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クソガキからの挑戦状  作者: 今居 里美
1/3

里美、クソガキへと覚醒ー小学生

皆さんが人生で充実していたときって言ったらいつになるだろう。

私は断然小学校の頃。何もかもを全部一生懸命になれてたのがあの頃だったなって思う。

高校のときの部活の仲間は今でも大好きだし、部活自体もすごく楽しかったから、それもすごくいい想い出なんだけどね。


そんな私の昔話にちょっとお付き合いいただきたいなって思う。


私は昔から目立ちたがり屋で、学芸会とかで主役をやりたいタイプだったんだ。授業中でも率先して手を挙げて答えてたりして。リーダーシップのとれる明るい子だったんだ。

小4の秋からお母さんに勧められて中学受験のために塾に通い始めて、勉強も嫌いじゃなかったから苦じゃなかったしね。

それまでは素直な明るい、うるさいだけのガキだったんだけどさ。


小4のある日、友達と校庭で遊んでたわけ。なんとタカオニで遊んでたんだけど。当時も子どもっぽすぎる遊びだと思ってたんだけど、自分ルールをいっぱい作って、それはそれは楽しかったの。そのときにね、友達が高めの段から飛び降りようとして、生徒と鬼ごっこをして遊んでた30代の教師にぶつかりそうになったわけ。そしたらその教師がその子に向かってすごく嫌味を言ってきたんだ。

『あー、びっくりした。またぶつかって肋骨折れるかと思った。まさかこんな狭い所でジャンプするとは思わなくて。あー、びっくりした。先生ケガするところだった』

その子本当にいい子でさ。私は今でも大好きなんだ。気も強い子なんだけど、そんなことを一方的に言われちゃって、泣きそうになっちゃってさ。私はその子の前に立って、でも何も言い返せなかったんだよね。その教師は散々嫌味言った後鬼ごっこを続けてたんだけど、私たちは遊ぶ気無くしちゃって教室に入っちゃった。


ばかだなあ、って今なら思う。大人と子供がぶつかって大人がケガするならまだいいじゃん。ぶつかって大けがする可能性が高いのは絶対に子どもだよね。謝られこそすれ、なぜ責められなきゃいけない。なぜ嫌味を言われなくてはいけない。しかも一回他の生徒とぶつかって肋骨折れてんのかい。骨密度どうなってんのか。全力で走ってきたのはそっちだろう。あと1年遅かったら言い返せてたかな。


そのときから、あれ?大人も間違えることがあるぞ?大人も理不尽に言うことがあるぞ?って思い始めたんだよね。

今でもそのときの光景は憶えてる。向こうは覚えてないだろうけどね。

私はその教師が大嫌いになったから口も利かなかったけどね。


それから半年後かな。その教師と廊下ですれ違ったの。向こうも私が嫌ってるのを知ってたんだよね。そのときに嫌味で私に向かって

『おはようございます』

私は顔を背けて無視。

私のところまで回り込んで

『お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す』

<・・・おはようございます>

超小さい声で返したの。

そしたらさ、その教師私が合唱団入ってたの知ってたんだろうね、音楽の先生にチクってさ。私は先生に怒られた。だったら小声で挨拶なんかしないで無視したままでよかったわ。

器ちっせー!!!!


無視したの咎める前になぜ無視されたのかを考えてほしいよね。ほんとクソだったわー。その音楽の先生もちょっと考えればわかったことをなぜ私を責めたんだろうか、残念。だいたいそのときに先生に訳を言えばよかったのにな。ただの嫌な奴じゃん、私。

これも今だったら

<わたくしは危うく生徒をケガさせるところだったときに嫌味を言い放つような教師の存在は感じたくありませんので挨拶は控えさせていただきます>

とか?言うかな。それだって小さいことにこだわり過ぎだとは思うんだけどね。

それでも、親友が一方的にやられるっていう光景は私の心の中に刺さったんだよ。今でも後悔してるくらい。意外と覚えてるんだぞ、このやろー。


その教師が異動するとき私は大きくガッツポーズしたよね。そしてそのときの担任に怒られた(笑)


それから少しずつひねくれたクソガキになっていったんだよね。

大人が間違ったことを言うのであれば、自分が理不尽だと思ったときは言い返してやれ、と。


あのね、お母さんが悪いんだよ!お母さんが散々学生のときに教師に反抗してたっていうから!!

