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01 わらえれば(3)

    3


 ……まあ、死んでないけどね。

 あの謎の物体Xを食べたインパクトにギリギリ耐え、何とか意識を維持していた僕は、パラソルの下で一時の休息を取っていた。

 「ぶふぁあ!」

 買ってきていたスポーツドリンクを一気に流し込み、空のペットボトルを副会長愛用の学校指定カバンの形をしたゴミ箱に放り込む。

 「……死ぬかと思った」

 そう呟いて、僕はふと隣を見る。そこには静かに波間を見つめる長い黒髪の少女の姿が一つ。学校指定のワイシャツにスカート、そして麦わら帽子という一見ミスマッチないでたちだけれど、実によく似合っている。

 そこだけ、まるで絵画の中のように、静かで。さっきまでのバカ騒ぎが嘘に思える、そんな空気が漂っていた。

 「楽しいか? 朱音」

 賑やかな時間のその合間の静寂の中、思わずそんなことを聞いていた。

 「ん、楽しい、よ」

 視線を波間に向けたまま、彼女はほんの少しだけ口元と目じりを動かして、けれど柔らかく微笑んで答える。昔から変わらないおっとりとした話し方と軟質な声に少しだけ安堵する。

 「そっか」

 「りゅーくんは、アレに、混ざらなくていいの?」

 「りゅーくん言うな」

 理由(さとよし)くん、りゆうくん、りゅーくん。そして名前の方のゆーくんにも響きが似ている。一応止めるよう促してみるが、この呼び方はもう朱音の中では固定されていて動かないことがここ10年で証明済みである。

 「りゅーくん」ほらな「混ざらないの?」

 「……いや、僕にはアレに混ざるほどの元気も勇気もないな」

 アレとは叫び声を挙げながら波打ち際で本気でドロップキックなどを打ち合っているバカ二人のことを指している訳で。

 「制服のまんま、塩水に浸かって、大丈夫なのかな?」

 「大丈夫じゃないだろ。そのまま乾かしたら明日あたり立派な塩の白ランと白ブレザーの完成だっての」

 朱音はもちろん、僕も既にワイシャツ姿。潮風に当たるだけで案外と制服は白くなってしまうため、事前に生徒会室に置いてきている。

 「なんか、リアルに光景、浮かんでくるかも、それ」

 「塩コーティングされた制服で明日怒られればいいんだよ」

 呟きながら、波間の戯れをまじまじと見る。

 傍目にはただのアホな行動で、僕から見ても結局はそうなのだけれど。ただまあそれでも、僕らにしか解からない事実も確かにそこにあるわけで。それは例えば、去年よりずっと表情豊かになった後輩の姿だったり──

 「友香ちゃんのこと、考えてる?」

 「おおう!?」

 見抜かれてしまった。ちょっとびっくりしてしまったじゃないか。

 「……友香ちゃん、よく笑うようになった」

 「そうだな、元々ノリは良かった傾向があったし、変わり始めればこんなもんだろ。まあ、まだぎこちないけどな」

 ナチュラルな笑みは、まだ硬い。笑い始めた頃からまだそんなに経ってないからなあ……。

 まあ、僕をいじめている時の笑顔は異常なほどいきいきしているんだけどもな!

 「よかった、ね?」

 「ああ……って、思わず肯定しちまったけど、何で僕にそんなことを訊ねる?」

 「去年、りゅーくんが、一番心配してたのが、友香ちゃんだったから」

 「……ふむ」

 顎に手をあてて、思案顔を作ってみる。幼馴染に隠し事は出来ません、といった所か。昔から鋭いところがあるよなあ、こいつ。

 「あの秋の宣言から、始まって。感情はだいぶ出てくるようになって、『笑う』のは去年の冬あたりから、劇的によくなったと、思う」

 「そうだな。友香も、時間はかかったけど生徒会にだいぶ馴染んできたってこ──」

 「……なにか、あったでしょ? 友香ちゃんと、去年の冬」

 「──ことっかにゃっ!」盛大に舌を噛んだ。しかも2回。無駄に可愛く「…………」そして沈黙。

 何? 幼馴染に隠し事が出来ないってこういうレベルなの? あの冬あの時あの場に誰もいなかったよね? 過去視透視超能力? エスパーじゃん。 いやいや、特にあの冬にやましいことがあった訳じゃないが。

