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05 彼女が彼を嫌いな理由(4)

    ◆


 中学生の時分だった。

 大きな挫折をして。そこから少しだけ、嫌な事が続いた。

 自分の所為ではなくて。だからといって誰かの所為でもなくて。

 けれど、自分の力ではどうにも出来なくて。

 そのせいで。

 やりたいことも、なりたいものも、無くなって。

 輝いていた理想がどこかに去って、現実だけが私の目の前に壁として残っていた。

 そんな時期があった。

 惰性で学校に行き、惰性で勉強を続けた。

 目標はない。

 けれど、普通から外れるのは嫌。

 そんなありきたりな理由で、エスカレータ式の進学を蹴って、地元の中くらいの高校への進むことを決めた。

 そんな年の、夏。

 その高校の体験入学。

 そこで何をやったかなんて覚えてはいない。

 交流会めいたそのイベントで、何を話したのかも、実は覚えていない。

 たぶんそう、そのころの心の中をそのままに。

 目標もやる気も希望もない。

 理想なんて持たない。

 そんなもの何の役にもたたない、とか。

 そういうこと言ったんだと思う。

 でなければ、私があの日の中で、唯一覚えている痛烈な言葉の意味が通らない。


 ──「おいあんた」、と。


 シンプルな音と共に、急に記憶の靄が晴れる。

 舞台は廊下。交流会終わりの、帰宅のざわめきも消えた、静かな廊下。

 その奥、つきあたりの小さな窓から差し込む、強烈な赤が、やけに印象に残っている。

 とかく。私はそこに立っていて、彼もそこに立っていて。

 そうして。

 それから、説教は、突然始まった。


「理想を失う? 現実を知ったから?

 笑わせるな。

 現実に叩きのめされて、それでもまだ立っている、実現したいと心の底からいえる。それを理想っていうんだ。

 中学生やそこらで理想を失っただの夢を失っただのほざいてんじゃねえよ。それえじゃ世界はまわらない。

 現実に叩きのめされて消えるようなのは理想じゃない。

 叩きのめそうとしてくる現実を逆にぶち壊すのが理想ってもんだ。

 簡単な原理さ。

 ボクシングとかわらない。

 現実を理想でぶちのめせ。

 そうすりゃ、お前の理想は現実になる。

 理想と現実。

 そうやって世界は進歩してんだよ」


 名前も知らない彼は、本気で、そんな理想しかない言葉でそんなことを言うのだ。

 それこそ理想論で、ご都合主義で、そんなに上手くいくはずないと小学生でも思ってしまうような内容で。

 でも、それは。

 ひどく真剣な言葉で。

 ひどく真剣な視線で。

 こんなにも、空ろな私に向かって。

 彼は、言いたいことだけ言って、私を昇降口から放り出し、学校のパンフレットと自販機で買ったお茶を持たせて、

 気をつけて帰れ。

 と、一言。

 私はそこで、数秒間唖然として。

 少し遅れて、その去っていく背中に、厳しいのか優しいのかどっちだよ、と苦笑いをしながら悪態をついた。


 それだけ。

 それだけの記憶である。


 考えてみればおかしな話だ。

 その時期の私の人生を覆っていた絶望を、どす黒い心の闇を、衆目にさらけ出した記憶よりも。

 たかだか一歳上の人間に、上から目線で、青臭い言葉で、痛烈に怒られた記憶のほうが残っているというのは。

 今でもおもわず吹出してしまうぐらい、おかしな話だと、私は思う。

 ああ。だけど。


 その時、私はいったいどれくらい久しぶりに、笑ったんだっけ──


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