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魔族大公の平穏な日常  作者: 古酒
大公受難編
38/176

35.イースくん、キャラに似合わず張り切りすぎじゃないですか?

「何を慎むんだって?」

 俺はイースの背後から、そう尋ねた。

「か……閣下!」

 閣下?

 お前、いつも俺のこと「旦那様」って呼ぶだろう。

「ただいまこの人間どもに、閣下の偉業を言い聞かせておりました! ちゃんと己の立場をわきまえるように、懇懇と申しつけましたので、その点もご安心を!」

 は?

 なに、どうしたの、イース。

 俺の偉業って、なんだよ?


 そこはイーディスの店よりいくらか広い、飲食店のようだった。奥にカウンターがあり一人掛けの椅子が七脚、四人掛けのテーブルセットが十席ほどもうけられている。

 だが、女性たちは全員が床の上に正座させられており、俺に向けられた視線には怯えが混じっていた。

 対するイースの表情は、晴れやかで自信に満ちており、ただでさえ赤い顔が興奮のせいか、いつも以上にほてって見える。いつもの頼りなさはどこへやら、だ。


 ただ、イーディスとミナだけは、困惑顔だ。

 マリーナの姿はない。もしや、途中で追い抜いたか? 俺もガストンの店でかなり時間を使ったんだがな。


「あ、あの~」

 イーディスがそろそろと、手をあげる。

「なんだ、女。発言を許す」

 イーディスをびしっと指さすイース。

 いや、イース。どうしたの、ほんとに。


「えっと……ガストンさんとマリーナは、ええっと……どう……なさった? ん? ですか? どうして、一緒じゃ……えっと、ご一緒じゃ、なさらないんですか?」

 イーディス。無理して丁寧にしゃべろうとしなくていいから。

 言葉がおかしくなってるから!


「閣下。お答えになられますか?」

「ガストンは……」

「閣下!」

 イースがまたも機敏な動作で、今度は俺に向かって手のひらを見せてくる。続いて言った言葉が。


「人間どもに直接お声をお聞かせするなど、勿体のうございます! 私が言い聞かせますゆえ、どうか、このイースにお耳うちを……」

 俺はイラッとして、イースの頭を掴んだ。

「よし、わかった。お前の忠誠心はわかった。だが、黙っていろ、イース」

「だ、旦那さまぁ」

 情けない声を出すな。


「イースに何を言われたのだか知らんが、気にしなくていい。足を崩すなり、立ちあがるなり、好きにしてくれ。俺は君たちに危害を加える気は、いっさい無い」

 ああ、たとえこの中の何人かが俺を、突然襲ってきたとしてもな。

 なにせ、人間の女性は――性根がどうかは別として――魔族の子供に比べたところで、まだか弱いのだから。


 戸惑い、顔を見合わせる女性たちの中で、一番に立ち上がったのはミナだ。

「よかった。もう、足がしびれちゃって……」

 そう言って彼女は立ち上がりかけ、ふらりと……ふらりふらりと……ちょ……なんでこっちにくるんだよ。

「いやだ、足がしびれてまっすぐ歩けなーい」

 なんてわざとらしいんだ!


「イース、受け止めてやれ!」

 俺は家僕の頭をミナの方へ押し放つ。

「ぎゃあああああ」

 ミナは迫るイースから逃れるように、とびすさった。

 足がしびれてたんじゃないのか?


