第1章 運命の選択事件 前編
怪人が二体、待ち構えていた。
その二体をもって「怪人」と称することには、いささかの誤謬もないだろうと、安堂宗は思った。自分を挟んで両隣に立つ、長谷川尚紀、唐橋知亜子の二人も、自分の考えに賛同してくれるはずだ。同時に、自分と同じくこうも思ったに違いない。「どうして商店街の歳末福引き会場の受付をしているのが二体の怪人なのか」と。福引きくじを入れた箱が置いてあるカウンターの向こうに、その二体は立っていた。
向かって右は、お正月の飾り付けである「鏡餅」に手足が生えたような姿をしている。ピラミッド状に二段になった「餅」の下段底面から膝下以下の脚が、上段側面からは腕が生えている。ようは「鏡餅型の着ぐるみ」だ。この配置を考えれば、当然「中の人」の顔は鏡餅の頂点にある「みかん」の場所に位置してしかるべきだが、しかし、そこに顔はなかった。いや、顔自体はあった。人間のものではない顔が。鏡餅怪人の頭部は「猫」になっていた。恐らく、本来そこにはみかんが載り、顔はめパネルのように「中の人」の顔面がみかんから露出する構造になっていたのだろう。その頭部パーツに当たるみかんが取り除かれ、代わりに猫(三毛猫)の着ぐるみの頭部がある。ちなみに、この猫の頭部は「中の人」の顔が露出する構造とはなっていない。結果、この着ぐるみは「猫の頭部が乗った鏡餅」という、恐ろしく異様な容姿を持つに至っているのだ。まさに「怪人」と称せざるを得ない。猫と鏡餅の合成怪人「ネコカガミモチ」と宗は心の中で名付けた。
残る一方。向かって左側に立つ怪人はどうだろうか。こちらは「ネコカガミモチ」に比較すれば幾分か常識的(?)な外見をしている。端的に表現すれば、それは「サンタクロースの扮装をしたウサギ」だ。着ぐるみ的には、サンタの衣装を着た「中の人」がウサギの頭部をかぶっている、と言い換えられるだろう。首から下のサンタ部分も、単に人がサンタの服を着ているというわけではなく、人工的にふくよかな体型となっている。誰が「中の人」となっても、一般的なサンタクロースのイメージに合致するように着ぐるみが作られているからだ。こちらを宗は「ラビットサンタ」と名付けた。どうでもいいが、「ネコカガミモチ」が生物と非生物の合成怪人であるのに、「ラビットサンタ」は動物と架空の人物という組み合わせになっている。統一感が持たれておらず非常にもやもやする。
以上の二体の怪人が待ち構えている、数メートル先の福引き会場を見やったまま、宗は立ち尽くしていた。本来であれば、五枚の補助券(五枚集めて一回福引きが出来る)を手に、一直線に会場まで走り着いていたはずだったのだが。
左の尚紀、右の知亜子と交互に目配せをすると、その両者ともが「お前が先に行け」と目で促した。補助券を握っているのが宗なのだから、それはもっともなのだが。
安堂宗と、長谷川尚紀、唐橋知亜子の三人がいるのは、新潟市の繁華街である古町商店街の一角だ。高校で同じクラスである三人は、自分たちの持つ福引き補助券が三人分合わせると五枚に到達することを知り、その福引き開催が本日からというきっかけもあって、ここ古町までやってきたのだった。
宗たちの通う高校をはじめ、ほとんどの学校はすでに冬休みに突入しているとはいえ、平日の昼過ぎという半端な時間であるためか、今のところ福引きに挑戦する客の姿はひとりも見られない。くじ箱の置かれたカウンター越しに、二体の怪人が立っているだけだった。もしかしたら、あの怪人を恐れて――いや、不審に思って、誰も近づかないだけなのではないか? まさに今の自分たちのように。
「あっ」
