21話
「返事は?」
「……返事したくない」
「じゃあ離さないよ?」
「脅迫!?」
「君が答えてくれるだけでいいよ。『私も愛してたの』とか、『あなたのことが大好き』とか」
「………」
「あ、イラっとした?」
ええその通り。なんだろう、ものすごくイラっときた。っていうかウザいの方が正解かも。
「…顔とお腹、どっちがいい?」
「どっちもやだへぐっ!」
素直に選択しなかった罰として、両方にしました。
顔には頭突き、お腹には肘鉄。うん、綺麗にはいったわ。
鼻とお腹を押さえるリアを尻目に、私はサッとリアの膝の上から脱出した。
「はぁ……」
未だ痛みにこらえるリアを見下ろす。
……別に、イヤというわけじゃない。嫌いなわけじゃない。むしろ……好き。1年も一緒にいた。身分は隠されていたけど、そのせいか見せたくないところなんてないくらいに見せてきた。見せてしまった。だからこそか、リアも私に遠慮のない姿を見せてくれる。
未婚男女の距離感なんて言ったけど、それで言えば私とリアの距離感なんて無いに等しい。触れるのが嫌なんじゃない。むしろ触れていたいくらい。ただ、それを放置すると調子に乗るから面倒なだけ。あと……恥ずかしいし。まだ。
「…前から思ってたけど、意外にアリスってすぐ手が出るよね」
「手を出さないと退かないケダモノがいるせいかしら?」
「今ならそのケダモノに首輪を着けるチャンスだよ?」
「…………」
「…………」
「……………………」
「うんごめん、さっきの無し」
「ついでにその前の話も無しにしてほしいわね」
「それは無理だね」
「即答ね」
「そりゃあね」
…さて、どうしたものかしら。
もう今の状況は、ゲームも前世も関係ない。オリジナル?いいや、そんなものですらない。オリジナルもパクリも存在しない、ただの人間として送る一生の一幕。その先のストーリーなんて微塵も見えない。これから紡ぐことしかできないのだから。
庶民になるはずだった。貴族をやめるはずだった。それなのに、今の状況は何なの?どうしてリアに結婚を申し込まれているの?どうしてリアに愛されているの?いつから?どこから?これは間違い?それとも正解?
「…断ったら……どうなる?」
陛下は私が受け入れればと言った。つまり、受け入れなかったなら許可しないということ。無理強いをリアが行うことはできない。…今のところは。だから、もし断られたらリアはどうするつもりなのか、知りたかった。
「頷くまで幽閉かな」
「じゃあ一生ね」
「頷くだけでいいのに?」
「幽閉して私に『はい』って言わせて嬉しい?」
「………」
私の問いにリアは黙り込んだ。
きっと想像しているでしょう。私が牢屋越しに『はい』と頷く場面を。それをリアは喜ぶか?喜ぶわけがない。嬉しいわけがない。リアのような人間が、そんな従順な人を愛するわけがない。その程度、私にだって分かるのに、あの腹黒のリアが分からないの?
それすら見えずに求婚してくるなんて、『恋は盲目』とはいったものね。その眼が、今は少し晴れているかしら?
