04 冬の唄・夢の跡(4)
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底冷えする空気。放課後。
見慣れた似非円卓を冬の柔らかい日差しが照らすその場所。生徒会室。
そんな場所に、人影が二つ。僕と、友香だ。
「平和って、なんだろうな……?」
「辛気臭い顔で乱入してきた思ったら、いきなり何訳わからない事呟いてるんですか……」
僕の渾身の問いに、友香が書類に落としていた顔を面倒くさそうに上げて、困った表情で疑問を返してきた。
その後ろでは、ついには暖房兼湯沸かし器としてしか機能しなくなった古めかしいノートPCが、露出したCPU上に乗った小さなやかんから湯気を立てさせていた。隣に並ぶスマートなフォルムの新型マシンとの対比かどこか物悲しさを呼ぶが、世は盛者必衰、仕方ないことなのである。
その例に漏れることなく、この部屋の主も、すでに僕ではなく、この目の前の少女に変わっている。まあ、僕に関しては、栄えた記憶なんか一つもないんだけれど。
「いや。朝からツッコミばっかりだったから、ちょっと息抜きしようかと思ってさ」
僕は円卓の中から適当に椅子を選び、友香の方に転がして距離を詰めてから、腰かける。生徒会長の椅子は当然、現在その肩書きを持つ友香が座っているため、僕には使用不可である。
「ほほう。それはつまり私に面倒な役を押し付けようって魂胆な訳ですね?」
「いや、ツッコミ役は面倒事じゃないぞ?」
ただちょっと疲れるだけだ。いちツッコミ100メートルダッシュ一回分ぐらい。
「で? 今日は一体どうしたんですか?」
友香が、そんな疑問を飛ばす。視線を書類に戻して、右手も淀みなく動かしながら。
む、こいつまったく聞く気が無いな。
「買うつもりじゃなかった喧嘩を気づいたら言い値で買い取ってた。世界から戦争が無くならないから、そんな不条理がまかり通るんだ」
「壮大な責任転嫁ですね。というか逆でしょう、それ。逆も嫌ですが」
「待てよ? それじゃあ僕が喧嘩を買わなかったら、世界から戦争が無くなってたのか?」
「そもそも前提が間違っているところにそろそろ気付いてくださいね?」
「やべえ、どうしよう。これちょっとスカイツリーから紐なしバンジー程度の刑罰を甘んじてうけないと償えなくね」
「責任の取り方が潔すぎますね。ぜひどうぞ」
「……なあ。友香、ちょっとツッコミ事務的すぎないか?」
「悠先輩のボケが下手すぎるんですよ」
「ぐはあ」
言いながら、友香の様子を伺う。なんだか目も合わせてくれないし、呼吸も深い。呆れられているのだろう。まあ、最近、二人での絡み始めはこんな感じだ。なんだか最初のころに戻ったようで、ぎこちない。が、全く邪険に扱われるわけでもない、微妙な状態だ。まあ、そのうち乗ってくれば、テンションも上がると信じよう。
「それでですね」スイッチを切り替えるように「ホントのところどうなんです? 喧嘩って──」
「いや、ちょっとこの銀河をかけた宇宙人との熱きバトルについてだな……」
「無駄です。解りますよ。匠さんとのことでしょう?」
「……お前、もしかして心とか、読めるの?」
食い気味で放った渾身のボケをコンマ以下の時間でさっくりスルーされたことに対する憤りよりも、驚きが先に出た。
「否定はしません」
「マジでか」
それは最早遠回しな肯定だろう。
そんな超人、朱音一人で十分なんだが。
戦々恐々する僕の様子を感じ取ったのか、友香は、ふう、とため息をついて、再び顔をあげた。メガネを外して机に置いたあたり、どうやら少しは話に乗っかって来てくれる気になったらしい。
「冗談ですよ、なんで本気にするんですか」
「いや、だってお前、冗談言ってる顔じゃなかったぞ……?」
目が本気だった。怖い位に。
「言っておきますけど、私だってそのくらいの演技はできますからね?」ため息まじりに「……白状すると、なんだか二年棟でも噂になってたんですよ。たぶん、一年の方にもすでに行ってますね」
下級生棟にまでか……他人事としては随分と早いな。あれ今日の昼休みの出来事だぞ。
「僕と匠の件がか? 喧嘩するらしい、って?」