宗は思わず声を発した。ラビットサンタと目が合ったのだ。いや、相手は着ぐるみのため、「中の人」と本当に目が合ったかを窺い知る余地はないが、向こうが宗のことを認識したのは間違いなかった。ラビットサンタは、相棒(?)のネコカガミモチの肩、つまり上段側の餅部分をぽんぽんと叩くと、宗に向かって指を突き出した。そのことでネコカガミモチも宗の姿を認めたらしい。右手を水平に差し出して手招きをした。
再び左右の級友と目を見合わせる。今度は二人は、視線だけでなく顎もしゃくって、宗に「行け」と指令を出した。
「まじかよ」
恐る恐る、宗は足を踏み出し、二体の怪人が待つ福引き会場へと近づいていく。その後ろからは知亜子と尚紀も間隔を空けずについて行く。大昔のコンピューターRPGのパーティのように一列になって宗たちは、ついにカウンターの前に到達した。カウンターを挟んで対峙した二体の怪人を前にした宗の頭の中に、怪物との遭遇時、そして戦闘シーンのBGMが流れた。
無言のまま、ネコカガミモチが右手を差し出した。ミトン型のグローブに包まれた手が、わきわきと開閉する。ここに来たからには、出す物出してもらおうか。そう言われているように見える。宗は黙って、五枚の補助券をネコカガミモチの手の平に置いた。ミトン状の手をしているくせに、意外なほど器用に補助券が確かに五枚あることを数え終えたネコカガミモチは、反対の手でくじ箱を示した。一枚引けというのだ。
「ようし……」
ごくりと唾を飲み込んでから宗は、紅白の縞模様に塗り分けられているくじ箱、その上面に空けられている直径十五センチほどの穴に手を突っ込んだ。視線は二体の怪人の背後に張り出された景品表に向く。狙うは当然、「一等賞:商品券十万円分」。その掲示の上に「済」と書かれたシールが貼られていないのを見て宗は安堵した。というのも、この商店街の歳末福引きでは、過去二年連続で一等が福引き開催初日に出るという珍事が起きていたと噂に聞いていたからだ。もし一等が当たったら、三人で山分けする算段がすでに出来ている。
宗はくじ箱の中をまさぐり、これと決めたくじを一枚引き抜いた。正方形の紙を対角線で折って三角形にして周囲を糊付けされている、いわゆる三角くじだ。宗は、ゆっくりとくじを開いていく。糊が剥がれるペリペリという音が聞こえ、三角形に封をされていたくじは徐々に開かれ、正方形の本来の姿を取り戻していく。宗を挟んで両隣に移動した尚紀と知亜子も見守る中、くじは完全に開かれ、そこに書かれていたのは……。
「……参加賞」
宗が嘆息まじりに、黒い極太ゴシック体の文字を読み上げると、尚紀と知亜子の口からはため息が漏れ、宗も同じように嘆息した。二人の心境がどうかはともかく、宗の漏らしたため息には、目の前に立つ二体の怪人から受けていた異様なプレッシャーから、ようやく解放されるという安堵感も込められていた。さあ、あとは怪人から、参加賞の百円値引き券(商店街の店舗で有効)を受け取って、この異様な空間から立ち去るだけだ。そう思っていた宗だったが、だが、二体の怪人は宗を、いや、三人を解放してはくれなかった。
「こっ、これはぁー!」
怪人が喋った。ネコカガミモチのほうだった。明らかに「中の人」の地声ではない極端に作られた声色だった。
「でっ、出ましたな!」
続けてラビットサンタも喋った。こちらもやはり、地声では有り得ない作られた声。二体の怪人は、宗が引いた「参加賞」と書かれたくじを凝視している。
「おめでとう!」
「おめでとう!」
宗に向かって、二体の怪人は同時に告げた。
「えっ? 何が? 参加賞なのに」
