001 おはようございます
「おう、起きたか。」
目を開けると金髪の、むしゃっとしたおっさんが、視界に飛び込んできた。
俺はそっと目を閉じた…
そのままもう一度寝ようとしたところで、
「いやいやいや、今起きたよな。なんで無かった事にしようとしてんの。」
だって寝起きでむしゃっとしてる中年の顔が目の前にあったら、誰だって良い気分にはならないと思う。少なくとも俺は嬉しくない。嬉しくないというかげんなりする。
仕方なくもう一度目を開くと、再度飛び込んでくるむしゃっ。
「その伸び放題のヒゲ面がいけないと思うんですよ。」
「……あれぇ…起きて一言目が人間様への批判とかおかしくね…?」
なんかこっちの言葉を聞いたら目を見開いて、うんうん唸りながら首を捻り始めるおっさん。そんなものには微塵も興味が湧かないので、取り敢えず状況を把握する為に周囲を見回す。
(ここどこよ…なんか部屋中からぐぉんぐぉん音が響いてくるけど…)
なんとも奇妙な部屋だった。
正面には扉が見える…多分扉。それにパイプかなにかが、これでもかというくらい走ってる。むしろパイプが集まって扉になってる、と言ったほうがいい。扉は金属製だろう、銅のように見えるが色の薄い赤褐色で、銀のように煌いている。取っ手らしきものも見当たらないけれど、どうやって開けるんだあれ…ていうか本当に扉なのかあれ…自信無くなってきた。
次に目に入ったのは窓だ。
俺の左側に存在する両開きの窓は、片側だけが外に向かって開かれている。逆光になっている上カーテンは無く、今は夕暮れ時なのか赤く焼けた光が入ってきていて、外の様子を見ることは出来ない。というかめっちゃ眩しい。
その傍には鉢植えが1つ、紫色の小さな花がッ……?
急に襲ってきた立ち眩みの様な感覚。寝ボケてるんだろうか…
石材を加工したような壁に木製の床、ただ少し古めかしくて、どことなくヨーロピアン。窓の作りも似ている。
部屋の作りは6畳程度の、細長い長方形。幅は例の奇妙なドアより少し広い程度しかない。その部屋の奥側に俺が座っている。
(ていうか部屋汚すぎだろ…なんだ…歯車?とかネジ…?)
何かの部品類が床のところどころに散らばっており、数箇所ではそれらが集まって、ごちゃっと小さな山になっている。
扉と床の状態以外は比較的まともだが、家具の類が一切無い。そうなると随分簡素で寂しい印象になるはずだが、やはりあの扉が異彩を放ちすぎだ。その異物感と床に散らばる部品類で随分前衛的な部屋になっている。
(さて…頭も起きてきた事だし、そろそろ俺自身の状態に目を向けて、現実を見ようか…)
俺は今、マッサージチェアーのような、ゆったりと全身を支えてくれる椅子に座らされている。感触は高級なソファの様で快適極まりない。
これのせいでさっきも起きる気が失せたんだ。おっさんのせいだけじゃなかったわ…
惜しむらくは、この手足を拘束しているベルトと、頭の横にあり、俺の首から出ているチューブと繋がっている丸い物体。これらさえなければ、もっと手足を伸ばして快適な環境を満喫できるだろう。
(………。)
「おっさ、いやあのすいません、これなんですか、なんで拘束されてるんですか、この丸いのなんなんですか。」
危うくおっさん呼ばわりしそうになるも、ギリギリ回避。
拘束具を、がっちゃがっちゃとやりながら、質問を投げつける。頭の横で丸いのが揺れて、ちゃっぽちゃっぽ言ってる。中身は液体か。
「…あー、あーうん、取り敢えず薬の方はただの循環剤だ。体に悪いものじゃない。拘束具は…そうだな、俺の質問に答えてくれたら理由を説明してやろう。別に危害を加えたりしないから、落ち着いてくれ。」
声を掛けられ、またも目を見開いてこっちを見た後、取り繕うように言葉を続けるおっさん。
よく見ると完全に日本人じゃなかった。色白の肌には多少皺が刻まれており、彫りの深い顔立ちに、鋭い目つき。伸び放題のヒゲが残念だが、それも俺の感覚からすれば、ワイルドな魅力を放っていると思う。
白衣着てるし、医者か。マッドが付く科学者な可能性もあるが。
…白衣薄汚れてるんだよなぁ。油汚れっぽいし、マジでマッドな方なのかもしんないなぁ、嫌だなぁ…せめてマッドが付かないことを願いたい。
しかし日本語流暢に喋るなこの人…
(俺に危害を加えるつもりはないらしいけど、拘束されているのは事実だし、警戒するに越したことはないだろう…でも、理性的に会話が出来る相手では、あるみたいだな。)
