投げ落とされた大小便を避けながら何事もなかったかのように通りを行き交う。逆にカワシマは唖然としてしまった。

「自分のクソと小便を、通りに投げ捨てる!?」

現代人の感性を持ってしては理解し難い所業である。だが上下水道が整備されていない中世では致し方ないことだった。それはこのファンタジー世界でも同じらしい。

そう思って目を凝らしてみると、道端のそこかしこに大便の残骸みたいなものが目に入った。ただ色が緑色だったり黄色っぽいもの、なかには青色や紫色みたいなものまであり、各種族によって排泄物の色が異なるらしい。ただこれらの排泄物も、そこまで目立つほどではない。糞を漁る連中が仕事をしているからだった。彼らは例外なく腕になにやら腕章をしていて、背丈が低い人種が多かった。これは俗に言う「黄金掘り」という連中だろう。作物の肥料を人工的に合成できない社会では、人糞やら馬糞やらを集めて堆肥にして肥料を作るしかなかったのだと聞いたことがある。

「それこそ魔法でも使って肥料とか作れないのかな?それとも等価交換とかなんとかの縛りがあるから出来ねえのかな?」

そういった無責任なセリフを吐きながらカワシマは大通りを進んでいくのだった。勿論、大小便を踏まない様に気をつけながら。


これまた中世にはよくあることだが、街の外周は城壁に囲まれていた。大通りからでも見えるくらい立派な城壁だ。少し気になって、カワシマは大通りから城壁のあたりまで小道を分け入ってみる。小道に入った途端に石畳は露出した土に変わる。これほど大きな街であっても、少し路地を裏手にいけば、土が露出した小道になってしまうのだった。

「これは雨の日にはぬかるむだろうな」

などと能天気なことを言っていたカワシマだったが、あとでそれがどんなに考えが甘かったのかを肌で思い知ることになる。それどころではないのだ・・・。

裏通りには商店などはない。或いはあるのかもしれないが、あまり大声では言えなそうな種類だろう。なかには香水の香りをプンプンと付けた女がお店の外に立っている区画もある。そうした区画は、例外なく建物の外壁が何となく赤っぽいのだった。まぁ売春宿と考えた方が無難であり、近づかない方が良さそうだ。大体中世ほどの医療水準の世界で性病にでも掛かったら、どうなることやら見当もつかない。

或いはこうした区画には貧民街などもありそうで、薄暗い道の軒先で昼間っから何をするでもなくぼーっと座っている中年男やどういったルールで戦われているのかも知れない賭け事に狂っている連中なども見受けられた。やはりこうした区画にも近づかない方が良さそうである。


漸く城壁にたどり着いた。高さでいえば数mくらい、大人の身長よりも幅がありそうな分厚い代物が、延々と街の外周を囲っている。加工していない荒石を芯にして、表面は様々な大きさの石灰岩のブロックで固めてあるようだ。そのせいで遠くから見ると、河沿いの砂色に見えた。恐らくこれらの荒石や石灰岩は、川を使って運ばれてきたのだろう。

街の大きさを考えても、到底1日かそこらでは廻りきれない。恐らくマトモに歩いて回れば、4,5日は掛かりそうだった。こんな巨石で作られた城壁を、わざわざ街の外周に張り巡らす目的は唯一つ。

「戦争か・・・」

よく見ると、城壁の所々に血の滲んだ跡が見える。弩だか大砲だかで削り取られた跡みたいなものも見受けられる。

再びカワシマは目抜き通りに戻った。舗装されていない土が丸出しの大通りでは、あちらでは大道芸が為されていて、こちらでは辻説法などが行われているといった具合。だがカワシマの本当の目的は、そこにはなかった。

「飲食店は何処にあるんだ・・?」

そうである。競合他社が何をしているのか、そもそもどれほどのライバルがいるのか、というのはとても大事な所である。カワシマは目を皿の様にして飲食店を探した。

ーライバル店があれば、全てリストにしてやる。そうして相手の凄い所を少しずつパクりながら上塗りしていけば、絶対に負けることはない!

