回顧
電車に揺られて数時間。瞬きするごとにすり替わる景色は、徐々に緑を濃く増していき、空も本来の色を取り戻しつつある。故郷の風が、懐かしい記憶を思い起こさせる。
しかし、風化した記憶は断片的なイメージとしてしか捉えられず、過去の物語が紡がれることはなかった。子供の頃の思い出は、新しい出来事を重ねるごとに曖昧になってしまうということだろう。
そんな私がここを故郷と呼べるのだろうか。淋しげな電車が遠ざかっていくのを眺めながら、一人無人駅を後にする。
太陽は眼を閉じても、消えることなく見え続け、私の影は雲に踊らされ、薄くなったり濃くなったり忙しい。砂利道を歩けば自然は耳から感じ取れ、それが耳になじんだ頃にはもう音は消えていた。
ふと、立ち止まれば、視界には穏やかな川が流れ、陽光は水面をキラキラと輝かせていた。
気づけば川の中に一人、若い女性がいた。若いとは言っても私より少し年は上だろう。その女性は膝から下までを絶えず揺らめかせている。幽霊かと思えば、そうでないことにすぐ気付き、声を掛けた。
「暑いですね」
「そうですね」
彼女の声は何故か親しみやすかった。知り合いの声に似ているのかもしれない。
こちらに振り向いた女性はそれから空を見上げ、そして目を閉じた。何かに想い耽っているかのように、その表情は喜怒哀楽、様々なものに変わった。そしてそれは私の想いを喚起させ、何かどうしようもない懐かしさを私に感じさせた。心惹かれる想い出に浸りたくなったが、それ自体、欠片ほどしか思い出せず、哀しみに浸ることとなった。
耐え切れず、私は自分を誤魔化した。
「何をしていたのですか」
彼女の行為を邪魔するための、嫉妬をも含んだ言葉だった。
「想い出を拾っているのです」
顔を上げた彼女の顔には懐かしさを感じた。けれど、人としての自分の間違いに気づいた私は、顔を背け、伏せたまま暫く何も言えず、次の言葉を探していた。
そうして『拾えますか』そう訊こうと思った時には、その女性は既に消えていた。一つの言葉を遺して。
「拾えますよ」
頭の中で谺する、励ましの言葉には、しかし否定の真意が見え隠れしていた。
…………拾えるわけがない。
けれども、声に出すのは躊躇われた。想い出は、思い出せなくとも(拾えなくとも)確かに存在していたのだから。
彼女が去った水面には、未だに彼女の顔が映っていた。
未来の私の懐古を私が見ている。という状況です。分かりずらいです。スイマセン。題名の漢字は合っています。