episode29・J
傷裏の運転する車はなんとかBP機関まで辿り着いた。途中、路上で倒れていた柳沢を回収し、現在は4人だ。
「市原さん、この3人をシェルターにお願いします! 彼女たちの処置も! 早く!」
傷裏と黒崎に支えられている『2人』。
1名は頭部を打って出血が酷い戸田。
もう1名は、骨折により奇怪な方向へ折れ曲がり、枯れ木やロープで固定された右足を引きずっている柳沢。
柳沢を発見した時、既にこうなってしまっていた。言うには、ミサイルによる爆風で飛ばされた際に着地に失敗して骨折したようだ。
「お前たち……病院に行ってたんじゃなかったのか?」
「こんな状況で病院なんかが機能してるわけないですよ! それに、病院は最優先でミサイルの餌食になって跡形もなく破壊されました!」
「わかった。おい! 誰か医療班を呼べ!」
すぐさま駆けつけたBP機関の医療班に担架で運ばれていく2人を見届けたあと、傷裏は携帯を取り出す。
『傷裏君、君の街は現在進行形で謎の襲撃を受けているとニュースで報道されているんだが、君は大丈夫なのか?』
「えぇ、僕は大丈夫です。それより室井さん、今は本社ですか?」
『あ、あぁ。今は本社にいるが……』
「なら好都合です。今すぐアレの準備をしてください」
『え? まさか今か?』
「えぇ、今です」
傷裏の言うアレとは、獅童との交渉の際に要求したものだ。
傷裏は湧き上がるドス黒い感情を抑え込み、要請した。
『しかしだな、傷裏君。あれはロールアウトはしたがまだ動作テストもろくにやってない始末だ。そんな危険な機体を渡すのは、ワタシの技術者としてのプライドが許さない』
「……んです」
『え?』
「プライドとか……そういうの、そういうのは……どうでもいいんです……っ」
気づかぬ間に、傷裏は全身を震わせ、拳を強く握りしめ、上下の歯を噛みしめていた。
その様子を横から心配そうに見ていた黒崎は恐怖した。その時の傷裏の顔、『激昂』としか表現できない恐ろしい顔を見て。
「僕は言っているんです、アレをよこせと。今僕は……この感情を何かにぶつけなければならない。そうしないと、僕はきっと粉々に壊れ、守るべき人を……壊してしまいそうなんです」
傷裏の激昂の理由はきっと……いや間違いなく、戸田と柳沢が巻き込まれたことだろう。仲間思いの強い傷裏なら、怒りを覚えても不思議ではない。
だが、ここまでの憤怒はさすがに異常だとしか思えない。死んでしまったのならまだしも、2人は軽い頭部損傷と骨折。死ぬことはまずない。
黒崎は知らない。傷裏が二重人格であることを、二重人格になったことで感情のブレが生まれて仲間意識が過度に強くなったことを。
それは、いい意味でも悪い意味でも。
「だから僕は……あいつらを壊さなくちゃならない。皆を守るため、それに……僕自身を守るために……」
『……わ、わかった。準備はしておくが、今すぐ来れるのか? 最低でも車で30分はかかる距離だぞ?』
「機関のバーバリアンを飛ばして向かいます。多分敵を何機か持ってきてしまうかもしれないので防衛体制も敷いておいてください」
通話を切った傷裏は、足早にBP機関のビルへ入って行く。
その背はまるで鬼神のようであり、黒崎は声をかけることができなかった。
BP機関は研究用として数機のバーバリアンが国防から提供されている。そのほとんどが、市原や傷裏といった機関員により改造が施されている。
その内の1つが吹雪ジェットタイプ、通称J型だ。パイロットへの負担を最小限にとどめた上で出せる最高速度を追求した機体であり、雷電を使わずとも音速で飛行することができる。
純白のカラーリングはそのまま、空気抵抗を計算して最大限の加速をつけられるよう再構築した薄く細い装甲、全身に備えられた大小様々なブースター、大型ブースターの粒子消費を抑えるように全身に張り巡らせた粒子供給ライン。
「この機体なら、10分で着くはず」
『でも武装はハンドガンで弾数は5発の屋久島だろ? こんなんじゃあいつらに捕まったら終わりだぜ?』
「心配ない。アレを取りに行くまでは無視して突っ切る。そのあと……潰す」
明確な憎悪。
むき出しの憤怒。
今までの見せたことのないような気持ちの悪い感情が、傷裏の全てを占領していた。
「ねぇ『タイガ』、悪いけど今日はこの体、僕の貸し切りだ。文句は言わせない。」
『それはいいが龍、我を忘れて暴走とかするんじゃねぇぞ。お前は自分自身以外に俺という命も背負っていることを忘れるな』
「わかってる。……大丈夫、僕は今でも冷静だよ。だから、僕の平穏を壊そうとするものは全て消し去らなければならないんだ」
『…………』
それ以上『タイガ』は何も言わなかった。
傷裏に全てを託し、彼なら大丈夫だと信頼したからではない。むしろ逆であり、これ以上何か言えばそれが崩落の引き金になってしまいかねないと思ったからに他ならない。
J型に搭乗した傷裏は機関の管制室に要請し、格納庫のシャッターを開かせる。
「…………」
