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二章四節

 そこには、 同じく捕まってはいてもただ手をつかまれているだけだった人間の子供の一人を、問答無用で踏み倒している雨音と、紅に白を重ねた桃花の襲の外出衣に市女笠を被った少女がいた。

 少女の纏っている衣も笠も派手ではないが質は良く、纏う雰囲気は笠で顔が隠れていても育ちのよさを窺わせるもの。

 人間の子供を蹴倒した雨音が、見ろと蹴倒した子供の手を開かせる。

「証拠ならこいつを見ればわかる」

 その手から赤い干した木の実のようなものがパラパラと零れ落ちた。

 やや乱暴に立たせれば、その懐からもまた少し木の実は零れ、潰れた木の実の色が着ているものにもついていた。

 そこに畳み掛けるように少女が、武明と役人の側に近寄る。

「いかが? それに、証拠も無く引っ立てるのがお役目なんて、いつから都の治安はこんなに悪くなったのかしら。 一方的な先入観でそちらを調べもしないなんて、恥を知りなさい」

 大の大人に比べれば細く小さく頼りないはずの身体で、少女は声を震わせることも無く言ってのけた。

 少女の言葉に役人の顔が赤く染まり、思わず手を上げその頬を打とうとする。

 大きな音がして、けれど大方の予想に反して女性の声は聞こえない。 代わりに、眼鏡が地面の上に転がった。

「……!」

 つるが掠ったのかそれとも役人の爪か。

 少女の前に入った武明の顔に傷がつき、周囲のものも息を呑んだ。

 それなりに勢いのあったはずだが、珍しくも堪えてそこに立ち、目の下に赤く線を浮かせて武明は言った。

「……女性に手を上げるなんて、お役目の前に何事ですか……! と、雨音殿っ」

 しかし、何事にも予想を反する事以上に上回る規格外はあるもので。

 静かに役人を睨みつけて言葉を紡いでいた武明は、次の瞬間思わず叫んで目を剥いた。

 雨音が、笑っていた。 それはもうにこやかに。 子供らしい無邪気とさえいえる笑顔。

 笑顔。 笑っているのだからそれはそうとしか言えないのだが……。

 だがしかし、その紺色の瞳が笑っていない。 むしろ禍々しいほどの殺気を帯びている。

 その小さな両手が結ぶのは、不動足止めの印。 ひらたくいえば金縛りの術式だった。

「無能な役人一人居なくなっても、問題はないと思いませんか?」

 どうやっているのか、声までいつものものではなく、ゾッと背筋に悪寒が走るほど冷たい。

 子供の声音とは思えぬほどだ。 明らかに本気の声音だった。

 そんな声に笑顔で言われ、役人の顔が見る見るうちに青ざめていく。

「駄目ですよ雨音殿!」

 慌てて止めようと手を伸ばすより先に、側に居た少女がツカツカと雨音に歩み寄り、その頭を軽い感じで叩いた。

「痛っ! なにすっ」

 突然見知らぬ少女に叩かれ、雨音が声を上げる。 抗議の声を上げようとしたのだが、後が続かなかった。

 市女笠の透ける垂れ衣に隠れていてもわかる。 物凄い威圧感のある笑顔を向けられているのだと。

 雨音を止めようと踏み出していた武明も自分が向けられたわけでもないのに滲み出ているその無言の圧力に踏み出したまま固まるという間抜けな格好だった。

 同時に雨音の術が解けて、役人が恐れおののくように座り込んだ。

「馬鹿ね。 話ではもう少し賢いかと思っていたけど……ついなの、親の欲目ってやつかしら」

 少女の言葉に雨音と武明が目を瞠る。 くるりと少女が振り返り、役人に言う。

「小娘に言われたくらいで逆上するなんて、大人としてどうなのかしら? 別にあなたのことだからかまわないけれど……。 そうそう、私あちらの」

 すっと、白い指先が一方を指し示した。

斎院宮さいいんぐうの方から参りましたの。 私に何かおっしゃりたいことがおありなら、後日そちらにご連絡くださいな?」

 その言葉には役人だけでなく周囲までが声を失う。

 斎院宮が意味する事に、自分が手を上げようとしていた人物の身分を考えて役人の顔が面白いほど青ざめた。

 その様子を見回すような仕草をしてから、少女はエルフの子供と武明達に言う。

「では、あなたたちも行きましょうか?」




 斎院宮。 正しくは斎院宮御所という。

 それは未婚の内親王や皇女が巫女姫として立ち、都の安寧の為に日々祈りを捧げる場所だ。

 さて、場所が市からそこに突然変わるはずも無い。

 武明達は市を出たものの、御所とは似ても似つかぬただの少し人気が無い河原にいた。 というか、そこから来たという少女に有無を言う暇も与えられず引き連れられていた。

 か弱い少女に子供二人と少年一人を腕力で従わせる事は無理なのだが、その代わりのように少女には従わざる負えないような一種独特な雰囲気がある。

 特に騒いでいたエルフの子供などそれを一番実感していた。 近くで見れば雨音とそう歳の変わらないエルフの子供は、市女笠に垂れる薄衣の向こうから笑顔で、黙りなさい、と言われて。

