22話
「執務室にまで届くような大声を上げおって…なんだその振る舞いは」
陛下の一喝に場の空気は一気に重く凍り付いた。咄嗟にその場にいる全員が膝まづく。
…どこかで勘違いしていたかもしれない。ひと月前に会った際の和やかな雰囲気だったり、リアが待たせていたりと、どこか目上の人っぽくない感じから、そんなものだと思っていた。
違う。相手は国を統べる国王陛下。現れただけでこの存在感。一声発しただけで場を支配する。シュバルツ王子のような感情を乗せたプレッシャーとは質が違う。感情が乗っていないのに…いや、乗らないからこそのプレッシャー。
「申し訳ありません、父上。ですが…」
「誰が喋ってよいと言った?シュバルツ」
「っ」
重い…重すぎる。重力3倍増しな感じ。
えっ、これからこの人に結婚の報告をするの?やだ、帰りたい。
「ジュリアン、貴様、余をいつまで待たせるつもりだ?いつからそんな国王を軽んじるようになった」
「申し訳ありません……」
ひいいぃぃ!やっぱり怒ってるぅぅ!もう無理!絶対無理!こんな状態で『結婚します』なんて言えるわけない!こちとらメンタル弱々なんですから!もう早く帰りたいぃ……
「………」
沈黙が生まれる。でも分かる。陛下、今私を見てますよね?頭下げたままだから直接見たわけじゃないけど、すごい視線を感じてます。視線の意味まではわからないけど、絶対見てます、私を。でも何も言わない。それがどうしてなのか分からないから余計怖い。
「ジュリアン、アリス嬢を連れて執務室に行け。報告はそこで聞く」
「はい」
隣でリアが立ち上がった気配がする。同時に、下げた視界にリアの手のひらが映った。その手に自分の手を乗せて顔を上げる。引っ張り上げられた手に沿うように身体を持ち上げた。そこでようやく陛下の顔を見ることができた。先ほどの声同様、感情を感じさせない表情がそこにあった。リアにエスコートされるまま、会釈をして陛下の脇を通り過ぎる。
……すると今度は背中に刺す視線。陛下じゃないですね。見覚え…いや刺され覚えがあるこの視線。多分…シュバルツ王子。ほんと勘弁してほしいんですけど… ここまで執着されると、婚約解消してはい終わり!…って気がしないから怖い。
その視線から逃れたくて、私は足早になってしまい、エスコートしてくれるリアを追い越してしまった。すると、リアも私のペースに合わせてくれた。
曲がり角を曲がり、ようやく視線を遮ることができて一安心。
「大丈夫かい?」
大丈夫?と聞かれてどう答えよう?というかそれはどれに対しての大丈夫?
陛下?それともシュバルツ王子?どっちも?…どっちでもいいや。今の私の心境は…
「帰りたい」
「もうちょっと待って、ね?」
待ちますけどね。気分は帰りたいんですよ。
階段と廊下を進み、陛下の執務室に入る。伝令が来ていたらしく、陛下不在の執務室にあっさり入れた。一月ぶりの執務室は、主不在ということもあって別の意味での緊張感があった。というか、さっきの雰囲気の陛下が来るかと思うと緊張感マシマシです。私、口動かないかも。
出された紅茶にも手が伸びず固まっていると、リアは平然とカップを手に取って飲んでいた。まぁリアからすれば父親だし?今更変に緊張するわけでもないんだろうけど、だからってなんか許せない!その平然とした態度にぐぬぬと睨みつけていると、リアがこっちに気付いた。と思ったらいきなり何かを口に放り込まれた!
「むぐっ!?」
「それでも食べて落ち着きなよ」
放り込まれた何かは固く、それでいて甘いバターの香りがした。お茶うけに出されていたクッキーを放り込まれたらしい。いきなり人の口に何を突っ込むのよ!と憤りかけたが、甘く美味しいクッキーを一口噛んだところでまぁいいやと思うことにした。美味しいお菓子に罪は無いしね!