 それにしても、竜の上では和気藹々と見えたのに、今の驚きようはひどいな。それだけデヴィル族は恐ろしいのか。

 俺ならこんな反応をされたら、ちょっと落ち込んでしまうところだが、イースはどこか誇らしげだ。


「ガストンは宝具屋に置いてきた。生きてはいるから、心配いらない」

 イーディスの表情が曇る。まあ、生きてはいる、という言葉で安心できるはずもないか。

「マリーナは先に解放した。ここに向かっている途中か、それともどこか寄り道をしているのか……俺にはわからない」

「そう、ですか」

 イーディスの声は暗い。

 初めて会ったときの明るさは、今の彼女にはない。

 しかし、芯は強そうに見えるから、町が元に戻ればまた以前の明るさを取り戻すだろう。


 俺としては、いつまでも彼女たちと話を続けて、時間を浪費するのも惜しい。会話はここらへんで打ち切らせてもらおう。

「イース、手鏡を回収してくれ」

「手鏡、でございますか?」

「そう……ああ、あれだ」

 窓際の席のいくつかに、鏡が置かれている。

 魔鏡と同じで吸われているはずの三人の魔力は感じないが、ベイルフォウスから受け取ったものと同じだから、間違いはないだろう。

「この手鏡を使ったのは、今ここにいる全員に、マリーナとガストンを足した数でいいのかな?」


 俺の視線を避けるように、女性たちの目線がイーディスとミナの間をさまよっている。

 どうも、俺と直接口を利く気のある者は、彼女たち二人以外にはいないようだ。

 俺はこの町を氷漬けにしたベイルフォウスとは違うのだが、まあ人間からみれば同じ魔族。恐怖の対象なのだろう。

「……はい。たぶん」

 周囲の顔ぶれを確認して、イーディスが頷いた。


 と、いうことは……一、二、三……三十七人か。俺の城に一つあるから、三十八個の手鏡を集めればいいわけだ。

「イース、手鏡を三十八個集めろ。マーミルの今後に関わる重要なものだ。頼んだぞ」

「お嬢様の……今後……!!」

 イースが真剣な表情で、ごくりと喉をならす。


「俺は町にかけられた、ベイルフォウスの氷結魔術を解く」

 そう言いおいて四階の窓枠に足をかけると、そこから一気に跳躍し、竜の背に飛び移った。


 さて、ここからはガストンの店から持ち出してきた、魔道具の数々が役に立ってくれるはずだ。

 万が一役に立たねば……町はこのまま、かな。正直、俺にはなんの影響もない……。


 いや、ないこともないか。

 下見のつもりで解いてみようと試みさえしなければ、影響はなかったんだろうが……いったん魔術を展開して、それがかなわなかったとしたら……その事実が隠し通せるはずはない。そうなると、俺はベイルフォウスに遠く及ばない、とか噂されてしまったりするのだろうか。

 たとえ魔力が戻った後に、解氷に成功したとしても。

 まあ、大公位的にはベイルフォウスは二位。俺は六位だ。

 対外的には何も問題はないはずだが……。


 うん。

 一方的に劣ると言われるのは、面白くはないな。

 

 俺はガストンの店から持ち出してきた、《つけるだけで魔力が増幅! 効果は宝石の種類によります!》というブレスレットを左右の腕に八つずつ通し、《額こそ魔力の源!》なサークレットを三つかぶり、《可愛さと実用性を兼ね備えました!》などと宣伝の貼られたピンクに輝く大きなハート型のネックレスを五つつけ、《魔道具の効果を倍増!》という派手な腹巻きを……。とにかく、身につけられるだけのものを全て身にまとった。

 全部合わせると五十以上にはなるだろうか? 動くとじゃらじゃらとうるさい。そして、いろんな所が暑い。


 まあ、つまり。

 誰にも見られてなくてよかった!!!


 大半はつけるだけで効果があるとうたっているものだが、いくつかは呪文が必要らしい。説明書で確認した呪文を思い出しつつ、片っ端から唱える。

 その仕組みはわからないし、道具によってその効果に差はあるものの、確かに徐々に魔力が増幅されるのを感じたし、目でも確認した。


 だが……さすがに百倍にはならない。

 俺の元の魔力と同等までは、戻らない。

 せいぜい、今の魔力の十倍に届くほどだ。

 しかしそれでも、百式を展開するには十分。


 俺は町の空高くに、おそらくベイルフォウスが展開しただろうものと同じ規模の術式を、今もてる限りの全魔力を費やして、発動させたのだった。


 ***


 私が剣をお教えしているマーミルお嬢様は、今は確かに無爵の私よりも魔力は劣っておられます。そんなのはまだほんの小さなお子様なのだから当然なのです。ですが、私は確信しております。

 旦那様ほどは無理でも、きっとうちのお嬢様は強くおなりです! 間違いありません。成人なされば、すぐにでも爵位を得られることでしょう!

