魔術師の助言と掴めない距離感
「なるほど、幻術。じゃ早速頼む」
「え?嫌」
しれっと拒否するグレイ。予想通りの反応だ。俺の事情なんて知ったことでは無いと、自身の流儀や趣味嗜好を優先する魔術師らしい。だがしかし、黙っている俺では無い。
「そうか、残念だ。──ところで、半年前のアンデッド擬き大量発生事件を国に報告しようと情報を纏めているのだが…首謀者の証言も必要だと思わないか?グレイ」
横目でチラっと彼女の反応を確認する。グレイは『信じられない』と言いたげに、カップを持ったまま愕然と口を開けていた。
「こっ…この陰険領主!それは私もそれなりに反省して、しっかり被害者の治療と事後処理をしたでしょう!」
「事後処理という名の証拠隠滅だろ。で、どうする?協力するなら、ウィリアム君に頼んでドラゴンの鱗を融通してもらってもいいぞ」
「わーいドラゴンの鱗ー!協力するするー!」
「はぁ……」
途端、虹色の魔眼を煌めかせ上機嫌で空中に魔術式を魔力で描き始めた。本当に現金な奴だな…。
翌朝。申し訳程度に整えられた庭を、一頭の犬が颯爽と駆ける。ぴんと立った耳に、ふさふさの尾と被毛は美しいチョコレートダップル。今でも牧羊犬として世界中の牧場で活躍する、賢いことで有名な犬種である愛犬の名前はベティ。2年前に俺が癒やし兼使役用として飼い始めた。今は朝の散歩中で、駆け回る庭の主の後をのんびり歩いている。早朝特有の冷たくて澄んだ空気を堪能していた俺は、不意に滅多に吠えないベティが吠える声を聞いた。
「何だ?」
ベティは賢い。教えていないのに領民と領地の外から来た人間を見分けるし、敷地内に領地の子供達が遊びに来ても全く吠えない。そんなベティが吠えている。慌てて駆けつけると、其処には──。
「お、おはようございます…キース様」
簡素なワンピースに肩掛けを巻いただけの、昨日妻となったアガサがいた。アガサは屈んでベティを撫でており、撫でられているベティは先程まで吠えていたのが嘘のように人懐っこく彼女に身を擦り付けていた。どうやら彼女はベティのお眼鏡に適ったらしい。
「おはようございます。ベティがすみません。驚かせてしまいましたか?」
「いいえ。見知らぬ人間がテリトリー内にいたから警戒させてしまった様です。ですが、噛み付かれた等は全く。ふふ、お利口さんなんですね」
優しい手つきでベティの頭を一つ撫でて立ち上がるアガサ。
「もしかして、朝のお散歩ですか?奇遇ですね、私もなんです。公爵家にいた頃からの習慣で」
「そうでしたか」
ふと降りた沈黙。お互い気まずそうに視線を右往左往させている。だからだろうか。後から思い返しても、俺らしくない事をしたのは。俺はそっとアガサに左手を差しだした。不思議そうに俺の顔と手を彼女の視線が行き来する。
「きちんと整えられた庭ではありませんから、歩きにくいでしょう。…ついでに、ベティの散歩に付き合ってもらえると…」
「あ………は、はい」
うっすら頬が赤い気がするアガサが、俺の手に自身の手を重ねた。それを確認してから、低いとは言えヒールのある靴を履いたアガサが歩きやすい距離感と歩調でゆっくり歩き出す。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「はい。あの、とても素敵なお部屋でした、ありがとうございます」
「…我が領地は何かと問題事が多いですから、せめて部屋ぐらいはくつろげる空間の方がいいかと思いましたので。何か足りない物があれば用意します。…可能な範囲で、ですが…」
「い、いいえ!だ、大丈夫です!充分よくして頂いておりますわ!あの、ところで、キース様は犬がお好きなんですか?」
「え?」
何故分かった、という思いを込めてアガサを見ると、彼女は楽しそうに微笑んで俺達の周りを好きに歩き回るベティを見つめた。
「ベティがとても人懐っこくて、目も輝いていますし、毛艶も美しいので。大きくて長毛の子は、日々のお手入れが大変なのに…」
「え、あ、ああ…そうですね。動物全般好きですが、犬は一等好きですよ。…貴女は?」
「私は…──」
「では…──、───」
交わされた言葉はどれも他愛ない物だった。両者ともに心には深く踏み込まないよう、慎重に。ぎこちないけれど、俺達はこの時確かに一歩歩み寄ったのだ。昨晩、去り際に言われたグレイの言葉を頭の中で反芻する。
『見ないふり聞こえないふりはさぞ楽で良いだろうね。けど、前へ進むには足を踏み出さなくてはいけない。それは分かっているね?…そう、よろしい。魔術師として言わせてもらうなら、今が君の転換期だ。きっといつか、君はアガサを受け入れる。その時君という存在がどんな風に輝くのか…もう少しだけ、見させてもらうよ』




