鷹の目(side サディアス)
従僕によって屋敷の扉が閉まると、ぞろぞろと使用人たちが姿を現した。もっとも、最初から誰一人気配を消していないし柱や階段の陰、窓の外から堂々とのぞき見していたので、バレても構わないと思っていたのだろうが。
「はぁ、見ました?旦那様ったら、せっかく旦那様のためにおしゃれした淑女が目の前にいるっていうのに、あの反応。いやだわ、これだから朴念仁って…」
「うちの人を見ているようでしたわ。あの人、私が髪形を変えても気づかないのよ?何度ぶん殴ったかわからないわ~」
「まぁまぁ、君達。旦那様は圧倒的に経験値が足りないんだ。永遠の思春期なんだ。ここは大目に見てあげてくれよ、ね?」
「マ、マリー?僕は、君が髪形を変えても化粧品を変えても気づく自信があるよ、本当だよ!?」
「……へぇえ~~~?今朝は気づかなかったのにね~~~?」
旦那様は、奥様が、と姦しいメイド達の間を黙ってすり抜けて、サディアスは足早に、しかし傍目には優雅に歩いている様な速度で兄と共同で使用している自室に戻る。きっちり着込んだお仕着せを脱ぎ捨てて、クローゼットから取り出した服を黙々と身につけていく。暗い灰色のズボンの上にゆったりとしたチュニックを着る。簡単なガントレットと左胸だけをガードする胸当てを装備して、モスグリーンのフード付きマントを羽織り、肩の部分に鳥の羽をモチーフにしたブローチをつけて止める。最後にブーツを履いて紐をしっかり結んだ。姿見に映るのは、いつも浮かべている穏やかな笑みを引っ込めた冷たい眼差し。美麗な侍従から慈悲持たぬ狩人へと装いを改めたちょうどその時、狙っていたかのようなタイミングで扉がノックされた。
「開いてますよ。ノエルさん」
扉の方には目もくれず、何処からともなく愛用している弓を召喚して最終メンテナンスを始めた。通常の弓より僅かに大振りなその弓は、鉄のような質感で鈍い光を放っている。上下のリブには鳥が蒼い翼を広げたかの様なデザインが施され、リブから伸びた嘴に似た装飾がグリップを覆っている。弓を見つめたまま平淡な声で応答すれば、やがて静かに扉が開き、燕尾服に身を包んだ執事長のノエルが入ってきた。彼は既に準備を整えたサディアスを見て、形の良い眉を持ち上げて見せる。
「おや、お早いですね。もうネズミ狩りの準備は万端ですか」
「はい。直接的な護衛には兄さんがついているので、お二人に危険はありません。俺は心置きなく害獣駆除ができる、というわけです」
「ふむ、私の記憶が間違っていなければ、君達双子は今回の婚姻と奥様に懐疑的な立ち位置だったと記憶しているがね?心変わりしたのかな?」
「いいえ。全く」
茶化す口調のノエルに対し、狩人の顔になったサディアスの声は徹底的に抑揚のない調子だ。
「疑っていますよ。あのじゃじゃ馬娘が来る前も、来てからも、ずっと…『俺達の主人』のために。ただ、誰かさんが面白がって、俺達に情報提供しないものですから」
一度言葉を切り、閉じた扉の前で後ろ手を組んで佇むノエルの食えない笑みを一瞥する。その笑みが揺らぐことなく自身を見つめている事に一つ舌打ちして、彼は部屋の窓を開け放つ。窓枠に足をかけたところで、『おや珍しい、今日は窓を破らないんですね』とノエル。
「窓、閉めておいてください。――ああ、分かっているでしょうけど、鍵かけたら頭打ち抜きますので」
言い捨てて、彼の返答も聞かずに空中に身を投げた。重力に従って落下するかと思われたサディアスの体はしかし、ふわりと浮いて上空へと浮上し空高く舞い上がった。高等魔術の一種、飛行術だ。窓に近づいてどんどん見えなくなっていく狩人の背中を見送って、ノエルはため息を一つこぼすとそっと窓を閉めた。言われた通り鍵はかけない。
「親の愛情をもっと信じてあげなさい…というのは、君達には理解し難いのでしょうね…」
アガサ・ハミルトンはこのディアス王国の由緒正しきハミルトン公爵家当主オスカー・ハミルトンの血のつながった娘だ。ハミルトン家は代々文官の家系で、オスカーは文官を束ねる立場にあったと記憶している。サディアスは過去に何度かキースに同行して王城に足を運んだことがあり、遠目からかの人を見かけたことがある。泰然な態度と老練そうな顔をした、華々しい繁栄を続けてきた古い血筋の貴族らしい男だと、サディアスは思った。顔つきは…あまりアガサとは似ていない気がする。はるか上空でレッドフィールド領を見下ろしながら、美しいシルバーブロンドを風に遊ばせたままサディアスはそんな事を考えていた。
「裕福な貴族も、子を捨てるんですね」
呟いた声は小さすぎて吹き荒れる風にかき消される。それが対外的なパフォーマンスなのかなど、彼には分らないしどうでも良かった。つ、と視線を動かして森を見やる。途端に彼の青い瞳が魔力を帯びて色を変えた。瞳は青から黄金に、瞳孔は黒く鋭く、虹彩はエメラルドグリーンに輝く。途端に普通の人間であれば目視できない程離れた景色が、サディアスの目にはくっきりと映された。一部からは鷹の目とも呼ばれるこの遠見の魔眼は、彼の場合この王国の端から端までであれば国内の何処にいても見渡せる。この魔眼と卓越した魔力操作で操る弓で、彼は兄とともに子供時代を生き抜いてきた。
その魔眼が、眼下の森を進む五人の不審な黒づくめを睥睨する。不機嫌な心情が、そのまま舌打ちとなって表れた。腹立たしいことに、彼らのような不審者はここ最近では珍しくない。具体的に言うと、キースが結婚した翌日から――頻繁にこの領地に侵入し双子の敬愛する主人の周りを嗅ぎまわろうとしている。否、正確にはキースとアガサを、だ。誰の指示で動いて、どんな目的を持っているのかなど興味はない。彼にとって重要なのは、彼らが招かれざる客人である、ということだけ。
「まぁ、俺としては、ここに足を踏み入れたこと自体が罪、って感じなので」
音もなく弓を構える。矢を用意する必要はない。この弓は魔力で編み上げた矢をつがえて射る事に特化した、弓兵の魔術師の為の特別な弓だ。そのため常人には扱えない。ごうごうと風を纏う矢をつがえて弦を引く。一連の動作に一切の迷いは無い。自分たちがはるか上から補足されているとも知らずにいる侵入者達は、暗殺者らしい素早い身のこなしで、森を突き進んでいく。目を眇めて冷たく囁く。
「ご愁傷さまでした。――死んでもらえます?」
一本、二本、面倒になったので最後にまとめて三本。恐ろしいほどの速さで矢を放ち、的確に急所を射抜く。訳が分からずに混乱の中息絶えた彼らを、サディアスは一瞥もくれることなく放置して身を翻した。死体を処理する必要はない。スタンピードの影響で、森には餌をとれずにいる獣が沢山跋扈しているのだから。背後にいる者がどの様な権力者であれ、ドケチなノエルが情報操作すればいい。そういうのは彼の十八番だ。
「さて、今日もキース様の平穏を少しは守れましたかね?」
なお、自身が主人の頭痛を増やしていることには知らないふりを貫いた。その方が楽しいからだ。