「…出直してくるよ」
そう言ってリアは立ち上がり、こちらを見ずにドアへと向かった。その背中には迷いが見えた。堂々と、飄々としていた雰囲気は今はすっかり鳴りを潜め、自分の選択を迷っている。
……だからなのか。
私は、ドアノブに手を掛けたリアの手を自分の手で覆う。さっきとは真逆。自分の手を掴まれたリアが驚きで振り返った。その顔に向けて、私は言い放った。
「結婚しましょ」
「………えっ?」
「結婚しましょって言ったのよ」
「………」
リアの顔は変わらない。驚きのままでぴくりともしない。私の言った意味を理解できてないわけではないと思う。ただ、直前で断る可能性もあると匂わせていた相手が、突然翻して結婚を申し込んでくるのだから、そりゃあ驚くでしょう。
……私自身、少し驚いている。でも、結婚を決めたのはリアが迷ったからだと思う。
リアは迷った。自分の感情の赴くままに行動していたところから『下りてきた』。下りれたからこそ、何が何でも私に言わせようとして、それで喜べる……訳が無いことに気付いた。気付かせたかもしれないけれど、でもリアは気付いたから。だから、私は大丈夫って確信した。
「…いい……の?」
リアの言葉はひどく怯えていた。その怯えはどこから?私がまた一転して意見を変えてしまうかもしれないという恐れ?……それだけじゃない気がする。一度『下りた』リアは、私を愛し続けることにも疑問をもったかもしれない。自分の感情を信じていないかもしれない。
「いいのよ」
「…でも、私は…」
自分で仕掛けてなんだけど、思った以上にリアの心を動揺させてしまったっぽい。まぁここで派手に喜ばれてもちょっと信用ならないと思ってしまっただろうけど。
でも、私は『決めた』。今決めた。リアとこれからを添い遂げると。なし崩しに、ただ自分の感情の流れのままにじゃない。自分の意思で決めたの。だから、もう覚悟もある。その覚悟を、見せる。
「じゃあ行きましょう」
「えっ、どこへ?」
戸惑うリアを尻目に私は勝手にドアを開け、そして一旦リアを蹴りだした。
「あいたっ!」
「着替えるから待ってて」
「着替え…いや、行くって……どこへ?」
疑問符を浮かべるリアの顔をドアで遮る。閉じられたドアの先にいるリアに声を掛けた。
「あなたのお家よ」
「…ほんと君って、時々思いもよらない行動力あるよね」
「それはどうも」
現在の場所は馬車。馬車の行き先はリアのお家。……つまり王宮である。
そう、覚悟を決めた私はその証として自ら結婚を承諾したことを報告するつもりだ。
「でも、正直抜けてるのは相変わらずだよね」
「…………」
何が抜けてるって?それは、『誰』に報告するのかってところよ。
もちろんそれは分かってる。リアは王子、その父なんだから陛下に決まってる。問題は……報告したいからってそうすぐに会えるわけじゃないということ。
ついでに言えば、私はまだシュバルツ王子の婚約者という立場。まだフリーじゃない。いやきっとそれは、リアの結婚要求でもう自分がフリーだと思い込んでしまったからだからであって、私のせいじゃない。きっと。
それはともかく。着替えを終えて玄関でリアと合流。王宮に行きましょうと言ったところでリアに盛大に呆れられた。そんな簡単に会えるものじゃない、と。
…うん、それもきっとリアのせい。王子のくせにひょいひょい来るから王族ってわりと自由なんじゃないの?って思い始めてたからきっとそのせいよ。私が抜けてるからじゃない。
で、そう言いながらリアはさらっと「まぁ今日すぐに報告するからって待たせてるからいいけどね」と爆弾発言。曰く、すぐにでも結婚を決めたかったリアは、陛下に私の承諾をすぐにもらって報告に来るから待っているように、と。結構リアも大概かもしれない。幸い今日は来訪の予定も無い陛下は執務室で執務をこなしつつ待っているとか。なので、気持ち急いでもらいながら王宮に向かっている。…馭者が。
「それで?私はそっちに座っちゃダメ?」
「ダメ」
そっち、とは私の隣の事。今私とリアは馬車の中で向かい合わせに座っている。最初に馬車に乗り込んだ際、当然とばかりに隣に乗ろうとしたリアを容赦なく反対側に蹴り飛ばした。私が着替えている間に動揺から復活したリアは、結婚を承諾したことで大分頭のねじが緩んでいるようでなにかにつけべたべた触ってくる。エスコートも手だけでいいのにすぐさま腰まで手を回そうとしてくるし、気付けば吐息が掛かりそうな距離まで顔を近づけてくるし。……いや、頭のねじはもとから緩んでたのかもしれない。変わってない気もするわ…
