episode9・タイガ
休日。
有給である。
「さて、今日はゆっくり休むとしようか……」
『おい、龍』
ベッドにダイブしようとした時、傷裏の頭の中に声が響いた。説明が難しいが、とにかくそういう現象が起きる。
「……せっかくの休日を無駄にする権限が君にあるのかい、『タイガ』?」
頭の声に傷裏が不機嫌な声で反応する。
『いや、寝ながらで構わない。ちょっと俺の話を聞いてくれ』
ベッドへダイブ。
「どうしたの? こんな時間に珍しいね」
傷裏は頭の声に驚く様子もなく、友達と談笑するように語りかける。
頭をコツンと叩く。これは頭の声に対して行う傷裏の癖だった。
『ちょっとあの女が気になってな』
「あの女……って黒崎さんのことか。なんだい、惚れたのかい?」
『バカ言うな。俺が言いたいのは、あいつがなぜ機関に来たのかってことだ』
「君が人に興味をもつなんて、明日は焼夷弾の雨でも降るのかな」
『なんだ、不満か?』
「いや、むしろ君が人と接することでその無愛想が治ることを期待するよ」
『残念ながらそんな展開はない』
そうか、と傷裏は深くは聞かない。
『それに、俺があの女に対して抱いているのは興味ではなく警戒だ』
「警戒? それはBP機関が乗っ取られるかもとか、そういう話かい?」
『いや、機関の存続程度の問題じゃない。そんな程度の、話じゃないんだ』
「……わかったの? 黒崎さんが機関に来た、所長の言う重要な目的っていうものが」
『大体の検討はついてる。多分あいつは産……』
『タイガ』が何かを言おうとした時、携帯のブザーが鳴った。相手は市原だ。
『休暇中悪いが急用だ。急いで来てくれ』
音声通話で伝わったその声はいつもの飄々とした雰囲気は感じられず、焦りや不安がにじみ出ていた。
「何があったんですか?」
『まずは来てくれ。事態は一刻を争う』
「わかりました」
通話を切ると、傷裏は急いで支度を始める。
『おい、龍。俺の話はまだ……』
「ごめん『タイガ』。それも気になるけど最優先はこっちだ。今度またゆっくり聞くよ」
『タイガ』が相当焦っていることに、傷裏は気づいていなかった。
「大規模掃討戦、ですか?」
BP機関本社ビルへと到着した傷裏に告げられたのはそういった趣旨のものだった。
「龍は『ヤマタの集い』、知ってるよな?」
「まぁ、常識程度に」
『ヤマタの集い』は日本で活動する反体制組織の1つ。構成員全員がバーバリアンを所持し、第3次世界大戦に対し中立姿勢を示す日本政府を腰抜けと称し、様々な破壊活動等を行っている。
「あいつらが1週間前、あるバイオ研究所で秘密裏に製作されていた細菌兵器を強奪したことが判明した。奪われた細菌兵器の回収及び敵勢力の制圧が今回の任務だ」
「細菌兵器?」
「薬品名、テラー。あらゆる物体を透過して人体に吸収され、血液を凝固させることで酸素供給を強制停止、全身の細胞を壊死させる。あいつら、あんな物何に使う気だ……」
市原は頭をぐしゃぐしゃに掻きながら壁を殴る。
「で、今その細菌兵器はどこにあるんですか? 呼び出されたってことはそこはもう判明しているんですよね?」
「お前に電話する数分前にな。どうもECMが使われていたらしくてな、今まで発見できずにいたらしい」
「それがなぜ急に?」
「それが……どうも曖昧なんだ」
「曖昧?」
「一瞬、本当にたった一瞬だけだが、ECMが切れて奴らの拠点があることが明らかになったっつうわけだ」
「……怪しさバリ3じゃないですか」
「まぁ相手が相手だけに無視もできんからとりあえずは動いてもらう。というかバリ3とかよく知ってるな。死語だぞ」
「近頃死語という言葉すら死語化するという謎現象が起きてますがね。それより、それって僕が駆り出される必要あります?」
