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聖ルーシャン-03-

「仲間が崖から落ちて意識が無いんだ!」


 和やかな空気が一瞬にして緊迫する。振り返れば、先頭に立つ大柄な男性が筋肉質なその腕にローブで包まれた男性を抱えていた。抱えられているのは十代後半くらいの見た目の若者で、ぴくりとも動かずぐったりと目を閉じている。その顔色は青白く頭部から流れる血が真っ赤に見えるほどだった。よく見れば濃紺のローブにも血が滲んでいる。唇を引き結び表情を強張らせたアガサの横をすり抜けてモーリスが駆け寄る。途中白い布を抱えた聖職者からそれを受け取り、手早く床に敷く。


「彼をこちらに。ゆっくり、そっと横にしてください」

「あ、ああ…!」


 静かだが鋭い口調で指示を出せば、男性は指示通りに青年を白い清潔な布の上に横たわらせた。体のどこかから出血しているのか、途端にじわじわと赤い染みが広がるのを見て、俺は咄嗟にアガサを強引に引き寄せて顔を胸に押し付ける。モーリス達に背を向けて絶対にアガサの視界にこの光景が入らない様にしながら、彼等の方へ顔を向ける。


 患者を抱えていた三十台ほどのギルド員…おそらくリーダーと思しき男性が青ざめながらも毅然とした表情で、青年のそばに膝をついてローブを慎重に捲って患部を真剣な目で確認しているモーリスを見つめている。彼らの仲間の一人の剣士の恰好をした少女が、泣きながら青年の顔の横に座り込んで胸の前で両手を組んでいるのが見えた。患部の確認を終えたモーリスが少女の肩にそっと触れると、顔を上げた彼女に安心させるように微笑みかけた。優しく、けれどしっかりした声音で告げられる。


「――大丈夫。神の名に誓って、このモーリスが必ず治します」

「~~~っ、―――…っ!」


 声も出せずに泣く少女は、黒髪が乱れるのも気にせずに何度も頷いた。




「天におわします我らが神よ。大いなる大地の主よ」


 騒がしかった音がぴたりと止んだ。話し声も、衣擦れの音も聞こえない。耳に流れ込んでくるのは、目を閉じ天上の神へと祈りを捧げる司祭の、朗々とした詠唱。


「枯れた花を其の翼に抱き、欠けた杯を憐れみで満たす」


 モーリスの体から徐々に白い光が発せられる。それに反応するように、モーリスと青年を中心として床に魔法陣が展開した。ひらりと天から幾つもの純白の羽根が軽やかに降り注ぐ。俺も、ギルド員達も、聖職者や祈りに来ていた領民達も誰もがその光景に息をのんだ。


「我が身を止まり木となし、幾万もの嘆きに遍く光を与え給え」


 最後に振ってきた一際大きく立派な羽根が青年の胸の上に乗ったのと同時に、モーリスの詠唱が終わって祝福を与えた神への祈りが完成する。


「『彼の(イ・)者に永久なる(アイオニオン・)安息を(サナティオ)』」


 その瞬間に羽根が光り輝いて、周囲の視界を白く染めた。目が眩むほどの光が徐々に収縮していき、完全に消えた頃には俺達の視界を染めていた白もようやく収まった。いつの間にかアガサの頭を押さえていた手が外れていて、アガサは俺の腕の隙間から一部始終を見ていたらしい。


「す――凄い…!あっという間に治ってしまったわ!」


 立ち上がったモーリスの目の前、横たわった青年の頭部から傷は消えて流れ続けていた血も止まっていた。まるで、怪我など最初からしていなかったかの様に綺麗に治癒されていたのだ。青年の瞼が震えたと思ったら、ゆっくりと目を開けて焦げ茶の瞳が揺れた。