音楽の授業は生徒の2/3連れてボイコット。

算数の授業ではコンパスがないと二等辺三角形を書けない、と言い張る教師に黒板で定規だけで書いてみせて。

三者面談では担任に向かって‘あなたのことを信用していますが、尊敬はしません’って言ったって教えてくれたから!!

そういうの聞いちゃうと、あー、そういう手もあるのかって思っちゃうじゃん!!

それからは、教師=敵みたいな構図が私の中でできあがっちゃったんだよね。


小4から算数の授業だけ習熟度別になったんだけど、そのときの席ってどこでもよかったのね。だから、私は仲良しの子と隣になって授業受けてたんだ。そのときの教師がおばさんだったんだけど、すごく嫌な感じだったんだよね。あんまり関わりなかったのにさ。で、なんで嫌だったのかなって思い返してみると、思い当たることがあって。


あるときの放課後、下校チャイムが鳴った後も残ってたんだ。バスケしてて、あと5分だったから続けてたの。そしたらその教師が入ってきて、無理やりゲームをとめたんだ。そんで審判してた私の腕を結構強めに引っ張ったんだよ。子どもの力なんて大人には勝てなくて。そんなに抵抗する気も無かったんだけど、その力加減が子どもながらに嫌だったんだよね。ただでさえあと5分でやめられるとこを邪魔されてイラついてたのもあるんだけど。抵抗できない力で子どもを言いなりにさせる感じがにじみ出てるように感じたんだ。そんなことないって今は思うんだけどさ。でも、力で従わせられる気持ちが0だったとは思わないんだよね。このことを経験して、私は子どもに対して絶対力をこめないようにしようと思った。


それで、その算数のときに何があったかっていうとさ。私がもともと態度悪かったんだろうね、その教師に目を付けられちゃって。何してたんだろう、教師の話聞かずに先の問題解いとくとか、他の授業の宿題をやるとか、そんなんだったと思うんだけど。

隣にいた子とノートに落書きしながら笑ってたのよ。しかも一番前の席で。それが見えたんだろうね。

『今居さん、この問題は解けた?』

<解けましたが>

『近藤さんは?』

<今教えてるんで邪魔しないでもらえます?>

もちろん問題は解いてなかったんだけど、なまじ塾なんか通ってたから先取りしてたから、小学校の問題なんてその場で解けたんだよね。そういうとこも気に障る点だったんだろうな。

これが面と向かって教師に歯向かった最初のことかな。


なんで目の敵にされなきゃいけないんだろう。なんで教師はマウントをとりたがるんだろう。すごく嫌だったな。

言っとくけど、私から嫌いになることはなかなかないんだからね。その前に行動、言動、態度で喧嘩売ってきてるのは教師なんだからね。

私だけじゃない。子どもは本当にそういうのに敏感なんだよ。なんでかっていうと、それだけ嫌な思いをしてるから。嫌な思いをして、それでも反撃できることが少ないから、いつもやられっぱなしになっちゃうことが多いんだよね。当時はそれが本当に嫌だった。


でも、そんな教師だけじゃなくてね。すごい先生もいっぱいいたんだよ。

私の尊敬してる先生は4人いて、その中の1人が音楽の先生。

私は小3から学校の合唱団に入ってたんだ。私の学校は音楽にすごく力を入れている学校で、集めたベルマーク全部楽器を買うのに使うような学校だったんだ。合唱団の練習は朝練7:20から8:30、放課後は無しなんだけど発表前は土日で練習してたな。先生の方針でNコンは出なかったんだけどね。音楽の先生は本当に頑張り屋で、息子さんのお弁当を作らなきゃだったから毎朝5:00起きだったって言ってた。

ソロパートを決めるときは先生がオーディションをやってた。小学校でオーディションなんて普通ならモンペが出てきてもおかしくないんだろうと思うんだけど、みんな納得してオーディション受けてた。学年で歌ったスキンブルシャンクスと、合唱団で歌ったoh,happy,day、across the roadは今でも忘れられない。


スキンブルシャンクスで思い出すことがあって。小5のある昼休み、放送で音楽の先生から呼び出しがあったんだ。‘スキンブルシャンクスでソロの人と今居さん、音楽室に集合‘って言われて。

