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魔族大公の平穏な日常  作者: 古酒
魔王大祭編 中編
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86.予定外のひととき

「ここで降ろします」

 新魔王城の本棟が見渡せる場所で、俺はウィストベルを地面に降ろした。

 <暁に血塗られた地獄城>からここまで、彼女を抱き上げてきたのには理由がある。新魔王城の説明をしたとしても、あのままのウィストベルでは魔王城はおろか魔王領へ踏み入るのも拒絶されそうな雰囲気があったからだ。

 それでどうせなら俺は魔王様がウィストベルを驚かせたいと思っていた気持ちも汲むことにして、案内する間、目を閉じていて欲しい、とお願いしてみることにした。

 するとウィストベルは目的地に着くその時まで、俺が彼女を抱き上げて運ぶのならば、という条件付きでこの提案に応じてくれたのだ。

 それでずっと竜を飛ばすその瞬間から、俺はウィストベルの背と太股の裏に手をおいていたわけだ。いや、正確にいうなら竜に乗っていたときは俺も座っていたので、膝の上にウィストベルが座っていたということで、背中と太股に手をやったのは立ち上がるそのときで……。


 とにかく、<暁に血塗られた地獄城>にいた者は当然のこと、大祭のせいで空もいつもより竜の往来が多い。俺たちが飛び立つ瞬間の姿を、誰にも見られていないはずはない。となると、魔王様にこの様子が知られないですむとは思えない。

 なにせベイルフォウスがマーミルを居住棟から医療棟へ横抱きにして運んだだけでも、変な噂がたっているくらいだ。


 さらに、飛行中に結界を通るための術印を刻んでおけばよかったものを、うっかり忘れてしまったのもまずかった。それも思い出したのが結界のすぐ外で、ようやくだ。それでウィストベルが内腿につけろだとか、首筋にしろとかいうのを拒否したりして、ぐずぐずしていたところを……なぜか集まっていた作業員たちに、ばっちり目撃されていたようなのだ。

 あいつらだって、俺とウィストベルの関係を誤解していないともかぎらない。

 忘れてはいけない。

 その半数は俺の部下だからまだいいが、残りの半数は魔王様の忠臣なのだ!

 

 そんな俺の心配は、ただ一つ。


 噂を鵜呑みにした魔王様に、今度こそ本当に殺されるのではないか、ということだけだ。


 考えただけで頭が痛い。

 とりあえず、頭蓋骨粉砕は覚悟しておこう。


 それはともかくとして、俺はその赤金の瞳が魔王城をとらえる瞬間の表情をつぶさに観察することにした。

 本来ならウィストベルの隣にいるのは魔王様で、他ならぬその反応を一番の楽しみにしていたのも魔王様なのだから。

 俺はきっちりと見届けて、委細もらさず報告しなければならない。


「ウィストベル。着きました。もう、目を開けていただいて大丈夫ですよ」

 俺の言葉に、地上を指していた長い睫毛が天空に向けられる。

「いったいどこへ――」

 ウィストベルは言葉の途中で口を開いたまま静止した。

 その赤みがかった金色に輝く瞳の中に、目の前の威容ある姿をいっぱいに写して。


 雲一つない濃紺の穹窿を背に、黒々とそびえ立つ魔王城。

 昼には陽光を浴びて内側から燦然たる輝きを放ち、夜には月光を浴びて闇の中に浮かび上がる、幽遠な美しさを誇る黒曜石の荘厳な城だ。

 そこに至るまでの道のりも、緑と水によって幻想的に彩られている。


「なんじゃ……この城は……」

 その声音に込められているのはばら色の驚愕。

「魔王城です。ウィストベルへ、魔王様からのプレゼントですよ」

 俺は身をかがめてウィストベルの耳元にささやいてみせる。

 大きな声を出してしまっては、せっかくの繊細な雰囲気が台無しになるような気がしたからだ。


 新魔王城の築城に関する魔王様の対応を最初から思い出してみるに、その表現は的外れではないはずだ。

 魔王様はウィストベルが現魔王城になんらかの心的外傷が抱いていることを知っていて、しかもこの<魔王ルデルフォウス大祝祭>の折りにそれが発症してしまう予想をたてていた。だからこその新魔王城の築城なのであり、彼女に内緒にしたのはもちろんミディリースの隠蔽魔術があってこそだが、その理由はかつて言っていた通り、急に明かして驚き喜ぶ顔を見たかったためだろう。