思考も落ち着いてきた。
大丈夫、問題ない。
よし、冷静になろう…
「…わかり、ました………で、なんの…質問に答えればいいんですか?」
「おう、落ち着いたか。じゃ、早速で悪いんだが…お前は、何だ?」
「…?すいません、質問の意味がよく……」
「あーそうだな…言い方を変えよう。お前は、自分を何者だと思っている?自分を、どう定義している?意味、分かるか?言葉の。」
「…?俺が何者か…ですか?定義付け、と言われるとちょっと困りますけど…『どういう生物なのか』という意味ならば、『人間』だと思ってますよ、あなたと同じ。」
「!?…ふ、ふむ、なら君は誰だ?」
めっちゃびっくりしてるな、おっさん。
え、なに、そこに驚くってどういうことなの…なんか、もやもやっと嫌な予感がするんだけど。
「誰って…進藤です。進藤叶、と言います。日本人で、学生で、年齢は…あれ……なんかはっきりとは思い出せないですけど、20前後だったと思います。」
俺の返答を聞いてぽかんと口をあけるおっさん。
むしゃっとしてても、それなりにハンサムで精悍な顔つきなのに、それをやられると少し笑えてくる。いや笑ってる場合じゃねーから。
それにしても俺の素性とか全く分からないのに拘束してるのだろうか…?それとも意識がしっかりしてるかどうかの確認だろうか。
「…そうか、うん、そう言うなら、そうなんだろう…悪いが少し時間をくれるか。」
そう言って後ろを向いてブツブツ独り言を言い始める。なんなの。
「ニホンジン……シンドウカナウ……マジかよ、設定が…………」
そんなおっさんの呟きを数分聞いてるうちに、少しイラッとし始めたのでこっちから質問してみる。
「あn「ちょっと黙ってて!!」はい」
なんでちょっとオネエ入ったの…キャラ統一しろよ…
暇なので、俺もちょっと自分のことを整理してみよう。
名前は進藤叶、国籍は日本、ここまでは良い。ただ問題はこの後だ。ていうか問題無い部分が少なすぎない?スッと出てくる自分の情報がこれだけってどういうことなの。うわー考えたくねー…
(さっきは学生って言ったけど、俺どこの学校行ってたっけ…高校…いや大学か…?なんか単位ガーとかサークルガーとか言ってた記憶があるから大学生だろう。でも学校名全然思い出せないな…年齢もあやふやだしな…あと思い出せるのは…)
他に思い出せることが無いか考え始めた途端、全身にゾクリと悪寒が走る。
(…!?え、ちょっと待って、家族の事とか、友達のこと全然思い出せないんだけど!?)
なんか喪失感ヤバい。こんなの想定してなかった。
なにも考えられないなう。そのまま思考も身体も固まってしまう。
頭真っ白なう。
「……ナウ!…カナウ!聞こえてるか!シンドウカナウ!!」
なうなううるせーnパシンと音が鳴る。頬が痛い気がする。左だ、左頬に違和感がある。視界にはむしゃっ。違う、おっさんだ、金髪のおっさんだ。いい加減おっさんおっさん言い過ぎな気がする。でもおっさんの名前知らないんだから、おっさんて呼ぶしかなくね?しょうgパシン!
「いてぇよ!?」
「おおう!?そんな元気に正気に戻るなよビックリすんだろうが………え?痛かったのか!?」
眉根を寄せて不服そうな顔をしていたと思ったら、急にこちらを真面目に心配し始めるおっさん。
人の頬思いっきり引っ叩いといてなんなの。あんだけ強く叩かれれば痛かったに……あれ?そういえば別に痛く無かったような…?少なくとも今は全然痛み感じないな…おっさん凄い手加減してくれたのか?音は大きいのに痛みは皆無とか、地味な技持ってるな…
「あー、すいません、ちょっと余りに記憶の欠落度合いが酷くて…あと痛みは大丈夫です、もう全然。条件反射で言葉が出ちゃったみたいで。」
「そうか………って、記憶の欠落…?ってことはアレか、記憶喪失的な。」
「はい、そんな感じみたいです。」
「おーおーそりゃまた…」
となんか苦笑を浮かべて窓の方を見るおっさん。
え、なに、なにそのちょっと痛い子見つけちゃったよ…みたいな感じ。「俺も好きでやってんじゃねーんだよオイコラハg
「ハゲてねーから!!!」
「あれ、声に出てた…」
「俺もう40過ぎてるし真面目に怖いんだよ!」
「めっちゃ反応早かったもんね、ごめんね…」
鬼門のようだ。
「おう…んで、何か他に覚えてることはないのかね?記憶喪失君。」
あ、若干キレてますか?毛根死にますよ?