私もソロだったからあれ、なんでだろう、って思いながら音楽室に向かったの。そしたらみんなの前で先生が話し始めたのね。

<私はソロにふさわしいと思った人しかソロにしません。今居さんは川島さんと太田さんが楽器を運ぼうとしたときに、うっせーなと言ったそうです。だから私は今居さんをソロから外しました>

すごいことをする先生だよね。こういうことをみんなの前で言う先生だったの。

確かに私はその子たちにそういう風に言ったんだ。そのころいつも何となくイライラしてて、今思うと勉強が嫌になっててストレスが溜まってたんだと思うんだけど、周りに当たり散らしてたんだ。最悪でしょ。それでその2人が音楽の先生に言いつけたんだ。そのときは言いつけるような嫌な奴らって思ってたんだけど、今思うと言ってくれてよかった。結局その2人に謝ってソロに戻してもらったんだ。それからは今まで以上に一生懸命やりましたよ。品行方正、とまではいかなくても他の子に優しくしました。


小5からは学年で楽器演奏をした。私は金管楽器をやりたくて金管クラブにも入ったの。学年のほとんどの子はピアニカとリコーダーで、一部の子が金管・木管・打楽器に分かれて運動会とか、市のお祭りでマーチングバンドやってた。

放課後も朝練もみんなで自主的に合奏してたな。毎日音楽漬け。今考えると、本当にどこにこんな体力あったんだろうって感じなんだけど。8曲くらいを順番に演奏しながら1時間以上歩きながら演奏してたんだ。子どもの力なめんなよって感じだよね。


音楽の先生は本当に厳しかったんだけど、言葉に裏表がなかったから、どんなにむかつくことでも素直に受け取れたんだよね。助けられた。


2人目の尊敬する先生は、小4のときの担任の先生。小3のときに新任の女の先生が私たちのクラスになって学級崩壊したから、次の年は親たち総出で担任変更の嘆願を出してた。当時はそんなこと気にしてなかったんだけど、結構大変なことになってたんだよね。新任で問題児ばかりのクラスはそりゃなめられるよ。


みんな嫌な奴じゃなかったんだけどね。私はみんな好きだった。家庭環境があんまり良くなくて、大人に構って欲しかったんだと思う。あと反抗心かな。鬱憤が溜まってたんだと思う。やってたことといえば授業中教室の外出たり、ちょっとしたことで取っ組み合いのケンカしたくらいなんだよ。教室出ても学校内にはいたから理性はあったんだよ。でも新任だからね、何もおさめられなくて、その子の話聞くこともしなかったんだよね。そして何人かの女子が隣の教師に助けを求めに行くっていう。

その先生も好きだったんだけどな。3年で移動しちゃった。きっとトラウマだよね、元気にしてるのかな。先生続けてくれてるといいんだけど。


だからこそ、小4のときの担任の先生はすごく厳しい先生だった。

男の先生だったんだけど、もうね、空気がすごくピリピリしてるの。ため口でなんか話せないし、授業中も寝れなかった。冗談なんかほとんど言わないし、どんなことも真面目に取り組んでた。

ただ、すごく面白い先生だったの。車酔いがひどいから遠足は自分だけバイクだったり、対面で保護者面談できないから机を斜めにして面談したり、百人一首が大好きで、自分の声を録音してくれて(10パターンくらいあったと思う)、そのテープでみんな取り合ってた。授業で空いた時間は百人一首覚える時間だった。

冗談言わなくても、もう存在が冗談みたいだよね。


先生が真面目だから生徒もついていくんだよ。あと、態度はすごく硬かったんだけど、子どもが好きだったんだろうね。それまで授業なんか成り立たなかったのに、悪ガキども(私含め)がみんなおとなしくなって真面目に小学生やってた。掃除とかも先生が率先してきちんとやるから私たちが金魚のフンで先生の後ろで掃除してみたり。何が楽しかったのか、毎日くだらない事ばかりだったんだけどね。いつも笑顔でいたな。本当に楽しかった。


3人目は小5からの担任の先生。本当に感謝しかない。今でも連絡とってる大好きな恩師。私がグレなかったのはこの3人の先生がいたからだな。ちなみに4人目は高校まで進まないと出ないから少々お待ちください。

