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魔族大公の平穏な日常  作者: 古酒
大公受難編
39/176

36.ものすごくだるいので、余裕がないのは勘弁してください

「旦那様……あの、旦那様」

 イースの声が聞こえる。だが、目も口も、開く気にはならない。


 正直に言おう。

 町の一部を解氷しなかったのは、わざとではない。

 うん……やっぱりね、借り物の力では、限界があったんだよね。

 なんとか百式を展開したまではよかったが、長くはもたなかった。

 町の九十パーセントを溶かしたところで、身につけていた魔道具共々、術式が砕け散ったのだ。

 人間にも、ああやって対応するのが精一杯だった。竜を降りる気力もわかないんだから。


 ただ、またこんなことがあっても面倒なので、高圧的な口調を心がけはした。

 けど、サービスもしておいたつもりだ。

 俺の考えた百式の図を置いてきたんだから。

 あれを展開できさえすれば、残りの地なんてあっという間に元通りになるはずだ。


 そして俺は今、絶賛疲労中で、絶賛鬱々中だ。


 もう何もかも嫌だ。

 ベイルフォウスの術式は解けなかったし、なのにただでさえ少ない魔力がごっそり減ったのを感じるし、頭のてっぺんから足のつま先まで痛いし、なにより眠くてたまらない……。

 地中深くに穴を掘って、うずくまったまま潜ってしまいたい。

 百年くらい、そのままでいたい気分だ。

 なんかちょっと泣きたくさえなってきた……。


 ああ、もし今……誰かが俺に挑戦してきたら、間違いなくやられるな。確実に、殺られるな。

 そうわかってはいたが、俺は意識を手放した。


 ***


 どのくらいたったのだろうか?

 目をさましたのは、刺激臭が鼻をついたからだ。


 俺は荒れ地に立っていた。


 いや、ネズミ大公を追いかけた末の荒れ地じゃない。

 あそこは割と更地に近い状態だが、ここは違う。

 俺を中心にして、大きな爪がえぐったような痕が、半径五百メートルに及んで大地を飾っている。その周囲は木が取り囲んでいることを見ても……森、なのか?

 森の中の空き地……的な?


 っていうか、あれ?

 確か俺、人間の町から自分の城に帰る途中だった……よね?

 竜の背で寝てたはずなのに、なんで立ってるんだ?

 しかも、右手には抜き身のレイブレイズ……。

 意味がわからない。


 でも……もうそんなこと、どうでもいいや。

 考えるの面倒くさい。

 相変わらずの疲労感……どころか、さっきより余計疲れてる。なぜだ。


 俺はレイブレイズを杖にその場にしゃがみこみ、あぐらをかいた。

 

「だ、旦那、さ……ま……」

 イースの小さな声が聞こえる。

「旦那様……お……お側に……うかがっても、よろしいですか?」

 ん?

 なんで声が震えてるんだ?


 顔を上げて、声のした方向を見る。

 俺の頭上を避けるように、二頭の竜が旋回している。その片方の背からそっと顔を出すようにして、イースがこちらの様子をうかがっていた。


 相変わらず、大声を張り上げるのは面倒くさいので、手招きをする。

 イースはすぐに竜の背から飛び降り、俺の元に駆けてきて……数歩前で立ち止まった。

 猿面の赤い顔が、心なしか青ざめて見えた。

 その怯えた目は、レイブレイズを捉えている。

「ああ……」

 俺が剣を鞘に収めると、イースはやっとほっとしたように、残りの距離を詰めてきた。


「なにがあった」

「お……覚えて、いらっしゃらな……い?」

「寝てたのに覚えてるわけないだろ」

「えっ」

「え?」

「えっ」

「だから……え?」


「あ、あの……」

 じりじりと、イースが後退る。

 なにその反応。軽く傷つくんだけど。


「飛行中に……六人の魔族が……旦那様に襲いかかり……」

「えっ!」

 やばいやばい!

 心配してたことが、まさか本当にあったなんて!

「じゃあ、お前が六人とも倒してくれたのか?」

「えっ」

「え?」

「まさか! 六人は全員が、有爵者のようでした。私なぞ、到底及ぶはずもなく……」

「じゃあ、誰がこれを?」

 ベイルフォウスがまた都合よく通りがかった、なんてことはないだろうし。


「それはもちろん、旦那様……です」

 は? 俺?

