episode109
『私はなぜ……生かされているのだろう』
薄暗い一室にて、その男は冷たい椅子に拘束されていた。四肢を鎖で繋がれ、目隠しを施され、文字通り身動きが取れない状態となっていた。
そんな男を、市原は見つめていた。その頰はわずかに緩んでおり、拘束された男……イチハラの問いに答える。
「そりゃああれだろ、どうせあんたは殺しても再生するんだから殺す意味はないって、龍はそう思ったんじゃないか?」
『その議題には既に答えたはずだ。私の再生能力も有限なんだ。例えばバーバリアンの持つ兵器で肉片1つ残さずに殺せばさすがに再生はできないし、何度も何度も殺して殺し尽くせばいつかは死ぬ。お前のその仮定は矛盾だらけだ』
「矛盾だらけで悪かったな。ていうか何か? あんたは生きてて嫌なのか?」
『そうは言っていない。ただ……不思議なんだ。彼は私を激しく軽蔑し、否定し、嫌い、憎悪していたはずだ。それはもう、殺してもまだ足りないといった具合にだ』
「なんだ、わかってるじゃないか」
市原は近場に置いてあった椅子をイチハラの目の前まで移動させ、そこに座る。
イチハラからは見えていないが、息子は小さく笑いながら父の目を見据える。
「そうだ、その通りだよ。龍にとってあんたは殺しても殺し足りない人間なんだよ」
『だったら……』
「だからあいつは、あんたに生きることで罪の清算を望んだ。あんたはまだあいつに、被害者に、謝罪の一言も言ってないんだからな」
『逆に言えば、謝罪さえすれば彼は私を殺すのか?』
「いや、もうその心配はねぇんじゃないかな。どうやらあいつ、過去との決別はできたらしいし」
『仕事の殺しはよくて私情の殺しはダメか。ちょっと無理やりな気もするがな』
「私情っつうかな……ほら、龍が言ってたじゃねぇか、大事なのは今なんだ。過去に縛られてたあいつはもういない。あいつは今のために戦える。あんたを許すことは永遠にないだろうけど、それでも、あんたに囚われることはもうないさ」
『そうか……まあいいんだがな。それで、私はこれからどうなる予定だ?』
「死ぬまでここで監禁だ。ちゃんと三食昼寝付きだから安心しろ」
『昼寝は所望してないが……死ぬよりは断然マシだな。こうした監禁生活の中にも、新たな快楽が隠れているかもしれないし』
「その変態台詞やめろ」
『他意はないから安心しろ』
この何もない静寂と制限の空間。
ただ人生を徒労させるだけの無意味で無価値で無利益の時間。
その中にもきっと、イチハラの知らない何かがある。
器に注ぐだけの何かが、確実に存在する。
そう考えると、心が躍る。
何も、彼は人が苦しむ様を見て快楽に浸る享楽主義者ではない。単に戦うことが満足を生む要因の一端となっているに過ぎない。
そして彼が何より愉悦とすることは、未知の領域から新たな快楽を探し当てることだ。
宝探しゲームの要領で、彼は人生の隅から隅まで楽しみ尽くす。
ゆえに、このような場所で監禁されたとしても、辛くなったり嫌になることはない。
『それより1つ聞きたいんだが、彼はどうなった?』
「彼?」
『「タイガ」君だよ』
市原の笑顔が固まる。
それは警戒だ。やはりこの男は危険だという再認識。
やはりどうにも、殺さないにしても、この男は危険だ。
「……なんで知ってんだ?」
『最後に傷裏君と戦った時、確実に彼に何かが起きたことはわかっていた。精神的でありながら物理的な変化だな。そこから大体何があったかは確信したがな』
「……相変わらず化け物だな、あんたは」
『人聞きの悪いことを言うなよ。私はこれでも人間だ。姿が異形だろうが、人格が破綻していようが、私は人間だ』
彼はハッキリと断言した。
それを聞いた市原は、わずかだが安堵した。
自らの父がまだ、人間だと自覚していたことに。
人間はいつ人間ではなくなるのか。
市原は問われた時、「自らを人間ではないと自覚した時」だと答える。
ゆえに、イチハラはまだ人間だ。
だが、今度は彼のことが気掛かりでならない。
かの少年……傷裏のことを。
同時刻、その当人である傷裏は自宅のベランダにいた。陽はすっかり落ち、眩いいくつもの星々が静寂の夜空を光り輝かせていた。
「…………」
相棒が消えた。
リンクが切れたわけではない。消えたのだ。
というより、戻ったのだ。