予想外の展開に宗は訊いた。尚紀と知亜子も怪訝な顔をしている。すると、ラビットサンタが足下の段ボール箱から紙状の何かを取りだし、それを景品表の最下段「参加賞:百円値引き券」と書かれた「百円値引き券」の上にぺたりと貼り付ける。そこに書かれていたのは。
「えっ?『参加賞:運命の選択』?」
宗が読み上げた。そう、ラビットサンタが上から紙を貼り付けたことによって、「参加賞」の景品は「運命の選択」へと変更されたのだ。
「そのとおり」と、相変わらずの極端に作った声でネコカガミモチは、「君たちには、これからある選択をしてもらう。その選択とは……これだ!」
言いながら、段ボール箱の中から取り出した三枚の札のようなものを、カウンターの上に並べ始めた。それは三枚ともハガキサイズの真っ黒な紙で、それぞれ左から「A」「B」「C」と、くじと同じく極太ゴシック体でアルファベットが白抜きされている。三枚の札を等間隔に並べ終えたネコカガミモチは、
「この三枚の中には一枚だけ『当たり』がある。その『当たり』を引けば君たちの勝ちだ」
「これが『運命の選択』? 当たりを引いたら、どうなるんだ?」
「特別賞をあげよう……これだ!」
ネコカガミモチは、さらに段ボール箱から何かを取り出し、宗たちに見せつけた。それは四枚のチケットだった。
「これが特別賞の、温泉旅行宿泊券、四名様分だ!」
「おお!」
「これは!」
宗の両隣で尚紀と知亜子が声を上げた。
「さあ、存分に挑戦するがいい!」
ネコカガミモチは仰々しく両腕を広げ、その横ではラビットサンタも鷹揚に頷いた。
「よし、行け、宗!」
「待て待て!」宗は囃し立てる尚紀を制すると、「ちょっと待て! どう考えてもおかしいだろ! 何だ、この展開?」ネコカガミモチに向き直って、「おい、もし俺が『当たり』を引かなかったら、どうなるんだ?」
「そこに気付くとは、さすがだな」
「何がだ!」
「君が『当たり』を引かなかったら、つまり、三枚のうち二枚ある『ハズレ』を引いてしまったら……」
「しまったら?」
「君たち二人に」と、ここでネコカガミモチは、宗と尚紀の二人を交互にミトン型の手で示して、「とんでもない目に遭ってもらう」
「はあ?」
「な、何だそれ?」
宗と尚紀は動揺して一歩身を引いた。
「い、いったい」と宗は、「何をされるっていうんだ?」
「とんでもない目に遭わされる」
「だから! 具体的に!」
「とんでもない目に遭わされます。それはもう」
「どうして俺たち二人なんだ?」
「そう決められているからとしか言いようがない」
何を訊いても無表情のまま(着ぐるみなので当たり前だが)返される答えに、宗は、
「話にならない。もう帰ろうぜ」
「お、おう」
尚紀とともに踵を返しかけた。そこに、
「待って」知亜子が割り込んで腕組みをすると、「……やりましょう」
「おい!」
「待てい!」
宗と尚紀は光の速さで突っ込む。
「大丈夫」
知亜子は真剣な表情で眼鏡越しに二人を見つめ返した。
「……その目。唐橋、お前、もしかして何か秘策でもあるのか?」
期待を込めた顔で尚紀が訊く。知亜子は、ふっ、と笑みを浮かべて、
「たとえ『ハズレ』を引いたとしても、とんでもない目に遭うのは安堂くんと長谷川くんだから」
「おい!」
「こら!」
再び突っ込まれることとなった。
「温泉旅行に行きたくないの?」
「行きたいけど、とんでもない目に遭うのは嫌だ!」
「右に同じ!」
尚紀と宗は言下に言い返す。
「だいたいだな」二体の怪人を向いた宗は、「そんなむちゃなルール、許されるのか? 責任者を出せ!」
「私が責任者だ」
「嘘をつくな!」
今度はネコカガミモチに宗は突っ込んだ。