「ぅ…あ、れ…?ここは一体…アンナ、どうして泣いてるんだ?」

「ううっ馬鹿兄貴~~~!うわああああん!!」

「ジョン!良かった!本当に良かった!」


 目を覚ました青年と同じ髪の少女――どうやら兄妹らしい――を涙を浮かべて見守る二人の仲間。リーダーの男性は、モーリスの手を握って何度も頭を下げている。その表情も泣きそうで、彼等の絆の強さが窺える。


「ありがとうございます司祭様!このご恩は一生忘れません!」

「気にしないでください。――それより、彼はなぜ、あのような怪我を?」

「ああ、それは俺も気になるな」


 アガサをサイラスに任せてリーダーに近づく。入ってきた時には気が動転していて俺に気付いていなかった様子の彼らが、俺の顔を見て慌てて頭を下げようとしたのを止める。今は貴族の平民の格差などどうでもいい。


「見たところ冒険者…うちのギルド員だろう?その怪我、任務で負ったものか?お前たち猛者が気絶させられる様な、厄介な魔物がいるなんて報告は受けてないんだが…」

「ああ~…えっとぉ~~……」


 つい真剣なまなざしで問い詰める様な口調になったのは許してほしい。領主としては、今このタイミングで領民の命が危ぶまれるような厄介事は無視出来ないからだ。が、俺と心配そうなモーリスの視線を受けて何故か彼らは互いに視線を合わせ、気まずそうに顔をそらしている。ちらちらと互い(リーダーと怪我をしていた青年(ジョン)に向けられる視線が多い)を見て時折肘で小突いでいた彼らだったが、やがて腹をくくったリーダーが苦笑しながら話し出した。ジョンが怪我をした驚きの理由がこちら。


「俺達、初級魔術と物理攻撃以外使用禁止っていう縛りで、朝からトロールの討伐をしていましてね?」

「…なんだその変態的な攻略の仕方は」

「なんとか討伐できたまでは良かったんです」

「あ、討伐できたのか」

「こっからが本題でして…」

「ん?」

「え?討伐中に負った怪我ではないのですか?」


 僅かに目を瞠ったモーリスの言葉に、ジョンは首を振った。


「いえ、違います。討伐自体は全員軽傷で終わりました。で、俺等ついテンション上がっちゃって勝利の舞を舞ってたんですよ。――崖の上で」

「「…………。」」


 モーリスが天井を仰いですっと短く息を吸い込んだ。この先の展開が読めたのだ。俺達もだが。リーダーが顎でジョンを示した。


「こいつうっかり足滑らせて崖から落ちちまったんですよ。幸い木に引っかかって、一番下までは落ちなかったんですけど…ご覧の有様です。俺等じゃ治癒魔術使えないし回復薬は使い切っちまってて…。司祭様、本当にありがとうございました!次からは中級も可にしますんで!」


 『いや、変な縛り設けないで普通に戦いなさいよ』――周囲の気持ちが一つになった瞬間であった。




 キースがギルド員達に説教をしている後ろ姿を少し離れた所からアガサが眺めていると、血で汚れた布を片付けて戻ってきたモーリスが彼女に声をかけた。


「これが、僕の『願い』です」

「え?願い…――あ、応接室で話した『神の祝福』ですね?」


 肯定するように横に立った司祭が頷いた。その桃色の瞳は穏やかな光を取り戻しており、楽しそうにキースとギルド員達を見つめている。モーリスは話を続けた。


「飢えることなく。損ねることなく。健やかな生を全うすること。それが『あの日』、僕が神に捧げた祈りだったのです」


 モーリスは一つ瞬きをしてからアガサへ顔を向けた。一部の者からは『性格悪そう』と陰口を言われる事のあった赤紫色の双眸を見やって、彼はにっこりと笑んだ。清らかで穢れの無い美しい笑みだった。


「僕は昔、神様に会ったんですよ」


 それはずっと昔。自身が持つ一番古い記憶。


あの日の灰色を、きっと忘れることは無い。

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