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11話

 眠れぬ一夜を過ごした…なんて繊細な精神を持ち合わせておらず、しっかり熟睡した翌朝。

 いつものように朝食を終えた私は、自室に戻っていた。しかし問題はここから。いつもならここでリアが部屋に来るはずだ。そのリアが、まだ来ない。今日は来ないのか?いやそんなはずはない。昨日去り際の不穏な一言。『準備してくるから』。一体何を準備したというの?というか何を準備する必要があるの?昨日の会話の流れを思い返しても、準備するものが出てきた気がしない。

……一つだけあったわ。


『アリスは私に女装しろということだね』


 いやいやいや、そんなのありえない。あのリアが女装する?何のために?もしかして私が言ったことを真に受けて?そこまでバカだったかしら?そんなことはない…と思いたいんだけど、一度頭に浮かんだ悪い予感は消えそうにない。

 そうこうしてるうちに、ついに部屋の扉がノックされた。


「はい」

「私だよ。入っていいかな?」

「…どうぞ」


 徐々に開かれていく扉。その扉の先にいるであろうリアの姿がどうなっているのか、怖い。そして私の悪い予感を裏付けるように、まず目に入ったのは…スカートだった。続いてそのスカートを縁取るレース。そして、一歩二歩と進んだリアの全景が目に飛び込んだ瞬間、私は目を瞠った。淡い緑色のドレスに身を包んだ…一瞬淑女と見間違えたと錯覚しても何もおかしくない…リアがそこにいた。

 元々細身だったこともあって、全体で見れば男らしさを見つけるほうが難しい。胸には何か詰め物をしているらしく、ずいぶんと豊満。…リアの好みはそのサイズですかそうですか。姿勢一つとっても腕、脚、身体の角度のあらゆるところが計算されつくされ、淑女のそれにしか見えない。一番驚いたのは…その顔。普段と違い、ほんのわずかに紅が施され、男装の麗人と言えば誤魔化せそうなリアの美貌が別のベクトルで際立ってる。首にはレース付きのチョーカーが巻かれ、喉のそれが隠されていた。これなら、正体不明の婦人として舞踏会に紛れ込ませても誰も気づかないんじゃないかしら?

 完璧なまでの女性。それを男の身で体現したリア。しかも超絶美貌。……私、完全敗北。

絶望に打ちひしがれる私に、コツコツと歩み寄る音が聞こえる。ヒールまで履いてるとかどんな徹底ぶりよ…


「どうしたんだいアリス?そんな新人騎士との試合に負けた熟練騎士のように項垂れて」


 頭の上から振ってくる声が、唯一男であることを教えてくれる。


「負けた……」

「そんな風に見えるけど、違う?」


 いいえその通りでございますよコンチクショー!なんなのこれ?嫌がらせ?嫌がらせよね?デブで醜い私と違って、男なのにドレス着ただけで絶世の美女になれるという自慢?自慢よね?自慢じゃなかったら何?嫌味?嫌味なのね、そうなのね。嫌味で女装してきたのね?なんてひどい男なのかしら!ああもう!

 私は顔を上げ、普段より二割増しで綺麗なリアの顔を睨みつけた。


「ええ違わないわよ!負けたわよ!男のあなたに負けたのよ私は!ええそうね、二人並んで舞踏会に出ればあなたは声掛けられ放題!私は壁の華確定!良かったわねおめでとう!」

「……ああうん、また君が盛大に勘違いしていることだけはよくわかったよ。あと声掛けられても私は全然嬉しくないからね?男に声を掛けられて喜ぶ性癖は持ってないから」


 ああそうですか!何を勘違いしているっていうのか知らないけど、男に声を掛けられても喜ばないならどうぞ行って声掛けられてきなさいよ!それで嫌そうな顔を浮かべて断ってきなさい!それでもしつこく声を掛けてくる男に辟易して途中でドレスを脱いでネタ晴らしするのよ。それで男が逆切れしてくるところまでがテンプレ!もう何を言っているのか自分でもわかんない!


