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episode72・拳とチョーカー

「皆、逃げて!」


 アースガルズの拳が振り下ろされる。標的は傷裏だ。

 見た目通りというべきか、その動きは極めて鈍重だった。いくら絶望的な体格差はあれど、これなら避けることは困難ではなかった。

 ただし、振り下ろされた後に生じたアスファルトの破壊痕は、死への恐怖を増大させるには十分過ぎた。


「カッハァー! おいおいおいおいぃ! さっきから逃げてばっかじゃねぇか! 逃げてちゃどうにもなんねぇぜ!」


 クーシが甲高く笑う。彼の周りには、いつの間にか現れた6人の男女がおり、SPのようにクーシを守っていた。


「じゃ、アースガルズ。そいつら殺しとけ。肉片1つ残すんじゃねぇぞ?」


 告げ、クーシはその場を去る。当然傷裏たちは追おうとしたが、アースガルズの拳がそれを阻む。


「クソが!」


 傷裏……ではなく『タイガ』はアースガルズにナイフを投げつける。しかし、ナイフは突き刺さることなく弾かれる。これは当然想定の範囲だ。対策はある。

 次に取り出したのは、アウラから拝借したダーウィンだ。マガジンの弾数があることを確認し、再装填。

 異形の女にこれを使用した際、異形も再生する肉体も関係なく破壊した。あの巨体にどれほどの効果があるかわからないが、それでも。


「足を潰す!」


 1発。

 魔弾が解き放たれる。

 その道を阻む者はいない。

 疾駆。

 弾丸。

 アースガルズの肉を爆裂させる。

 『ことはなく』。

 その肉に吸い込まれ、消えていった。


「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」


 情報の整理が、全く追い着いていなかった。

 理解することが叶わず、そのせいで、愚かなことに、足を止めてしまった。

 それは失策だった。


「傷裏君!」


 黒崎の声が意識を覚醒させた。

 だがそれでも、圧倒的に遅過ぎた。

 アースガルズの拳が投下。それをギリギリのところで回避に成功する。

 『拳』は、回避した。

 アスファルトに拳を叩きつけたことで、当然ながら地は粉砕、数多の礫となって襲来したのだ。

 礫は『タイガ』の体を強く打ち、激痛が全身を迸り、肉体が悲鳴をあげる。

 それでも、なんとか逃走する。ダーウィンが無効化された今、アレに対抗する手段は1つしか残っていない。

 いくつものコンテナが等間隔かつ規則正しく並ぶ細い道を抜け、とある錆びたコンテナの前に到達した。

 アースガルズが追ってくる様子はない。どうやら優先標的をアウラたちにシフトしたようだ。


『急がなきゃ!』

「わかってる!」


 コンテナはその外観に似合わず、6桁の暗証番号、指紋認証、網膜認証、声紋認証という4つの前段階を踏まなければ開かないという徹底的なセキュリティぶりだった。

 『タイガ』は冷静かつ早急に、それらを手早くクリアしていく。

 全ての認証が終了すると、スライド式の自動ドアが開く。

 コンテナの中身はというと、膝立ちでうずくまるような姿勢で格納されたバーバリアンだった。傷裏のよく知る真紅の機体、ハルファスだ。

 ここで当然生まれる疑問は、『なぜ今この場所にハルファスがあるのか』である。その1点に尽きる。


 回想。


『おい龍、今回の仕事は何かマズイものがある。念のため、ハルファスを後日向こうに送っておくぞ』


 福岡行きの前夜、傷裏の携帯に市原からの電話があった。


『市原さん、一体どういうことですか?』

『詳細はこちらでも掴めていないんだが、どうもアウラちゃんが危ないと俺は読んでいる』

『アロラさん……ですか? それってもしや、以前聞いていた彼女の軍属うんぬんと関係が?』

『おそらく、な。とりあえずハルファスは博多港のコンテナヤードにでも混ぜておくからそのつもりで頼む』


 回想終了。


 つまりそういうわけだ。クーシがここを決戦の舞台に仕立てたのは不幸中の幸いだったということだ。

 さらに偶然か必然か、昨日の早朝はEUCの貿易タンカーが3隻来ており、現場は慌てていたと思われる。どこかからか回ってきたコンテナの1つや2つ、不思議に思う余裕もなかったということだ。


「……よし、これならすぐに稼動……グッ……!」

『「タイガ」⁉︎』


 コックピットにてシステムチェックをしていたところ、唐突に『タイガ』は自らの右腕を押さえて呻き出した。

 その右腕、明らかに異様な方向に折れ曲がっていた。おそらく先ほどのアスファルトの礫によって受けたダメージだ。


「マズイな……痛みだけならなんとかなったが、物理的に動かせないとなると……」


 他の誰かに操縦してもらうことも考えたが、すぐに排除した。ハルファスは第三者からの強奪防止用として傷裏の生体反応を入力しなければ動かないようになっている。


『「タイガ」! 急がないと皆が……!』

「あぁクソッ、わかってる! だがどうすりゃ……あ?」


 思い出した。

 あの男……赤井から強制的に渡されたアレのことを。

 処分するわけにもいかないから扱いに困っていたアレを。

 この『物理的に操縦が不可能な状況』を覆すことができるアレを。


「……あいつの力を借りるというのは癪だが、やるしかねぇか」


 すぐさま『タイガ』はアタッシュケースを開き、中から大型のチョーカー、4本のケーブル、そして電車の切符サイズのICチップを取り出した。

 一旦コックピットから外に出て、機体をよじ登って頭部まで移動する。ハルファスの首の裏側に備えられたキーボードでロックを解除すると、後頭部が開く。

 開いた中は精密機器が敷き詰められており、その中央に、同じく切符サイズのICチップが装填されていた。

 ICチップを抜き、新たなICチップを装填、再びコックピットに戻る。

 その時には既に、チョーカーを首に巻きつけていた。そしてコックピット上部にある数個のコネクタにそれぞれケーブルを接続、さらにケーブルのもう一端はチョーカーの後ろ側にあるコネクタと接続する。

 最後にチョーカー側面にある数個のボタンを操作、電源を入れた。


「さてと……じゃあ、行くぜ!」


 ハルファス、起動。



 突如轟音が鳴り響いた。それをアウラを認識した。

 その方向に視線を向けると、見知った紅い巨人がゆっくりと立ち上がっていた。


『あぁ……っと、やっぱ慣れないやつはキツイなぁ……』


 紅い巨人……ハルファスから声がする。見知った声だ。


『思考操縦システム……か。なんとまぁ面倒で奇妙でありえないもんを作ったもんだな、あいつも……』


 傷裏の声であるが、どこか口調が違う。たまに見る光景だ。

 そこでアウラは、携帯からハルファスに文面通信を送った。


『先輩、戦うとキャラ変わる系?』

『え⁉︎ あ、やべっ…………あ、いや、大丈夫。皆、怪我ない?』


 口調が戻った。何かあったのだろうか。


『ていうか、思考操縦システム?』

『あ、うん。赤井さんが押しつけてきてたんだけど、まさか今役に立つとは思わなかったよ』


 ここはアウラの知らない話であるが、『タイガ』がハルファスの頭部で行っていたICチップの交換作業は、演算ソフトの交換作業だった。いつも使っているものから、思考操縦システム専用のものに変えたのだ。


『それにしても、これ実体験してみると凄いね。ハルファスの一挙一動がこんなにも手軽にできるようになるなんて』


 ハルファスは軽くストレッチをするように、徒手空拳の構えをいくつか取ってみる。今まで以上に洗練された動きとなっている。


『そんじゃま、行くよ』

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