魔女と災厄
生命の鼓動のようなものを感じる。もうすぐジワジワと揺れるオレンジのような太陽が沈む。
そんな気持ちの良いある日。千堂瑞穂は、とある建物の屋上に座っていた。着ている黒い制服がオレンジ色に輝く。
世界が、まるでブラックホールのように瑞穂の陰を浮かび上がらせる。
瑞穂は思う。こんなに夕日が綺麗なのに。
この世界はどこか歯車が狂っている。昔よりはマシだろうと人々は言う。だれが最初にそんなことを言い出したのか、はっきりとは知らない。だが、そんなことを言われても、過去のことは、なにもわからないし納得はできない。ただ俺はまだ死ぬつもりはない。おれには、やらなければならないことがある。
いつもの癖のようにそう思いながら、瑞穂は手に持つ狙撃銃の引き金にやさしく触れる。
冷たい無機質な感触を感じながら集中する。引き金から手を放し、銃を持ちあげた。片方の目でスコープ越しに辺りを確認する。夕方の街のある一帯。たくさんの人々が棒立ちで突っ立っている。瑞穂には、まるでマネキンのように思えた。
それは、なんだか模型のジオラマでもみているようで滑稽だった。
その中で一人だけ声を張りあげて叫んでいる男。
「動くなよぉ! 最近噂の事件を起こしているのは俺だよ。動いた奴から順番に、俺の能力を使っちまうぞ」
やたらと声がでかい。どう見てもバカだ。こんなに近くに、丸見えの位置にいる俺たちのこともおそらく気付いてはいないだろう。
スコープを通して、そいつを観察する。見た目は若い、十代後半から二十代前半くらいの年齢だろう。その腕には人質のつもりか、女の子を人形のように抱えている。
瑞穂は、ハァと少しため息をついた。その瞬間、背中にアリでも踏みつけるような、残酷で素気ない蹴りを入れられた。
「危ないだろ。手元が狂ったらどうする」
瑞穂が、あきれながら後ろを向いて言った。
「いえ、ため息を吐かれているのが、ふと感に触りまして。私はいつでも大丈夫なので。とっとと撃ってください。どうせハズレ。ただのバカのお祭り騒ぎですよ」
斜め後ろに立つ女が、両手を腰に当て、やる気のない様な声でそう言った。
彼女は瑞穂の相棒。瑞穂は自分の相棒であるライカを観察する。やたらとやる気がなさそうで、少し機嫌が悪いのか右足のつま先で地面を何度も小突いていた。
「というより、なんでそんな変な服を着ている? そんな格好で大丈夫なのか? しっかり運動できるのか?」
瑞穂が呆れたようにそう言って、メロンのような薄い緑の髪を風になびかせたライカを見る。
彼女は、いわゆるゴスロリ服と呼ばれる、白と黒のふりふりした服を着ていた。
「大丈夫だ、問題ない」
そして、なぜか「ふふっ」と不気味に一人笑う。
「そうか」
瑞穂はぶっきらぼうに、そう言って再び男の方へ関心を寄せる。
そろそろ片付けるか。
そう思いながら銃のスコープを覗き、男に意識を集中させる。自分の目で男を吸い込むように。そして呼吸するかのように指に触れた引き金を引く。
「ちょっと、待ってください」
その時だった。尖ったように鋭いライカの声を聞いて、瑞穂は引き金を引きかけた指をとめた。そのままの体勢で気を引き締めライカに声をかける。
「どうした? トラブルか?」
まさか、これは罠? 他に敵が? 頭の中で考えを巡らせ周囲に気を配りながら、ライカに目も向けずに問う。
「なぜツッコミがないのですか?」
「は?」
その言葉を聞いた瑞穂は間抜けな声を発して、体ごと顔を彼女の方に向けた。ライカは口を歪めて不満そうな顔で瑞穂を見ていた。
「だからツッコミです。女神さまは言っている。あなたはここで死ぬ運命ではないと。ぐるぐるぐる~」
ライカは右腕を円のように回している。なにをいっているのだろうかこいつは。よくわからないが、この状況であまりにも、お気楽すぎではないか。
瑞穂はそう思ってため息を吐く。そもそもこいつ、最近だらだらと仕事をし過ぎだ。無理やりにでも、天川に強制連行するべきでなかろうか。などと真剣に考えた。
「そんな装備で大丈夫~~~」
