歓迎されない結婚(sideアガサ) -02-
レッドフィールド領。この王国の東方に位置し、周囲を険しい山や川に囲まれた貧しい領地。自然が多いその地には、動物だけで無く魔獣の類いもまた多い。毎年のように魔獣の集団暴走──俗に言うスタンピードが起こる。過酷な環境で育った領民達の殆どが、何代か前の国王に『魔獣と領民、もはやどっちが危険生物なのか分からん』と言わしめる猛者達だ。…あれ、これ褒められてないね。
そんな領地と領民を守っているのが、領主キース・レッドフィールド子爵。先代子爵が亡くなり、爵位を継いだ時彼は17歳になったばかりだった。噂ではもとより社交には消極的だった様で、爵位を継いでからは本当に出なくてはいけない社交以外は領地に籠もり、決してその姿を見せないのだとか。言われてみれば、私もデビュタントの練習も兼ねて招待された知り合いの家のお茶会などでも、彼の子爵の姿を見かけなかった。小説でもその名前は一度も出ていなかったわね。だから、その名を知ってはいたけれど…。
「まさかアガサの嫁ぎ先の『地方貴族』がレッドフィールド子爵の事だったなんて、夢にも思わなかったわ…」
道中一通り泣いて愚痴をこぼし、少しだけすっきりした私。一ヶ月以上かけて漸く辿りついたその領地は、3ヶ月ほど前のスタンピードによる傷跡を色濃く残していた。馬車の窓から見えた倒壊した家屋、荒らされた畑や家畜小屋、体中に傷を負った老若男女の領民達を思い出す。あんな光景が、この領地では当たり前なのだろう。自分がどれ程恵まれた境遇にいたか、様々と見せつけられた気分だわ。…私、本当に此処でやっていけるのかな。
なんて考えて視線を下げていると、頭上から気遣う声が降ってきた。
「…お加減がよろしく無い様であれば、少しお休みになられますか?主人が教会から戻るまで、まだ時間がかかるでしょうから。お望みであれば、主人が帰宅されましたらお声がけ致します」
「あ…」
はっとして顔を上げると、子爵家の執事だと名乗ったノエルさんが完璧な笑みを湛えて私を見つめていた。口調や発言内容こそ優しいけれど、何処か一線を引いている、そんな表情で。慌てて首を横に振る。そうだった。私は今領主の館の応接室にいて、婚姻届にサインした後それを持って教会に向かった子爵を待っている最中なんだった。
「お気遣い有り難うございます。ですが、それでは子爵に失礼なので…お戻りになられるまで、此処で待たせて頂きますわ」
私がノエルさんに案内されてこの部屋に足を踏み入れた時、既に子爵は私の目の前のソファー──今は誰も座っていない──に腰掛けていた。此方を横目で見たダークグリーンの瞳に浮かぶ感情は、果たしてどんなものだったのだろう。少なくとも、良いものでは無いはず。私が席についてお茶を一口いただきお互い自己紹介をした後、徐に従者に婚姻届を持ってこさせたと思ったら、『時間が惜しい。夕方までには仕事に戻りたいので、取りあえず記入してください』ときた。ムードもへったくれも無いありのままの言葉だった気がするけど、子爵が忙しいのは確かでしょうし、仕方が無いよね。時は金なり。
胸中にどこか納得いっていない自分がいるけれど、それを無視してお茶を飲む。あまりにもあっさりした婚姻。原因は領地の財政だけが問題では無い。気付いているけれど、だからといって、私だって実家に帰る気なんか無いんだから。根比べよ、子爵!
「…左様でございますか。差し出がましいことを申しました。ご容赦を」
そう言って頭を下げたノエルさんは、それきり口を閉ざし、静かに数歩下がった。
あの後暫くして子爵が戻ってきた。途中、少々気まずい空気になったけど…なんとか私の決意は伝えられたと思う。私を『子爵夫人』の部屋へ案内してくれている、ヴィルマさんというメイドに問いかける。
「ししゃ…キース様はああ仰って言いましたけれど、その…本当に、休んでもいいのかしら…?」
「はい。公爵家のお部屋と比べれば数段見劣りするでしょうが、この館でも特別お庭が良く見えるお部屋をご用意致しました。…それに……」
視線を逸らしたヴィルマさんが、僅かに言いよどむ。
「今夜は、何も無いでしょうから…」
「………」
だろうな、と内心彼女の言葉に同意する。突然格上の貴族家から強引に婚姻を結ばされて、何も思わないはずが無い。子爵も、従者だという双子も、ヴィルマさんも、他の使用人も…私が王都の貴族と結婚出来ない何かしらの事情を抱えている事くらい気づいている。望まない結婚をさせられた子爵が、最悪初夜をすっぽかす可能性は考えていたから別段驚きは無かった。
「いえ…実は、私もまだ緊張していて…お気遣いに感謝しているのです」
王侯貴族の初夜は、立ち会い人監視の下一切の避妊をせずに最後まで行わなくてはいけない。そうして初夜が恙なく行われたことが確認されて、漸く本当の夫婦と認められる。だからこそ、どれ程仲の悪い夫婦でも初夜だけは行う。未完成婚は婚姻の無効を申し立てる理由になるから。だから本当は、このまま何事も無く朝を迎える事はよろしくない。けれど。
『…キースで結構です。此方こそよろしく…』
あの時真っ直ぐに私を見た、ダークグリーンの瞳が頭から離れない。もしかしたら、と根拠の無い予感がする。彼なら、『私』も『アガサ』も受け入れて貰えるんじゃ無いか…と。同時に、脳裏に元婚約者の姿が浮かんだ。
──ねぇ、エリオット。もし私がただの『アガサ・ハミルトン』だったなら、きっと私は貴方に恋をしたのでしょう。
次回からキース視点に戻ります。