さすがは王宮で出されるお菓子。その味・食感はすごいの一言に尽きた。もう1枚、また1枚、ついでに1枚と手を伸ばし続けたところでギィという音がした。
音のした方向に顔を向けると、そこには国王陛下。かたや私、口いっぱいにクッキーを詰め込んだリス状態。
「…………」
「…………」
「…………」
すっごい気まずいんですけどー!?いや確かに私が悪いんだけど!気まずい原因私なんだけど!陛下の執務室でクッキー一杯頬張ってる私が悪いんだけど!いやもうそんなこと考えてないで早く口の中呑み込まないと!いやさっき入れたばっかりだから噛まないと、ってこんな状況でクッキーサクサク音立てたら間違いなく終わる!色んな意味で!
「……ゆっくり食したまえ」
かなり呆れ気味の陛下にそう言われ、私はコクコク頷いた。返事しようものなら口の中のものが噴き出すからね!そんなことして執務室の床を汚そうものならもう私終わる。終わっちゃう。
陛下は一旦執務用の椅子に座った。その後しばらく、静かな執務室にサクサクとクッキーをかみ砕く音が響く。その私の隣で、笑いをこらえて顔を俯かせたリアがとても憎らしかった。もとはと言えばリアのせいだー!
紅茶をごくごくと飲み干し、口の中のものをきれいさっぱり流し込んだ。それを確認した陛下が椅子から立ち上がると、私たちの対面のソファーに座った。
「…さてジュリアン、散々待たされたわけだがどんな報告を聞かせてくれるのだ?」
単刀直入。陛下は真っ先にその件について聞いてきた。まぁそれはそうよね。それを聞かされるためだけに待たされてたわけだし。
「アリス嬢に結婚の許可を頂きました」
「……アリス嬢、本当か?」
リアの言葉を聞いた陛下は、顔を私に向けて確認してくる。その顔をちゃんと見据えて私は言葉を紡いだ。
「はい、本当でございます」
「……この者は王位を継がないと言っている。それでもいいのか?」
「はい」
むしろ今の私には王妃なんて地位は荷が重すぎてお断りするくらい、とはさすがに言えないけどね。前世の記憶から一庶民として生きてきた価値観が根付いてる以上、王妃として人の上に立ってあれやこれやだの全く出来そうもない。…そんなことも考えず、ただ王妃の地位に固執していた記憶を思い出す前の私は、果たしてバカなのか大物なのか……考えるまでもなく前者だけどね。
「…そうか。わかった」
そう言った陛下は、再びリアの方を向く。そして厳かに告げた。
「ジュリアン、ただいまをもってそなたの王位継承権を剥奪する。同時に、ハゲスト家への入婿を命ずる」
「はっ」
その告げられた内容に、私は目を見開いた。王位継承権剥奪は分かる。元々リアは継ぐ気が無いのだから何も問題はない。ただ、その後のハゲスト家を継ぐという話には驚き。
確かにハゲスト家には子供は私しかいない。そう言えばそのことについてお父様に聞いた覚えが無い。……つくづく私、自分の事しか考えてなかったのね…。どちらにせよ私が王妃になることは無かったのだから、いずれ婿養子を取る考えではあったかもしれない。ただその相手がまさか王族…いや、元王族になるとは思わなかったと思うけど。
終わりよければすべて良し!厳かな雰囲気のままで終えた面会。余っていたお菓子を包んでもらい、お土産にまで貰いながら執務室を後にした。
さて、じゃあ後は帰るだけ。諸々な手続きはあれど、そう急ぐものでもないはず。現実私がやるべきことはそうない…と思う。そう思って帰る一歩を踏み出したところでつんのめってしまった。
「何っ!?」
「どこに行くつもりだい?」
つんのめってしまったのはリアに手首を掴まれていたからだった。いつの間に…と思う間も無く、眼前にリアの顔が迫る。
