3話 2人の秘め事
そこにはすべてがあった。
時折頭を撫でてくれる大きな手と。
厳しく叱る暖かい者と。
優しく抱き締めてくれる爽やかな涼風を纏う者と。
萌黄色の者は彼女をこれでもかと甘やかし、着飾ることが好きだった。
いつも一緒の頼れる小さな友人と。
口酸っぱく言ってくれる年寄りの友人と。
すべて彼女にとってかけがえのない人たちだった。
それを自分の小さな好奇心で失くしてしまった。
最愛の人たちと永遠に別れることになってしまった。
あの時、最後に手渡されたアレを……。
――自分はどこで失くしてしまったのだろう?
酷く渇いた喪失感を覚えてケーナは目を覚ました。
未だ薄明かりに照らされるヒビの入った金属質の天井を見上げる。しばらくぼーっとしてから横を向けば、そこにはオプスの姿はない。
「ん~~っとっ」
伸びをして起き上がれば、自分の体からずり落ちる毛布に気が付いた。
「んん? なんか少し寒い?」
「ウキ!」
足元から忍び寄る寒さを感じ、身を震わせたところで、首を傾げた赤い小猿と目が合った。
「あれ、炎精霊くん?」
「ウキッ!」
燃え上がる炎で構成された小さな手乗り猿は、任せろとでも言うように周囲が歪むくらいの熱を発した。直後に炎が噴き上がり、天井まで届く火柱と化す。当然ケーナは熱波をモロに浴びることになる。
「暖かいじゃなくて熱っ!?」
緊急避難とばかりに飛び退けば、炎精霊がしおしおと元に戻る。
「ウキー……」
「あー。別に無理して火柱にならなくても。ホ、ホラ充分あったかいから……」
「なにをやっとるんじゃ?」
しょんぼりする炎精霊をなだめていると、呆れた声が聞こえてきた。振り向けばオプスが戻って来たところだ。
ケーナの顔を見るなり、ちょいちょいと頬を指差す動作をする。自分のことかと気が付いて手を当ててみれば、濡れた頬に驚くほど動揺した。
「あれ……、なん で?」
オプスに背を向けて乱暴に目元を拭う。
気恥ずかしさから隠れるようにしたのではなく、そうしろと心のどこかで誰かが言ったからの行動だ。
そこに疑問を挟む意識は無い。それが自然のことなのだとケーナは思っていた。
「ふむ……」
オプスはオプスで元気付けるようにケーナの肩をポンと叩く。
「……オプス」
「分かっているぞケーナ。あれじゃろう、大トカゲのご馳走を食べ損ねる夢だったんじゃろう? 確かにあの美味な肉が目の前を通過するだけというのには涙を禁じ得ないからの」
「……違うわよっ!!」
「おぶっ!?」
まったく見当違いの気遣いに振り向きざまに一喝した。
怒りのエネルギーが不可視の衝撃波となって放射され、オプスの顔面を襲う。
さすがのオプスもこれは予想外だったようで、受け身もとれずにひっくり返った。ゴン、という鈍い音も聞こえてくる。
「なんでアンタはいつもいつもいつもいつも! ここで私を大食いキャラにして何の得があるのっ!」
『……ケーナ様』
「もっと別に掛ける言葉とかあるでしょう! 毎回毎回ぶっ飛ばす私の苦労とか心情とか考えてからにしなさいよっ!」
『ケーナ様!』
「何よキー?」
自分やオプスにかける情けなさがないまぜになったまま、怒りに任せて怒鳴りつけていると、キーより待ったが掛かった。
『落チテイマス』
「え?」
『ノックアウトデス。ナイスパンチ』
「ええっ!?」
なんだかサムズアップをする蛇の幻影が見えた。
慌てて倒れたオプスに駆け寄ってみると白目をむいた状態で気を失っていた。
【診察スキル】を使い怪我の具合を調べると、後頭部のコブくらいだけだったので、ケーナは胸を撫で下ろした。
「てっきり倒れたフリをしてるのかと思って……」
『奴ナラアリ得ルダケニ、自業自得トシカ言エマセヌナ』
サイレンがいたら「おいたわしや」と涙する場面である。
「ええとまず安静にして、濡れたタオルで冷やして……」
【召喚魔法】で室内ギリギリの巨大水精霊(魚型)を呼び出すケーナ。
冷静に見えて内心はパニックになっているようだ。
「……ん……」
「あ、目ぇ、覚めた?」
後頭部の冷たい感触に気が付いたオプスは鈍く沈んでいた意識を起こす。
目を開けてみれば真横になったドーム部屋の壁。それを背景にして水色半透明の巨大な魚眼と目が合う。「なんじゃこれは……」と呟きつつ、頭が柔らかいものの上に乗せられているのを自覚した。
「あ……?」
「ごめんなさい。またやっちゃった」
左耳が捉える申し訳なさそうなケーナの声。首を少し後ろに回せば刺すような痛みと、視界の端っこに映るしおれたケーナの顔があった。