分離した感情が、戻ったのだ。
これが普通だ。
当たり前だ。
至極当然だ。
彼という存在がそう長くは保たないことは本人から聞いていた。
割り切ることはまだできなかったが、それでも割り切ろうと努力しようとは心の隅で考えていた。
だが、それにしてもだ。
「せめて別れの一言ぐらい……言ってくれたってよかったじゃないか……」
きっと消えたのは、あの時。
最終決戦にて、最後に『タイガ』と交代した直後。あの時リンクが切れたような感覚があったが、おそらくあの時に、戻ったのだ。
彼は相棒だった。
彼は親友だった。
彼は自分だった。
彼は……間違いなく人間だった。
今まで彼を人間として接することができなかったが、彼は確実に人間だった。
少なくとも、無意識的にではあるが自らの意思で感情を放り捨てた傷裏とは違う。
そんな大事で当然のことを、今になって気づいた。
自分は、なんと愚かなのだろうと悔やみ、恨み、悲しんでいた、その時。
「傷裏君、どうした?」
「……黒崎さん」
黒崎が心配そうな眼差しとと共にやってきた。彼女はイチハラの言う通り地下通路を用いてBP機関まで運ばれており、傷1つない健康体だった。これは文字通り幸いと言って過言ではないだろう。
「どうしたの、大丈夫?」
「あ、うん……大丈夫。それより黒崎さんは?後遺症とかない?」
「うん、バッチリ問題なかったよ。いや、そんなことより傷裏君だよ。さすがに何もないじゃ通らないわよ?」
やはり彼女は聡明だった。いや、さすがにここまで落ち込んだ表情で夜のベランダで黄昏ていたら誰だって異変には気づくだろうが、それでも彼女が聡いことには変わりなかった。
彼女に嘘はつけない。先日それを改めて知った傷裏は、彼女に『タイガ』の一件を話した。
「……なるほどね、要は傷裏君、寂しいんだね」
「寂しい……のかな?」
「違うの?」
「寂しいというか……悔しいというか……それが一周回って自己嫌悪になっちゃてるというか……」
「むぅ……私は馬鹿だからさ、傷裏君の深い闇とか、悲しみとか、それにろくに喋ったことがない『タイガ』君のこととかよくわからないけどさ、多分ね、『タイガ』君は別れの言葉を言う必要がなかったから言わなかったんじゃないのかな?」
「え?」
彼女は誇らしく、嬉しそうに、さも当然のように言う。
「だってさ、傷裏君と『タイガ』君は元々一緒なんでしょ? ならさ、これからは今まで以上に一心同体ってことでしょ?」
「……………………あ」
なぜ気づかなかったのだろう。
そうだ、そうではないか。
一心同体。
文字通り、完全に同一化したのだ。
いや、実際は修復だが、それでも、同一化と呼んで異論はないはずだ。
さようらな。
そんな言葉、彼らには必要なかった。
彼は元の居場所に戻ってきただけだ。単なる長い家出のようなもの……いや、傷裏が排斥したのだからこの場合は出禁と形容するが相応か。
悩む必要などなかった。
悔やむ必要などなかった。
ただ会話の相手が1人減っただけであり、『タイガ』という存在は、今も傷裏龍の中にいる。
胸に手を当て、心を落ち着かせてみれば確かに感じる、彼のぬくもり、その心。
生物学上の問題ではない。
心理学上の問題ではない。
傷裏龍が、彼だけはわかる。
彼は確かに、ここにいる。
たとえ感情が消えたとしても、ここにいる。
感情の有無、言語機能の有無、物理的存在の有無ではない。
「……そっか、そうだよね。黒崎さん、ありがとう。おかげで悩みも吹っ切れた」
「そう? それはよかった」
彼女は満足げに微笑みながら、ベランダの手すりに体を乗せて夜空を見上げる。
そんな黒崎を見て、傷裏は思う。
あぁ、綺麗だ、と。
凛とした美しさと同時に、子供のような幼げな可愛さを兼ね備える彼女。
それだけではない。黒崎梨々香という存在は、大なり小なり、良にしろ負にしろ、何かしらの影響を与えてきた。スパイ活動から始まっていたこの奇妙な関係は、いつの間にか恋慕の対象になり、今では悩みを解決してくれる重要な人間となっていた。
やはり彼女は、傷裏にとって必要だ。
「……ねぇ、黒崎さん」
「ん?」
感情が込み上げる。黒崎と目を合わせるだけで心臓が高鳴り、身体中が熱くなり、今にも気絶してしまいそうなほど意識がブレる。
だが、逃げてはならない。