小5・6は担任変わらなかった。顔は知ってたんだけど、どんな先生かよくわからなかったんだ。出会いからもう衝撃的。

<えー、俺は水田典彦って言います。俺は自分のことを俺って言います。みんなのことは下の名前で呼ぶので、1週間くらい待ってください。上の名前はもうみんな言えるんだけど、まだ下の名前は覚えてえてなくて>

真面目な声で何言ってるんだろうな、っておかしくなったのを覚えてる。そう話しながら先生は黒板に自分の名前を書いたんだけど、とめはねがしっかりしててとても読みやすい字だった。先生は本当に1週間で私たちの名前を覚えてくれたんだ。

4年生のときは真面目でピリピリしてて、敬語を完璧に使ってたのに元通りよ。タメ口だし、先生に文句も言う。


でも、先生がみんなを下の名前で呼ぶから、生徒も自然と男女関係なく名前で呼び合って結束力は高かったと思う。休み時間はクラスほとんどの生徒と屋上でドッジボールやったりしたよ。ボール遊びしたことなかったような子も一緒になって遊んでた。放課後は何人かで残って先生と話しながら仕事の手伝いをして過ごしてた。


涙もろい先生でもあってさ。学芸会が終わったとき、運動会で組体操が決まったとき、卒業式はこっそり泣いてたからみんなでからかってた。今なら気持ちわかるんだけど。子どもが一生懸命頑張ってる姿って泣けるよね。

卒業式にみんなで先生にメッセージを送ったんだけど、それの中身のほとんどが‘先生、辞めないでね’なんだよ。このメッセージを見るだけで先生のすごさが分かった気がした。それを読んで涙ぐむ先生(笑)


私が本当に荒れてた小学校高学年のときに付き合ってくれたのは本当に感謝。

小学生ながら忙しすぎたんだよ、私。朝は6:30起きで、夕方からは塾に行って勉強、宿題終わって寝るのは24:00すぎだったんだよね。別にすごく受験受験、って頑張ってたわけじゃないんだよ。

私が公立の中学行かないって話したら周りに驚かれたほど、小学校生活満喫してた。アニメも見たし、漫画も小説も読みまくったし、児童館でドッチボールもしてた。

ただ、気付かないうちにストレスが溜まってたんだと思うんだ。それが音楽のソロを外されたことに繋がったし、教師への反抗に繋がったんだと思う。もうね、迷惑な話なんだけどさ。


次に教師に歯向かったのは家庭科の授業だな。

私が家庭科の授業に入ったのが5年生のときだったんだけど、そのときに新しい教師が担当になったんだよね。

なんでそいつを嫌いだったかいまだにわからないんだけど。


他の人に言ったらお前何様、って言われちゃうかもしれないんだけど。私は、というか子どもは、大人の性格を敏感に察知してると思うんだよ。だから会って数分で、あ、こいつ嫌いだって思ったんだよね。

ロクでもない教師がいることを知った私は不信感の塊だったんだ。いい先生がいることを知ったから、なおさらそれ以外は存在を認めたくなかったんだと思う。


家庭科室の掃除は教室までは行くけど全く掃除しなかったし、調理実習で三角巾を忘れちゃって、それでもそのまま料理してた。

<今居さん三角巾は?>

『すみませぇん、忘れました』

<三角巾がなかったら調理実習できないわよ>

『頭きれいなんで大丈夫です。センセイはご自宅でお料理されるときも三角巾がなかったらお料理できないんですね。ここの包丁も切れないですもんね、包丁研ぐのも三角巾がなかったからできなかったんですかぁ?』

<今居さんはプールに入るとき帽子をかぶらずに入るのね?>

『それいま関係ありますぅ?しかも質問に答えていただいてないですし。普通に入りますけど』

<じゃあ担任の先生に聞いてみましょ>

『いいですよ、市民プールの話しなんで実態は分からないと思いますけど。で、センセイ、砥石はありますかぁ?』

<と、とにかく、三角巾ないなら給食着の帽子被って!!今日はその包丁でやって!!>

『最初からそう言ってくれなきゃわからないじゃないですか、意地悪だなぁ。今のやり取りで時間押しちゃいましたけれど、頑張りますね!』

もうね、本当にガキすぎて穴に入りたい気持ちで顔真っ赤にしながら書いてるんだけど、こういうことをやっていたのよ。いや、忘れ物した私はまず悪いだろって。しかもこういうときの敬語は完璧っていう。


