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02 刹那の夏(5)

     3

 

 天気予報というものは往々にして外れるものだ。

 本日の野外最高計測気温は四十三度、天気は晴れのち雨。

 昼過ぎから降り続けた雨の滴が、限界まで熱されていた空間ごと凄い勢いで冷やしているのか、夕方六時現在の気温は二十八度。

 それでも十分暑いのかもしれないが、つい数時間前までと比べればまさに天国と地獄である、のだが。

 「…………」

 「…………」

 沈黙が生徒会室を支配する。ついでに僕の背中を嫌な汗が流れる。

 僕の視線の先には、もはや表情から機嫌の悪さしか発していない少女が一人、窓の外を見たまま全力でこの世のものとは思えない圧力を放っている。

 「な、なあ、友香」

 静かに近づいて、なんとか勇気を振り絞って話「……なんですか」かけてみたけどやっぱ無理だぁ!

 怒ってる。なんかよく解からないけど怒ってるよ。

 声がかつてないほどバス音域。目がもう濁りきっている。

「その……僕、なんか悪いことしたっけか?」

「自分の胸に手をあてて考えてみてください」

「…………」無言で思考、そして「いや、やっぱ僕ワルイコトシテマセンヨ?」

 「後輩ビーム!」

 「ぐあ! そのキック超いてえ!」

 なんか凄いネーミングの攻撃を食らった。そしてゲシゲシゲシ。

 「止めっ、ちょ、連発は止めて!」

 痛い痛い痛い。すね蹴り連発とか地味に辛いから。

 「真摯な謝罪を要求します」

 ゲシゲシ。

 「謝る、謝るって!」

 「心がこもってないです。態度で示してください」

 「態度、態度って」ゲシゲシ「痛。わ、解かった、何か要求があるなら飲むから!」

 「ん」

 あ、攻撃止まった。今の誘拐犯とか立てこもり犯とかに向けて使う言葉だった気がするんだけども。

 「……本当ですか?」

 訝しげに訪ねてくる友香の声は、相変わらず低音だがバスからテノールへ変化して、込められた悪意の量は減ったような気がする。気のせいかもしれないけれど。

 「ああ、出来る限り尽力サセテイタダキマス」

 ひりひりと痛むすねを気遣いながら放った僕の言葉を受けて、思案顔になって悩むこと数秒。窓の外と、僕の顔を見比べた後、

 「……じゃあ、家まで送って行って下さい」

 なんて、そんな要求を口にした。

 「え?」

 思わず素で聞き返してしまった。そのくらい完全に予想斜め上を行っていたのだ。

 友香ならばここぞとばかりに、僕をいじめるような要求を突きつけてくるかと思ったんだが。真面目に仕事しろ、とか。やる気の無いときに仕事をする、というのは僕にとっては拷問に等しい。

 「家まで送ってください」

 「……そんなんでいいのか?」

 僕いじめでなければもっとこう、生徒会室にポットとティーセットを導入しろとか、毎日お茶菓子を出せとかそういう要求なのかと思っていただけに、その難易度の低さに驚いた。