「今会話してるので分かるとおり、日本語も覚えてますし、ご飯の食べ方トイレの仕方、風呂の入り方とかの一般常識は、どうやらあるみたいですね。昨日読んだ本の内容なんかも思い出せます。あとその呼び方やめて下さい。」
「…?お、う、わかったよ記憶喪失さん。他に自分の生い立ちに関することは?」
「本当にないんですよ、これが。家族も、友達も、住んでた場所も、好きだった子も、なーんにも思い浮かばないんです………なので実は今、結構ですね、自暴自棄っぽい記憶喪失様ですえへへー」
「いやわかった落ち着け悪かった。ちなみに再度言っておくが、記憶が飛んじまうような薬は、絶対に投与してないからな。本当にただの循環剤だ。証明しようにも出来ないから、信じてくれというしか無いんだが…」
「今打ってる点滴を自分に打つってのは、どうですか?」
「別にやってもいいが、お前が目を覚ます前にそういった薬を投与してる可能性は潰せないだろう?」
そりゃそうだ、と頷きつつ黙り込む俺。
(ちょっと落ち着こう、考えよう、これから、なにをすべきなのか。)
記憶が大部分欠落してることに関しては、今どうこう言ってもどうしようもない。原因がおっさんなのかそうでないのかもわからないし、棚上げだ。
あと大事なこと。
俺は生きてる。
五体満足で、特に痛む場所も無い。そして目の前のおっさんも、危害を加えるつもりはないらしい、本当のところはどうか、わからんが。
(取り敢えず原点に戻って、自分の状況を把握しよう。そうしないと本当に何も始まらない。)
「そう、そうだ、質問に答えたので教えてください。なんで俺は拘束されてるんですか?他にも聞きたいことは沢山あるんですが、まずそこからにします。」
「約束したしな、答えよう。ただ、お前の今迄の言動から推測するに、俺の言ってることを理解できない可能性が高い。だから質問があったら、その都度聞いてくれ。俺もお前がどういう…存在なのか把握出来ていないしな。」
「わかりました。」
非常に助かる。訳のわからない状況で、最初に出会った人物が理性的なのは素直に嬉しい。
「まずは何故お前を拘束しているかだが…それは『お前が俺の所有物の、魔導人形だから』だ。万が一勝手に動かれると困るからな。」
…は?え?なに?マギドール?魔導人形?あれ?なんか知ってる気がする。
「あの、魔導人形って、例えば、人形に魔力を込めて、自動で動くようにしたもの…とか…?」
「お、それは理解できるのか。」
いやいやいや、ちょっと待て。
魔力?なんで俺はそんなアホな事を口走って、このおっさんはそのアホな事を肯定してるんだ。
そもそも魔導人形なんてモノの知識、俺には無かった…はずだ。記憶が無いんだから、忘れていただけの可能性もあるが、低い。俺には一般常識的な記憶は残ってる。その常識的には、魔力なんてモノは『存在しない』。存在しないものを前提とした、『魔導人形』というモノが、俺の記憶にあるはずがない。でも俺は知っていた、魔導人形が『どういう存在』か識っていた。
記憶の水底に沈んでいる得体の知れないものに、糸の付いた針を引っ掛け、ずるずるぐちゅぐちゅと引き摺り上げるような感覚。気持ちが悪い。非常に不快だ。
「…めちゃくちゃ顔色悪いけど大丈夫か?落ち着くまで待つか?」
そんな機能付けたっけ…と呟きながら、おっさんが心配してくる。
さっきからの会話でも感じれたけど、良い人なのかもしれない。魔力だ魔導人形だとか言ってる時点で、例え人格者でもあまりお近づきになりたくないが。
「……すいません、ちょっと、待ってもらえますか。」
そう言って、浅く早くなった呼吸を整える。
(記憶喪失といい、さっきの感覚といい、マジでおかしいぞ俺…)
最初は、これから尋問や拷問をされるのかもしれないと、戦々恐々としてたが…それとは別種の、自分自身のことが、段々信用出来なくなってきているという、内側からの恐怖。それを無理やり押さえつけて、頭を回す。
さっきの会話から、おっさんは魔力というものを常識的なものだと思っている。そしてあろうことか、俺のことを魔導人形だと仰る。
理性的な人物かと思ったが、危ない人だった。
『魔導人形とは何か。』
俺が不快な思いをして引き摺り出した知識を要約すると、『人工的に作り出した、魔力を動力源とし、ある程度の自律思考と動作を可能とさせた存在』らしい。あくまで俺の知識での定義だけど。つまり俺が人工物だと。
いや、確かに両親が愛し合ってくんずほぐれつした結果生まれたのは間違いないけれども。茶化すな。
(このおっさんは何を思って、俺が魔導人形だと言っているんだろうか、そこを聞い…!?)
問いかけようとしたその時、窓からの日が何かに遮られて外の様子を確かめられるようになったので、思わず目を向け、絶句した。