それだけじゃなくて。

家庭科の教科書で栄養素を3種類に分けることをやってたの。糖質・脂質、タンパク質、無機質・ビタミンで分けて、赤・黄・緑に分けるんだ。

覚えるのに30分くらい時間があったんだけど、私は他の子とおしゃべりしてたの。そしたらその教師が話しかけてきた。

<今居さん、全部栄養素覚えたの?>

『もちろん覚えましたけど』

<じゃあ豚肉は?>

『赤』

<納豆は?>

『赤』

<昆布は?>

『赤』

<、、、赤ばっかりじゃできるわよね>

って周りの子を巻き込んで話してるの。区別付きにくいやつばかり問題出してこの言い訳だよ。ガキはどっちだって話だよね。


あのさあ、教師と喧嘩するのにその分野を完璧にしないでいるなんてへマしないんだけど。子どもの吸収力なめんなって。そういう風に自分の非を認められないところも癇に障るところなんだよ。ごめんなさいとありがとうはコミュニケーションの基本だろうに。


いつもそんな態度だったからさ、あるとき授業中、放送室に連れて行かれたわけ。

そのときも私は周りに

『呼び出されたから行ってきまーす』

とかって宣言しながら行ってたんだ。

せっかく1対1で話してたのに、すごく一方的でもったいなかった。

<なんでそんな反抗的なの?>

『はあ、そうですか。ご自分の態度を振り返ってはいかがでしょうか』

<私のこと嫌いでしょ>

『どっちでも』

<私のことバカにしてるでしょ>

『別に』

<いつもこんな感じなの?>

『具体的にどんな感じでしょう?』

<なんか喧嘩腰だし>

『そうですか』


なんと20分。不毛な話し合いでした。

そのときに私も改善してほしい所と、こんなに態度が悪いのは大人への不信感と第一印象が最悪だったことを伝えればまだ良かったんだよね。もしかしたら、億に一つの可能性で仲良くなれたかもしれないのに。

学年に3人くらいいるガキ大将だったんだよね。あーはずかし。

でもさ、私の小学校のときの成績で家庭科だけ成績が“もう少し”だったのは明らかなパワハラだったよね。成績は全く気にしない性格だったけど、成績表見たとき笑っちゃった。こんない分かりやすいことあるか!!


ある夜、お母さんと父親が話してて、今でも私が根に持ってる言葉があってさ。

何となく目が覚めちゃって、二人の話を聞いちゃったんだ。あまりにも教師に反抗してたからさ、父親が私のことを

<あいつ、頭おかしいんじゃない>

って話してたんだよ。私が聞いてないと思ってるから余計に本音だったんじゃないかと思う。口が滑ったにしては言い過ぎだよね。本人は覚えてないらしいけど。そういうことを言えちゃう父親は根本のとこで私と合わないんだろうね。もう6年以上まともに口きいてない。

意外と覚えてるもんなんだぞ、ってお話。


あとは、やっぱり小6のプール事件はかなり根に持ってる。私の性格変えた事件かも。

変えたっていうよりも今まで以上に私の性格を尖らせたっていうか、、、

ただでさえクソガキだった私がさらに輪をかけてクソな性格になった事件(笑)


小6の夏、水泳大会があったんだ。学年でリレーをしたの。私はスイミングスクール通ってて結構水には慣れてて、何とか補欠の選手になれたんだ。水泳大会の当日、リレー選手の子が休んじゃって、私が代わりに出ることになったの。選手の子は緊張で休んじゃったのかもしれない。


小5・6年で合同の授業だったから、まあまとまりがなくてね。まず準備体操の段階でバラバラ。まあ小学生なんてそんなもんだよね。体操が終わったあとはプールに入る順番でまたグダグダになった。中には自分のクラスが遅いから【せんせー、ひーきじゃん】ってずっと言ってる子もいたんだ。

私も真っ先にそういうこと言うタイプだったんだけど、そのときはおとなしく待ってたんだ。まあ、どうせ一斉に入ったって入り口で混雑するしね。別に何も考えず‘まだかなぁ‘って待ってたんだ。

結局私たちのクラスは一番最後になっちゃって、‘ひーきじゃん’って言ってる子は最後まで大声でわめいてた。私はそれを聞きながら‘うっせーな’くらいにしか思ってなかったの。