という妙にセコい性根の現れである。だが大通り沿いには、飲食店を見かけることは出来なかった。宗教上の理由なのか、何処の区画を見渡しても、飲食店みたいなものは見当たらない。

ーもしかしたら昼間だけなのか?或いは営業時間帯の規制でも掛けられているのか?それとも宗教上の理由によるものなのか?はたまたそういう文化圏なのか?


・中世の飲食店

実はこのカワシマは、飲食店を見つけられていない訳ではなかった。彼は何度も飲食店を目撃していたのである。ただ余りにもこのカワシマの想像している飲食店の姿と掛け離れている為に、飲食店であると認識できていないだけだった。

例えば路端に広がっているボロっちい屋台。その上には半分腐ってるような、ハエがたかった何かを平然とした顔で客に売りつけていた。カワシマはそれが一体何なのか理解できず、漠然と「汚えな」と呟いただけであった。まさか人間が食べるものを売りつけているなどとは夢にも思っていなかったのだ。

ようやくのことで、カワシマは路端の屋台よりもグレードの高い飲食店を見つける。傍からはまるで飲食店なのかどうかが解らない。だがその店には、昼間からへべれけに酔っ払った人間が出入りし、店内からは女の甲高い嬌声と男たちの怒声が響き渡る。店の戸口には、飲みすぎた酒だかゲロだかを吐いている人間すらいる始末だ。

「こんな所で飯食うのかよ・・」

というセリフが思わずこぼれてしまう。カワシマは意を決して、店の入口をくぐってみた。(勿論、他の客が吐いたゲロを踏まない様にして)


その店内といえば、店の端っこで酒を吐いている人間もいれば、淫売らしき女と嫌らしい行為に及んでいる者もいる。

ーこんな所でよくその気になれるな、

と半ば感心してしまうくらいだった。テーブルは油でべっとりとこびり付いており、おまけに客も店員も含めて臭い。恐らくは風呂にも入らないからだと思われる。人間が風呂に毎日入る様になったのは、極々最近、それこそこの150年かそこらの現象だ。それまでは貴族でも一生風呂に入らないなんて珍しいことじゃなかった。

「ここで商売するとすれば、臭いのに慣れないといけないのか・・・」

それだけで卒倒する思いである。彼はとても綺麗好きなのだ。客全員がホームレス同然の臭いを放っている空間で仕事する・・・。

ーどう考えても割が合わない!

そんな思いをいだきながらも、一方で彼はこんな事も考えていた。


ーじゃあ、シャワー室とか作れば良くねえか?お店から水道管とガス管ひいて、異世界の連中に清潔な暮らしってやつを体験させてやるとか・・?ついでにソープ嬢にサービスとかさせたらもっと儲かるのかな?その場合、雇う風俗嬢はこの異世界人となるだろう。最低賃金とか考えても、異世界でサービスする人間を雇った方が良さそうだ。でも言葉とかどうしよう・・?


・元々の非常階段は・・?

再びカワシマは自分のお店の中に戻る。大通りから立派そうな木製の扉を開くと、その先には見慣れた自分のお店が広がっている。お店の机に腰掛けながら、彼は自分の幸運を心の底から噛み締めていた。

幸いこの異世界は、今の所比較的競合相手が少なそうだった。なによりこの世界を知っている日本人が今の所自分しかいない。まるでRPGにでも出てきそうな似非ヨーロッパ世界においては、未だに電気・ガス・水道などのサービスは存在しないようである。そんな世界の一角、それも大通り沿いに、自分の店の裏口が繋がってしまった。けれども自分は21世紀の現代日本にいる。もっといえば東京の一角にお店は立っている。だから現代日本の流通網やら科学技術や治安・医療といったものをそのまんま利用したまんま、中世ヨーロッパじみた世界に乗り込むことが出来るのである!

