19話
私とシュバルツ王子との婚約をまだ解消はできないことの説明会の場は一先ず閉じられ、私は屋敷に帰ることになった。
(…なーんか、私の考えてた方向は全然違う方向に向かっちゃったわね。これからどうなるのかしら…)
屋敷へと帰る馬車の中、私は考えていた。
少なくとも、王妃になることはない。だけど、今この状態で私が断罪されるという状況でもなくなった。断罪イベントどこ行った!?むしろあっちの方が色々やらかしすぎてくれたおかげで、断罪するのこっちになったんじゃね?と思うくらい。
もはや私が彼女らにしていた嫌がらせなんてのは本当にかわいいものになってしまい、彼女らの方が王子と体の関係を作ってしまい、謝罪を要求してもいいくらい。いや、謝罪はいいからむしろシュバルツ王子をそのまま引き取ってもらいたい。切実に。
婚約は解消できないけど、結婚させるつもりもない。建前であっても婚約者がいるシュバルツ王子には、その存在が殻として手を出すのをやめさせる。まぁ殻はほとんどその役目が果たせてなかったけど。…でも今はその殻にも手を出しそうで怖い。
今日断罪されるつもりだった。今までの嫌がらせの罪を糾弾されて、婚約は破棄、家からも追い出されてただの庶民になる…はずだったのになぁ。
なにもかも予定が狂い、明日が見えない。そのせいで一気に不安が押し寄せてきた。これならまだ庶民になるという未来が見えていた方が不安が無かったかもしれない。
(ま、仕方ないわね)
考えてもしょうがない。もう事態は私がどうこうできるものじゃない。じゃあどうするのか?
「…本当によろしいのですか?」
そう恐る恐る尋ねてくるのは侯爵家本邸の侍女長。
「ええ、もちろんよ」
そう言い放った私は、ばっちり侍女服を着ていた。何故侍女服を着ているのか?それはもちろん、侍女になるため!…ではなく、いつか庶民になったときに身の回りのことは自分でこなせるようになるため。
結局、断罪も貴族追放の危機も無くなったけれど、じゃあそれで済むのか?といえば疑問が残る。確かに事態は既にゲームの通りとはいかなくなっている。とはいえ、それに安心しきったところで一気に突き落とされる可能性が無いともいえない。なら、どうせ時間が余っているんだし、ここは当初の予定通り、庶民落ちしたことを想定して動くべきだ、と判断したわけであります。
とはいえ、ここは本邸の屋敷。その主人の娘に真似事とはいえ侍女の仕事をさせていいのか、そんな戸惑いが見て取れる。別荘ではみな年老いていて私を孫娘のように接してくれたし、病気のために身体を動かすという口実があった。しかしここではそれが無い。それに別荘と違い、ここにはちゃんと両親もいる。なので、その両親を事前に説き伏せる必要があった。そこで私は、病気は完治したけれど、以前と同じような生活をしていては別の病気に罹るかもしれない。なので、適度に身体を動かし、なおかつそこそこ負荷もある侍女仕事がぴったりだと説き伏せた。なお、この時こっそりリアの名を使ったのも効果てきめんだった。あとで口裏合わせておかないと。
そうして午前は侍女の仕事の手伝い。午後からは家庭教師を呼んでの令嬢教育だ。ここでももちろん、家庭教師になるということも忘れていない。これもすべて庶民落ちしたときのため。これまで私があらゆる教育を嫌がって一切の教育を受けてこなかったから、家庭教師を私自ら願い出たことに両親は卒倒しそうなほど驚いていたけれど、快く手配してくれた。やっぱり、いくら愛する娘といえど、全く教育を受けてくれないことには頭を悩ませていたみたい。ごめんなさい。
…というわけで、午前が侍女、午後は令嬢教育ということでせわしなく過ごしていた日々。あの夜会からひと月が経とうとしていたころ、突然リアが来訪してきた。
要件は私ということで、急遽侍女服を着替えて応対に…出ようと思っていたら、リアがそのまま私の部屋に入ってきた。…あと一歩遅かったら私侍女服脱ごうとしてたんだけど。
「久しぶりだね、アリス嬢」
「お久しぶりです、リ…ジュリアン様。着替えますのでさっさと出ていってください」
つい別荘のときのような対応になってしまいそうなのを辛うじて堪えたけど、やっぱり淑女の部屋に主の許可なく堂々と入ってきたことを思いだしてやっぱり無しにした。
「いや、侍女服の君も新鮮だしその姿を眺めていたいからそのままでいいよ」
「……着替えますので出ていって下さい」
いえ、私がそのままじゃ嫌なんです。淑女たるもの異性の前ではきちんとした姿でいないと……異性?誰が?…リアが。
(いえ、そうよ、相手はリア。別荘で散々アレな姿も見られてるし今更…いやでも)
ちらりとリアを見る。当然彼の今の服は別荘のときのような使用人の服装じゃない。第二王子として恥ずかしくない恰好をしている。なのに振る舞いは別荘のときのよう。そのちぐはぐさに、なんだか自分がどう対応をしていいのかわからなくなってきた。
そうこうしているうちに、リアは出ていくことなくそのままソファーに座りこんでしまった。もうこうなってからわざわざ立たせるのも面倒だと、私は侍女服のまま応対することにした。
「うんうん、侍女服の君はとても新鮮だし、綺麗だ。このまま城で私仕えの侍女として働かない?」
「……どういったご用件でしょうか?」
言ってる内容が非常にアレなのでスルーした。だってどう答えたらいいか分からないし。…侍女服でもリアに綺麗だなんて言われて落ち着かない、なんてことはない。決して。
「私と結婚しよう」
「……………はぁ?」
言ってる意味が分からなくて本気で間抜けな声が出た。結婚?誰と?リアが?