 そのお嬢様の今後に関わる大切な品、と聞いて、真剣にならないわけはありません。


「隠しだては許さんぞ、とっとと手鏡を出すんだ!」

 私に対して怯えを見せる人間たちに、高圧的に言い放ちます。

 旦那様のお供だというだけでも、緊張で胃液を吐きそうなのに、人間たちにまで神経を張り巡らさないといけないとは!


 魔族は世界の支配者、絶対的強者。すべての生物の中で、もっとも偉大で高貴で完璧な存在!

 我が主であられる旦那様は、その魔族の中にあってもたったの七人しか存在しない、大公閣下なのです!

 そう、その比類無き魔力、無慈悲な力!


 人間などというのは、旦那様が気まぐれに手を振られるだけで、瞬時に滅びてしまうほどの矮小な存在でしかないのです!

 万が一、人間が無礼きわまりない態度をとって、旦那様を怒らせてしまったらと考えると……それだけで震えが止まりません。


 なにせぼんやり見えても、旦那様がものすごくお強くて、ものすごく容赦のない、ものすごく怖いお方だというのは、<断末魔轟き怨嗟満つる城>に勤めるものの周知するところなのですから。


「これで……最後、だと思います」

 そう言って手鏡を差し出してきたのは、旦那様の竜に同乗してきた娘のうちの一人。もう一人に比べると、まだ旦那様への態度には、遠慮が見られる娘です。

「ご苦労であった。では、もう用はない。解散するがよい」


 私の宣言に、人間たちは顔を見合わせました。

「解散っていわれても……」

「ねえ」

 表情から感情を読みとるのは難しいですが、空気を読み、声を聞けば、不満が漂っていると判断できます。


 私が人間たちにカツを入れようとした、その瞬間。

 金属が割れる甲高い音が、耳を刺す痛みを伴って響きました。


 地面は動きもしないのに、体中を駆け巡る血の一滴までをも、大地につなぎ止めるほどの重圧。一気に押し寄せる、肌を刺す大気の熱い震え。弱者が存在するのを許さないかのような、圧倒的魔力の波動。

 弱い人間たちのいくらかは気を失って倒れ、そうでない者も頭を抱えて地に伏せています。幾人かが声をあげて泣いているのも、本能的な恐怖のためでしょう。

 私だって、もしもこの者たちがいなければ、戸棚の奥に隠れてしまいたい……。


 間違いありません、旦那様が魔術を展開していらっしゃるのです。これほどの重圧を感じる魔術。一体どれほどの……。

 恐ろしくて窓の外を見ることもできません。

 ですが、実際にはそんな暇すらなかったのです。

 その魔術が展開されたのは、おそらく数秒……。窓際に駆け寄って、空を見上げる頃にはすべて終わっていたでしょうから。


 そう、さっきまで空間を蹂躙していた圧力は、瞬時に消え去ってしまいました。

 私はようやく、窓へと駆け寄ります。


「旦那様!」

 見上げた上空では、旦那様の竜が空中停止しており、私の乗ってきた竜がその周囲をぐるぐると回っています。

 竜の背はバカみたいに広いため、ここからでは旦那様のお姿を確認することもできません。


「旦那様、手鏡を回収いたしました!」

 私の叫びに、答える声はありません。

 どうなさったというのでしょう?

 私の声が小さすぎて、聞こえなかったのでしょうか?

「旦那様? いかがいたしましょうか」

 竜に乗った方がよいのでしょうか。


 私は周囲を見回しました。

 さきほどの魔術の結果でしょう。あの分厚かった氷が、すべてなくなっています。跡形もなく、です!

 氷結なさったのはかのベイルフォウス閣下とのこと! 旦那様はそれを解氷しにこられたとか。

 私はてっきり旦那様の魔術の結果として、今度はこの町が水に埋もれるのだと思っておりました。ベイルフォウス閣下の造形なさった氷は、そう思わせるほど凶悪にも分厚いものであったからです。

 ですが今この場には、その氷の溶けた形跡すらありません。


 大公第二位の御親友にであっても、一歩もひけをとらない、と、御自身のお力をお示しになられたのです、我がジャーイル大公閣下は!