「本当にこりゃあチートだ!!商売敵すらいない!!」

カワシマは天の恵みに感謝した。だがここで彼はもっと深く踏み込んで考えるべきだったのだ。かなりな規模の都市であるにも関わらず、まともな商売敵がいないというのはどういう事なのか?何かあるんじゃないのか、と。だがこの時の彼にはそこまで考える余裕などなかった。ともかく売上げアップこそがお店を存続させる為の至上命題だったのである。


フト裏口をジッと見据える。元々このお店の裏口は非常階段の2階部分と繋がっていた。だが今その裏口は、この素晴らしき異世界の、それも大通り沿いの正面玄関に繋がっている。

さてここでカワシマはある可能性を思いついてしまうのだった。

ーならば今、当の非常階段の2階部分はどこに繋がっているのか?まさか非常階段の2階扉を開けたその先も、この店ではない異世界に繋がっているとか?それともそのまま自分のお店に戻れるのだろうか・・?


そう思いつくや否や、カワシマはお店の玄関から出て1階部分へと駆け出していた。

ー他のテナントにバレたら大変だ!ビルの管理会社にチクられたらなんと言われるか解らない!最悪、漸く手に入れたこの店を追い出されるかも・・・。

ーいやそれ以前にだ、この異世界は俺のものだ!誰にも儲けを渡しはしない!まだまだ支払わねばならないローンが山程残ってるんだ!お店の内装費用だけでも結構な料金が掛かったんだから。


そう思って彼は1階にある正面玄関へ階段で降りていき、ビルの非常階段へと駆け寄る。そしてそのままの駆け足で非常階段の2階部分へと駆け上がるのだった。一体この身体の何処にそんな体力が残っているのかと思えるような早業であった。普段の彼であれば、階段の上り下りだけで腰に手を当てるところだ。


・なぜか日本語が通じる

恐る恐る非常階段の2階扉を開ける。するとその先は、典型的な似非中世ヨーロッパ世界の居酒屋だった。そして今自分の開けた扉は鉄製の筈なのに、扉の裏側は木製になっている。つなぎ目とかはどうなっているんだろうか、などという素朴な疑問を持たなかった。

それ以前に、この店の中にはしょぼくれた表情で呆然と突っ立っているドワーフとおぼしき親父がただ独り。この状況の圧迫感が凄い。ドワーフ親父はいきなりこう叫んだ。


「誰だ?お前!」


いきなりの日本語である。ファンタジー系の異世界にやってきておいて、そこに出てくる登場人物たちがしゃべる言葉がまさかの日本語。しかもやや訛りがある。こんな展開は予想外もいいところだ。だがカワシマとて引き下がる訳にもいかない。彼はこう切り返す。


「いや、ここ俺の店だしさ。俺の店の裏口から入ってきたんだけど・・?お前こそ誰だよ」


この切り返し方で正しいのかどうかは知らない。だがこちらの言い分は伝わるだろう。大体どんな事情があるにせよ、初対面の相手にこういう物言いをする時点で何を言っても無駄な気がする。そう思ってみていると、ドワーフと思しき親父はこう言い返してきた。

「馬鹿かてめぇ?これは俺の店だ。ここはパブだ!!」


成程、たしかにそうだ。みた所はパブにしか見えない・・・。バーカウンターがあって、食事をする為の机と椅子があるという所はまさしくその通りだった。だが机は汚くて、ネトネトした何かが表面に張り付いている。壁には所々小便くさい匂いがする。壁のシミは、大方は小便だろう。