「…やっぱり、君に涙は似合わないな」


 そう言ってリアはハンカチ(女物)を取り出し、私の目元を拭った。いつの間にか涙が滲んでいたらしい。そのハンカチからはふわりと花の香りが漂った。…そんな小物一つに至るまでの気の配りよう……もう完全敗北だわ。


 女として敗北に打ちひしがれる私にリアは遠慮が無かった。「あまり時間が無いだろう?」と言われればその通り。療養予定の1年という期限まであと4か月。その4か月で家庭教師もできるようになるくらいマナーに精通しなければいけないのだから。

 

 やる気を取り戻した私に、リアは早速とばかりに本を2冊手に取った。


「じゃあはいこれ。頭に載せて」

「はい?」


 本を?頭に?載せる?何をあほなことを…と思っていたら、リアは何のためらいもなく頭に本を載せた。

 女装して、頭に本を載せてしかもすっごい真面目な顔で……なにその姿シュールすぎなんですけど!ああだめ、思いっきり笑いたい!でも笑ったら怒られそう!でも笑いたい!なにこれ拷問なの!?

 せめて笑い顔だけでも見せないように顔を両手で覆うけれど、こらえきれない笑いが全身を振るわせてしまう。

 そんな私に真面目な顔をしたリアが一言。


「これできなかったら今日のご飯無しだからね」


 ビシリ。空気が…というか私が固まった。えっ、ご飯無し?本気?本気で言ってるの?両手を外し、そっとリアの顔を見やれば真面目な顔は変わらず。冗談を言っているような雰囲気は微塵も感じさせないとても真剣なお顔。その眼からは一切の冗談を感じません。本気です。本気でやる気してます。できなかったら本当にテーブルに何も並びません。空の皿だけ置かれたシュールな風景が予想できます。しかも『今日の』と言いました。まだ朝食しか食べてないのに、このままでは昼食も夕食も抜きです。


「や、やるわよ!これでいい……あら?」


 ドスンと重い本が床に落ちる音が響く。すぐさま本を拾い上げ、頭に載せてもすぐに滑り落ちてしまう。ちらりとリアを見上げれば、彼の頭の上にある本は滑り落ちる予兆すらない。まるで接着剤で固定してあるように見える。……いや実は本当は固定してるんじゃないの?


「えいっ!」


 私は伸び突いてリアの頭に載っている本に手を伸ばした。きっとリアが載せている本には、動かないように何か細工が仕掛けられているに違いないわ!これで暴いて見せる!

 けれど、あっさりと本は動いたどころか、思ったよりもはるかに重いせいで全く支えきれず、その本も床に落とすこととなってしまった。


「う、うそ……固定してあったんじゃ…」


 床に落ちた本はどこから見ても普通の本だった。何か細工が仕掛けられているようには見えない。手に取ってみても、ページを開いても、全くもって普通の本だ。何一つ細工は無い。


「残念だけど、それは普通の本だよ。載せられないのは、アリスの姿勢が良くないからだよ」


 そう言ってリアは、アリスの持つ本をさらっと奪い取るとまたもや自分の頭に載せた。まるで磁石でくっつけているかのようにピタッと止まったそれを、呆然と見るしかなかった。


「さぁ、アリスの番だよ」


 そうだ、見ていたってしょうがない。これを載せられないと今日のご飯が危機なんだから!…年頃の娘がご飯を餌に釣られるのはいかがかと思ったけど、こんな僻地でロクな娯楽も無い、唯一の楽しみがリアの作る料理しかないのだから結構な死活問題なのだ。

 本を手に取り、リアのようにサッと載せてみた。…あっさり落ちた。


「な、なんで……」

「そりゃあただ載るものじゃないよ。頭は丸いんだからね。うまくバランスをとらないと」

「そ、それくらい知ってるわよ!」


 そう、頭は丸いんだから普通は本なんて載らないのよ!載せてるリアのほうがおかしい。いやまて。もしかしたら、あんなにあっさり本が載るリアの頭の形はもしかして…

 まさか…という気持ちでリアの頭を見る。微動だにしない本がそこにある。その本の下は…


「…君は今度は何を考えてるのかな?」

「普通は丸い。普通は乗らない。でもあなたは載せてる。つまり…」

「待った、その論法はおかしい」

「あなたの頭の形は普通じゃない!」


 背後に雷が落ちた気がする。なんか今ものすごい天啓を感じた気がするわ。そうだわ!あんなにあっさり載るからおかしいと思ったのよ。つまりはそういうこと。リアの頭の形が普通じゃない。だから載るんだわ!

 これぞ真実!とドヤ顔でリアを見やれば、本気で呆れた顔をされました。何故に?