「了承してくれるんだね、良かった。じゃあ早速城に行って婚約式を」
「してない!いやもういきなりすぎてわけわかんないから状況説明!」
しかも勝手に話を進めようとするものだから、強引に話を断ち切った。前々からいきなり変なことを言い出す人とは思っていたけれど、今回は明らかに群を抜いている。
「そもそも私、シュバルツ王子の婚約者!」
「ああうん、それもうすぐ解消されるから大丈夫。そうしたら君、フリーでしょ?じゃあ私と結婚しよう」
「あ、そうなの。うん、じゃあってなるわけないでしょ!」
だからわけわかんないわよ!きっちり状況説明させないと!
「えっ、まさか君に想い人が?」
「そんな人いな…………」
これまたリアのとんでも勘違いに咄嗟に否定しそうになり……目の前の人物が頭をよぎって言葉に詰まってしまった。
しかし、リアのほうは私が言葉を詰まらせたことを別の意味ととってしまったようで。
「……へぇ、君の周りにはこれといった男はいないと思ってたけど、実はいたんだ…。ねぇ、そいつはどんな男?私よりいい男なんだよね?」
…はい、真っ黒リア降臨です。いつもよりも黒さ10割増しの気がします。これだけ黒い雰囲気漂わせながら、当人は煌めいたままってどんな芸当?
「と、とにかくまず婚約を解消されるってどういう」
「ねぇ、どこの男?」
説明を求めようとする私の言葉を一切聞かず、詰めよってくるリア。あれ、対面に座ってたはずなのにいつの間に隣に?というか肩に手を回されてるんだけど?完全に逃亡不可なんですけど?
「ねぇ、アリス?誰?」
隣に座ったことで、より近くになったリアは私の耳に吐息を掛けるように尋ねてくる。声の振動が、吐く息が、耳を、脳を揺さぶる。いやだからダメだってこれ!色んな意味でやばいのよこれ!ねぇ誰か助けて!おいそこの侍女、目を逸らすな!こっち見なさい!
「ねぇ?…ちゅっ」
おいこら耳に口づけするなぁ!?やばいやばいやばい、今の本当やばいって!なんか今のちゅって音がいろんなものを崩壊させそうで怖い!いや崩壊寸前なんです!これ以上は本当にまずいってば!
咄嗟に私はこれ以上耳元…というか耳に何かされないよう手で覆い隠した。よし、これでなんとか防げる…
「やっぱり、アリスは耳が弱点だよね」
あ、これ墓穴掘った。アウト?アウトだね?
「はぁ……ダメだよ、アリスが可愛すぎる」
何がダメなんですかね?いやダメなのはあなたでしょ。やってることがもう婚約者…を通り越してますよね?っていうかべたべた触れすぎぃ!
「せいっ!」
「おぐっ!」
起死回生の一撃!
私の右ストレートがリアのボディに入った!
リアは蹲った!
ウィナー!私!
…ウィナーとかはともかく、なんとかリアを撃退した私はそそくさと対面のソファーに退避した。その私をリアが恨めしそうに見上げてくる。
「い、いい…パンチだった…よ…」
うん、我ながら綺麗に入ったと思う。なんかすごい脱力してる感じだったのか全然腹筋の手ごたえが無かったもん。腹筋越えて内臓まで到達した感あったもの。めり込んだといっていいわね。
「…で、婚約を解消ってどういうことなの?」
これ以上リアのペースに乗せられないためにも、なんとか話題を戻す。戻さないと危ない。主に私の貞操が。……リアが関わると助かるのか危険なのか最近よくわからなくなってきております。護衛とか必要かしら?
「ぐっ……そ、それはだね……」
ダメージから回復したのか、蹲った状態からなんとかソファーに座り直したリア。さらっと私の隣に座ろうとしたのでさらっと反対のソファーに避難しました。その避難する様を恨めしそうに見ていたけれど無視。
「兄さまに新たな婚約者が決まった」
「っ!」
シュバルツ王子に婚約者が決まった。それなら繋ぎの婚約者でしかなかった私との婚約が解消されるのは分かる。ただ問題は、それが誰なのか。まさかあの5人の中の誰かなのか。
「相手は近いうちに発表される。ただ先に言っておくと、あの5人じゃないことは確かだよ」
「そう…なの?」
「うん。あの5人の中から選べば、誰を選んでも血なまぐさいことにしかならないからね。それはもちろん避けるよ」
じゃあ誰なんだろうか?私には皆目見当もつきそうにない。なにせご令嬢の方々なんて全員王子の恋敵とひとまとめにしか覚えていないのだから当然である。
「まぁそれは後のお楽しみってことで」
ニコニコ顔のリアが憎たらしい。おのれ、一人だけ舞台裏を知ってるからって余裕そうな顔してからに。
「…ま、いいわ。これでようやく婚約解消ってことだけわかれば」
「うん、そして私と結婚しよう」
…ああ、そんなこと言ってたわね、この人。