ー少なくともこんな所で食事はしたくねえな、

とカワシマは思った。だがここでドワーフの中年オヤジとこれ以上睨み合っていても仕方ない。

カワシマ「いいか、俺の店の裏口がね?アンタの店の正面口に繋がっちまったんだよ。そのせいで今朝方から裏口が馬の嘶き声やらなんやらで煩くて仕方ないんだ」

ドワーフ「街一番の大通り沿いだ。仕方ねえだろう?」

カワシマ「いやおかしいんだよ。だって俺の店の裏口って非常階段に繋がってる筈だからさ」

ドワーフ「そのヒジョウカイダンってなんだよ?知らねえよ。」


カワシマはドアを開けてから非常階段を指で指し示した。

カワシマ「これだよ。これがヒジョウカイダン!火事とかの非常時に避難するための階段だ。知らないの?」

ドワーフ「・・・今朝方から大通り沿いの正面口が、なんだか得体のしれない階段に変わっていやがったんだ。俺最近教会にお祈りに行ってなかったからな・・・」

そういってドワーフはなにやら解らない祈りの文句を唱え始める。もしかしたらこの世界の宗教とかなにかだろう。だがカワシマはそれに付き合っている暇はなかった。

カワシマ「違うよ。教会へのお祈りとか関係ないよ、多分。ともかく俺の店の裏口が、この街の正面口に繋がってしまったんだ。そのはずみかどうかは知らないけど、お前の店の正面口が、俺の店が入居しているビルの非常階段に繋がってしまったんだよ」


・ドアの外では

暫くの間は、カワシマも相手のドワーフも無言だった。ここに来て漸く相手も悟ったらしい。

全ては異世界と日本が繋がってしまったという事を示していた。カワシマのお店の裏口は、異世界の大通りの正面口に繋がってしまった。同様にこの異世界のパブは、正面玄関を開けた先が現代日本に繋がってしまったらしい。それもよりによって、ビルの非常階段扉にだ。そして先程から扉は開け放しで会話は外に漏れている。オッサン二人組が怒鳴りあっていたら、それはそれは怪しまれるだろう。


「・・・あれ、上の人一体誰と話してるんだ?」

という1階テナントからの声が聞こえてくる。そこでカワシマは慌ててドアをバタンと閉めてしまった。他の人に知られる訳にはいかないのだ。だがその行動でもっと相手の興味を引いたらしい。ドア越しに階下のテナントの従業員の声が近づいてくるのも解る。


『上の人に聞こえたんじゃねえの?俺らの声・・?』

「聞こえてても構うか。あんだけ怒鳴り合ってたんだから」

『今の声、カワシマさんだろ?2階の』

「カワシマさん誰と話してんの?」

『お客さんとじゃね?』

「でも客がいきなり”誰だ?お前!”はねえだろ?なんか鬼気迫っていたぞ?」

『知らねえよ。なんかあっちにも都合ってもんがあるんだろ?』


二人の足音は2階の非常階段に近づいてくる。カワシマはピッタリとドアに耳を張り付ける。ドワーフにも、物音一つ立てるな、と目線で合図を送る。すると何を勘違いしたのか、ドワーフ親父は斧を持ってOKと親指を立てる。カワシマは慌てて近寄って、彼の手元から斧をもぎ取った。殺して欲しい訳じゃない。