「私の頭の形は普通だよ」

「そんなはずはないわ。だったら確かめさせなさい!」

「はぁ……いいよ」


 そう言ってリアは頭に載った本を下した。ならばと私はリアに歩み寄り、その頭へと手を伸ばし……


「屈みなさい!」

「はいはい」


 リアが屈んだことでやっとリアの頭に手が届いた。屈んだというかしゃがんだ。手を伸ばすどころか、リアの頭頂部を見下ろせるくらいになっていた。


「つむじ」

「やめて」


 ウリウリしてやろうと思ったのに残念。とはいえ、普段は見下ろしてばかり来るリアの頭を見れる機会はそうそうない。この際じっくり観察してやるわ!

 そう思い、早速とばかりリアの頭に手を伸ばす。わしっとつかめば、触れただけでわかる髪のサラサラ感。えっ、これ同じ人間の髪?そう思ってしまうくらいにきめ細やかな髪は、指通りに一切の抵抗が無い。髪の一本一本とっても痛んでる髪などどこにもなく、こんな髪を男がしているなんて卑怯じゃないかしら?どんなにわしゃわしゃしても、ちょっと手櫛で整えるだけですぐに戻る。なにこれずるい。


「ちょっと。あまり乱さないでほしいんだけど」

「乱してない。確認してるだけよ」


 はぁ、とリアの呆れたようなため息が聞こえたけど無視。髪は堪能…じゃない、確認し終えたから今度はいよいよ頭の形である。

 手を広げ、五指でリアの頭を包み込むように触れる。…なにこれ、頭の形がすごく綺麗。一切のゆがみが無い曲面。まるで熟練の彫刻家が手掛けたかのような、自然の産物とは思えないほどの滑らかさ。なんなの、髪が綺麗なら頭も綺麗だってこと?ずるい。ほんとずるい。大事なことなので何度でも言います。ずるい。


「そろそろ分かった?頭の形は普通でしょ?」

「全然普通じゃない。なんなのよ綺麗すぎでしょ頭の形が。おかしいわ。なんかおかしい!」

「いや問題はそこじゃないよね?」

「十分問題よ!」


 もうずるいとしか言いようがない髪と頭を、思いっきり撫でまわす。あ、なんか気持ちいい。髪は滑らかだし、頭も綺麗な曲面だからすごく触り心地いい。いつまでも撫でていたい気分。


「ああもう…いい加減…!」


 すると、手を振り払うように頭を振り回したリアは、こちらを見上げ抗議の目を送ってくる。と思ったら、すぐさま顔を横に向けてしまった。ついでに言えばわずかに見える耳が赤い。何故に?


「リア?」

「この位置は……ああもうなんだってアリスはこんな無防備な…目の前に…」


 なにやらぶつぶつぼやいていて、その内容はよく聞き取れない。顔の向きは変われど、頭の位置は変わらない。なので、私は再度撫でまわすことにした。


「…もう、好きにしてくれ」


 はい、好きにしますよー。




 思う存分リアの髪と頭を堪能いたしました。私、満足。


「さて…じゃあ再開と行こうか?」


 乱れた髪を手櫛で直しつつ立ち上がったリアは、本を片手に言い放つ。そうだ……あまりに夢中になり過ぎて本来の目的を忘れてた。

 なんだろう、リアの背後に黒いオーラが見える。髪と頭を弄り過ぎて怒ってる?いやあれは、触り心地が良すぎる髪と頭をしているリアが悪い!私は悪くない!…そんなことを言ったら火に油注ぎそうなので言わないけど。


「はいじゃあ載せてね」


 そう言ってリアはさっきまで自分が載せていた本を差し出した。うっ、重い…っていやいや待て待て。


「わ、私そっちじゃ…」


 床に落ちたままの本に視線を向ける。リアが載せていた本は、私が載せようとした本と比べて厚さは2倍、サイズは1.5倍くらい。つまり倍以上重いのだ。大きい分安定性はあるかもしれないけど、そもそも重くて頭で支え切れるかどうかわからないのに。


「だめ、こっち」


 無慈悲なリアの審判。怒らせた代償は、とても、とても大きかった…




「背筋は伸ばして。顎は引いて。目線は前。はいこれを維持する。じゃあ載せて」


 …それから10分。一向に頭に載せられない私に業を煮やしたリアが、私を着せ替え人形のごとく関節をあちこち弄り始めた。リア曰く、背筋は曲がって首も曲がり、到底本を載せられるような姿勢じゃないと。


「はいそこ!本を持とうとして姿勢を崩さない!ここをまっすぐ!」


 本を持ち上げようとして腰を屈めた私にリアの遠慮のない叱責が飛ぶ。いや無理でしょ!?屈まないで本を持てってどんな姿勢よ!?姿勢を崩した私にリアが手を伸ばし、遠慮なくあちこちぐいぐい触って姿勢を正してくる。あの、結構際どいところ触れてきてるんですけどそう言うのは気にしてくれないんですか?私人形じゃないんですけど?しかしリアの表情は真剣そのもので、そういうことを考えている私の方がおかしいんじゃないかという気もしてくるから不思議。あの、だから平然とお腹触らないでいただけません?