ライカがブツクサそう言った瞬間、ガヤガヤと女の子を人質に取っている男の周辺からざわめきが聞こえた。瑞穂は遠目にそこを確認する。男がナイフのようなものを取り出し、人質の女の子が騒いで泣いている。
ナイフを持った右腕を真上に振り上げるのが見えた。瑞穂が即座に、銃を構えスコープも見ずに、絶対に当てる。そう思いながら男のナイフを持つ腕に向けて、狙撃した。
木材をノコギリでデタラメに切ったような音が一瞬響いた。その狙撃とほぼ同時に、瑞穂の横にいたライカが屋上から飛び降りるように、建物の端を蹴り飛ばし二発目に発射された弾丸のようなスピードで、男の元へ跳んでいく。
余裕、そう思いながらライカは笑みを浮かべ男の元へ向かう。
その間、ナイフを持っていた男の手の甲を、どう作っているのか瑞穂本人にはよくわからないが非殺傷のえげつない弾が直撃した。
男は後ろに尻もちをつくように倒れこんだ。男はナイフと人質を地面に落としガタガタと足腰を揺らしながら失禁して呻いていた。
丁度、男の隣に降り立ったライカが天使のように女の子を左腕で抱え、悪魔のように右手で男の髪の毛を掴んで、干しているふとんを叩くように、近くの適当な建物の壁に男を叩きつけた。
「やりすぎだろ」
瑞穂は手を口に当てて、少し男に同情した。その様はまるで、海外のネコとネズミが追っかけ逃げるアニメを見ているようだった。
ライカが瑞穂のいるほうを向いて、彼に手を振っている。
とりあえず終ったか。瑞穂はそう思い沈みゆく太陽をぼんやり見つめた。
人が行き交う騒がしい現場。瑞穂とライカは、捕えた男のそばに適当に立っていた。
二人がそうこうしているうちに、『ブラックライン』の連中がやって来た。
黒い車(しかもやばい改造車)に黒いスーツを着た、宇宙人を見た人の記憶を消したりする連中にそっくりなやつら。
サングラスに黒い服装、靴もどこか傷だらけの、百戦錬磨の傷を負ったみたいな黒。装備も本当に、対宇宙人でも想定しているような、とんでもないモノを持っている。
例えば、姿を消せるステルス機能の付いた服などもあるらしいが、使える人間が限られており、扱いが難しいという、うわさも流れていた。
彼らは世界の国々にそれぞれ存在している、国際警察組織である。国際平和の維持、凶悪犯罪者の捕獲を主な仕事としている。
この世界で国際平和の維持を信念として掲げるのはとても皮肉なことだった。
世界に散らばるほとんどの国が、国内の問題だけで手いっぱいで、国際平和がどうこう等言っている場合ではないのだ。
ブラックラインとシールドナインは光と影、お互いに対になる組織と言われている。ブラックラインが裏で地味にコツコツと、時には過激に仕事をするのに対し、シールドナインは過激に表で仕事をする。
「ごくろう」
黒い車から降りてきた、二人組の年齢の高い白髪交じりのほうが、そっけなく言った。サングラスで覆われた目が見えず、何を考えているのかわからない不気味さがある。
瑞穂は心の中で一人ごとのようにそう思った。
「やはり、能力者ではなく、唯の一般人でした。後はお願いします」
そう言ってライカが珍しく真面目そうにぺこりとお辞儀をする。四人が同時に干物のように伸びたまま、床に転がっている男を見る。
「おいおい、またかよ! ほんといい加減にしてほしいくらいだぜ。よう! こいつらはなんで、こうまで目立ちたがりだ? おまけに見ろよ! こいつまだ若いのに髪の毛がボロボロに痛んでいるぜぇ。これが今のちょっと頭のねじを失くした奴らの流行りか?」
そういって、二人組の一人の若い方が、倒れた男の髪をいじくり出した。
「本当そうですよね、自己アピールは、ママンのお腹の中だけにしてほしいですね」
男がそうなった原因、それをつくったであろう本人は、悪びれる様子もなく、しゃがみ込み、倒れている男の両方の鼻の穴を親指と人差し指で詰まんで、呼吸を止めている。
「あれ? 起きませんね。まぁいいです。とりあえず問題はないので、このまま連行してください」
「お互い変なパートナーを持つと苦労するな」
少し疲れた様な声で白髪交じりの方がそう言った。
「おいおい、おれはこれでも常識人だぜ?」