「え。寝てたのに?」

「……いえ、あの……ずっと、起きていらっしゃるように見えましたが……」

「えっ」

 なにそれ怖い。

 夢遊病とかいうやつか?


 ああ、でも……確かに、レイブレイズは引き抜いて手に持ってたもんな。

「で、もしかして、俺はその六人全員を、剣で薙いだのか?」

 何一つ、ここに残っていないところを見ると……肉体を切っても、術式のように消滅するのだろうか?

 ミディリースが教えてくれた能力の中に、物体の消滅はなかったと思うが。

「いえ……あ、確かに剣はお使いでした。この爪痕のようなものは、旦那様が剣をおふるいになった跡で……ですが、森の木々や彼らが消滅したのは、旦那様が……見たこともないような、黒い魔術を展開されたからで……」

 そう語るイースの体の震えはだんだんと大きくなり、皮膚からは血の気が引いていく。真っ赤な顔が、今度こそ本当に真っ青に変化した。

 だが……俺にも物体を消滅させるような魔術は、あまり心当たりがない。しかも黒い魔術ってなんだよ。


 …………。

 まあ、いいか。

 とにかく、だるい。

 とっとと城に帰ってしまおう。

 あれこれ考えるのは、休んだあとだ。

 今は頭も体も働かない。


「帰るか」

 よくできた竜たちは、俺の力ないつぶやきにも反応して、地上に降りてきてくる。

 ああ……。

 今日なんかは、その背に乗るのに登竜機が欲しいくらいだ。

 そう思ったのが通じたのか、竜は寝そべるように地にべったりと伏せてくれた。


 俺は最後の力を振り絞って竜の背に乗ると、今度は眠らないように意識を保ちながら、城を目指したのだった。


 ***


 自分の寝室で眠ったのは、久しぶりだ。

 弱体化してからというもの、ほとんど執務室で過ごしていたのだから。

 ぐっすり眠ったからか、気分もすっきりしている。


 さて、今日も頑張るぞ!!


「はい! 頑張りましょう!」


「……ん?」

 何、今の返事。

「……何してる、マーミル」

「え? 何って……添い寝ですわ」


「……ここに正座しなさい」

 俺はマーミルをベッドの上に正座させ、懇々と淑女のたしなみについて言い聞かせたのだった。


「わかったか?」

「わかりましたわ。二度と、お兄さまのベッドにこっそりと潜り込んだりしませんわ」

 本当にわかっているのだろうか。

 だったらそのぷっくり膨れた頬はなんだ。

「じゃあ、次やったら尻叩きの刑だからな」

「うえっ」

 罰の宣言に、やっとマーミルは神妙な表情で頷いた。


 さて、説教はこのくらいにして、今日もやるべきことをやろう。

 妹もここにいるし、手鏡の使用説明書も手元にある。

 だが手鏡は……。

 割と意識がもうろうとしていたので、どこへやったのだか覚えがない。

 確か、イースに回収を任せて……。

 それからどうしたっけ?

 確かミディリースへの書き付けだけは、頼んだはずだ。その後は寝室に駆け込んで、倒れるように眠ってしまった……のだと思う。


「ねえ、お兄さま。隣の居室にあの手鏡がたくさん並んでましたわ。私の魔力を戻すために、人間たちから取ってきてくださったのね?」

 マーミルはぴょんぴょん飛び跳ねながら、瞳を輝かせている。

 そうか。イースのやつ、居室に置いてくれてるのか。

「ああ、そうだ。今から解呪するつもりだから、隣で待っていなさい。お兄さまは着替えるから」

「はーい!!」

 妹はかなり上機嫌な様子でぴょんぴょん飛び跳ねながら、俺の寝室から出ていった。


 俺は手早くシャワーだけ浴びると、黒地に紋章の入ったローブに着替え、ベルトを巻いてレイブレイズを帯剣する。今日は謁見は休みなため、かなり室内着仕様だ。

 さて、気分も落ち着いたことだし、儀式を執り行う前に、手順を確認しておくか。


 ガストンの説明では、鏡の装飾を外して背面を見、古代文字を解読しろ、ということだったが、使用説明書を手に入れた今、そんな面倒をする必要はない。

 きちんとその説明書に、解呪方法が書かれているからだ。


 曰く、

(1)手鏡に、対象となる姿を、一部でもかまわないので、映しましょう。


 まず、一つ目の時点で俺はつっこみたい。

 ガストンの説明では、裏面を見るのに鏡が粉々になってもいいと言っていたと思うのだが? 粉々になったら、対象物を映すの苦労するよな!