 ああ、本当に。

 意中の相手がこれほどに感極まった表情を見せてくれるのだとしたら、俺だってそうしたと思う。


「ルデルフォウスが……魔王城を新たに……」

 肉感的な唇から紡ぎ出される声は震えていた。

 だが、さっきまでの恐怖の震えとは全く性質の違う震えだ。

 恐怖に染まり、青白い顔をさせていたのが嘘のように、今、彼女の頬はほんのりと薔薇色に染まり、濁りのない赤金の瞳は星の輝きにもにて煌めく。その表情は今にも泣き出しそうにも見えるし、明るい声をあげて笑い出すかにも見えた。

 幸せを感じる表情、というのがあるのなら、今のウィストベルがそうだろう。

 俺はこれまでこんなに喜んだ女性を見たことがなかったし、これからもないだろうとさえ思えた。


「本当ならもう少し離れたところから見た方が全容が見えていいんですが、結界を張ってあるので今はこの正面だけで勘弁してください」

 ウィストベルは今度は恐れからではなく、喜びから立っていられないとでもいうように、俺の腕にもたれかかってきた。

「これは現実か? いつからこんな……」

「以前から計画はたてておいでだったんでしょう。俺が大祭主になってすぐにお話しがありましたから」

「では、たった百日にも満たぬ間に、これほどのものを造り上げたというのか」


 ウィストベルはそう言って、四方をざっと見渡した。

 この城の正面は南に向かって建っている。

 四方それぞれに役割をもたせているが、今俺たちの後ろに延びているのは、なだらかだが降りるのに多少の時間を要する<大階段>だ。


「それはこの城の築城に関わった、全作業員たちの頑張りがあってのことです。恩賞会では彼らにも褒美が与えられることになっていますから、ぜひ魔王様と共にねぎらってやってください」

 ああ、本当に。彼らのあの熱意がなければ、城はこれほど早くその姿を現してはいなかっただろう。

「しかも、魔王城というならここは魔王領なのであろう? こんなものを造っていたとあっては、結界の規模からいっても噂に上りそうなものじゃ。なのにどうやって秘したというのか」

「そこはミディリースに協力してもらいました」

「隠蔽魔術か。では、ぜひあのにも恩賞会には参加してもらわねばならぬの」

 ……そうなるのか!

 大丈夫かな、ミディリース。いや、無理だろ。さすがに恩賞会への出席は不可能じゃないか?


「ルデルフォウスがこれを造ったのは、私のため、か?」

「ええ、ウィストベルのためです」

 俺はもう一度断言した。魔王様の考えを聞いたわけではないが、今となってはそう確信できる。

 なぜならば、あんなにも彼女の全身を支配していた恐怖が、この美しい魔王城を目にした途端、霧散したからだ。


「中に入られますか? 外だけでなく中もかなり凝っているんですが」

「……いいや」

 え? 入らないの?

「では他の箇所をご覧になります? 見所はたくさんあるんですよ。例えば東は――」

 ウィストベルは細い人差し指を立てると、俺の唇をふさぐようにあててきた。


「それも遠慮しておこう」

 ウィストベルの表情は、今まで見たこともないくらいに穏やかだ。

「ルデルフォウスが何を考えて、この城を我に秘していたのか理解できるゆえな。これ以上はルデルフォウスと共に見て回るべきじゃろう。今はここからこうして、眺めているだけで……十分じゃ」

 おっと、それもそうか。

 よかったね、魔王様!