「いえ、それ程でもございません。私は味を失くしたガムを、噛むとふにゃんにゃんするような気持ちで、いつも仕事に励んでおります」
お互いの変な方のパートナーが口をそろえて言った。
「おい、あんた。なんか俺と組んだらすごいことになりそうだな。もし自分に迷いを感じたら、俺たちの所の門を叩けよ。この仕事、糞きついけどなんかはまるぜ」
若いほうの黒服が、一人テンション高くそう言う。
「私はそんな安い女ではないので、お断りします。あぁ、でも少しだけ、なんか青いロボットがポケットから出すような、やっばい兵器をぶっ放したい気持ちもありますが」
顔を赤らめて、両手を合わせてそんなことを言っているライカ。というか、お前もロボットだろう。瑞穂は心の中で思った。
「次の仕事がつまっている」
もう一人の白髪の混じった黒服が、クールにそう言って、適当に男に向かって球体の変な機械をかざすと、男は掃除機に吸いこまれるゴミのように一瞬で小さくなって、その中に消えた。
そして、そのまま二人はカツカツとテンポよく歩きながら車に乗り込み去っていった。
「私たまに思うのですが、あの人たちの方が危険な能力を持った犯罪者達より危険だと思います」
「まぁ、それについては同感だ」
おそらく、あの男は大したこともしていないので、今後普通の牢獄行きになるだろうが一体どんなトラウマを抱えることになるのかについて二人はあまり考えないことにした。
二人の所属する組織『シールドナイン』の人間、警察、その他関係者が現場の後始末をしている。後始末と言っても、壊れた壁を治すぐらいで被害はほとんどない。
「それにしても、相変わらず凄腕ですね。とっさに殺さずに余裕で相手の手の甲を撃つなんて。幼女が人質に取られていたのに、余程の自信家か鬼畜か天才ではないとできないことですよ」
ライカがにやにやしながら瑞穂に言う。
「俺はどれでもないよ。ただの凡人だ」
瑞穂は特に表情も変えず、ぶっきらぼうにそう答える。
「相変わらずつれないですねぇ」
ライカがつまらなそうに腕を組んで言った。
「本部に戻るぞ。上の方から何か話があるのだろう?」
なにか嫌な予感がする。瑞穂の感がそう告げていた。いつも決ってライカを通して、上が後で話があると言う時は、なにか面倒事の場合が多い。
「また、面倒なことだろうな」
「私も内容はよく知りませんが、もう夜ですね。春の夜は気持ちがいいです」
ライカは、どうやら面倒事だとは感じていないようだった。両手を広げ風を感じながら、嬉しそうに笑っていた。
この世界の話。
はるか昔の話。人間はフルーフという力を持っていた。
フルーフ、それは超能力、魔法、奇跡、そのような言葉で表すことのできるもの。昔の人々はみな例外なく強力な力をフルーフを持っていた。
彼ら古い人類は能力に頼った、高度な文明をもっていた。ただし、彼らの人生という物の中身は豊かではなかったらしい。
古い人類の文明はドミノ倒しのように、あっという間に崩壊していった。古い人類は全体である日を境に、人間同士で殺し合い、破壊衝動に駆られ出したのだ。世界の人口は瞬く間に減っていった。そしてどのくらい時が経ったのか、花火で遊び終わったかのようにふと皆が気付いた。
もしかしたら、自分たちは大変なことをしてしまったのではないか? 皆が誰かに注意されたわけでもないのに、そう悟ったらしい。その後このことは『フルーフインパクト』、『地球の悲劇』などと呼ばれて語り継がれてきた。
不思議なことに、地球に存在する自然環境の被害は少なかった。動植物達がその後繁栄したとも言われている。
人々が壊したのは、自分たちと自分たちが造った文明だった。残った人々は、密集しているとまたこんなことが起きるのではないかという、不安にかられ散るように新天地を求めて世界中に散っていった。大半の人間はその後能力を使うことはなかった。
そして現在、残された人類は一から文明を発展させた。科学的な発展はしたものの、科学が進歩するにつれて、能力を使う者が増えていった。