「出せる人員をありったけ出せ、っていうの上のお達しだ」
「面倒だけど仕方ないか。行くよ、『タイガ』」
頭をコツンと叩くと、傷裏は準備を開始した。
日本エリアの地下全土には、無数のトンネルが蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
名は黒道。テルメロイの乱が起きていた頃に完成した。
その目的はバーバリアンから逃れるための安全な物資運搬。トンネル内を数十台の貨物列車がせわしなく走行する。
黒道は急造であったため不備が多く、現在は使用価値を失い放棄されていた。
『ヤマタの集い』はそこに目をつけた。彼らは岐阜周辺の黒道を中心に、密かに地下拠点を作り上げていたのだ。
『いいか、あくまで制圧が目的であり皆殺しではない。何人かは生け捕りにしてくれ。これを機に反体制組織を一掃すると上は息巻いてるよ』
「……了解」
傷裏……いや、『タイガ』は答える。
傷裏の頭の声の正体、それは傷裏龍のもう1つの人格である。『タイガ』は基本的に表に出ず、戦闘時にのみ現れる。
今『タイガ』が乗っている機体は吹雪の上位互換である吹雪シリーズ2番機、白雪だ。外見こそ細部以外は同様だが性能は全体的に向上し、右腕には折り畳み式レーザーキャノンがある。
白雪は本来、吹雪シリーズ定番の純白だが、傷裏が乗っている白雪は真紅。その理由は、今は省略しよう。
白雪は音速で飛んでいた。といっても白雪自身のブースターを吹かせているわけではない。バーバリアン運搬用超音速航空機、雷電が白雪と接続され、3000メートル上空を飛んでいるのだ。
そして白雪と並走するように、3機の雷電とそれに接続されたバーバリアンが編隊を組んで目的地まで向かっている。
黒道は地下にある。そして当然、外から地下へ入るための入り口が存在する。同時に入り口は一種の野営地と化し防衛設備が配備されていることが想定される。
今回の作戦は、単機で野営地を奇襲、その間に地下を走る別働隊が地下の本拠地を包囲、全方位から袋小路にするというものだ。
機内で『タイガ』は、何かよくない不安を感じていた。
『どうしたの?』
頭の声、今は『タイガ』に代わり傷裏が相棒の身を案じる。どちらが表に出ていても会話はできる。
「なぁ龍、お前不思議に思わねぇか?」
『え?』
「『ヤマタの集い』っつったら今まで政府に尻尾を全く掴ませないことで有名だったじゃねぇか。そんな奴らがECM管理をミスって位置が知られる、なんてことあるか普通?」
『……つまり君は、僕らが誘い込まれていると言いたいのかい?』
「あくまで推論だ」
『なんで言ってくれなかったの?』
「面目ない話だが、この推論に行き着いたのはついさっきだ。もうどうしようもない。それに、早く気づいてたとしても俺1人の推論で大規模作戦がどうこうなるとは思えん」
東京から飛び立った雷電はもう既に岐阜へと入っていた。
岐阜はテルメロイの乱の最も激戦地となった地域であり、今は人の住むことなど不可能な荒廃した砂漠と化していた。
ビル群は倒壊し、動植物は皆無。地下を使わなければ居住などできやしないが、それゆえ政府の監視の目は薄く、隠れるにはピッタリと言えよう。
「目標地点まで残り……」
着陸のための確認作業をしていた時、『タイガ』はあることに気づく。
「……生体反応がない?」
本拠地があるとされている地下。そこにいるはずの生体反応がレーダーに示されない。代わりにレーダーに表示されるのは異常なまでの大出力のベルリオーズ粒子。位置はちょうど黒道の入り口。
「マズイぞ! おい、全機今すぐ離脱しろ! これは罠だ、嵌められたんだ! 急いで……」
最後まで言う時間はなかった。
黒道入り口を中心に、青白い光が一瞬にして一帯を包んだ。




