表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
碧落に君は消えゆく  作者: 藤橋峰妙
第一章『根雪の章』
8/18

04 遠吠え




 

 アズサは声の出所を探して、川沿いを歩き続けた。

 


 やがて、山側の岩壁に、ぽかりと空いた穴を見つける。

 

 

 膝を付いて身を屈めれば入れる洞穴だ。助けた獣は、小型の犬ほどであった。ここにいるのかもしれないと、アズサはそっと入口へと近づく。


 

 洞穴の入り口には、打ち付けられた雪と岩肌の黒色が、はっきりとした境界線を作っている。その上に、追いかけていた赤い血の跡が残っていた。



 

「……いるの?」



 

 アズサは、洞穴の奥へ声を投げた。返事は無い。


 

 からん、とランタンが揺れ、湿った岩肌を橙色の光が照らし出す。


 

 唇を引き結び、アズサは洞穴の中へ身体を潜らせた。入口の狭さとは打って変わって、内部には思いのほか広い空間が広がっていた。



 立ち上がったアズサは、目の前の光景に、思わず言葉を失う。


 

 

「こ、氷……?」



 

 天井から壁、地面に至るまで、青く透き通った物体に囲まれている。

 


 はじめ、アズサはそれを青い氷だと思った。



 しかし、よく見ると、不思議な色合いをしている。



 深い瑠璃色、薄い水色、透明、緑がかった色。ランタンの光によって、それらは緩やかに色を変えていた。



 そっと触れてみると、じんわりとした熱を帯びている。



 

「なんだろう、氷じゃないのかな。でも、石でもない。色が動いてる……」


 

 その時。



「うわっ……!」 


 

 

 ぬるい水に触れたような、人肌にふれたような暖かさだ。


 

 驚いて、アズサは手を引いた。


 

 氷だと思っていたが、冷たくない。天井の垂れ落ちた雫の音も、ただ静かな岩肌も、全てが不気味な気配を纏っている。

 


 

「なんだろう、これ……」



 

 もう一度、アズサが手を伸ばしたその時だった。洞穴の奥から、唸り声が聞こえてくる。

 


 ――グルル、グルルル……。


 

 静かな足音と獣の低い声に、アズサははっとして振り返った。



 

「そこにいるの?」




 アズサはランタンを向けた。


 

 洞穴の奥から、銀色の小さな獣が現れた。長い鼻筋に皺を寄せ、牙を剥き、眼光を光らせてアズサを睨み付けていた。

 


 銀色の毛並みは鈍く曇っている。かつては輝いて見えた毛並みも、今では血と泥に塗れ、見る影もない。一部は赤黒く固まり、痛々しかった。

 


 幼さの抜けきらない丸い瞳が、警戒の色を強めて、アズサを睨んでいた。


 

 

「だ、大丈夫だよ。僕だ。忘れちゃった?」



 

 恐る恐る話しかけると、獣はさらに顔を歪め、後ろへ一歩身を引く。細められたその金の瞳が、静かに揺れていた。



 敵意や怒りではない。恐れと不安が伝わってくる。



 アズサは、声を落として話しかけた。

 


 

「だいじょーぶ、大丈夫だよ。……痛くて、つらいよね」


 

 

 狼の子供だろうかと、はじめ、アズサは思った。顔つきや胴体の形が、この山に棲む野生の狼にも似ていたからだ。




 しかしその背には、二対の鷲の羽が生えている。



 

 首のたてがみは馬のように長く伸び、ぴんと立った二つの耳の間には、丸みを帯びた角がちょこんと乗っていた。

 


 腰の辺りから長く伸びた毛の下には、蜥蜴の鱗のようにザラザラとした尾が生えている。

 


 それらは、どれもアズサの知る狼の特徴ではなかった。


 

 ――グルルル……。


 

 右の足首の辺りに巻いた包帯が、今にも外れそうになっている。



 アズサはランタンを引いて、もう一度、静かに話しかけた。


 

 

「怪我、まだ治っていないでしょ。だから僕、薬を取りに行ったんだ」



 

 薬の包みを取り出し、目の前に掲げると、金色の瞳はアズサの一挙一動をじっと監視するように動いた。



 

「右足の包帯も取れかけているし、こんな場所にいたら、そのうち死んじゃうよ」



 

 丸い金の眼がアズサを貫き、獣は少しだけ唸り声をひそめた。



 ――信用できるのか。そう問われているようで、アズサは無意識に喉を鳴らした。


 

 

「僕を信じて。――大丈夫、怪我を見るだけ。悪いことはしない」



 

 アズサは膝をつき、金色の瞳を正面から見つめ返した。



 果たして、言葉が通じているかは分からなかった。それでも、獣が探るように視線を合わせてくる。



 しばらく、二つの影のあいだに、静寂が満ちた。


 

 アズサは待った。心の内を見透かすような金色の瞳から、目を逸らしてはいけないような気がした。

 


 やがて、獣は身を低くし、数歩、アズサに近づいた。そして薬の包みに黒い鼻の頭を寄せ、匂いを嗅いだと思えば、くるりと背を向けて歩き出した。


 

 

「えっ、ちょっとまって!」



 

 小さな獣は一度だけ振り返り、また背を向けて歩き出した。

 

 

 アズサは、しばらく呆然と立ち尽くしていた。



 獣は足を引きずって数歩歩くと、再び振り返って、動かないアズサに視線を投げる。


 


「……ついて来い、ってこと?」



 

 獣は、そうだとも、すんとも、何とも言わなかった。



 ただ無言のまま背を向け、何度も振り返ってアズサを促す。それが何度か繰り返され、ついにアズサはその背を追いかけた。


 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