 ええ、そうですとも。我らが旦那様は、とにかく本当にお強いのですから。


 そもそも、その御対応からいって、私の理解の範疇を超えています。

 ええ、いいえ。人間たちのことなど放って置けばいいのに、という意味ではありません。それも確かにそうなのですが、私が理解できない、というのは別のことです。

 つまり他者が展開してその効果を現している魔術を打ち消そうだなんて、そもそも、そんな突拍子もないことを考え思いつく段階で、普通の魔族ではあり得ません。相手の魔術を上回る魔術で応戦し、力によって打ちのめす……たとえばこの場合なら、永久凍土とも思える氷を世界を焼き尽くすほどの業火で溶かし、ついでに町を焦土と化す。それが通常の魔族の考え方でしょうから。


 ですが、結果はお見事です。旦那様は人間の町を、先の魔術を打ち消すことによって、そのご意志通りによみがえらせたのです。

 いいえ、よみがえったのは町ばかりではありません。


「なんだ……」

「一体、どうなった?」

 氷像となっていた人間たちもまた、一斉に動き出したのです。

 この建物の前にいた、数十人の男たちもまた。


「おい、あの魔族たちはどこだ!?」

 彼らは口々に叫びだし、緊迫感を漂わせながら、周囲を見回します。

 そしてごつい筋肉だるまの一人が、四階の窓から顔を出していた私に気付きました。


「あそこに魔族が!」

 私に向けられる、人間たちの複数の目。

 その視線には、恐怖と憎悪が混じっており、私の自意識をほどよく刺激してきます。

「バカな……さっきまで、あそこには女たちがいたはず!」

「いったい何があったんだ」

「まさか、あの魔族が女たちを……」

 察するところ、人間たちはベイルフォウス閣下に氷漬けにされていたことにすら、気付いていないのでしょう。呑気なことです。

 しかし、ということは、旦那様の慈悲深さを知ることもないのです!

 これはいけません、私が言い聞かせなければ!


「人間たち」

「おのれ、魔族……! よくも女たちを!」

 筋肉たちが口々に叫びをあげ、私の言葉を遮ります。

「怪しい術を使いおって!」

 白いローブを着た一団、その中央にいた白髪の人間が、杖を振り回しながらぶつぶつ言い始めました。

 何かの魔術が発動される!

 さすがにそれがわからない私ではありません。迎えうつべく、術式を展開させるつもりで手を突き出します。


「待って!!」

 突然、私のいる建物の一階から、人間が飛び出していきました。

 あれは恐れ多くも、旦那様の竜に同乗した娘ではありませんか。

 む?

 しかも……旦那様のマント?

 なぜ、あの娘が羽織っているのだ!


