01 わらえれば(4)
「……ねえ」
穏やかな声で僕の軽口を受け流して、自分の言葉を繋げる朱音。
「ねえ、りゅーくん。一個約束しようよ」
「なんだよ?」
こちらを向いて、そんなことを言う。その顔はほんの少しだけ、微笑んでいた。
「──今日一日の間に、一回ホントに心から笑う」
そうして、指をピッと一本立てて、口元へ。
「それは……」
「ね?」
あまりにも一方的な要求。有無を言わせない朱音の瞳。
けれど、だから、僕には、それを拒むことは──。
「……ああ、努力するよ」
まあ、これが最善の答えだろう。本気でそんなことが出来るとは思えないし、長い付き合いだ、コイツだってこれがいつもの空返事だということくらいは──
「よかった」
「は?」
予想外の答えと表情に、僕は思わず疑問符を飛ばす。
「だってりゅーくん、その返事が最上級の肯定だからね。出来ないことは出来ないって言うし、努力するって言ったことはなんだかんだで、しっかり努力しちゃうから」
「っ!」
思わず目をそらした。頬が熱くなる。なんだろう、自分も知らない自分自身を、他人には知られているというのは、ここまで恥ずかしいことだったろうか。
「今、恥ずかしかった?」
「……ああ」
正直にうなずいて、視線を戻し、朱音を見る。彼女の瞳は微かに笑っていた。
「やっぱり、そんなものだよ、ね」
「うん?」
問い返す。けれど、そんな疑問はきっとただの確認でしかない。自分でも、なぜだかそれが解かっていた。
「知られることの恥ずかしさ、なんて、そんなもの、なんだよ」
朱音は、当然のように、コタエをあっさり放つ。
とっさに言葉を紡げないでいる僕に、朱音は淡々と、けれど冷たくはない音で、諭すように僕にそれをぶつける。
「わたしは、他人よりりゅーくんのことを、知ってる。友達、だって、後輩、だって、それはおんなじ。自分っていうのは、意外と、色んな人に知られてる。ひとつ解かると、見たこと無くても、いろいろ繋がって、解かってくる、から」
「…………」
「だからさ、りゅーくん」ふわりと、微笑む「りゅーくんが、隠したがってる、笑うことで見えちゃう何かも。きっと、誰もが見たこと無いけど誰もが知ってる、そんなものだと、思うんだよ」
──その言葉と微笑みで。
カチリ、と僕の内側で何かが外れる音がした。
ああ、いいだろう。
どうせ多分開きかけた扉と鍵だ。
僕の心なんて、高校に入学して以来ずっと揺らされ続けて、だいぶ緩んでしまっている。
学校の屋上の鍵が揺らせば開くらしいけれど、きっと僕の心も同じようなものだろう。
今は、この瞬間は無理でも。
望み通り笑ってやるさ。
無理矢理にでも。
僕だけでなく、みんな巻き込んで、笑ってやる。
そんなことを考えて、目をやった砂浜の向こう。
水遊びに飽きたと見られる濡れネズミが二人、口論しながらこちらに歩いてくるのが見える。
そうさ、次の勝負。
人生最大の、その勝負。
僕が勝って、王様になって、誰もが爆笑するような命令で笑わせてやる、笑ってやる。
その決意を胸に、僕は立ち上がり、声を張り、ゲームの再開を宣言した。
それを聞いて濡れ鼠二人が顔を見合わせた後、邪悪な笑顔を輝かせてこちらに駆けて来る。
そんな僕らの様子を、朱音が少しだけ楽しそうに見ているのがチラリと、横目に見えた。
今回は章別れなしで、前回からの続きです。
前の話と一気に読んでいただけると、流れがわかりやすいかと思います。
さてさて、第2編「わらえれば」いよいよ佳境です。
悠の人生最大の勝負の行方はどっちだ!?
そんなわけで次回が第2編の最終回です。
ではでは、また。