 蛇に睨まれた蛙のように反射的に黙ったエルフの子供は、口惜しそうにしながらも結局言われるままに歩いてついて来た。

 そして市の出来事も、他の役人が騒ぎを聞きつけて駆けつけ、今度は決め付けることなくちゃんと調べてみれば、あの子供たちの方が悪いのははっきりしていた。 エルフの子供の行動を物珍しくてずっと見ていたと言うものの証言もあり、無罪放免されたわけだが。

「で、あんた誰だよ」

 胡乱げな声と視線を隠そうともせず、たださり気なく武明を守ろうとするかのように雨音が少女の前に立って誰何すいかする。

 そこで少女は今まで被っていた市女笠を取り、顔を露わにした。

 現れたのは、歳は恐らく武明とそう変わらない、艶やかな緑の黒髪に弓なりの眉と長い睫が縁取っているのは煌く夜を切り取ったような闇色の瞳、白く滑らかな肌は瑞々しく頬も唇も自然に色づいた、春の夜を人の形にしたような姿だった。

 闇色の瞳なのに、そこに宿るのは影ではなく強い意志の光。

 無意識に惹きつけられずにはいられないようなそれに、武明も二人の子供も思わず一瞬息を呑んだ。

 けれど。

水澄みすみ。 水澄様と呼んでも良くてよ? そう呼ぶことを許してあげるわ」

 片手を腰に当てて、水澄と名乗った少女は薄い胸を張った。

 先ほどの凛とした声音と違う、どこか気安く悪戯っぽい声は年相応の少女のようにしか見えない。 見惚れていた雨音が思い出したように警戒する表情を顔に貼り付ける。

「誰が呼ぶか。 大体それ、今代こんだい斎姫いつきひめの名前だろう」

「だから、それが私よ」

「嘘つけ。 巫女姫様がこんな所に供もつけずに歩いてるわけ無いだろ。 しかも人前にそんな堂々と顔を晒すわけが無い」

 顔を云々はすでに他ならぬ雨音の家で遭遇している武明は何とも言えない顔で雨音の頭を見下ろしていた。

「この私をたかが世間の常識でくくれると思っているなら大間違いよ」

「何でそんな自信満々なんだ。 世間の常識に納まらない巫女姫なんてそっちのほうが問題だろうが! 非常識だってわかってるならやるな」

 武明とエルフの子供は打てば響くやり取りに口を挟む隙が無い。

「それで、そこの貴方。 何かいう事はなくて?」

 いきなり水澄の顔がエルフの子供方へと向く。

 急に向いた矛先にエルフの子供は一瞬怯んだようだったが、すぐに気難しそうな顔を作っていっそ尊大に言い放つ。

「人間如きに何も言う事は……」

 無い。 そう終わるかどうかの所で、雨音がその子供の衣の胸倉を掴み睨みつける。

「春日殿に、礼、言ってないだろう」

「っ」

 物騒なくらい光る紺色の瞳は、それだけは絶対逃がさないと言うかのようにひたりとエルフの子供を見据えていた。 その言葉に武明は目を瞠り、水澄は雨音の言葉を後押しするように頷いた。

 離せっ、と子供が雨音の手を振り払う。 振り払われた反動で一歩下がりつつ、雨音は冷ややかに言った。

「恩を仇で返す非礼がお前の礼儀か」

「う、うるさい! 人間如きに僕がなんで礼なんて言わなきゃいけないんだ。 余計なお世話だっただけだろっ」

「お前っ」

 再び掴みかかりそうになった雨音の前にスッと白い手が制止するように伸ばされる。

 その手の主である水澄を雨音がそのままの視線で見ると、その顔には雨音とは反対で別段怒った様子は無い。

 だがしかし、にっこり微笑む笑顔が何故か怖かった。 思わず雨音が黙ってしまうほどに。

「そう。 わかったわ。 それなら、もうお行きなさい」

 花咲くような可憐なという呼び方がぴったりの笑みなのに、何故か怖い。

 武明も正体不明の迫力に押し黙り固まる。 エルフの子供も、じとりと背に汗が滲むのを感じて。

 ころころとおかしそうに可愛らしい笑みを零しながら水澄が首を傾げる。

「どうなさったの? もう言う事が無いのなら、お行きになって? 人間なんかと、一緒にいるのは嫌なのでしょう? そこまで言っていますものね」

 水澄はそこで少しだけ立ち位置を変え、武明から表情が見えないようにする。

 と、不意にその瞳がきらりと光った。

「そんな人間如きに余計な世話を焼かれて助けられた上に、そんな人間ごときにも礼すら述べられぬ方は、さっさと立ち去っていただいて結構よ?」

 苛烈な笑顔で微笑まれた子供は蛇に睨まれた蛙再びだ。 そしてそれを図らずも見てしまった雨音は思わずたじろいで数歩後退る。

 顔が見えていない武明も、その言葉と雰囲気に圧されたほどだ。

 何も言えずに悔しそうに歯噛みして踵を返しそこから駆け去っていく子供を見送った後、途端に不機嫌そうな顔になった水澄が雨音と武明を振り返る。

「無礼にも程があるわ。 ……さ、ちょっと寄り道しちゃったけど、行くわよ」

「行く……」

 何処にですか? と尋ねた武明に、水澄は先ほどとは違う本物の笑みを浮かべて言った。

「勿論、斎院宮よ。 春日武明に吉野のついなの子、雨音。 両名とも本日只今を持ってこの私、斎姫水澄の指揮下に下って貰うわ。 こき使うからそのつもりでね」

 それはそれは輝かんばかりの笑顔だった。

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