(2)対象を鏡に映したまま両手を天に掲げ、片足をあげて軸足にクロスさせ、対象に向かって舌を出します。

   このとき、舌苔で真っ白になっていてはいけません!

   きちんと口内を清潔に保った状態で、実行しましょう!


 おい!

 おい!

 この二番目は、丸ごと無視していいだろう。いい、よな?

 とりあえず、無視しよう。


(3)呪文を唱えましょう。

  「ああ、天よ! 我が訴を聞き入れたまえ! デヴァイング・エメス・ファルファレーザ!」

   ただし、この呪文を言っている間に、対象を鏡から外してはいけません。


 うーん。どう考えてもおかしい。

 だってそうだろ?

 奪うときは短い呪文だけだったじゃないか。

 それに、わざわざ裏の解説をさえ、古代文字で書いているのに、解除の呪文だけに現代語が混じってるっておかしいだろう!

 多分あれだな……最初の「ああ」から「たまえ」までは、唱えなくても問題ないに違いない。

 しかし、対象物をずっと鏡に映しておかないといけないってのは……魔獣相手と考えると、人間にはちょっと難しい話だろうな。


 よし、結論としては、(1)を行い、(2)を飛ばして、(3)の呪文を唱える、と。

 それでやってみるか!


 そうして俺は、マーミルの待つ居室に移動した。


 妹の言ったとおり、三十八枚の手鏡はその応接机の上に並べられている。

 重なりあわせながらも、八列五行で整然と。

「不思議ですわね。こんな小さな手鏡に、私の魔力が奪われただなんて」

 マーミルはソファに腰掛けながら、手鏡を一つ手に持ち、くるくると回してその表裏を点検している。

「それで、どうしますの?」

「そのままじっと、椅子に座っていてくれ」


 ベイルフォウスやジブライールの減少分を考えて……マーミルには二十枚分を戻せばいいだろう。

 一斉に鏡を向けられたのだろうが、マーミルが前列にいたせいだろうか。妹の減少分が一番多くなっている。

 もしかすると、一枚の鏡に三人分の魔力が吸われたのかもしれないが、俺の目でも判別はできないのだから、割合に応じて戻すしかない。


 俺は残りの十八枚の鏡をひとまずあいている棚に収納した。

「あら」

 マーミルがつぶやいたが、気にしない。

 机に置いたままでもマーミルの姿は手鏡に映っていたが、念のためだ。魔術で二十枚を空中に浮かし、妹の前で固定する。

 そこで、呪文だが……。

 足をちょっとだけ交差してみようかな……。


「お兄さま、儀式を行うのに、そんなだらしのない格好でいいんですの?」

「気にするな」

 そうして、俺は呪文を唱えた。

「デヴァイング・エメス・ファルファレーザ!」


 果たして。

 結果は成功だ。

 魔力は本当に、手鏡の中にあったらしい。表面ではなく裏面から、誰のものとも判断のつかない魔力がわき上がってマーミルに向かって延び、吸収されたのだ。

 そうして、妹に魔力が戻ったのはいいのだが……。


「あ! また魔術が使えるようになりましたわ!」

 だが。

「あら? でも……あら?」

 マーミルは困惑した表情で、俺の方を見ている。

 それもそのはずだ。確かにマーミルの魔術は戻った。

 だが、全てではない。

 これは……まさか、俺が(2)を省いたからか!?

 それとも、二十枚分しか戻らなかったという事か。


 ……うん、きっと、二十枚分しか戻らなかったんだな。

 (2)の変な格好が必要な訳はない!


 俺は一度しまった残り十八枚の手鏡を、棚から取り出した。

 となると、ミディリースに預けた分は……まあ一枚くらいはいいだろう。

「もう一度、やってみようか」

 俺は妹に、満面の笑みを向けた。


 なんだ、その、不審なものを見るような目は!