今までずっと逃げてきたこの心が伝えたいと叫んでいるメッセージ。
これは偽ってはならない。
隠してはならない。
「僕……黒崎さんに、伝えたいことが……あるんだ……」
「伝えたいこと? え、なになにー、面白い話?」
逃げないと同時に、証明しなくてはならない。
いつも自分は逃げていた。楽しいこと、嬉しいことだけ自分が独占し、辛いこと、悲しいことは全て押しつけてきた。
もう1人の自分に、押しつけてきた。
でも、もうそれはできない。
してはいけない。
自分の目で、足で、心で、全てを受けつけなくてはならないのだ。
それは当然のことであり、今までは異常だったのだ。
「僕……その、あの……黒崎さんのことが……!」
彼はいる。科学では説明することができないけど、確実に存在する。
きっと今、この状況を見ているだろう。馬鹿にして笑っているのか、真剣に見つめているのかはわからない。
そんな彼に、証明しなくてはならない。
傷裏龍も、前に進めるということを。
「僕、黒崎さんのことが好きだ!」
「……………………………………うぇ?」
「だから、お願いします! こんな馬鹿で弱くて恥ずかしがり屋で傲慢で浅ましくてヘタレで強くもないダメダメな僕ですが、精一杯笑顔にしてみせるので、どうか、つき合ってください!」
言った。
ついに言った。
直角90度まで頭を下げ、言ったのだ。
今後の人生の全てを搾り取ったであろう勇気を全てを込め、練り、固め、解放した。
ここで思うのは、なんとも形容することができない達成感だ。もうここでミッションコンプリートと言っても差し支え……は、さすがにないが、それでもやりきった感はあった。
「……傷裏君、頭を上げて」
彼女は一言だけ口にした。
返事の合否を伝えられるのだろう。きっと無理と一蹴されるだろうが、それでも言ったという事実がこの場合では大事なのであり、傷裏は迷いなく頭を上げた。
直後だった。
その唇に、柔らかい感触がそっと触れた。
「……っ⁉︎」
目の前にあるのは黒崎の顔。それもいつも見る至近距離ではなく、文字通り0距離。肌と肌が触れ合う距離。
柔らかく、温かく、そして優しかった。
数秒後、唇の感触が消え、それと同時に黒崎の顔がゆっくりと後退する。その顔は嬉しさと気恥ずかしさが入り混じった、とても可愛らしい表情だった。
「傷裏君、ありがとう。嬉しい、凄い嬉しい。もう言葉じゃ表せないぐらい嬉しい。もうなんていうか、本当に嬉しいの」
次のアクションもまた唐突だった。
彼女の全身が傷裏を包み込んだ。俗に言うハグというアクションだ。
「傷裏君、返事……いい?」
「あ、はい……どうぞ」
「……お受けします」
「え?」
「つき合おう?」
聞いた。
確実に聞いた。
その言葉を理解するには時間を要したが、最終的には理解した。
「私も傷裏君のこと好きよ。私のことを何度も助けてくれた、まさに王子様。これで好きにならない方がどうかしてるわ」
「あ、あ……ありが、とう……」
「それにしてもなんなのさっきの告白? あれで本気で告ったつもり? 自分のダメなとこしか言ってないじゃない」
「あ、ごめん、なさい……」
「ま、そういうとこがいいんだけど」
彼女は笑い、ハグをやめて一旦離れる。
「ねぇ、傷裏君。1つだけ、お願いしていいかな?」
「え、何かな……?」
「傷裏君からキスして」
「え……」
「それが、つき合うっていう証よ」
彼女は笑う。優しく笑う。
それを見て、思った。
彼女のこんな笑顔を見れる自分は幸せ者だ。
「うん、わかった。いくよ?」
「うん、お願い」
傷裏も優しく微笑み、触れ合った。
エンドレス・バレット、これにて完結しました。最後までお付き合いして頂いた皆様、本当にありがとうございました。
本作は当サイトで出す初めての作品となりました。至らぬところが多かったとは思いますが、なんとかやり抜くことができました。
作品を書いていて一番に思ったことは、『自分の書いた作品が誰かに呼んでもらえている』という喜びでした。まだまだ初心者の中の初心者である私としては、これほど嬉しいことはありません。
当サイトで新作を書く予定は、今のところありません。しかし書く気がないというわけではないので、機会があればまた書いてみたいと思っています。
それでは皆様、本当に、ありがとうございました。