とうとう二人はドアの向こう側に立っている。コンコンとドアをノックしてきた。

「カワシマさん?2階のカワシマさんですよね?1階の者です。あのー?なんかタダならない会話が聞こえてきたんですけどー?どうかされたんですか?」


カワシマはドワーフ親父に視線をやった。彼は取り敢えず、今の所は動く気はないようだ。それでいい。斧で斬り殺すだのなんだのされたら、カワシマのお店は終わりだ。

カワシマ「あ、スイマセン、スイマセン。別にあの、困ったお客さんがね。ちょっと取り乱したみたいで。問題ないから大丈夫です。」

ー我ながら酷い言い方だな、

と自分でも思うが仕方ない。正直に全てを話したら面倒なことこの上ないし、二人に入ってこられたら困るのだ。

『あ、そうですか。カワシマさんがこんだけテンパるなんて珍しいですね』

語調に笑いがある。からかっているのか、ならそれでいい。

カワシマ「本当ですよねえ。いい年してみっともないって解ってるんだけどなぁ。本当、スイマセン」

そのあとで二人はゴニョゴニョと会話しながら非常階段を降りていく。これで一難は去った。だが自分の背後にはまだ面倒事が残っている。

ドワーフ「奴らは立ち去ったのか?」

カワシマは「ああ」とだけ視線を合わせずに返した。

ーお前はまだそこに居るがな、

とまでは言わなかった。余計面倒なことになるからだ。


・自己紹介

小汚い異世界の居酒屋である。ドアを開けた直後は気にも留めなかったが、部屋中に嫌な臭いが蔓延している。吐きそうな思いを堪えて、カワシマはスマートフォンの画面を見た。

ー大丈夫、スマホも使えるし、電波も届いてる。その証拠に、ディスプレイ上のアンテナは3本ではないが、2本は立っている。扉を閉めても、基地局からの無線は届いている。つまりスマホのアプリは異世界でも使えるらしい。ここが大事だ。さっきみたいに扉を開けっ放しだと会話が外に漏れてしまうので面倒なことになる。

ーこの調子ならこちらの世界でも無線LANのルーター張り巡らして、スマホからインターネットに繋がるんじゃねえのか?

などと関係ない事を考えながら、カワシマはともかく言葉を絞りだす。


カワシマ「お前のお名前は?」

ドワーフ「ヴィンチ村から来たフリードマンの息子、アレクセイ」

カワシマは一瞬面食らった。確かにレオナルド=ダ=ヴィンチとかも「ヴィンチ村から来たレオナルド」という意味らしいし、中世だったらそういう名乗り方が普通なんだろう。でもカワシマには名字と名前しかない。だがこんな奴に自分の名前まで教えるつもりもなかった。


カワシマ「俺のことカワシマって呼んで」

アレクセイ「OK、カワシマ」

どうやらOKという言い回しはこの世界でも通じるらしい。なんでだろうか?いやそもそも異世界で日本語が通じる時点で何かがおかしいんだから、そこまで気にしていたら身が持たないだろう。

アレクセイ「そんでお前、どっから来たんだよ?〇〇?☓☓?」

地名の所は聞き取れなかった。どうやら日本語にはない発音の仕方であり、どういう風に頑張ってもカワシマには発音できない音だったからだ。(もしかしたら人類には無理な発音なのかもしれない)。だがそれ以前に、何故見ず知らずの人間に自分の出身地を教えないといけないのか解らない。カワシマは漸くこう返答した。

カワシマ「俺が何処の出身だろうと構わないだろう?なんで気にする?」

するとアレクセイは、こいつは馬鹿なんじゃないか、という表情でこういってきた。

「お前は馬鹿か?お前が俺を裏切らない為に、何処の出身か聞いてるんだろう?」


・人間関係で信頼を担保する

つまりはこういう事だった。中世にあっては、国家なんてもの自体があって無きがごとし。あるのは領主様の気まぐれと、教会の有り難い教えだけである。ゴロツキに襲われた所で警察が来てくれる訳でもないのだ。或いは駆けつけてきた警察の方がたちが悪かったりもする。更には最初からゴロツキと警察がぐるだったりすることもある。まさしく無政府状態一歩手前といっていい。だから人間関係だけが頼りの綱であり、ヤクザの世界と結構近い。であれば誰が誰の知り合いだとか、誰それは何処の出身だ、といった事が非常に重要な意味を持ってくる。だがカワシマには異世界の知り合いなんていない。そこが何よりの問題であり、それに正直な話をして相手が理解できるとは期待できそうになかった。

”高校を卒業するときまでは関西に住んでいたけど、それから東京に飛び出してきた”

という一文を理解させるだけで何時間掛かることやら。まずもってこの世界に高等学校が存在するのかどうかもアヤフヤである。もしかしたらないかも知れない。そして日本という国のことも、恐らくこのドワーフは知らないだろう・・。だからして、関西とか東京といった単語だって理解できないハズだ。だから丸めて話すしかない。今カワシマの店は東京にある。ならばこういったっていいはずだ。