 ***


 マーミルの魔力は、無事元――やや欠けてはいるが――に戻った。

 あとは俺の魔力だが、成功例があるというのは随分気を楽にしてくれるもんだ。それとも、気分がいいのはぐっすり眠ったせいかもしれない。

 とにもかくにも、落ち着いた気持ちで執務室に向かう。


 ええと、昨日は他に何があったんだっけ……。

 確か、人間の町に行って、ベイルフォウスの氷結を解いて……いや、一部無理だったけど。

 待て。この件はちょっと置いておこう。

 思い出すとこう……胃がむかむかと……。


 その前に、手鏡と邪鏡ボダスの古代文字の解読を、ミディリースに頼んでおいたんだった。それに昨日、帰ってから手鏡の説明書を一部、厳重に封をして、書き付けと共に彼女の元に届けさせたはずだ。

 進捗状況はどうなっているだろう。


 あとは……ええと……あ!

 そういえば、俺、昨日の帰りに爵位持ちから挑戦されたんだっけか!

 六人?

 よくもまあ、それだけの人数を相手にして、無事だったものだ。いつもに比べれば、今の俺は魔力もないに等しいというのに。

 しかも、寝てたのに!


 そんなことを考えながら歩いていたら、いつの間にか執務室の中にいた。

「おはようございます、旦那様。本日は大変、お顔の色もよろしいご様子で、何よりでございます」

 エンディオンがにこにこと頷いてくれる。

 最初はあんなに怖かったのに、今では誰よりも癒やしをくれる。

 なんだろう、この気持ち。これが恋かしら。


 冗談はさておいて。


「昨日はすまなかった。執務室に顔も出さず、帰るなり寝てしまって……」

「いえ、事情はイースよりあらかたうかがっております。このところの状況をあわせても、お疲れになるのは無理ありません」

 エンディオンは俺の事情を正確に知るただ一人の人物だから、こうして納得してくれるのだろう。

「手鏡を応接机の上に並べておきましたが、よろしかったでしょうか? 旦那様の応接に入室を許されている者は限られておりますし、机上の私物には手を触れないよう、きつく申しつけておきましたので」

 並べたのはエンディオンだったのか。どうりできっちりしていると思った。

「ああ。三十八枚きっちりそろってた。ありがとう」


 エンディオンはこくりとうなずき、報告を続ける。

「旦那様に挑戦したという六人に関しては、イースの証言と、旦那様のもとに下った紋章を照らし合わせて特定いたします。ただ、数日の猶予は必要かと存じます」

「だろうな。まあ、急ぐ必要もない」

 今の俺が勝てた位だから、爵位持ちといっても下位の者だろう。


「それで、だが……ミディリースから何か報告はないか? あの変な文字が解読できたとか、できなかったとか……」

 俺の行動や意志は、エンディオンには常から全て話してある。当然、ミディリースに古代文字の解読を依頼していることも、伝えてあった。

 というか、昨日回収した手鏡の説明書を図書館に届けてもらえるよう頼んだ相手が、そもそもエンディオンだ。

「いえ、特にご報告などは届いておりません」

 そうか。さすがに全く知らない言語を解くとなると、一日では無理か。

 昨日は俺の帰りを待ってたりは……絶対ないな。うん。


「しかし、驚きました」

 エンディオンは長い息を吐いた。

「昨日、旦那様のお手紙を、ミディリースに届けようと図書館を訪れたところ、そこに黒ずくめの怪しげな者がいるではありませんか!」

 ああ、確かに怪しいな……うん、あの黒ずくめは怪しいよな。

「思わず攻撃してしまうところでした。まさか、ミディリースであるとは」

 えっ。

 エンディオン対ミディリースが始まるところだったのか?

 一触即発状態?

 不審者は有無を言わせず実力で排除なの、エンディオン?

「いやはや、かなり久しぶりだったもので、あれほど小柄であったことすら、すっかり失念しておりました」

 そんな穏やかな笑顔で言われても!

 しかし、二人はどうやってわかりあえたのだろうか。


「ミディリースからはございませんが、旦那様。昨日、別の方からの信書が届いております」

 エンディオンの合図で、盆をささげ持った侍従が執務室に入ってくる。その上には、黒い封筒とペーパーナイフが置かれてあった。

 侍従は盆ごとエンディオンに手渡すと、そのまま一言も発せず出て行った。

 俺はその封筒を、エンディオンから受け取る。


「これは……」

 信書といえど、気安い書簡ではなさそうだ。

 真っ黒な封筒の表には、用紙の半分を使って紋章が焼かれており、裏にはその人物の頭文字が押された封蝋がなされている。

 その紋章は<咆哮する獅子>。


 誰あろう、七大大公の第一位、プートの紋章だった。


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