「いえ、先輩が受けで、匠さんが攻めだ、って」
「……それを最初に言っていた人間を今すぐここに連れてこい」
出所を突き止めて、根絶してやる。文字通り。
「え? もうここにいますよ?」
「よーし、拷問器具はどれがいい? 嫌なものを選ばせてやる」
犯人お前なのかよ。なんてことしてくれるんだ。
「これも冗談ですけどね」
「そろそろ冗談で済ませられない領域に踏み入ってることに気付いて後輩!」
「ホントはですね、受け攻め関係なのに、喧嘩するんだってさ、とか」
「僕は今、噂に尾ひれがつく瞬間を初めて目の当たりにしている!」
「尾ひれ? 喧嘩のほうですか?」
「受け攻めのほうだよ!」
「む」おそるおそる「……まさか、逆?」
「断じて認めない!」
窓の外、部屋の空気と相反する冷たく澄んだ青色の空に向かって叫ぶ。
「先輩は一体何処に訴えてるんです?」
放っておけ。なんだかもう、人知の及ぶところに文句を言っても仕方がない気がしたのだ。
それこそ冗談じゃない、のである。
「いいか、そもそも攻めの対義語は受けではなく守りで──」
「それにしても、しかし」
「スルーか。これ結構大事な話だぞ?」
僕にとっては重大だ。折角、本音と建前間違えなかったのに。
「しかし」
「お前も僕の言葉を聞いてくれないのな」
知ってたが。
「しかし、改めて思うと変な話ですよね」
「……どの辺が?」
その言葉の再三の繰り返しに、最早友香の思考矯正のチャンスは与えられないと悟って、僕は問う。
「噂の内容ですよ。喧嘩してる、なら解りますけど、喧嘩する、というのは、噂の表現としてはどうなんだろうなー、って思ってて」
言いながら、何か聞きたそうな目がこちらに向いていた。どうやら、本当に心を読めるわけではないらしい。
「ああ、実はな……」
観念して、頬を書きながら、事の顛末を聞かせてやる。どうしても、と匠が頼み込んできたところまで、事細かに一から十までダイナミックに伝えてみた。あることないこと織り交ぜて。
「なるほどなるほど」
「伝わったか?」
「はい。喧嘩を要求された、ということ以外、理由も何も一切解りませんでしたけど、それだけは異様にしっかりと」
「だよな。大丈夫。ホントのところ、理由は僕にもいまいち解ってない……。やり残した事、とは言っていたけど」
どうにも、それが真意、って訳じゃなさそうなんだよなあ……、と途切れた言葉を心中で繋げ、思考する。嘘の気配はしなかったから、それはそれで本気なのだろうが、どうにもそれだけではない気がする。
「ま、匠さんの真意はともかくとしてですね。冬季限定低気圧ボーイ先輩はどうするんです?」
「え、なに。その二つ名広まってんの!?」
知らないのは僕だけだったのだろうか。周知の事実なのか。怖いよ、この学校。
「どうするんです?」
「この学校には僕の質問に答えてくれる奴が少なすぎると思う」
……はあ、とため息を一つ。それから、
「受けるよ。受け攻めって話じゃなくてな。アイツ、いっつもヘラヘラしてるけどさ、譲る気がない時は、なんとなく解るんだ。表情は一緒でも、眼が本気だったし、それに」
「それに?」
「日付がな、重要なんだ。よりにもよって、『あの日』に合わせてくるなんて。本気にもほどがあるだろ?」
「あの、日? って──まさか」
友香はそこで、何かに気付いたように、言葉を止める。流石、今代の生徒会長は、僕なんかよりずっと察しがいい。
「ああ、ご明察だ」
僕は笑って、それから、言葉を紡ぐ。そう、一月二十四日。それが、
「──あまりにおあつらえむきな、決戦の日だよ」
「……そうですか。それなら、じゃあ、仕方ないですね」
「ああ。決着を、つけなければいけな──」
「先輩が受けにそんなにこだわりがあるなら、仕方ないですね」
「実は全然理解してないなお前。あとそれ、わざわざ言い直してまで付け加えるようなことだったか」
「最優先事項です」
真顔で言い放つ友香。僕は、はあ、とため息を一つ。
「……お前ホント、仕事と僕イジリは一流だよな。勉強は出来ないのに」
「べ、勉強出来ないは余計です!」
ずっと冷静だった生徒会長の表情がようやく崩れ、その向こうから「友香」が顔を出す。声も、ほんの少し
