表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔族大公の平穏な日常  作者: 古酒
大公受難編
46/176

43.ついに長かった苦痛の日々を終わらせる時がやってきたのです!

「七カ所も間違っておるぞ」

 執務室のクッションふかふか長椅子に足を組んで座りながら、翻訳の書かれた紙と鏡の裏面を見比べ、女王様はそうおっしゃった。

「へ!?」

 俺の隣に座ったミディリースがその言葉に衝撃を受けて、大きな目をいっそうまん丸にしている。


「ど……どこが間違ってるんです!?」

 眼がギラギラと輝いているのは知識欲のせいか。

 そして、やっぱり喋りに淀みがない。

 ウィストベルが相手だから、とか?

 会うのは初めてでも、二百年も文通してたら――とても恥ずかしい匿名を使ってだが――やはり親しみも沸くのだろうか。

 それとも、この一晩で打ち解けたのか?


「ここ……“ブラディアー”は、“魔の王”ではない。“力の王”じゃし、レイディアは“夜にうごめく”、ではなくて“闇に棲まう”じゃ……」

「ほうほう」

 つまり翻訳が間違っている、ということらしい!

 ウィストベル、すごいな。いつの時代、どこで使われていたのだかさえわからない、こんな虫の這ったような文字を、本に頼ることすらなく解読できるなんて! 本当にすごいと思う。

 でも、白状しよう。

 俺は意味とかどうでもいいんです。音が……発音さえわかれば、それでいいんです!


「ジャーイル」

「はい」

「関係ないと思って、聞き流しておったな」

「いや、あの……」

 なぜバレた?


「まあ、よい。が、ここから先はよく聞くがよい」

「はい」

 俺は姿勢を正した。

「実践にあたっては、呪文の音はおおむねその通りでよいが、“レ”の発音の際には小さい“ェ”を挟むようにするがよい。そして、術式を足下ではなく、頭上に展開せよ」

「えっ」

 俺とミディリースの叫びが重なる。


「頭上!? 足下じゃなく、頭上!?」

「そうじゃ」

「おぅ、なんてこったい」

 言っておく。今のは俺じゃなくて、ミディリースの台詞だ。しかも、額を叩くという動作付きの。

 いや、今だけじゃない。さっきからずっと、ミディリースの相づちはどこかオジサン臭い。

「いったいどうして、こんな間違いをしたというのか!」

「解説が欲しくば、後でじっくりしてやろう。二人きりでの……」

「ひぃ」

 ニヤリ、と笑うウィストベルに、悲鳴をあげるミディリース。

 昨日あれから二人きりの密室で、なにがあったというのだろう。


「さて、では実践じゃ。まあ……そうじゃの。ミディリース。主はこの術式を、展開できるか……無理じゃの」

「え?」

 本人が反応する間もなく、早口で答えるウィストベル。

 あれだな……ミディリースも減少前の魔力ならできたんだろうが、今の総量ではたったの二層でも無理がある。本人は、気づいていないにしても、ウィストベルや俺からすればその実力は一目瞭然だ。


「では必然的に、私かジャーイルがこれを行うことになるが」

「もちろん、俺がやります」

 もともと俺の問題だ。他人に任せる気はない。

 だが、ウィストベルは嬉しそうに微笑んだ。

「では、主に任せるとしよう」


 仕切り直しだ。

 一度気を落ち着けた方がいいというので、本棟の小さな食堂で三人そろって朝食を摂り、風呂に入って衣服をただした。

 では、いよいよ実践だ。

「わ……私も?」

 しきりにスカートをいじったり、背を丸めてキョロキョロしたり、ミディリースはいつにも増して、落ち着きがない。

 そりゃあ六百年も引きこもっていたんだ。それなのに、なるべく人払いをしているとはいえ、朝食時には数人の給仕がいたし、移動時だってどうしても多数の目にさらされるからな。


「もちろん、主もじゃ。同じく鏡に映ったのじゃからな。一生その魔力量のままでもよいというのなら、好きにするがよいが」

「お供します!!」

 なに、その腹から出たような野太い声。

 未だかつて、こんなにはっきり喋るミディリースを見たことがあっただろうか。いや、ない。


 とにかく俺たちは、三人そろって広間に移動した。

 そこは舞踏会が開けそうなほど広い割に、出入りの扉が一つしかなく、窓もやはり小さく数少なくで、家具もほとんど置かれていなかった。

 ものすごく暗くて、陰鬱な雰囲気の部屋だ。

 ヴォーグリムが何に使っていたのかは聞いたことがないが、本棟にあって、開かずの間に近い扱いを受けている場所だった。

 もっともそういう部屋は、ここ一室ではない。


 だが掃除だけは怠っていないようで、埃なんかは積もっていない。

 エンディオンには俺たちがこの部屋にいる間は、決して誰も近寄らせないよう頼んである。そうはいっても念のため、結界を……。

「主がやる必要はない」

 ウィストベルに止められた。

「ミディリース。主の特殊魔術は隠蔽魔術であろう。わずかな間、この部屋を誰からも見つけられぬようするくらい、今の魔力でも息をするようにできるはずじゃな?」

 隠蔽魔術!