 「はい。……駄目ですか?」

 「いや、そんなのお安い御用だけどさ……。ていうか、元々暗くなったら送っていくつもりだったし」

 流石に後輩女子を一人で夜に帰らせるわけにはいかない。

 それじゃ早速片付けて行きましょう、と友香は動き始め、僕はロッカーから置き傘を取り出す。と、そこで一つの疑問にぶつかった。

 しかし、僕のその疑問は口に出す前に氷解することになる。

 「なあ、友香──」

 「──あ」友香はわざとらしく僕の呼びかけにかぶせて「私、今日、傘持ってないですから」


 そんなことを、ニコリと笑って言ってのけたのであった。


     4


 そんな訳で、相合傘である。

 「先輩、恥ずかしいですか?」

 「ああ……恥ずかしい」

 恥ずか死ぬレベルである。

 「それはよかったです」

 うわあ、超いい笑顔。なんだこれ、こいつめちゃくちゃ普通に笑えるようになってるよ。

 ……殺す気だ。友香は僕を恥ずかしさで殺す気なんだ。

 そんな新手の処刑法だったが、しかし、その甲斐あってか怒っている様子は表面上無くなっていた。けれど一応フォローは入れる。

 「花火の件は仕方ないだろうさ、中止も決まったし」

 精一杯予測した、怒りの原因をカバーしてみる。

 「もう怒ってないです。花火なら、別に見れますし」

 いつでも、どこでも。と妙にしんみりした様子で友香は呟く。

 「そうか? ならよかった」

 と、ほんの少しの安堵を吐き出した。

 「それに」

 「?」

 「こうして相合傘ってのも、案外いいものですしね」

 ま、先輩が相手っていうのはあれですけど、なんて。

 友香はふわりと、柔らかく微笑む。

 なんだよそれ、などとそっけなく対応して見るが、少しだけドキリとしてしまった、ような気がした。思わず、足元を見る。

 そんな僕の微妙な心情などお構いなし、たぶんコイツは僕をからかっているつもりなんだろうな。もしくは処刑法の一環だ。

 「あ──先輩」

 なんて考えていたら、ふと、唐突に呆然とした声で友香が僕を呼んだ。

 「ん?」

 なにごとか。僕は答えて、友香の顔を見てからこちらを見ていないことに、気がついて。その視線が示す方向を、つられるように向く。

 瞬間。ぶわあ、と強い風が吹いて思わず一瞬、目を閉じた。

 そして、次に目を開いたとき、曇天の雨夜はその姿を一変させる。


   ──世界が、止まった気がした。


   大きな雲の切れ間から覗く三日月、静止する雨、瞬く星、街灯のない真っ直ぐな道。

   そんな、僕と友香だけに見えている空間。

   その全てがパチパチと、鮮やかな火花をあげていた。

   落ちる透明な雨粒が、空中で月光を受けてはじけて、輝いて。

   星々はきっと、その火の粉で。

   まるで──大きな線香花火の真下にいるような、そんな感覚。


 月光と星と雨。

 そんな矛盾した光景はほんの少しだけ続いて、すぐに雨が止んだ。

 それで御終い。花火は、溶けて、落ちた。

 「「…………」」

 二人で、暫らく空を呆然と見上げているだけしか出来なかった。

 「なんか、あっという間、でしたね」

 沈黙を破ったの友香だった。

 少し呆けた声の友香の言う通り、感動の台詞なんか思いつく前に終わってしまった。唐突に始まり唐突に終わった。

 「ああ、あっという間、だったな」

 だから、同じ言葉を返した。

 ありきたりな言葉以外に、何も浮かんでこなかったから。せめて友香と同じことを考えていた、という事実を、ほんのひとかけら伝えたくて。

 「真夏の夜の夢、ってこういうのを言うんでしょうかね」

 「どうだろうな」

 わからないけれど、そう。夏なんて、ほんの一瞬だ。

 瞬きほどの時間。写真を撮るのと同じくらいの、一瞬の露光。

 この偶然の線香花火は、その中の、さらに短い、もっとなんでもない時間なのだ。

 けれど、たぶん、きっと。

 この一瞬は、とんでもなく重い一瞬で。

 ほんの少しだけ日常から逸脱した時間。

 決して色あせない、そんな夢みたいな写真に似た、軽いけど重い、そんな一瞬。

 「来年」

 またしても唐突に、切り出す。こんなことを今から、しかも僕が言い出すのはどうかと、自分でも思ったが、言わずにはいられなかった。

 「はい?」

 小首を傾げる友香にむかって、僕は続ける。

 「来年さ、もう僕は卒業してるけど、一緒に花火、見に来よう」

 「え」

 心底驚いたような表情で、友香は疑問符を飛ばすのが解かる。

 「匠も朱音も秋穂も他の役員共もさ、皆誘って春の時みたいにさ、花火見ながらバカやって、今年の分まで騒いでやろう」

 「ああ、そういうことですか。なん……ちょっと期待……ったじゃ……です」

 「ん?」語尾が小声で聞き取れなかった「駄目か?」

 思わず口を突いて出た小恥ずかしい言葉だったが、断られるのはそれはそれで寂しい。

 そんな感情が顔に出てしまっていたのか、友香は、

 「ふは」吹き出す様に笑って「いえ、いいですね。やりましょう!」

 普段あまり見せないような明るい声で、そう答えた。

 「そっか、じゃあ──」

 「幹事は先輩で」

 「押し付けを先読みされた!」

 「言いましたよね、私。先輩の考えてることなんか大体解かるって」

 「……そっか」

 「そうですよ」

 そんな風に、軽口を言い合って、二人して笑った。なんだか暖かいような、少しだけいつもと違う沈黙。

 「約束ですよ?」

 「うん?」

 「いつか」少しだけ力のこもった声で「いつか、絶対。そういう風にまた、皆で集まってバカやるっていう、約束です」

 「ん、ああ、まあ発案者は僕だしな」

 少しだけ寂しそうな表情で、友香はそんなことを言い、僕はそれに肯いた。

 それだけ。他愛のない、それだけのいつもと同じような掛け合いのはずなんだけれど。

 なんだろう、今、少し妙な違和感があったような気がした。まるで扇風機に向かって放った言葉のようにたわんでいて、些細で、けれど重大な。

 けれど、そんな僕の胸の中の暗幕なんて関係なく、友香はひらきっぱなしだった傘の下から抜け出して、

 「さ、そうと決まったらさっさと帰りますかー」

 ちゃんとガードしてくださいね? と。

 一転、明るく言って、歩くスピードを上げる。

 「……お前はどこのVIPだよ?」

 なんてことを呆れ顔でそう言って、僕は傘を閉じ、一瞬遅れてその後を追う。

 そんなやり取りひとつで、違和感はもう、なくなっていた。

 解からないものを考えても仕方ない。

 まあ。

 今、この一瞬が楽しい。とりあえずはそれを、味わうとしようか。


     ◆


 灯のない道のその先には、大輪の花火があがるはずだった夜空。

 吹き抜けるのは、昼間の暑さが嘘のような涼しげな夜風。

 真っ直ぐ続く道の先。遠くから、寂しげな秋の足音が聞こえる。

 まだ微かに肌にまとわりつくような空気の向こう側から、少しだけ。

 ほんの少しだけ、そんな気配がした。


 そう。

 今思えば、きっとあれは、別れの──。

 


刹那の夏、と書いてセツナツ。

これにて幕でございます。


今までの短編とはまた違ったラストに出来ていたでしょうか。

ここまでお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございます。

物語もここが折り返し、次はきっと秋のお話です。


ではでは、また!

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