「……よし、じゃあそのままこっちまで歩いて」


 なんだかもう人形扱いされてるだけな気がしてきながらもなんとか頭に本が載った私。その私に、リアはすぐさま次の指示を出してきた。


「…言ってる意味がわからないんだけど。ア・ル・ク?」

「そう、歩く。もちろん本を落とさないようにね」


 そう言ってリアはサッと自分の頭に本を載せると、そのまま部屋を一周して見せた。もちろん本が落ちる様子は微塵もない。だから絶対固定してるでしょ?


「さっ、アリスも」

「動けるわけないでしょ」


 歩くどころか、首はおろか目線すら動かせないのに。どこか動かした瞬間、本が落ちる未来しか見えない。


「こっち見て、アリス」

「見ない。あなたが私の視界に来なさい」


 呼吸で胸が上下して、その動きだけで落ちるかもしれないのに。こっちを向けですって?あなたがこっちに来るのが筋ってものでしょう?


「それじゃ意味ないでしょ。その姿勢を歩きながら保てるようにならなくちゃいけないんだから、こっちを向くくらいは軽くやってもらわないと」

「無茶言う…あ!」


 リアの無茶な要求に抗議の声を上げようとしたら頭の上の本が傾くのが分かった。支えようとしてももう遅い。頭からずれ落ちた本はなすすべなくそのまま床に落ちてしまった。


「はい、もう一回」

「ふっ…ざけんじゃないわよ!」


 いい加減ブチ切れた。なんでこんなことやらなくちゃいけないの!?キッとリアを睨みつけたら、リアはやれやれといった風に肩をすくめた。その仕草がまた腹立つわ!


「確かに頭に本を載せて歩く。これは簡単なことじゃないよ」

「だったら…!」

「誰もが簡単にできないからこそ、教える人が必要なんじゃないかな?」

「えっ?」

「なんで家庭教師が必要だと思う?誰も最初からできるわけじゃない。できないからこそ、家庭教師に教えてもらいたくてどの家も雇うんだ。誰でもできることなら、わざわざお金を払って家庭教師を雇うことはしないでしょ?」

「…………」


(その通り……なんだけど……)


 そうだ。必要が無いなら、稼ぐことはできない。リアの言うことは当たり前の正論で、私の溢れる感情は急激にしぼんでいった。それはわかってる。だけど、その…


「…わかった。ちょっと私も急いてるところはあったかもしれない。もっとゆっくりやろうか」

「…うん」


 …最低だ、私。せっかくリアが協力してくれて、教えてくれているのに簡単に怒り出して。それなのにリアは付き合ってくれる。その上、私に合わせてくれている。


「…リア」

「うん?」

「ごめんなさい……」


 私、情けない。情けなさ過ぎて、顔を上げていられない。視界が涙で滲む。そんな私の額に、手が添えられる。


「…大丈夫?熱でもある?」

「素直に謝ってるのにあんたはぁ!」


 素直に謝罪を受け入れなさいよ!この節操なし!大体さっきから平然と淑女の身体に触り過ぎなのよ!

 瞬時に沸騰した私に苦笑したリアは、額に添えた手を引っ込めると今度はハンカチを握っていた。


「うんうんその調子。君に涙は似合わないよ」


 ハンカチが私の目元に充てられ、涙がしみ込んでいく。なんだかリアの手のひらの上で転がされている気がしてすごく納得いかないんだけど。


「そんなに睨みつけてこなくても」

「睨みつけられることくらい甘んじて受けなさい」

「ほんと可愛いなぁ」

「はぁ!?」


 いきなり何言いだすのよこの男は!最大限の苛立ちを込めて睨みつけてるっていうのに出てくる言葉がか、か、……!ああもう自分で言えるわけないじゃない!ついでに何か顔熱いし!


「あ、つい本音が」

「つい本音が!じゃないわよ!何なのよもう!」

「嬉しかった?」

「嬉しくない!」

「じゃ、続きやろうか」

「マイペースすぎるわぁ!」


 ……もう疲れた、無理。眠りたい……

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