哀しみの瞬発力
他人の話や、物語の中では、嫌というほど触れてきたはずなのに……未だに私は、死というもののことを、ちゃんと理解できていない。
そのことを、思い知らされた。
あんなに優しくしてくれた先輩が、いなくなってしまったというのに……私の目からは、涙のひとつも出て来ない。
だって、どういうことなのか、理解できないんだ。
もう会えないとか、声が聴けないとか、笑いかけてもらえないとか。
理解しているつもりで、だけど心の奥の方が、まだ理解に追いついていない。
だって、まるで嘘みたいなんだ。
こんなに何の前触れも無く、当たり前の日常の中で、いきなり別れが襲って来るなんて……。
現実味も何も無いまま臨んだお葬式は、覚えてきた作法を失敗しないようやり遂げるのに必死で、哀しみを味わうどころではなかった。
窮屈そうな棺の中で、白い花に囲まれた先輩は、まるでガラスケースの中に飾られたお人形のように、造り物めいて見えた。
確かに先輩と同じ顔をしているのに、先輩だと思えない。
先輩が、先輩と同じ顔をした別の何かと、すり替わってしまったみたいだ。
何もかもが、どこか変で、現実離れしていて、まるで奇妙な世界に迷い込んでしまったように、報せを受けたあの日から、ずっと頭の中がフワフワしている。
同じ学校の生徒たちが何人か泣いているのを見て、何とも言えない気持ちになった。
どうしてあの子たちは、もうちゃんと哀しめているんだろう。
私、どこかおかしいのかな。他の人たちより、情が薄いのかな。
沈みかけた心に、ふっと“言葉”が浮かんできた。
いつか何かの会話の途中で、先輩が私に言ってくれたことだ。
「あんたって、喜怒哀楽のタイミングが、ちょっとズレてるタイプでしょ」
あの時、先輩はそう言って笑ってくれた。
「喜びや悲しみや悔しさが、他の皆よりワンテンポ遅れて、ジワジワっと来る方だよね。だから、周りのノリやテンションに、今イチ乗りきれない。そうなんでしょ?」
自分自身でさえ分かっていなかった、周囲との温度差の理由を、さらりと言い当ててくれた先輩は、「実は私もそうなんだよね」と苦笑した。
“空気が読めない子”扱いされて孤立しがちだった私に「何だか私と似てるから」と声をかけ、部活の中での居場所を作ってくれた。
「筋肉に瞬発力や持久力があるようにさ、感情にも、すぐにドッと強い感情が来るのと、ゆっくりジワジワ来る感情があるんじゃないかな。つき合いもあるから、ある程度は合わせたり、周りのノリを理解する必要があるんだろうけど、ムリすることはないよ」
私とひとつしか変わらないのに、先輩は私よりずっと大人だった。
周りと自分の“違い”に悶々とし、劣等感に押しつぶされそうなばかりだった私と違って、先輩はその“違い”をちゃんと受け止めた上で、前を向いていた。
元々、口数が多い方ではなかった私は、周りの子たちほど、先輩と親しく接することはできなかった。
私と違って周りとも馴染めていた先輩の「私と似ている」を、私は半信半疑に受け止めていた。
先輩が私にかまうのも、“先輩”としての義務感からなのではないかと、疑っていたこともある。
だけど、それでも先輩の存在は、私にとって大きなものだった。
先輩がいたから、部活を続けて来られたと思うほどに。
……なのに、その先輩のお葬式で、私は涙のひとつも流せない。
私の哀しみは、こんな時でも瞬発力を発揮してはくれないのだ。
泣いている子たちの多い中、泣けない私はいたたまれない。
だけど、「泣くべき場だから」と、そんな義務感のように、嘘の涙は流したくない。
まだちゃんと哀しみが実感できていないのに、哀しむフリはしたくない。
先輩とのお別れに、そんな“演技”はしたくない。
――それだけは、強く思う。
この期に及んで、まだ私は、そのうちまた先輩に会えるのではないかと、心のどこかで思ってしまっている。
受験を前に引退した先輩とは、顔を合わせることが少なくなっていた。
気まぐれにふらりと顔を出してくれることもあったが、それは本当に時々のことで、会えない日々の方が当たり前になりつつあった。
だから、余計に思ってしまうのかも知れない。
こんな奇妙な現実は、夢が覚めるように消え去って、これまでのように何食わぬ顔で、先輩が会いに来てくれるのではないか、と。
だって、私の中には、まだ先輩の思い出が、くっきり残っている。
その顔が、声が、はしゃいでふざけた仕草が、今この場で見ているかのように、鮮やかに思い出せるんだ。
なのに、その存在が消えてしまっただなんて、もうどこにもいないだなんて……どういうことなのか、頭じゃなくて、心が理解しきれない。
結局、涙は出ないまま、棺を乗せた車を見送り、帰路についた。
哀しみは実感できないままだったが、やけに身体が張りつめているような、重たいような、奇妙な感じがした。
きっと私は、まだ当分の間、喪失を実感できないまま、心のどこかで先輩との再会を待ち続ける。
先輩はもういないと、頭では理解しながらも、心のどこかは、それを受け入れられないままでいる。
だけど、そのうち、ふとした瞬間に、もう二度と先輩に会えないことを思い知って、無性に哀しくなったりするのだろうか。
これまで先輩と過ごしてきた景色の中に、もう先輩がいない――二度と現れないことを思い知らされて、無性に泣きたくなったりするのだろうか。
感情のタイミングがズレる私のことだから、その頃には周りはもう、先輩の死から立ち直って、特別話題にも出さなくなっているのかも知れない。
その頃にはもう、その重過ぎる哀しみを、誰かと共有することもできなくなっているのかも知れない。
だけど、それならそれで構わない、と思う。
その哀しみは、私だけのものだ。
他の誰とも違う、ただ一人へと向けられた、特別で大切な哀しみだ。
……だけど、その哀しみが訪れるまでは――哀しみの実感できない今は、まだ、先輩とまたいつか会えるような気がする、この気分を抱えたままでいたい。
いつかまた、どこかで偶然会って「久しぶりだねー。元気だったー?」と手を振ってもらえる気がする、この感覚に浸っていたい。
――そう思っていては、ダメだろうか。
今もまだ私は、この道の先の、あの角から、先輩がひょっこり現れて、「こんな所で会うなんて珍しいねー」なんて言ってくれる……そんな気がしている。
本当は、絶対に無いと分かっているその“想像”が、何だかほんのり切なくて、自分で自分を笑いたくなった。
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