とにかく、そんな状態なのにただでさえ逃げ場も無い狭い馬車の中。それで隣に座らせたら何をしでかすかわかったもんじゃないからね。そういうわけで、私は頑としてリアが隣に座ろうとするのを拒み続けている。
「…………」
「そんな潤んだ目をしてもキモイから無駄よ」
「…ほんと君ってバッサリだよね」
いや、いい歳してそんな子犬が縋るような目をする方が気持ち悪いんだけど。
なんというか、ほんとリアって残念な美形な気がする。いや、多分普通の女性相手ならモテモテでしょうね?でも、中身を知ってるせいでそのイケメン具合に少しもときめきを覚えないのよ。いきなり女装するような変態でもあるし。……今思い出しても似合ってたのが腹立つわ。まぁ……でも、時々見せる真面目な眼差しで見られるとそうでもないけど。
そうしてお互いの適切な距離を維持したまま、馬車は王宮に着いた。
さすがに王宮で他の人の目もあるからか、リアのエスコートは適切なものだった。まぁまだ婚約者でも何でもないし、私はまだシュバルツ王子の婚約者という立場だし。この光景も周囲からは兄の婚約者をエスコートしているだけ、と見られているんでしょう。
「じゃあこれから父上の執務室…」
不自然にリアの言葉が途切れた。そして、優雅な微笑みにわずかに険しさが走る。一体どうしたのかしら?そう思い、リアの視線の先を辿ると…
「アリス!」
そこにはリア以上の険しさ…いや、鬼の形相を浮かべたシュバルツ王子が大股で、しかも早歩きでこちらへと迫っていた。こちらっていうか私?まだ結構距離があるはずなのに、その形相と王宮中に響きそうなほどの大声で名前を呼ばれたせいで私はすっかりすくみ上ってしまった。
「大丈夫」
そう言ってリアが自らの身体をシュバルツ王子と私との間の壁になるように立ち塞がってくれた。私の視界をリアの背中が塞いでくれたことにほっとした。
「どけ、ジュリアン!」
「どきません。彼女はこれから父上の下へ案内しなくてはなりません。兄さまに構っている時間は無いんです」
「……なら、父上の後で私の下へ寄越せ」
「ダメですね」
「貴様には聞いていない!」
リアが壁になってくれたおかげで少し落ち着けた。けど、その向こうで私が原因で言い争いになっているかと思うとなんとも心が痛い。
なんというか、あれね。取り合いされてる女性の気持ち。あれが少しわかっ……てはいないわ。たまに取り合いされたいという女性がいるけど、こんなやりとり目の前でされて取り合いされたいとか無理。ああ、早く陛下の執務室に行きたい…
「父上を待たせているんです。ではこれで」
「待て!貴様なんぞに…!」
リアはくるりとシュバルツ王子に背を向け私へと向き直ると、私の肩に手を乗せ、このまま進み始めた。
えっ、このまま行っちゃっていいの?放置して大丈夫?そんな不安からリアの方を見上げるけど、リアはにっこり笑って何ともないという風。
が、すぐさま石畳を強く叩くような音が迫り、音の持ち主が私たちの前に立ちはだかった。
「アリス!」
ですよねー。大丈夫なわけないですよねーあっさり諦めませんよねー。というか、この距離まずい。近すぎ。シュバルツ王子が手を伸ばせば届いてしまう距離にいる。伸ばさないけど。
「来い!」
強引な手段に出たシュバルツ王子が、私へと手を伸ばす。その手が私の腕を掴もうと……して、逆にリアがその手を掴んだ。
「離せジュリアン!」
「…もう、兄さまはアリス嬢に気安く触れてはいけないんですよ?」
「…どういうことだ?」
リアが告げた言葉にシュバルツ王子は訝し気な視線を向けた。あれ、これってまだシュバルツ王子は私との婚約解消について知らされてないっぽい?…まぁこの様子じゃ言ったところで素直に承諾するとも思えないし、知らせておくよりは決定事項として通告するみたいな形にしたほうがいいのかもしれないけど。
ただ、周囲には人がいる。まだ婚約解消の件は公表されている話じゃない。だから、リアもそれ以上は口にできないはず。
…というか、早く陛下のところに行きたいのよね。シュバルツ王子から早く離れたいのもあるし、待たせてる陛下をいつまでも待たせたままにしておくのも怖いし。
と、そこで天からの声が。
「何をやっておる、シュバルツ、ジュリアン」
はい、陛下のご登場です。