「おお、無事だったか!」

 ほっとする男たち。

 白髭もまた、呪文の詠唱を取りやめます。

 だがそれは娘を歓迎した故のことではないようです。


「手鏡はどうした? あの魔族に向けるのだ!」

 私が娘を詰問する前に、白髭の周囲の男が怒鳴り声をあげました。

「他の女たちはどうした。おまえだけが、あの魔族に見逃されたのか?」

「そうじゃない、違うの。とにかく私の話を聞いて。早まらないで!」

 ですが、白髪は娘の言動には耳を貸そうとしません。

「同志よ、杖を掲げよ! あの思い上がった魔族に、我らが魔術をもって開眼させてやろうぞ!」

 その杖を天高く掲げた、まさにその瞬間。


 雲一つない天より、一筋の光が地上めがけて伸びたのです。その光は、地表近くで枝分かれしました。

 そうして鳴り響く、鼓膜が破れるほどの轟音。

 何が起きたのか、私以外に気付いた者がいるでしょうか。

 旦那様が発した魔術を、理解した者がいるでしょうか。

 一瞬浮かんでは消えた、その術式を目にできた者がいるでしょうか。


「は……」

「え?」

 同じようなローブを羽織った一団が、空の手を振り上げたままで硬直しています。

 そう。その手にあった全ての杖が、一瞬で粉々になったが故に。


 しかしどういう加減なのでしょうか。杖は雷撃で崩れ落ちたのに、人間たちの身は黒こげどころか、火傷すら負っていません。

 ですが、その精神にはいくらかのダメージがあったようです。表情が恐怖で固まったままなのは、種が違っても容易に観察できますから。


「今日の俺は、機嫌が悪い」

 光の次に天から降ってきたのは、旦那様のお言葉。

 空を見上げれば、我らが主が竜首の根本にすらりと起立して、町を見下ろしていらっしゃるそのお姿が。

「今のが譲歩できる最大限だ。次に反撃の意志を見せる者があれば、今度砕くのは杖だけではないぞ」

 確かに、ご機嫌がお悪いようです。こんなにドスの利いたお声は、耳にしたことがありません。


「な、なにをバカな……」

 白髪は反応しますが、声が若干震えています。

「竜……だと?」

「竜まで!」

 人間の男たちが、上空を見上げてざわざわと騒ぎ出します。

 竜より旦那様の方が百倍以上恐ろしいというのに、何を騒ぐことがあるのでしょう!


「お兄さん!」

 イーディスとかいう娘が駆け寄ってきて、私の横から身を乗り出しました。

「あたしがちゃんとみんなに説明するから! これ以上は勘弁してください! お願いです」

「あ、こら、娘!」

 あれほど口を酸っぱくして言い聞かせたというのに、なんて無礼な口の利き方をするのでしょう!

 これ以上旦那様がお怒りになられたら、人間だけでなく、一緒に地上にいる私まで命はありません!


「……イース、手鏡は?」

 ですが、旦那様は娘の言葉に反応なさいませんでした。あるいは、応えないということで、許諾を示されたのかもしれません。

 私は姿勢を正し、大声を張り上げます。

「はい、旦那様。すべて回収いたしました!」

「ならいい。帰るぞ」

「は」


 私はカーテンを引きちぎり、それで鏡を包みました。

 それから竜笛を取りだし、その長いひもを持ってぐるぐると回します。

 我々にはヒューヒューと、風の通る音しか聞こえませんが、竜の耳には彼らにだけわかる音が鳴っているはずです。

 旦那様のような強い魔族であれば、竜には「こい」と遠くから命じるだけでいいのですが、竜たちは我ら下級魔族の言葉には、距離がある状態では従ってくれません。それで竜が思わず近寄りたくなるような音を出す、竜笛を使うのです。


 竜が降りてくると、あたりに爆風が巻きおこりました。

 氷から溶けた木々はミシミシと幹から音を立て、塵芥が舞い上がり、人間たちの大多数は目を塞いで地に伏せます。

 横にいた娘も、口を塞ぎながら部屋の中へ引っ込んでしまいました。

 私は手鏡をまとめたカーテンを背負うと窓枠に足をかけ、空中停止した竜の背に飛び乗ります。そうして手綱を取ると、旦那様のいらっしゃるあたりまで上昇しました。


「人間たち、よく聞くがいい」

 旦那様は、慈悲深くもまだ人間たちにお言葉を賜るようです。

「お前たちが今後間違いを犯さぬよう、森に近い広場のあたりは解かずにおいてある。後は自力でなんとかするがいい」

 そういって、旦那様は一枚の紙を地上に向かって投げ捨てました。

 ああ、もったいない!

 あれは旦那様の紋章が入った紙ではないですか! 私ですらもらったことはありません。

 人間にくれてやるなら、葉っぱにでも書き付けなさればいいのに!


 旦那様の魔術が運んでいるのでしょう。杖を失った白髪の人間の元へ、まっすぐに降りていきます。

 白髪の者は、おそるおそる、といった様子でその紙をつかみ、その周囲を囲む者共含め、書き付けを見て顔面を蒼白にしました。

「これは……こんな陣を、どうやって……」

 戸惑いを隠さない人間たち。

 ですがさすがの旦那様もそれ以上、人間に慈悲を垂れるのはおやめになるようです。

 小さなため息を一つついて、首から背に移動なさいました。それからどっしりと胡座をかかれると、あとは人間たちのことなど目もくれぬご様子で、<断末魔轟き怨嗟満つる城>に竜首を向けられたのです。


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