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二章三節

 時刻は朝四つと呼ばれる昼時にはあと少し時間の市。

 武明は隣でじとりとした目で自分を見上げてくる雨音に、買ったばかりの干し杏を差し出していた。

「あはねとのほたへまへんか」

「物を口に入れて話すな。 ……いらない」

 ごくんと口の中に入っていた杏の果肉を飲み込んで、武明は目を瞬かせる。

「甘いですよ?」

「それがどうした。 いらないって言ってるだろう」

 尚も勧める武明に、雨音が冷たく言ってそっぽを向く。

 昨日、共に帰る道すがら少し調伏のことで確認したいことがあると言ってきた武明に、雨音は渋々ながらも頷いた。

 なのに、何故こんな市なんかで買い食いすることになっているのかと、雨音はここに自分を引きずってきた張本人を改めて睨み付ける。

「あ、やっぱり要ります?」

「要らない!」

 調伏の最初の一文字の話すら出ない。

 約一刻(一刻は二時間)前に邸に来たと思ったら、何かを言うより先にこちらに連れてこられたいうのに。

 自然と、雨音の辺りを見る眼も物騒なほど険しくなる。 まるで敵でも睨みつけるような目付きだ。

 早く帰りたくて硬く強張った雨音の表情を武明は横目で見ながら、何かを考えるように首を傾げた。

「雨音殿」

「何だ」

「市はお嫌いですか?」

「当たり前だ」

 間髪入れずに即答した雨音に、武明はちらりと視線を向けた。

「何だ」

「いえ。 そうですか……。 じゃあ、そろそろ行きましょう」

 一体何の為に連れてきたんだという雨音の視線を感じつつ、武明は歩き出す。

 けれどその歩みに、人の流れに乗れないのか、雨音が遅れがちになる。

 ともすれば人波に押し流されそうな様子に足を止めて、武明は声を掛けた。

「大丈夫ですか? 雨音殿」

「大丈夫に見えるのか?」

 こめかみをヒクつかせて、雨音がそう言うと武明はにっこりと笑って狩衣の袖をそちらに向ける。

「…………」

 何だこれは。 雨音の目が胡乱げに武明を見上げた。

「どうぞ。 掴まってください。 そうすれば、流されないでしょう?」

「できるかそんなこと!」

 べしっと雨音はその袂を叩く。

 けれど、なおも武明は笑顔だった。

「でも、手を繋ぐのは嫌なんでしょう?」

「そっ……。 ああ、ごめんだ!」

 その雨音の言葉に、したり顔でさも当然のように武明は頷いた。

「じゃあ、コレしかないじゃないですか」

 ぐぬっと言葉につまり、雨音がその袖を見つめる。

 しかし悩んでいられる時間は多くなかった。 何故なら今の雨音の声で何事かと周囲の目が二人に向けられていたからだ。 こうなってしまうとどうしようもない。

 雨音は頬に恥ずかしさから血が昇り、赤くなるのを感じた。 そのままやけになったように無言でその袂を掴む。

 心の中で、市を出るまでの辛抱だと自分に言い聞かせて。

「いきましょうか」

 明るい声がした。歩き出す武明を見上げて、雨音は少しだけ痛みを堪えるような色を瞳に浮かべたが、それはすぐに顔を俯かせたことで武明に見えることは無かった。

 ざわと辺りがにわかに騒がしくなる。

 何事かと雨音が顔を上げ、武明も其方の方に目を向けた。

「何かあったのでしょうか……」

 そこを通らねば抜けるのにさらに迂回をしなければならない場所。

 そのことも、そしてやはり野次馬根性と言うのもあって、武明も雨音もそちらへと近づいて行く。

 そこでは、数人の子供が大人に捕まっていた。

 けれど、たった一人とその他の子供とでは扱いが全然違う。

 一人は、後ろ手で縛り上げられ、うつぶせにされてその背を踏みつけられていた。

 酷く綺麗な子供だった。 けれど、人間ではなかった。

 身にまとうものはこの辺りに合わせているが、長く尖った耳に雪のように白い肌、森の緑を切り取ったような瞳に銀の髪。

 森の民ともあるいは北域ではエルフと呼ばれる妖の者。

 その子供は「私はやってない!」と瞳を怒りに燃やして叫んでいた。 周囲の大人はそれを疑いと軽蔑の目で見つめ、捕まったほかの子供はその子供を指差して、そいつがやったのだと言い張っている。

「すいません、ちょっと。 これは?」

 武明が側に居た中年の果物売りの女性に問いかけると、女性はつまらなそうに鼻を鳴らした。

「見ての通りさ。 あの妖の子供が、そこの店の品物盗ったんだと。 嫌だねぇ、これだから油断ならない。 あんな子供でも何をしでかすかわかりゃしないんだから」

 汚いものでもみるような目で、女性はエルフの子供を見る。

 子供は、なおも「やっていない!」と叫んでいた。

 周囲を睨みつけ、屈辱に魂の切れそうな声で。

「…………おい」

 武明がそちらに行こうとした時、その袖を引きとめたのは雨音だった。

 ずっとその袖を掴んでいたのだが、一瞬忘れてそのまま駆け寄ろうとしたので袖を引かれる形となったのだ。 半眼で雨音は武明を見上げ、言う。

「まさか、止めに行く気じゃないだろうな?」

「止めに行きますよ。 当たり前じゃないですか」

「馬鹿か。 考えろ」

 冷たい声でそう言う雨音に、武明は少しかがんで雨音と視線を合わせる。

「では、雨音殿は放っておきますか?」

「…………」

「あの子、やってませんよ。 ……あの子供たちに、濡れ衣を着せられているだけです」

 紺色の瞳を、じっと武明に向けて、雨音は口を開く。

「だから、考えろって言ってるんだ。 ……庇うだけで、解決することじゃない。 あれがやってない証拠が無いと、あの数に勝てないだろ」

 呆れたような声音。

 けれど、それは武明と同じく、放っておくことなど考えもして居ない言葉。

 思わず目を瞬くと、それを見た雨音の顔が目に見えて不機嫌になった。

「呆けてる暇があったら何か探せ。 ……まずい」

 その最後の言葉にはっとすると、役人らしき男がその子供を引っ立てようと手を伸ばしている場面が見えた。

「待ってください!」

 考えるより先に、身体が動きそちらに駆け寄りそう口にする。

 役人の腕を止め、片手で子供の肩を支えた。 周囲の野次馬がざわめき、中には武明に文句を投げつける者もいた。 役人が面倒そうな顔で武明を見る。

「何ですかな?」

「この子は、やってません」

 その言葉に、周囲からくるのは嘲笑と侮蔑。 気違いだという声も上がった。

 役人も武明をおかしなものでも見るような目で見つめ、それでもその外見から出自の悪く無い様子を悟ったのか、一応は丁寧に返してくる。

「この小僧がやってないという根拠はおありですか?」

「では、やった証拠はありますか?」

 押し問答するつもりはないのですよ、と。 役人が言う。 確かにこのままではそれになりかねない。

 役人が武明の支えるエルフの子供を一瞥して、皮肉気に口の端を吊り上げた。

「妖の子を庇ってお優しいところをお見せになるのなら、違う場所でなさっていただきたかったのですが」

 その言葉に、周囲が笑おうとしたその瞬間、二つ声が響く。

「黙れ」

「場違い勘違いはそちらではなくて?」

 一つは切れ味鋭い冷たい雨のような声。

 もう一つは花のように甘いながら、どこか凛とした少女の声だった。

 武明と役人がその声の主たちへと視線を向ける。

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