そのあとシャワーが終わってプールサイドで先生から大会の説明を受けてたとき、向こう側からすごい勢いで女の教師がずんずん歩いてくるの。小5担当だったから私は全く接点がなかったんだ。

<今居さんって誰!?どこにいるの!?>

もう、まさに鬼の形相だった。戸惑いながら手を挙げると、私のほうを向いてこっち来て思いっきり私の腕をつかんで

<あんた、私のことひーきって言ったでしょ!!>

『言ってません』

<嘘つかないでくれる!私聞いたんだから!!>

『言ってません』

この押し問答。次第に勢いに押されて私泣いちゃって。

私なかなか泣かない子だったんだよ。悔しくて泣くことはあったけど、こういう風に怒鳴られて泣くことはなかったんだ。それでもこのときの教師の勢いはすごかった。

極めつけが

<嘘つかないで!!柴田さんに聞いたんだから!!>

この言葉は響いた。言ってないって話したのに信じてもらえなかったっていうのもあるんだけど、この柴田って私と結構仲良かった子なのよ。この子がそんなくだらないことでわめいてたのも呆れたんだけど、そこで私の名前を出したのがものすごくショックだった。

その教師は私の泣きながらの抗議には耳を傾けず、柴田の言葉は聞くんだ。柴田は私と仲良かったのに、怒られるのわかってて全く関係のない私の名前を出したんだ、って思って。まあ、さらに泣くよね。


順番になって、泣きながらコースのところまで行ったらさ、小3のときの先生が、

<その悔しさをプールにぶつけて頑張って!>

って言うの。もう心の中じゃ、‘そうじゃねー!!’って突っ込んだよね。新喜劇ならみんなしてコケてるとこ。なんにも事情を知らないけど励ましたいっていう気持ちはとても伝わって、嬉しかった。教師に信じてもらえなかったから余計にね。そういうすっとぼけたところが好きだったんだよな。


当然リレーはボロボロ。ただでさえ補欠のタイムなのに、泣きながらだったし、プールの波もあって全然思うように泳げなかった。

水泳大会が終わったときにそっと柴田がこっちに来て、

<ごめん、村多を守りたかったの>

って言ってきた。かろうじて返事はしたけど、心の中は動揺しまくりよ。

確かに村多とも仲良かったさ。3人で遊んだりもしたよ。でも、村多と一緒になってくっだらないことわめいた挙句、怒られるのが嫌で私の名前をだしたのか。村多は怒られるのは嫌だけど私なら怒られるのはいいのか。全く関係ないのに。


その日から柴田、村多とは口をきけなくなっちゃった。友達2人をなくしたことになる。まあ遅かれ早かれって感じではあったんだろうね。

数日後、他の子からメールでまだ怒ってるか、って聞かれたとき、私は怒ってないけどもう関わりたくないって返した。かなりきついことを言っちゃったと思うんだけど、そのときの精一杯の強がりだったことをわかってほしいな。


本当は怒るより傷ついてた。仲良かった子に裏切られて、教師からも信じてもらえなくて。もうぐちゃぐちゃだった。初めて友達に裏切られた経験だった。本当にきっかけは些細なことだったんだけどね。今でも忘れられないトラウマの事件よ。


きっと柴田はこんなに大声で教師が責め立てるって思わなかったんだよ。私はしょっちゅう教師には向かうガキ大将だったから多少のことは被ってくれる、って考えたんだと思う。ちょっとタイミングが悪かったよね。今でも柴田とは仲良くできないと思うけど、こんなに大事にしなかったら何とかなったのかもな、とも思う。全部ifの話なんだけどね。

この事件には後日談があるの。


それから半年近く経ったとき、6年生を送る会で私は指揮者をやったのね。目立ちたがりだったもんで。その会の2週間前くらいかな、例の教師がその伴奏をやることが決まったの。私はプール事件を根に持ってて、その教師が大嫌いだったんだけど(今でも大嫌いなんだけど)、反骨精神で指揮者を引き受けたのね。そしたらそいつがさ、音楽の先生に話したそうなんだ。