 え?

 なにそれ、なにその珍しい魔術。

 六百年、引きこもっていられたのはそのせいか?

 後で聞いたら、色々教えてくれるかな?


「はい、もちろんです、女王陛下!」

 ……なんなの、そのノリ。

「調子に乗るでない」

「いだだだだ。すみません、もうしません!」

 こめかみをぐりぐりされるミディリース。

 今日は随分表情がくるくる変わって、おもしろいな。


 とにかく、こんな風に騒ぎながらも、ミディリースは隠蔽魔術を発動し――た、らしい――、俺は改めて儀式に入った。

 まず、三面鏡を俺たち三人の前に空中固定し、術式を頭上に展開する。

 奪われた時は違ったとしても、同じ邪鏡には違いないのだから、返してもらうのは一度にでも大丈夫だろう。

 そして、呪文。“レ”を“レェ”にして唱えて。


 術式が頭上で薄く点滅しだし、それに呼応するかのように鏡面もまた、ぼうっと発光する。

 失敗した時には無かった反応だ。

 ならば今度こそ、今度こそ――。


「ほう」

 手鏡の時と同じ、ただし今回は裏ではなく鏡面からだ。

 目立った特徴のない魔力がじんわり浮き出ると、枝が広がるように俺たち三人に向かって線が延びる。ウィストベルへ向かうものがもっとも多く、ミディリースが一番少ない。どういう仕組みかはわからないが、やはり奪った分量が考慮されているようだ。

 やがてその魔力の束は、各人の魔力にたどり着くとそれに混じり合い、同化したのだった。

「うまくいったようじゃの」


 同化した……そう、同化したのだ!!!


 ひゃっほーーーーい!!


 ようやく、ようやく俺は……俺の魔力がっ!!

 すっかり元通りにっ!!

 長かった……ここまで、本当に長かった!!


 部屋の中にあらためて強力な結界を張り、百式を展開してみる!


 無数の雷撃が天井を覆いつくしたかと思うと、やがて二体の雄々しい獣の姿をとり、部屋中を駆けめぐる。

「ひいいいいいい」

 ぶつかり合い、混じり合う獣たち。

 二体は一体となり、一体は四体に別れ、また二体へと融合する。

 部屋中のあちこちで集まっては散りを繰り返す、眩いばかりの雷光!


 そこへ更に百式を追加。

 万の矢が間断なく広間に降り注ぐ!

 鳴り響く轟音に続いて、目を焼く光の波が広がり、結界を破らんばかりの振動が生まれる。


 ああ、見よ、この魔術の美しさ!

 獣の雄々しさ、矢の鋭さよ!

 余すところ無く百式を操作できるこの力!!

 体中にみなぎるこの魔力!!!

 脳をしびれさせるこの快感!


 気 持 ち い い !!!!


「各々間違いなく、魔力は戻ったようじゃの」

「ありがとうございます、ウィストベル!!」

 俺は我がことのように喜んでくれているウィストベルに駆け寄り、彼女を力いっぱい抱きしめた。

「あん……」

「ミディリースも!」

 ウィストベルを離し、次の目標と定めたミディリースを探すが。

 しかし、相手は視界に入らず……。


「あれ? ミディリース?」

 ぶるぶると震え、頭を抱えながら床に這いつくばるミディリースの姿が、そこにあった。


 ***


「ごめん、ごめんって」

「うっぐ……ひっぐ……」

 ミディリースが泣きやまない。

 百式魔術がものすごく怖かったらしい。

「ほんとごめん、思わずテンションがあがってしまって、つい……」

「つ……つい、で、すんだら……魔王様は……うえっぐ」

「あーごめん、ほんとごめん」

 床に崩れ落ちて泣きじゃくるミディリースの頭を、俺はできるだけ優しく撫でた。


「もうよい」

「いだだだだだだ」

「ウィストベル!」

 再び、ウィストベルに頭を鷲掴みにされるミディリース。

「子供じみるのは外見だけで十分じゃ! いい年の大人が、いつまで泣いておる。主が恐怖を感じたのは、己の弱さ故ではないか。大公がこうして頭をさげておるというのに、いい加減、臣下の分を思いおこすがよい」

 うわ、かわいそうにミディリース。涙と鼻水で、顔がぐしゃぐしゃなんですけど!

「ウィストベル……そう厳しいことを言わずに。俺が周りをみていなかったのが悪いので……」

「暴挙暴虐は強者の特権じゃ。主は弱者に甘すぎる」

 いや……それ、どうなんでしょう。


「弱さはすなわち罪。弱者は生きることをさえ許されぬ。それがこの世の摂理。生き残りたければ、すべてをかけて強くなるしかない。そうであろうが」

 つまり、ウィストベルは強くならねば生き残れなかった、ということか?