「事実だよ」
「この前の前期期末と後期中間試験はそれなりによかったですよ! 家庭科以外……」
「それだって僕が放課後教えてあげた結果だろうよ。内申が必要だのなんだの、いきなり泣きついてきやがっ──て、え、家庭科駄目だったの!? 何より力入れて教えたのに!?」
こいつの料理から、なぜか忍び寄る命の危険の気配を感じたから、ここで矯正しておこうと頑張ったのだが。
「な、泣きついてなんかいません!」
「え、待って待ってそこじゃない。今大事なのはそこじゃない。……家庭科の件はスルー?」
「ただ成績のいい人をちょっと利用してやろうと思ったんです」
「聞いてもないことを暴露すんな! 腹黒さ溢れてんぞ」
「て、照れ隠しです……」
「随分と凶悪な照れ隠しだなおい。僕のハートが大分抉られたじゃないか」
「心臓が?」
「心が! 怖いなその発想!」
そんなことになったら、きっと僕は座ったまま致死量の血を吐き出して倒れていることだろう。出来ればそんな死に方は勘弁願いたい。
「……内申」
ぽつり、と。
「ん?」
「おかげさまで内申、かなりあがりました」
「ああ、話戻ったのか。ん、まあ、よかったよ。気合い入れて教えた甲斐がある」
「そ、その」
「なんだ?」
「あ、あり。あり、あり」
「ありーてべるち?」
「違いますよ。どうして急に私イタリア語で別れを告げなくちゃいけないんですか」
「ごめん。ちょっと最近まで奇妙な冒険してたから……」
イタリアへのちょっとした旅である。
「生徒会室に漫画持ち込んでソファーでくつろぐの止めて貰えませんかね。暇なんですか?」
びしり、と本棚の片隅のとある文庫版コミックスを指差す。妙に濃いキャラクター達が描かれたそれは、少し前に僕が持ち込んだものだ。
というか、さっきの僕のセリフを一瞬でイタリア語と指摘したあたり、きっと友香もこっそり読んでいたと思うのだけれど。まあ、指摘はしないでおいてやろう。
「受験も終わったし、漫画読むくらいの余裕が出てるのは事実だよ。で? さようならじゃないなら、なんて言いたかったんだよ?」
「…………む」
「なんだよ」
「先輩。解って言ってますね?」
「……なんのことかな」
「むむむ」
呻く友香。少しだけ意地悪な顔で、きっと僕はそれを見つめているのだろう。
そうして、ただ呻くだけの時間が、少しだけあって、
「ありがとう、ございました。勉強、教えてくれて」
若干尻すぼみな声で、しかし、ちゃんとこちらの目を見て、そんな風に言った。
頬が赤らんでいるあたり、照れ隠しというのは本当だったのかもしれない。僕みたいな奴にはお礼なんて言いたくもない、という意思表示かもしれない、という懸念が無くなってなによりだ。いや、ほんとに。
「ユアウエルカム。あ、これどういたしまして、って意味な」
「知ってますよ、その位!」
ま、その位当然だよ、っていうニュアンスの方が近いんだがな、これ。実際そんな風な意味合いで使ったのだが、案の定通じていない。
「じゃあ、綴り。書いてみ」
「…………っ。うぐ」
「……まじでか。冗談のつもりだったんだけど。びっくりするわ」
「じょ、冗談でもやっていいことと悪いことがあるんですよ!?」
「お前の中の善悪基準それでいいのか!? あとお前それ完全にブーメランだからな!?」
と、まあ、そんな感じで、匠の件とは関係なく、僕と友香の会話は実にいつも通り、ぎゃあぎゃあと続いていく。
そんなやり取りの最中、急に内申あげたいなんて、どんな心境の変化なのだろうか、とか。二年の評定なんて、別に受験に大きく絡む訳ではないのに、とか。そんな疑問が少し脳裏をかすめたけれど。
目の前で口を尖らせて不満そうな表情をしている少女を見ていると、なんだかそれは、とても些細なことのように思えて。
結局、僕は喉元まで出かかったそれを飲み込んで、いつものお返しと言わんばかりに、すねて口を尖らせた友香を鑑賞することにしたのだった。
冬の日は、こうしてまた、過ぎていく。
ありふれた日常の中に、少しだけいつもと違うことを織り込みながら。
◆
そうして、かちり、と。
時計の針が、音を立てた。