<今居さん、夏のプールのこと気にしてないですか>

こういう風にさ。気にしてないわけないっちゅうねん。そんなこと言うくらいなら‘あのときは悪かった’って私の目の前で正座になって謝ってこいっての。


その日の夜に家に音楽の先生から電話があって、‘こういう風に相談されたのですが、今居さんはどうでしょうか’ってお母さんに話したそうなんだ。私は塾から帰ってその話を聞いたんだ。事件があったことはお母さんには話してなかったんだよね、なんでか。


事情を話して、それでも負けたくないから指揮者をやりたいって話してたんだ。それでも話すうちにやっぱり嫌になっちゃって、‘当日休みたい’ってポロっとこぼしちゃったんだ。そしたらお母さんが音楽の先生に手紙を書いてくれたの。

私が嘘をついていなかったこと、教師にいきなり叱られて悔しかったこと、それ以来友達と仲違いしてしまったこと。‘なにくそ’って思って指揮者を引き受けたはいいけど、本当は当日参加したくないくらい嫌なこと、正直に書いてくれた。


音楽の先生はその事件のことを知らなかったんだろうし、その教師も自分が悪かったとは話さなかったんだろうね。手紙を読んでびっくりしてた。その場で当日の伴奏は先生がやってくれることになったんだ。

この後日談含めやっぱり私はこの教師が嫌いです。根に持つさ、ばっきゃろう。またひとつ教師に失望したことだよね。さらに性格がとんがった。


私は散々教師に歯向かってたんだけど、それ以外のストレス発散がなんと同級生をいじめることだったんだ。音楽のソロを外されたって話のときにもちょろっと書いたんだけど、ストレスを周りに当たることで発散してたんだよね。本当にどうかしてた、小6の私。


その子は一緒のクラスになったことなかったんだけど、気が弱い子でさ、ちょっとトロイ子だったんだ。私はなんでかその子がすごくムカついて、廊下で会う度に思いっきりぶつかって、‘ごめーん’とか言いながら通り過ぎてたんだ。担任の水田先生からめちゃくちゃ怒られて、それでも直さなかったの。先生にその子の前に連れていかれて’謝れ’って言われたら、‘どうもすみませんでしたあ’とか言いながら逃げていったほんまもんのクソガキです。


保護者面談でそのことを先生がお母さんに伝えて、親同伴で謝りに行くって話してたんだけど、それは先生が止めて、自分で言わせますって言ってくれたんだって。

その夜、お母さんに目いっぱい説教されて、改心してその子にひとりで直接謝りに行った。


本当にその子は何も悪くなかったの。なんとなくでいじめてた。1ヶ月くらいだったと思う。

その子にとっては地獄だったはず。何もしてないのに目をつけられて、ぶつかられて。

その子は優しいから許してくれて、そのあともちょっとは話すようになったんだ。おとなってこういうことだよ。感謝しかない。本当に悪いことした。


因果応報って本当にあってさ。小6の秋くらいだな。クラスで3人をハブってた。

突然、あの3人のこと無視しよう、って言われたんだ。小学校高学年、中学生ってこういうのが流行るのかな。大人になって周りに聞いてみると、こういう無視するのって結構あるみたい。嫌な流行りだよな。


その3人にターゲットを絞ったのはその前にそいつらがほかの子をいじめてたかららしいんだけど、当時そんなこと知らない私は無視する意味が分からなかった。だから3人とも普通に接してたんだ。そしたら私まで無視されるようになって。結局4人を無視されてたことになるね。


回ってくるプリントは端がぐしゃぐしゃだし、周りは話してくれないし、体育はその3人としか組めなかったし、結構きつかったな。あー、いじめってこんな感じなんだって思った。私はいじめてた子になんてことをしてしまったんだろう、って改めて反省した。それで、それでも許してくれたその子にまた感謝したんだ。


2ヶ月くらいして唐突に無視はなくなったんだけどね。学校行くのが嫌だった。終わりが見えないし。放課後遊ぶ友達もいなくなったから塾の時間まで教室に残って本読んだり、先生と話したりした。