 ウィストベルはちゃんと、魔王様の愛を理解わかっているようですよ!


「……のう、ジャーイル」

 ウィストベルはしばしの沈黙の後、俺の腕に手を回し、艶やかな微笑みを浮かべて見上げてきた。

「なんです?」


 ちょ……なにこの足。

 なんでその細い生足を俺の両足の間に差し込んでくるの?

 なんでぐいぐいくるの?

 いや、ちょ……あの……。

「全員に対する感謝を、今ここで代表の主を押し倒す、という形で表現してもよいか?」


「絶 対 駄 目 で す !」


 甘ったるい声に間髪入れず返答をし、俺はウィストベルの体を引き離した。


 ***


 とにもかくにも新しい魔王城に対する歓喜の念は、現魔王城に対するウィストベルの心的外傷をも完全に上回ったようだ。今すぐ魔王様に会いにいく、と言い出したのだから、そう判断していいだろう。

 よかったね、魔王様!

 俺とウィストベルに関してどんな噂話を聞いても、この功績を認めて不問にしてもらえればいいんだが!

 そうして、よかったね、俺!

 さすがにあれ以上刺激されると、やばいところだったね!!

 問答無用で魔王様に瞬殺されてたね!


 俺は自分の竜を彼女に貸すことにした。

 なにせ、そもそもウィストベルの竜どころか他の騎竜もここにはいない。すぐ近くの山やその麓で野生のものなら見つけられるだろうが、ウィストベルにはここがどこだか正確にわかっていないだろう。それを捕まえて魔王城へ駆っていくのも不可能ではないかもしれないが、効率が悪すぎる。なにせ、彼女は今すぐにでも魔王様に会いたいだろうから。

 その点、俺の竜ならもちろん魔王城への道は把握しているし、飛行速度も優秀なので急ぎの用にはうってつけだ。


「俺も明日、ご報告にうかがいますと、魔王様にお伝えください」

「承知した」


 俺は力強く竜の手綱を取り意気揚々と出発したウィストベルを見送ると、再び結界内に戻った。

 もともと今日は魔王城に来る予定にはしていなかった日だ。でもせっかくやってきたのだから、どうせなら少し見回って帰るのがいいだろう。


 ただ、なんだろう……。

 あちこち見回っていると、さっきからどうも視線が突き刺さる。

 あれか?

 まさかここにも<アレスディア様の美貌を堪能するために可能な限り尽力する会>のメンバーがいるとでもいうのか?

 いいや、まさか。外の様子を多少見られるようにしているとはいっても、そんな会が存在することを知れるはずはない。

 それに、こちらを見ているのはデヴィル族に限っていない。というか、むしろ主にデーモン族の男性から視線を向けられている気がする。それも……非難めいた……。

 ちょっと待て。

 これはもしかして、ウィストベルを抱き上げてきた影響か?


「違うからな」

「は?」

 一緒に本棟を見回っていた、現場主任のオリンズフォルトが怪訝な声をあげた。

「別に俺とウィストベルは、そういう関係じゃないからな……」

「そういう関係、とは何のことです?」

「いや、だから……抱き上げてきたのはウィストベルに目をつぶっていてもらう必要があったからなんだ。まさか目を閉じたまま歩けとは言えなかったし、だからああするしか選択肢がなかったからであって、決して俺とウィストベルが特別な関係にあるからとか、そういうことじゃなくて……」

「……誰かに言い訳してるように聞こえますが、閣下」

「……」

 だってお前、魔王様の配下じゃん。噂が耳に入る可能性を考えるだけでも恐ろしいのに、それを「ああ、とてもいい雰囲気でしたね」とか同意されても困るじゃん。


「わかりました。万が一どなたかに意見を求められるようなことがあった時には、今の閣下のお言葉をよく考慮しつつ話題に乗ることにします」

 君が話のわかるやつでよかったよ、オリンズフォルト!