「近い」
「そうだね。で、どこに行くつもりだい?」
あれ、おかしい。ブラックリアのご登場です。いやおかしいでしょ?どこに不機嫌になる要素が?わざわざ結婚の報告に足を運んだのに不機嫌になるとかおかしくない?しかもどこに行くつもりって、用は終わったんだから帰るに決まってるでしょうに。
「帰ります」
「…せっかく父上が認めてくれたのに、もう伴侶を放っておいて帰るのはひどくないかい?」
「まだ、でしょう」
そう、まだ。今現在はまだ私はシュバルツ王子の婚約者。準備整い次第、シュバルツ王子との婚約の解消とリアとの婚約が発表される。それまでは、いくら決定事項と言えどまだ伴侶じゃない。だから、あまり人前で堂々と二人っきり…というのは外聞が悪い。ええ、そのくらいは私にだって分かるわ。なのだけれど……どうやら目の前の男はそれを理解してくれないらしい。
「父上の下では緊張して安らげなかっただろう?私の部屋で休んでいこう」
「いや私は帰…ちょっ!」
陛下の前で安らげる人がいるはずないでしょうに…いや、リアは安らいでたわね。とそんなことを思っていると、またしてもいつの間にか腰に回された手に引っ張られ、強引にどこかへと連れていかれた。
迷路のような王宮の中をずんずん進むリア。腰を抱かれ、時々足が絡まり、その度にリアに抱き上げられ、姿勢を正される。そんなことするなら無理やり引っ張るようにあるくんじゃないわよ!と苦情を言いたかったけれど、ここは王宮。あちこちに侍女や侍従、文官の目がある。さきほどのシュバルツ王子のように王宮中に響き渡るような声を上げるわけにもいかない。
結局、恨みがましく睨みつけるしかできないのだけれど、それが通用するような男でもなく。
そうしてとある部屋に連れていかれた。部屋は驚くほど広く、高価な調度品があちらこちらに見える。重厚感のある机、フカフカそうなソファー。豪華なテーブル。たくさんの本が詰め込まれた本棚。つい何の部屋なのかと見渡していると、ある箇所で私の目が留まった。
そこには厨房があった。それも、ちょっとした飲み物を入れるための簡易的なものじゃない。我が家の厨房には劣るけれど、あの別荘にあったものよりは広い。いや、ただの一室にある厨房が侯爵家の厨房よりも大きかったらとんでもないけどね!そもそも広い部屋だと思ってたけど、半分のスペースはその厨房とそこで作った料理をいただくためのテーブルに椅子。それも10人は座れそうなサイズと数。厨房の反対側の壁にはこれまた本棚と大量の本が埋まってる。
どう考えても部屋の内装がおかしい。ただの客室とは思えない。となると、こんな奇特な部屋の主は一人しか思いつかない。
「ようこそ、私の部屋へ」
ですよねー……予想はしてたけど、まさかこんな部屋とは思わないでしょう…。私室に厨房完備だなんてどんな王子様ですか。水場はもちろん、壁にずらりと並んだ調理器具の数々。包丁だけで何本あるのよ。コンロは当然として、立派な石窯まである。ここで作れない料理は無いと言わんばかりの充実っぷり。
ただただ驚く私をよそに、さらっと私をソファーに座らせたリアは、そのまま厨房へと向かう。湯を沸かして紅茶を淹れ、茶菓子まで用意する様は慣れたものの動きそのもの。
「どうぞ」
「…いただきます」
一口紅茶を口に含めば、芳醇な香りが鼻を抜けていく。さすがは王宮、使ってる茶葉も段違いだわ。
リアもソファーに座る。当然のように隣に。
「二人っきりだね」
この部屋、侍女も侍従もいない。まさにその通りなんだけど……
私はそっとリアとの距離を取った。




