御注進
「はあ、はあ、はあ」
兵衛吉正は息を切らして、手についた赤いべっとりとした液体を見、小早川秀秋の軍の物見を太刀で切り捨てた感覚を思い出しながら、主人がいる陣幕にたどり着き馬を降りると片膝をついて報告した。
ここは美濃国関ヶ原、時は慶長五年九月十五日。
「御注進!小早川殿の軍勢が山を降りて、こちらに向かっております」
輿に乗り、頭から頭巾を被り痛々しさのある姿ながら采配を振るっているのが、主人であり越前敦賀城主 大谷刑部吉継である。
太閤豊臣秀吉からは「百万の軍勢を任してみたい」と称賛を送られた人物で、吉正はこの大名の馬廻として「吉」の名を承って、戦場で一騎駆けを行っている。
「金吾め、やはり彼奴は表裏者だったか」と予想していたかのような口ぶりで吉継は輿に乗りながら、手に持った采配を一振りしたと同時に声をあげる。
「敵は小早川!予備の備六百人にすぐに隊列を組ませ、鉄砲を放たせろ!決してここを通すな」と冷静で見た目の痛々しさを感じさせない声で下知を下す。
「ですが殿!小早川の軍勢は一万五千、対して我らに残された兵は数千、しかもほとんどが負傷しておりまする!」と傍にいた家臣の湯浅五助が悲痛な声を上げる。
「構わぬ。太閤殿下のご恩に背いたあの小僧をここで通したら我らの敗けが確実になる」
「吉正」と湯浅五助と押し問答を続けていた吉継が吉正に声をかける。
「脇坂、朽木、赤座、小川の元に行きこちらに加勢しろと伝えろ。彼奴等の軍は四人でやっと四千に届くほどの小者共だが、合戦が始まって傍観していたから兵は残っているはずじゃ、急げ!」
「はっ」と下知と同時に吉正は馬に再び乗り吉継の下を去る。
「はっ、はっ、はっ」と息を切らしつつ馬を駆けていたら、吉正の方に向かってくる軍勢が見えてきた。
「あれは脇坂殿の旗印。脇坂殿達も小早川の動きを見て、我らに加勢に参ったか。注進!注進!我は大谷刑部吉継の家臣、兵衛吉正と申す」と大声を出しながら、その軍勢に吉正が近づいた途端、矢が次々と放たれてきた。
「待たれい!我は大谷刑部の家臣なり。味方である!主人からの言伝に参った!うっ」と続けて大声で知らせるも吉正の肩に一本の矢が突き刺さる。
「まさか、あの者共も裏切ったのか」と吉正は目の前の光景を信じられないように呟くと「一刻も早く殿に伝えなければ」と馬を反転し来た道を引き返す。
その証拠だと言わんばかりに後ろから、矢が途切れる事なく飛んでくる。
さらに一本の矢が、今度は背に突き刺さる。
「ぐっこれは間違いない。くそ…」と裏切った脇坂安治、そして吉正に矢を射てきた脇坂の軍兵に対して怒りの声を上げながら、必死に馬を走らせる。
吉正は思った、我らはここで朽ち果てるのか?と、それと同時に身体中から今まで感じたことのないような寒気が伝わってきた。
これが死に近づいているということか?と馬を走らせながら、肩の傷を確認するとかなりの出血だという事がわかった。
背中の傷は確認できないが、おそらく同じような傷だろう、と吉正は脇坂達の裏切りを吉継に伝えるという信念だけで力を振り絞り駆け抜けていく。
そして徐々に意識が朦朧とする中、吉継の軍に近づいていく。
その時、吉正は地響きのような轟音を耳にし、一瞬だけ意識がはっきりする。
大谷吉継の鉄砲隊が小早川の軍に、次々と弾を放っている音と小早川秀秋の一万五千という大軍が山から下りてきた音が重なり合い戦場に轟かせる。
それは紛れもない人間の生死を賭けた戦いであった。
吉継の軍は数倍の軍を相手にして崩れかかっているが、吉継は冷静に下知を下しているようである。
その吉継まで僅かな距離に近づいた瞬間、吉正が声を張り上げようとする。
しかし体力が無くなったのか声が出ず、だが吉継を見た瞬間、吉継も吉正の姿に気付いたのか、その頭巾から唯一出している目の辺りに驚きと恐怖と怒りが混ざり合ったような表情を吉正は見逃さなかった。
お互いの目が一時合う。
吉正は最期の力を振り絞った。
「御、御注、進…」
その瞬間、吉正の意識は暗闇に包まれた。
慶長五年九月十五日
大谷吉継の軍は京極高次、藤堂高虎の軍と戦闘中、東軍に寝返った小早川秀秋の軍に背後から
同じく寝返った、脇坂安治、小川祐忠、赤座直保、朽木元綱の軍に側面から攻撃され壊滅、吉継は自刃した。
大谷吉継の軍の壊滅で、その後一気に戦局は動き西軍が敗北した。
初めまして、脇坂屋と言います。
以前から陸戦史や戦国時代小説が好きで、何か書いてみたいと思いました。
駄文ですが、読んでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。