カワシマ「俺は東京の出身だ」

ー本当は滋賀県出身なんだけどなぁ、という思いを断腸の思いで断ち切って、カワシマはこういう。するとアレクセイは

「東京って何処だよ?」

と聞いてくる訳である。面倒くさいことに彼はこうも言ってきた。

アレクセイ「東京から来たってんなら、証拠見せろ」


・東京の街に驚く

アレクセイは本当に中世ヨーロッパからそのまま切り抜いてきたような格好をしていた。カワシマは思わず

「お前のその格好は目立ちすぎる」

と指摘してしまった。するとそれがまたドワーフの癇に障るみたいだった。

アレクセイ「格好?この格好の何処が問題あるんだ!」


小汚い、ペラッペラな所々にシミのある白いチュニックを上に羽織り(風呂に入っていないから臭い)、下にはズボンではなくタイツ。そしてペラペラな革のブーツだかスリッパだか解らないものを履いている。カワシマは頭を抱えそうになった。大体このドワーフは筋骨隆々としすぎている体格と、顔のフケ具合に比べて低すぎる身長が問題なのだ。それこそ150cmくらいしかない。だが今その事を喋ったところで状況が改善するとも思えない。寧ろ相手の心情を逆なでするだけに終わりそうだ。だったらもう思い切りを良くして東京そのものを見せつけるしかない。


アレクセイとカワシマは非常階段から大通りに出た。まずアレクセイが目を剥いたのは、自動車である。

アレクセイ「んだありゃ! 凄え! 馬なしのクルマだ!」

生まれたころから自動車に囲まれている我々には理解しがたい反応だが、中世の人間をいきなり現代日本につれて来ればこんなものなのかも知れない。そして次に彼がまた驚いたのは通り沿いのビルであった。といっても新宿や丸の内の都心に比べればまだまだといった所なのだが、それでも

「高い!!まるで空をみがく建物だ!!」

と叫ぶのである。

カワシマは一瞬言われた言葉の意味が解らなかったが、要するに建物の高さがやたらに高いから空だって磨けそうだ、と言いたいらしい。『摩天楼』という言葉が、天を磨く楼(建物)を意味すると今更ながらに思い知らされたのだった。

だがもう潮時だった。ドワーフのアレクセイを連れてお店をぐるっと見物するくらいなら何とかなるかな、と思っていたのが甘すぎたのだ。通行人はアレクセイのことをスマホで撮影している。勿論、その隣にはカワシマもいる。何処で誰にバレるか解ったものではなかった。


・店内にて

カワシマはアレクセイを連れてそそくさと自分のお店に戻る。

カワシマ「解っただろう?ここが東京だ」

それからカワシマはアレクセイを見据えたまま、ただポツリと「トーキョー」と呟いた。アレクセイも「トーキョー」とオウム返しに呟く。もうアレクセイはいちいち疑問を持つことも無くなったようである。カワシマのスマートフォンやらクルマやら、中世の時代では考えられないくらいに高い建物を立て続けに見せつけられたのだ。東京というのが、最早異世界でしかないという事が理解できたみたいである。


アレクセイ「お前がトーキョーから来たことは解った。」

カワシマ「そうだ。そんで何故かお前の店も東京に繋がってしまった。」

するとアレクセイは、カワシマの店の裏口を開く。確かにさきほど確かめた通り、空には太陽が2つあり、城壁に囲まれた典型的な中世ヨーロッパの街並みがあった。

アレクセイ「そうだ・・・。これが俺の街だ・・・」

カワシマはそこで頭を抱えてしまったが、アレクセイはそうでもないようだ。


・共同経営

アレクセイ「カワシマさん。俺たち共同経営しないか?」

一瞬カワシマは、自分の耳を疑ってしまった。

ーよりによって共同経営とは?何故に?

