お忘れでしょうが、俺は領主です
冠位灰といえど、全員が警戒すべき異常者というわけでもない。よく言えば学者気質で、自身の関心のある分野へ注ぐ情熱には舌を巻くものがある。解剖学の権威と呼ばれる魔術師もこの冠位だった。しかしあまり良いイメージが無い色なのは事実で、アガサもずっと顔色を悪くさせている。流石に怖くなっただろうか。彼女がいくら貴族令嬢らしからぬ振る舞いをしようと、所詮は血統のいい箱入り娘だ。身近にそんな存在がいる所で生活など、と怖気づいているに違いない。実家に帰りたいと泣かれるのはご免だが、お帰りいただくのは構わない。
窓からのぞく景色を見やる。木々の間隔が開けてきて、徐々に教会の鐘塔が姿を現す。もうじきルクリア=ネスェノール教会が見えてくるだろう。馬車もゆっくりとスピードを下げ始めたのを感じながら、そっと瞼をおろす。アガサがハミルトン公爵家に戻る。それが本望のはずだ。それなのに何故だかひどく落ち着かない心地になるのが、キースを戸惑わせた。
灰色のオンボロ教会は他の教会と同じように建物外側の眺めはシンプルで、装飾もほとんど無い。正面の入口付近は教会の顔なだけあって、入口両脇に先ほども見えた鐘楼が建てられていたり装飾が彫られていたりとそれなりに拘りがみられる。そんな拘りも、残念な事にそこはかとなく漂う教会の廃墟感をカバーしきれていない。領主としては不甲斐無いことこの上ないのだが、なにせうちは万年金欠なド貧乏領地。いつだって資金が無い。俺の手を借りて馬車から降りたアガサの白い喉が、教会を見上げてごくりと上下した。
「く、崩れちゃわないのかしら…今地震が来たら…うっ考えたくないわ…」
気持ちはわかるぞ、俺もいつも不安になるからな。内心その呟きにおおいに頷くが、勿論顔には出さない。聞こえないふりだ。サイラスが教会の扉を開いて俺達を待っているので、待ちくたびれた奴が失言する前に教会に足を踏み入れた。奥に見える祭壇に続く堂内中央の身廊を進む。アガサは先ほどまでの不安な様子はすっかり鳴りを潜め、アーケードの上部に取りつけられた大きなステンドグラスに夢中になっていた。確かに、そこから堂内に色づいた神秘的な光が降り注ぐ光景は神聖な教会に相応しい光景といえるだろう。不安が紛れた様でなにより。
「ここは信心深かった初代レッドフィールドが資金提供して建てられた教会ですので、うちの館と同じくらい古い歴史のある建造物でもあります。非常時には領民たちの避難所としての役割も持っているので、前回のスタンピードの時もゾサの住人は大半がここに避難していました。…我慢できずに食糧調た…魔物退治に飛び出した住人もいましたけど…」
そんな食いしん坊で短気な奴らは皆、微笑みを浮かべた聖人に首根っこを掴まれて引きずって連れ戻され、体を縄でぐるぐる巻きにされて床に転がされていたらしい。ちなみに縄を用意したのはグレイだ。魔力で編まれた特殊な縄だった為縄抜け出来なかったと、どうでもいい情報を縛られた当人から聞かされた俺の気持ちを想像してほしい。大きな目を瞬かせて、アガサがステンドグラスから俺に顔を向けた。
「え?『避難所』?……へぇ、こっちにもそういうのあるんだ…」
「…『こっち』?」
「えっ!?あっ、いえ、なっなんでもありませんわ!事前に避難できる場所を作っておくなんて、キ、キース様は領民の方をとても大切にされているのですね!ねっ!」
俯いて顎に手を当てて考え込んだアガサに聞き返すも、焦った様子ではぐらかされてしまった。うーん…ハミルトン領に避難所があるなんて聞いたこと無いけどな?まぁ、俺の持つ情報が古いのかもな。後でノエルに確認しよう。
「いや、避難所自体はずっと前から領地の各所にありました。なにかと災害が多いので、自然とできたところもあります。俺はそれらが有事にきちんと機能するよう管理しているだけです」
「管理しているだけとおっしゃいますが、世の中には民の安全よりも自身の命を優先する権力者で溢れている中で、民の命を守る場所を正しく管理できる領主というのはとても貴重ですわ。もっと誇ってくださいな。私は、キース様のもとで暮らすここの領民たちはとても幸せだと思います」
「………。ありがとう、ございます…」
きっと心から出てきた言葉だろうそれに、かろうじて礼を述べる以外に何を返せただろう。
寝食を削って領主として仕事をするのは領民の幸せのためか。私生活の支出を減らしてでも財源を確保しているのは、彼らの生きる場所を守るためなのか。あるいは自身の罪をそそぐための行為なのか。頭の中で自分に似た声が囁く。そんなものは俺が教えてほしいくらいだ。黙りこくって身廊を歩き続ける俺の背中をサイラスがじっと見つめていたことなど、暗い思考の渦に落ちそうになっている俺は知る由もなかった。
そっと視線だけで後ろを振り返るも、視界に入るのは美しいアーケードが続く身廊だけだ。視線を戻して固く目を瞑る。どうか、罪が追い付いてきませんように。民を欺く自身を『良き領主』と称えた少女に、失望を与えることがありませんように。それは、自分の事を知った日から胸の内に抱き続ける恐怖だった。
アガサに何事か話しかけられたが、なんと返したのかも分からないほど、思考が正常に働かないでいた。
(駄目だ。完全にナイーブになっているのが分かる。今はそんな気分になっている場合じゃないぞ、しっかりするんだ俺…!)
ゆるく頭を振って自身を叱咤するも、さして効果はない。
(そりゃそうだ。何故なら、……)
何故なら、この身こそ一番罪深いのだと知っているからだ。