ブースターを最大噴射、怒涛の勢いで格納庫を出た。しかし、シャッターを開いた先には高層ビルが立ち並んでいる。
激突する直前、地に足をつけ、真上へジャンプするように足を屈伸、障害物のない高度まで飛翔した。 同高度には10機近いバーバリアン。どれも無改造の吹雪と思われる。武装は片腕に実弾マシンガン、肩にミサイルというベーシックスタイル。
傷裏はその吹雪隊に突っ込むように加速した。
敵がこちらを視認、ライフルによる弾幕を張るがJ型は小型ブースターを小刻みに吹かして回避する。
J型は加速を緩めることなく利根を構え、即座に発砲。1機のCユニットを撃ち抜いて墜落させる。
さらにもう1発、墜落中の吹雪の右肩部を狙い発砲、落下コースをずらすことで市街地への落下を防いだ。
「残り3発……。遊んでる余裕はない!」
1機だけ狙ったのは進行方向を確保するための最低限の行動。傷裏は『どこを攻撃すると敵がどう動くのか』を計算し、数億パターンの中から最も効率的な一手を選択した。
これにより、これから敵がどう動こうとも、J型の進行を阻止する術はない。
「……リミッター解除」
音声入力によりJ型の安全装置が解除され、これによりJ型の加速度は常軌を逸したものになる。当然、安全装置を外したのだから肉体への負担も相応になるが。
J型は初速にして、超音速の世界へ突入した。
「ぅっぐ……ぅぅぅぅぅ……っっ」
歯を食いしばり、押し寄せる負荷に耐える。年齢不相応な身体能力、肉体を有している傷裏といえど、痛覚がないわけではない。
傷裏は異常な人間ではあっても化け物ではない。
そうして、敵全てをかいくぐった。
もう誰も、これに追いつくことはできない。
そのはずだったのだ。
真下から駆け抜ける閃光。
それはさも当然のように、超音速のJ型の右肩を撃ち抜いた。
「なっ⁉︎」
J型の異様な速度を出す大きな要因は両肩の大型ブースターであり、その片割れを失ったJ型は失速、さらに機体のバランス制御に支障が発生、墜落を始めた。
『機体制御システムに異常発生。機体制御システムに異常発生』
「うるさい、わかってる!」
けたたましく鳴り響く警報アラームに怒りをぶつけるように叫ぶ。
なんとか全身のブースターを噴射、半ば不時着のようだが左右に高層ビルを望む道路に着地することができた。
正面。閃光の光源はそこにいた。
カラーは禍々しい蒼。頭部にはカブトムシのような短い角の装飾があり、両腕には昆虫の羽を覆う外骨格のような装甲、片手には同じくカブトムシの角のような形のロングライフルを持っている。
なぜ超音速で飛行するJ型を正確に狙い撃つことができたのか、そんなこと、今はどうでもいい。問題は別にある。
「あれって……まさか……」
カブト型のベースとなっている機体を、傷裏は知っている。
封印されし禁断の機体。
黒崎グループ製バーバリアン、吹雪シリーズ4番機。
深雪。
『おいおい……冗談キツイぜこれ……』
今『タイガ』が表に出ていればきっと頬を引きつらせていただろう。
これは室井から聞いた話だが、深雪はテスト中の空中分解事故から間もなく廃棄処分されたはずの機体であり、複数機の製造はされていないはず。
だが現実問題、その深雪は目の前にいる。これはなんたることか。
しかし思い出す。戸田のある話を。
『私たちのリーダー、基崎翔太郎の愛機はビートル。吹雪系の「私の知らない機体」をベースにした機体』
戸田は黒崎グループとの接点はなかった。ゆえに、深雪の存在を知らない。
加えて、戸田は基崎の機体の名称をビートルと言った。
ビートル。つまりカブトムシ。視界に写るあの機体と合致するのではないか?
だとしたら疑問もある。それは、『「ヤマタの集い」は残り3人のはずなのに、なぜ10機近い吹雪隊がいるのか』ということである。
思考を巡らせたいところだが、今はそんな余裕はない。
「室井さん、室井さん聞こえますか?」
『傷裏君、どうした? 今どの辺りだ?』
「例のアレ、今から送る座標まで射出してください」
『あぁ、任せ……は? 射出⁉︎』
カブト型が動いた。
ビルとビルを蹴るようにジャンプ、変則的な機動で傷裏を翻弄する。
迫り来る数発のレーザーをギリギリでかわすと同時に、現在座標情報を室井に送る。
「ちょっと諸事情でそこまで行くのは無理そうです。射出願います、急いで!」
『あ、あぁ。各員、準備急げ!』
室井が部下へ命令を飛ばしたのを確認し、傷裏は通信を切った。
カブト型のレーザー乱れ打ち。
その1発1発はJ型の回避ポイントを予測したものであり、右腕、頭部、左脇、左足が破損、連続した爆発が傷裏を襲う。
「っがぁ⁉︎ クッ……っ!」
屋久島で照準を定め、残った3発を撃ち尽くすが、それらはカブト型の腕の外骨格型装甲に阻まれた。
上空へ逃れる。身を隠す存在が皆無ということは、裏返せば回避運動を阻害するものがないとも言える。
胸ポケットから1錠の錠剤を取り出し、一息で飲み込む。
傷裏の目が、白銀に変色した。
「……認識神経拡張アダプタ、システムスタート」