 「むう。りゅーくんは、解かりやすいなあ」

 注意していないと解からないような苦笑いで、そんなことを言う。

 「お前が楽しそうでなによりだよ……」

 とはいえ、深く追求してこないのは助かる。あの冬の約束も、あの会話も、もしかしたら全てバレているだけかもしれない、という恐怖はぬぐい去れないが。

 と。

 そのタイミングで、うきゃー! と遠くから一際高い声が届く。ふと見ると、アホ共が大きめの貝を両手に持ってカチカチいわせて奇声と組み合わせて威嚇しあっている。最早訳がわからない、はたしてあれは本当に僕と同じ人類なんだろうか?

 「ったく、楽しけりゃなんでもいいのかね、あいつらは」

 思わず、呟く。

 春の海に来て、ゲームして食べて飲んで、仕舞いには海へ突貫。僕には全く理解出来ない。理解出来ない、けれど──。

 「でも、今『楽しい』ってことだけは、きっと、間違いないんだよ」

 多分だけど、ね。と、彼女は僕の言葉を代弁するように呟いた。

 「……まあ、そうかもな」

 答えて、沈黙。ザァ、と風と波が音を立てて、心地良い静寂が一瞬だけ場に広がる。朱音の黒髪が、ゆれる。

 「ねえ、りゅーくん」

 波間からこちらに視線を移して、僕を呼ぶ。

 「ん?」

 「りゅーくんは、さ。笑わない、よね」

 「そうか? 僕は意外と表情豊かなつもりだけどな」

 こうして答えている今も、表情は笑顔のつもりだ。

 「ん、そういうんじゃ、なくて。こう、本気で笑わない、みたいな。遠慮のある、笑顔……とか?」

 朱音は、もごもごと自分でも答えを探しているように例える。

 「流石」

 僕は、くしゃくしゃと頭を掻きながら一言だけでほめてみる。

 朱音の言うことは正確であるといえるだろう。僕は笑えないわけではないし、楽しいと思わない訳でもない。けれど、どこか心から笑うということにブレーキをかけてしまう。

 原因はわかっている。


 どこか怖いのだ、自分をさらけ出すのが。

 剥き出しの自分を、他人に見られるのが。

 見透かされたくない。

 見透かしたくもない。

 出来れば、少しだけぼやかして、濁らせておきたい。

 そんな、人間が誰しも持つパーソナルエリア。

 僕はその範囲がほんの少しだけ広いのだと、分析している。

 そのために、どこか曇ったフィルターを通して世界を見ているのだ、とも。

 そして、そんな自分を、果たしてどのくらいの人間に見抜かれてしまっているのか、解からない。


 そういう臆病を完全には捨てきれないまま、僕は今ここにいる。


 「笑うのは、きっと楽しいこと、なんだよ? わたしは、結構笑うタイプ、だけどね」

 「他のやつらにはきっとそうは見えてないぜ?」

 無表情とはいかないまでも、表情を作って大声をあげて笑うところなど見たことがない。少なくとも表面上は、だが。

 「笑って、それで、あんまり表情に出ないタイプなの」

 「……知ってるよ」

 こいつはそういう奴なのだ、子供の頃から。僕とは真逆の心根を持っている。

 僕は笑いながら笑わず、朱音は笑わずに笑う。表情だけで言うなら、僕は朱音の微笑以上の笑顔をを見たことが無い。

 「だから、さっきの謎の物体試食会も心の中ではかなり大爆笑」

 「そんな奴だとは知らなかったなあ!」

 幼馴染暦17年目にして衝撃の新事実発覚! ……でもないな。僕の周りのやつらは僕の不幸を喜ぶやつばっかりだからなあ。

 人の不幸を笑うな。あれ、本気で意識飛びかけたんだからな。


ここからはコメディー若干控えめ青春回です。

さてさて、皆さんお気づきでしょうが、今回の短編のスポットライトは、朱音です。匠、友香メインはまた別の短編で。

友香・匠好きの人、すみませんっ!


ではでは、また。

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