或いはドワーフの発音を誤って認識したのか?しかし一緒にだの、働くだのと言っているところからして、いい加減な気分という訳ではないらしい。アレクセイは続ける。

アレクセイ「俺は東京に慣れてない。お前も○○(ここの発音は解読不能であった)には慣れていない。だから一緒に働こう」


確かにこれは渡りに船では合った。幾らライバルが少ないとはいえ、この異世界に知り合いなどいない。だがこのドワーフ親父のアレクセイは果たして信用できるのか?


カワシマ「お前のことを信用できる理由は?」

アレクセイ「俺がお前を裏切ったら、俺にはもう商売が出来なくなる。折角大通り沿いの一等地に居酒屋を開いたのに・・」

確かにそうではあった。今のところ、大通りに面した出入り口に繋がっているのはカワシマのお店であって、アレクセイのお店ではない。別にカワシマが望んでそうした訳ではないにせよ、この交渉がカワシマに有利であることには変わりない。なんたって、カワシマは別にアレクセイが居なくとも商売を続けることが出来るのだ。

アレクセイ「それにお前だって水先案内人が必要だ。そして俺はこの街の商売人だ」

これまたその通りである。カワシマにとって、アレクセイと組んで損はしない。そしてアレクセイとしては、なんとしてもカワシマの協力が必要不可欠。ならば次に考えることは・・。


カワシマ「儲けの配分は?」

そう、そこである。どんなに誠心誠意尽くしても、両者とも金儲けのために仕事をしているのだから、結局話はそこに行き着いてしまうのだ。

アレクセイ「勿論、俺とお前で折半だ。文句ないだろう?」

カワシマ「駄目だ。俺が7、お前が3」

アレクセイはカワシマの店の中をジッと見渡してからポツリと呟いた。

アレクセイ「立派な店内だ・・。家具も新しい様に見える。新規に出店したのか?」


今度はカワシマがギクリとする番だった。まぁこの店は、別のボードゲーム喫茶が閉店するときに、そのままお店を引き継いだものなのだが、それでも内装費用だのなんだので少なくない費用が掛かっている。


アレクセイ「何にしても、新しく出店したら少なくないお金が掛かる。それにこの時間帯、さっきこちらの空とか見てみたけど、昼間だった。こんなにガラガラで大丈夫なのかい?」


これまた気づいてほしくない所を突かれた。そうだ。元々ボードゲームバーというのは、平日昼間はあまりお客が来ないものだ。そして折からの新型コロナウィルス蔓延によって、現在閉店に追い込まれるお店が跡を絶たない・・。お店を存続させる為にも、是が非でも異世界の連中にお金を落として貰わねばならないのだった。だがアレクセイからの追い打ちはまだ続く。


アレクセイ「客を増やすのは、お前さんにとっても悪くない話だ。それに第一、こちらの連中が支払う硬貨が偽物かどうかとか、見分けつくの?」

カワシマ「それを言ったら、俺の世界だってそうだろうが!」

アレクセイ「だからさ・・・。こうやって喧々しててもしょうがないだろうって話だよ。お前と俺で協力しないってんなら、いいぜ?俺は店を畳んで他に移るよ。そうしてお前は折角の儲け話をフイにする。でもそんなの楽しくないだろう?」


そういってニヤニヤと笑いながらカワシマの背中を親しげに叩くその姿は、どう贔屓目に見ても信用できる商売人のそれではなかった。だが、カワシマには相談できる相手がそばにおらず、それでいてお金は今すぐ稼ぐ必要があるときている。人生はままならないものだ。


アレクセイ「やっぱり分前は折半な。俺が5、お前も5。それでいいだろ?俺は引き続き商売できる。お前はウチらの世界で儲けることができる。みんな幸せだ。」

ーお前だけが幸せなんだろう?

という言葉をかろうじてカワシマは噛み殺した。カワシマは結局このドワーフを信用する気になれなかった。後々この時の直感が正しかったことが解ってくる。

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