膝枕をされているのだと気付くが、それより先に口が苦情を吐き出す。
「まったく……、我だからこれで済んだものの。普通の人間があれを食らったら首から上がパーンじゃぞ。パーン」
「だから悪かったってば。反省してます」
少し前からケーナが感情の波に応じて何かしらの力を放つことが増えていた。
今のところは一番近くに居るオプスに向けられることが多い。半分くらいは彼が意図的に引き出していることではある。
問題はその威力が初めからとんでもない破壊力を持つところだ。
一度などはマジギレで盗賊が根城にしていた穴倉の天井部分を丸ごと吹き飛ばしたこともある。
オプスでさえ気を抜けば今のようにぶっ飛ばされることもしばしば。ケーナ本人に自覚があっても感情を抑制しろというのも無理な話だ。
おそらくはオプスとキーが揃った状態が長く続いてることもあって、ケーナの魂源が目覚めかかっているのだろうとオプスは推測する。
ならばそれを完全に覚醒させてしまえば、抑制だの制御だのしなくて済むのではないか、と。
その為に以前通過した異世界に飛び、もう1人の関係者を探しに来たのだ。
「え、なに?」
ケーナを横目で見ながらつらつらとそんなことを考えていると、彼女がオプスの視線に気付いた。
「いや。眺めがなーと」
ケーナの顔も見えるが、その間にある慎ましい丘へ視線が移る。
目が合うとみるみるうちに顔を真っ赤に染めるケーナ。口元をニヤリと歪ませながら、オプスは言わなくてもいい一言を付け加えた。
「色気としては及第点じゃっがっ!?」
「第」のところで頭が持ち上げられ。「点」のところで右側頭部より膝枕がどけられ。「じゃ」のところで床に落とされた。
魔人族の角は頭蓋骨に直結しているため、ある意味急所と言える。
そこを強打したため、オプスは頭を抱えて「ぐおおお……」とのたうち回っていた。
「相変わらず、なんだから」
耳まで赤くしたままそっぽを向いてケーナは呟いた。
「そういえば詳しくは聞いてなかったんだけど。機械って何」
なんだかんだと何時もの空気漂う2人に戻り、遅ればせながら夕飯を食べつつケーナから質問が飛んだ。
献立は干し肉と少し固いパンと果物。
干し肉とパンはあちら側でケーナがスキルを使わずに作ったもの。果物はあちら産の見た目トマト、味はリンゴである。
干し肉やパンを炎精霊の小猿に差し出せば、抱き締めて温めるサービス付き。
水精霊の生み出した水を炎精霊が温めたお湯でお茶をこしらえる。
それを飲んでひと息ついた後に、オプスがぽつぽつと答えを返す。
「系統でいうと自動機械じゃな。遠隔操作なら問題ないがAIを積むともはや敵じゃ」
「地球だとコース設定された無人バスとかあったけど。あんなのも?」
「あれを手足とした統合管理センターが頭脳となって、交通網から敵になるじゃろうな。バスやタクシーが人を轢殺するために街を徘徊し始めることになる」
「うわ~」
嫌な考えに辿り着いたケーナは身を震わせる。
「こちらの世界では戦車や装甲車より、虫型や動物型のロボットに特に気を付けよ。あ奴等は砂に潜むからリアデイルのスキルで探し出すのは難しいじゃろ」
「んー、【ソナー】は?」
「あれは発動中常にMP消費型じゃろう。しかも向き固定角度30度範囲内」
あっさり否定され他に何かないか考え込むケーナ。
「土精霊やアースドラゴンはどう?」
「我々だけならいいが、こちらの世界の人間にそれをどう説明するつもりじゃ?」
「うげ……。うーん、麒麟……は戦えないしー。イズナエ……はデカ過ぎるしー、ええとええと」
感知系スキルを片っ端から挙げていき、デメリットに自分で気付いて思考の振り出しに戻る。を繰り返すケーナ。
先ほどはああ言ったオプスだが、街に出てハンター登録をして仕事をこなせば、イヤでも人の口にあがるだろうと思っている。
銃社会で棍や剣を使っていれば目立つからだ。
(なんなら最初から荒稼ぎをしてハンター協会の上層部に……)
物騒なことを考えていると、ケーナにぺしーんと頭を叩かれた。
「ちょっとー、オプス聞いてるの?」
「ああスマン。聞いておらんかった。なんじゃ?」
「ペットを連れているように見せ掛けてバルムルスを……」
「絶対にダメじゃっ!!」
……正体がバレる日はもうそこに迫っているのかもしれない。
※バルムルス:LV600
極彩色のオウムに似た姿を持つ魔界のモンスター。感知力に優れ、その鳴き声は射程外からプレイヤーを酩酊状態に陥らせる。鳥の頭は擬態であり、腹に巨大な口を持つハーピーの異種。人肉を好む。