 ……ん?

 いや、待てよ。

 そもそも話題に乗らないでいてくれた方がいいんじゃないのか?


「ところで話は変わりますが、我々は閣下の居城にご招待いただけることになりそうでしょうか?」

「ん? ああ、その件な」

 そう言えば魔王様には確認していたんだったが、まだみんなには伝えていなかったな。

「恩賞会での報償の一つとして発表されることになった。招待できるのは<魔王ルデルフォウス大祝祭>が終わった後になると思うが」

「ではその日を心待ちにいたしましょう」

「だが、ミディリースとならその前に会う機会はあると思うぞ?」

「と、申されますと?」

「恩賞会にはミディリースも受賞者として招待されるだろうからな。君たちほどの報償はもらえないにしても」

「それは……かわいそうですね」

 かわいそう?

 果たした役割の分量的に、不公平とは言えないはずだが。

「なぜ?」

「この間見かけた時の印象が正しければ、彼女はまだひどい人見知りを克服できていないように見かけられましたので」

 幼なじみとして、引きこもり性格は把握済みということか。


「それに隠蔽魔術のことは、あまり明らかにしない方がいいのではないでしょうか。彼女自身が弱いのが心配の種です。便利な力ではあるので利用しようと思う者がいるかもしれません」

 それは確かに俺も考えたことだ。だが、俺の目とは違って隠蔽魔術はもともとその存在を秘されてはいない。それでもミディリースのような弱い者がその使い手だというのは、オリンズフォルトのいうとおり公表しない方がいいのかもしれない。


「そうだな。どうせ本人も拒否するだろうし、そこら辺は一考してみるよ」

「ありがとうございます」

 おっと珍しい。どちらかといえば無表情なオリンズフォルトが、満面の笑みを浮かべたではないか。

 ミディリースの身をそれほど案じているのだろう。魔族の感覚としては遠縁になるといっても、一応は血縁者だ。身内としてその身を思いやっているのだろうと考えると、何とも微笑ましい。


「ところで、ジブライールはどこにいるか知らないか? 今後の打ち合わせをしたいんだが」

「ジブライール閣下ですか」

 オリンズフォルトは怪訝そうに眉をひそめた。

「私などより閣下の方がご存じでは?」

「……なんで俺が?」

「なぜって……閣下がいらしたという連絡が入ったので、ジブライール公爵は手の空いている者たちを引き連れて、閣下をお迎えにあがったはずですが……お会いになられませんでしたか?」

「会って……ない、が」


 ジブライールが俺を迎えに?

 それで結界に入った途端、大勢の作業員に出迎えられたわけか。

 だがその中にジブライールはいなかったよな? そうとも。いれば気付かないはずはない。

「では、途中で何か用事ができて外されたのかもしれませんね」

「ああ、そう……だな」

 オリンズフォルトの声の調子にひっかかりを感じながらも頷くと、なぜかため息をつかれた。

「無礼を承知で申しますが、閣下はもしかしてよく鈍感と言われたりしませんか?」

「は?」

 本当に無礼だな、オリンズフォルト!

 俺じゃなかったら、きっと大激怒していたところだぞ!


「いや。言われたことはない……あんまり」

 そりゃあ、たまにはある。たまには言われる。

 でも、たまにだ!!


「では、どうされます?」

「なにが?」

「今頃、ジブライール閣下はどこか隅のほうで一人、膝をかかえて泣いているかもしれませんが、それを探し出して閣下の前まで引きずり出してきますか?」

「は?」

 なんでジブライールが泣いてるんだ。

「大丈夫か、オリンズフォルト。言動に脈絡がなさすぎるぞ」


 本気で心配してやったというのに、オリンズフォルトのやつ!

 またも俺は理不尽なため息を浴びせられたのだった。


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