「それはあの……俺の知ってる世界とは、ちょっと違うような……」

 確かに残虐と非道は魔族の習いだけども、だからってそこまで殺伐としてはいないと思うんだけど。

「主にとって、世界はもっと優しいものだと申すのか?」

「そうですね……弱いからと言って、たちまち死が訪れるほど、厳しくはないとは思います」

 俺とウィストベルの間に、緊張感を持った沈黙が流れる。


「脆弱な言い分を、我は好かぬ。察するに、主の世界は随分と、生ぬるく優しいものであったようじゃな」

 怒っているのかと思ったが、ウィストベルが浮かべたのは笑みだった。

 それも嘲笑ではなく、随分と優しい……いいや、どこか頼りなげにも見える笑みだ。


「ウィストベル?」

「興が逸れた。我が城に帰るとしよう」

 ふっと、ウィストベルの表情から一切の感情が消える。

 完璧に整った美貌のせいで、まるで氷の彫像のようだ。


「え? もうですか? せっかくいらして下さったんですから、ゆっくりと……」

 自分のことばかりで忘れていたが、我が城にとっては久しぶりの同盟者の訪問だ。

 それもウィストベルに限れば、まだたった二回目の訪問なのだ!

 今回の恩も含め、ぜひにでも盛大に歓待せねばならないだろう。


 だが、ウィストベルは頭を左右に振った。

「いいや。私も少し疲れた」

 その言葉は真実なのか、いつもに比べて雰囲気が随分と弱々しい。

「これ以上の愉しみは、先に送るとしよう。ミディリースに道理を言い聞かせるのも」

「ひいいいい」

「主との朝寝に酔うのも、な」

 だが彼女は、最後にいつもの高慢で嗜虐的な笑みを浮かべて、そう言ったのだった。


 そうしてウィストベルは、邪鏡ボダスだけを携え自分の城に帰っていった。

「せめて昼餐くらい」という俺の言葉をさえ、聞き入れることもなく。


 今回のことでなんとなくわかったが、彼女は随分な幼少期を過ごしてきたようだ。

 少なくとも、俺みたいに両親が揃った上で保護され、成人するまでは何一つ不自由なく――ただ、友達はいなかったけれども――ぬくぬくと育った訳ではない。それだけは、よくわかった。

 それも、俺と同じこの目……魔力を見られる、この目のせいで、なのだろう。

 だからこそ、ウィストベルは気付かざるを得なかった。この目のもう一つの能力に。

 俺が未だ気付かずにすんでいる、誰よりも強くなるための能力に。


 あの女王様が一瞬とは言え、弱々しい姿を見せたんだ。気にならないはずはない。

 だが……俺に何ができる?

 その秘密を聞く勇気もない、今の俺に。

 魔王様ならあるいは、彼女の生い立ちを知っているのかもしれないが……。


「なんにせよ、旦那様のお力が戻られて、ようございました」

 考え込む俺を、慰めるような優しい微笑みで迎えてくれたのは、エンディオンだ。

「ああ、ありがとう。エンディオンにも随分心配かけたな」


 とにかく、気持ちを切り替えよう。

 しばらく魔力の回復に集中していたから、やらないといけないことが山積みになっているはずだ。

「ミディリースにも礼をしないとな。そういえば、本をいくらか入れる約束をしたから……もし、要望があれば、聞き届けてやってくれ」

「かしこまりました」

 ちなみに司書は、ウィストベルを一緒に見送った後、気づけばもう姿を消していた。あっという間にいなくなっていたのだ。

 それも彼女の特殊魔術の賜物なのだろう。


「ああ、それからこれ」

 プートから預かった六枚の紋章の写しを、エンディオンに手渡した。

「プート麾下の六名が、行方知らずらしくてな……一致しないとは思うんだが、一応あの……ほら、例の……」

「旦那様に挑戦してきた、六魔族の紋章との照合でございますね」

「うん、まあ一致しないとは思うけどね!」

 エンディオンは六枚の紋章が書かれた紙を、一枚ずつ丁寧に確認している。


「紋章録で確認したものと似通っているように思われますが」

「いや、六名は全員が公爵らしいんだ。昨日までの俺は、一人の侯爵にすら負けるほど弱体化してたからね! なのにそれ以上の実力者である公爵を、一度に六人も退けることなんてできるはずがない。偶然、数が合っただけだろう」

「公爵……」

 エンディオンの表情が、険しさを増す。

「プート大公閣下麾下の公爵……が、一名というならわかりますが、六名もが一度に旦那様へ挑戦してくるとは……。なにやらきな臭い話でございますな」

 えっと……偶然だと思う、っていう俺の主張は聞いてくれてたかな?

「とにかく、至急照合してみてくれ」

「かしこまりました」

 エンディオンは紋章の写しを手に、執務室を出て行った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