ただし、昔のように、神のような力を持った能力者は存在しない。フルーフという、人間に秘められたオカルト的な理解できない力、科学という人類の進歩と推し進められてきた傲慢で欲にまみれた力。この二つが混じり合った世界となっている。
笑いながらライカが瑞穂にいった。
「だから、このままお姫様抱っこしますので、それで帰りましょう。そのほうが早いです」
「断る」
そういって背を向ける瑞穂。徒歩で乗り物に乗って帰ろう。歩きだそうと思った瞬間、ライカに手をとられ、瑞穂の視界がくるりと回り闇に染まる空が見えたかと思うと、ライカの顔が現れた。にやりと笑うライカの凶悪そうにゆがんだ顔。瑞穂はため息をつき、もういいやと目を閉じた。
ライカが瑞穂をお姫様抱っこしながら、夜の街を歩いて行く。
「瑞穂はもう少し、他人の善意を素直に受け止められたほうがいいです。言葉で伝えなくては、お互い理解できませんよ。もっとも高性能な私には、そのような凡人の考えを通さなくてもよいですけど」
瑞穂は目を開いて、ライカに何か言おうと思ったが、何も思いつかなかったので視線を空に向けた。
地面を蹴りとばし加速するライカ。信号機を踏み台に跳びはね、ネコのように建物の上へとホイホイ登っていく。瑞穂を支える腕を片方放す。その腕の手首の辺りから先の尖った、輝くような金色のワイヤーが射出される。それが建物にくっ付いては離れ、それを繰り返す。
ライカはターザンのようにクモ男のように、建物の間を器用に泳いでいく。ワイヤーは傷を付けずに、生き物以外の大抵の物体に張り付ける。
瑞穂はふと思う、抱きかかえる様に持たれている身としてはものすごく不安定な状態だ。どこかの塔の天辺に設置されたシーソーに立って、左右の端を行ったり来たり往復しているようで、すごく怖い。何も考えないよう無心を貫いていたが、どうしても気になって一言言ってしまった。
「おい、間違ってもワザと俺を落としたりするなよ。この高さで地面に叩きつけられたら洒落にならないからな」
瑞穂と目があったライカの顔は唖然としていた。
「だから気持ちは正確に伝えないといけないと言いましたよね? 一回だけですよ? 私もそんな映画みたいな芸当を、いつもしているわけじゃないので」
「いや、そうじゃな」
瑞穂がそう言いかけた瞬間、ライカはワイヤーに働く力で上に向かって加速する、スピードつけて抱えた瑞穂の体を思いっきり上に投げた、つもりだったらしいが、瑞穂は見た。
「やべっ、ミスった」
一瞬、残酷な機械の乙女のつぶやきが聞こえ、無表情のライカがスローで遠ざかっていくようにみえた。一人空中に投げ出されて、ここは宇宙じゃないよな。サーカスの空中ブランコで失敗して落ちていく方は、こんな気持ちなのかなぁと彼は思った。
黒い空と白い粒のような星が見える。死んだのか俺は。瑞穂はチカチカと光ながら通り過ぎていく飛行機を見つめながら思った。
背中に柔らかいプルプルした感触を感じる。ライカが瑞穂の下にプロレスの関節技でも決めたような体勢で、埋もれていた。
瑞穂の上半身は後ろからライカに抱きしめられるように、下半身はライカの両足が絡みつきロックされていた。動けない、俺はライカの抱き枕か。
少し前、ライカが建物の壁を蹴り飛ばして加速し、落ち行く瑞穂を何とかキャッチし地面に激突した。
「ふぅ、危ねー。瑞穂、怪我はないですか? というかモゾモゾ動いて背中で私の胸をもむのをやめてください。いくら私でも公衆の面前で変態染みたことされると恥ずかしいです」
耳元で声が聞こえる。下に仰向けになって、もじもじ動いているライカが多分顔を赤らめて言っているのだろう。ボケていないで早くロックを外してほしい。
二人の周囲に人が集まってきた。
なにかの映画の撮影? ゴスロリ美少女が空から落ちてきたぞ。
俺たちは空から落ちてきた隕石かよ。瑞穂は心の中で皮肉った。そうでもしなければ、恥ずかしくて死にそうだった。
「とりあえず、恥ずかしいから解放してくれ」
萎びたような声でそう言った彼は色々な意味で泣きそうになった。
ライカの手足のロックが解除される。瑞穂は起き上がり、ライカも起き上がった。瑞穂は照れて、もじもじしているライカの手を取り、駆け足でその場を離れた。