このときに、いじめっていうのは必ず返ってくるって実感した。

この気持ちは中学校に入ってまた思い出すんだけど、それはまたあとで書くね。

このいじめがあったことが決定打で私は中学受験を決めた。それまでは受験はしてもしなくてもいいよ、って言われてたんだ。

2個上の幼馴染で好きな男の子も公立の中学校に行ってたしね。追いかけたかったな。先輩って言いたかった、、、

それでもこんな奴らと一緒の中学になんか行くもんか、って思って受験しました。


とりあえず小学校で思い出すとはこのくらいかな。小学生の段階で尊敬できる先生3人と出会えたのは本当に奇跡。変に頭の回るクソガキを面倒見てくれてすごく助かった。

教師に友達を傷つけられて、教師に歯向かって、すごい先生に出会って、いじめて、友達に裏切られて、いじめられて、3年間の間でいろいろ経験したなあと思う。


ここまで読んでもらって、教師と先生を分けてるのに気づいてもらえたかな。私が父親をお父さんって呼べないことにもつながるんだけど。

私が子どもと接していくうえで一番大切にしてるのが、子どもの話していることを聴くことなの。なんでそんな行動を起こしたのか、理由は絶対にある。どんなに小さい子でも聴くようにする。私がお母さんを、先生を信頼してるのは私を子どもとして扱って無理やり言うことをきかせなかったからなの。いつだって私の話を聴いてくれようとした。私に嘘をつかなかった。


教師の中でも先生と呼べるような信用できる大人は少ない。教師は資格さえ取れれば誰でもなれる職業なの。‘でもしか教師’なんてあるくらい。それでも教育学部を出なきゃなれない小学校の教師は子どもの気持ちに寄り添った人が多いはずなんだけどね。

アラサー女教師は特に要注意っていうのが私の持論。

社会を経験しなくて大学出たばかりで、教室で30人の生徒相手にしていて、自分に文句を言うやつ、指導してくる奴がいないっていうのはなかなかいい気分なんじゃないかな。支配欲っていうのかな。子どもを自分の思い通りにできるって錯覚しやすいんだと思う。最初のころは必死に授業のことを考えてたのが、だんだん流れが分かってきて余裕が出てくるのは教師になって4・5年たったアラサーなんだよね。そしたら支配欲がむくむくと出てくるっていう。しかも女はヒステリックなのが多い傾向があると思う。女子には厳しいしね(笑)


いいか、世の中の教師ども!親でもいいんだけど!

初心を忘れるなよ、子ども時代に誰だって大人に押さえつけられて嫌な思いをしたはずだ!!少なくとも私は教師に何度も歯向かっても押さえつけられた。父親には大学生になっても‘誰のおかげで生活できてると思ってるんだ‘って言われ続けた。そのせいで6年以上も口きいてないんだけど。じゃあ老後の面倒はみないぞ、って思ってます。

何度悔し涙を飲んだか!!それ以上に反抗したか(笑)

普通の子はこんなに頭が働かないんだからな。

反抗しようなんて気持ちにならないんだからな。

泣いて終わることが多いんだからな。

子どもの気持ちを大切にしなかったら絶対に自分に返ってくるぞ。

こういうことをもっと大きな声で伝えたい。

まあ、私は先生なんかになれる器じゃないので教師を目指さなかったんだけど。大体いじめてたやつが教師なんか論外でしょ。絶対えこひいきするし、教師が嫌いなのに周りの教師と仲良くできるわけがない。


だから、どうか、大人になるみんなに伝えたい。

嫌なことはなんで嫌なのかを常に伝えてほしい。誰にでもいい。伝えることで守ってくれようとする人は出てくると思う。

教師はろくなヤツがいないし、なるもんじゃない。私みたいな大人をナメくさったクソガキがいるぞ。子どもをバカにしくさった同僚がいるぞ。

それらをわかった上で、それでも子どもに寄り添える人に教師を目指してほしい。先生を目指してほしい。‘でもしか教師’になんかならないでほしい。

それでも先生を目指す人たちにはクソガキだった私でよければ思いっきりエールを送りたい。小学校の6年間で私は性格の原型を作った。それから大分丸くはなったけどね。どんなことでもまともに受け取っちゃう子ども時代にいい先生に恵まれる機会が多いといいなあと思う。


ちなみに小6のときの担任3人と、音楽の先生は私たちの卒業と共に他の学校に異動しちゃった。みんなバラバラの学校だったんだけど。それを考えると、やっぱり私たちの代ってかなり問題児が集まってたのかもしれないね。


私が一番充実してた学生生活は小学校なんだけど、このあとも凝りもせず教師に歯向かってるのが4回ほどあるから、もうちょっとだけお付き合いいただけると嬉しいな。


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