Bon Voyage dans Noir
「間に合った……いや、間に合ったはずだが。
おい、君、自分が誰だかわかるかい?
ちゃんと思い出せるか?」
ぼんやりとした視界の向こうに、誰かの気配がします。
わたしが誰だか、記憶がどうだかと言っているみたい。
わたし……わたしは……そう、子爵家の娘です。
すでに婿を迎え、跡取りとなる息子が一人います。
そして今は……あら、どうしたのかしら、ついさっきのことが思い出せません。
そうです。こういう時は、少しばかり時をさかのぼって思い出してみましょう。
わたしは田舎の子爵家の一人娘として生まれ、大切に育ててもらいました。
穏やかな性格で領地経営に優れたお父様と、美しく社交上手なお母様のいいところを引き継ぎ、自分で言うのもなんですけれど、一人前の淑女になれたと思います。
そんなわたしも婚姻を考える年頃になり、お見合いをしたのです。
お相手はよくできた方で両親も気に入り、とんとん拍子で話がまとまりました。
婚姻の半年後には第一子を授かり、十月十日の後、無事に跡継ぎの男子が生まれ、子爵家はこれ以上ない幸福に包まれたのです。
ところが……
その一年後、商談のための旅行中だった両親が事故にあって他界してしまったのです。
わたしは悲しみに包まれましたが、息子のためにも後ろを向いてはいられません。
まずは、夫を子爵代理および次期子爵となる息子の後見といたしました。
夫は相変わらず優しく、仕事も精力的にこなしてくれましたので、わたしはなんとか平常心を取り戻すことが出来たのです。
貴族家にはよくあることですが、婚姻後に夫が愛人を作ることを、わたしは許容しておりました。
なぜなら、彼は、子爵代理という責をしっかりと負ってくれていたからです。
それに、屋敷のメイドに手を付けるようなことはしませんでした。
わたしもさすがに、自分の目に触れるようなお相手では、気になってしまいますもの。
彼は、わたしの気持ちも慮ってくれているのだと、嬉しく感じていたほどです。
夫は、複数の愛人を一度に囲うようなことはしませんでしたが、三か月ぐらいで相手を替えていたようです。
あまり深い仲になるよりは、その方がわたしも安心な気がしましたわね。
そんなある日、領内で気味の悪い噂が聞こえ始めました。
何人かの若い女性が行方不明になっている、というものです。
ある日ふといなくなって、消息がつかめないのです。
一人や二人ではなく何人もで、どうにも嫌な感じだと。
神隠しや人さらいを心配する声が、だんだんと大きくなっていきました。
夫に相談すると、ただの噂だと笑いながら答えます。
自警団に頼んで警戒してもらっているが、調べてみても特におかしな人物は見つからず、不可解なことも無かったのだと。
しかし、行方不明事件はその後も続きました。
三か月後には、また一人いなくなったと。
わたしは、ふと思いました。
そういえば、夫は愛人を三か月で替えている。
そして若い女性が消えるのも三か月ごと。
嫌な予感がしましたが、まさかという思いも強かったのです。
執務は夫に任せきりになっていたわたしですが、まずは帳簿を確認してみることにしました。
愛人への手当ての支払いには、彼女たちの名前が記されているはずです。
執事が見せてくれた帳簿には、愛人の名と彼女たちへの支出がきっちりと記されていました。
そしてそれらは全て、別に手に入れていた消息不明の十二人と、名前も順番も一致します。
行方不明事件は執事の耳にも入っているはずですが、彼が疑問を抱かなかったのは無理もないことでした。
平民は、聞きなれぬ名前を付けることはあまりないのです。
領内には同じ名前の者が何十人もいますから、疑いを持ってかからなければ気付きもしません。
わたしは悩みました。
これは誰にも相談できない問題です。
両親は既にいませんし、使用人を巻き込むことも避けた方がいい。
結局、わたしは夜の寝室で、夫に問いただしたのです。
『あなたの別れた愛人たちは、今どうしていますか』と。
夫は笑いました。
『皆、手切れ金をやったら旅に出て行ったよ』
『ですが、最初の方が旅に出てから三年です。
旅費が持つとも思えません』
『君のような貴族と違って、平民の娘は奔放なものだよ。
旅先で男を見つけることもあろうし、土地が気に入って居着いてしまうこともあるだろう』
『でしたら、手紙なりなんなり、知らせを送る人もいるはずです。
神隠しや人さらいの話が出るのは、知らせてくるものがいないということでは……』
夫は笑みを深めます。
『考えすぎだよ。
君は疲れているようだ。
さあ、一杯飲んでゆっくり眠りなさい』
わたしは無防備にも、夫が注いでくれた酒を飲み干しました。
眠りに落ちる瞬間、夫が言いました。
『さよなら』と。
そう、酒には眠るように死ぬ毒薬が入っていたのです。
夫の罪を確信したと同時に、わたしは十三人目の被害者になりました。
「そうだ! それで合ってる。よく思い出してくれた」
やっと視界がはっきりしたわたしの目は、ベッドサイドに立つ黒ずくめの痩せた男を認めました。
時計を見れば、夫と話をしてから三十分も経っていません。
「あの……夫は?」
「新しい獲物を探しに行ったよ。
十二人で一区切りだったのかね、しばらく愛人を持たなかったようだが」
「夫も噂を警戒していたのかもしれませんね。
……ところで、あなたは?」
「不審者ではない。
見た目は不審だろうがな。
俺は死神。十二人の女の魂を迎えに来たんだ」
「十二人……つまり、夫が殺した愛人たちのことですね」
「そうだ」
「……最初の方が亡くなってから三年です。
遅すぎるのではありませんか?」
「面目ない。
死神のリスト上、殺人はイレギュラーで発覚が遅れやすい。
しかも、一人の人間が十三人殺すと、死神から悪魔へと管轄が変わる。
そのせいで、魂を取りこぼしてしまうこともある」
「取りこぼしたらどうなるのですか?」
「殺し過ぎた魂は死神には扱えない凶悪なものとなってしまうし、殺された人間の魂も悪魔に奪われたら救うことができなくなる」
「夫に殺害された女性たちの魂が、悪霊などになってしまうということですか?」
「そういうことだな」
「なんて哀しいことかしら……」
「だから、君を無理やり生き返らせた。
君は被害者だ。辛い目にあったばかりで申し訳ないんだが、人の世で君の夫を裁くよう手を尽くしてもらえないだろうか?」
「もちろんです。
夫を野放しにしては領も領民も、全てが影響を受けてしまいます。
……それで、わたしにはどれくらい時間がいただけるのでしょうか?」
「時間が限られているのがわかるのか?」
「ええ。わたしは本当は死んでいたのに、あなたが無理に生き返らせたのですよね?」
「そうだ。死神の術で生き返らせたが、三か月が限度だな」
「三か月……短いなどとは言っていられませんね。
出来るだけのことをしなければ」
「ああ、君の時が尽きるまでは、俺も傍らで手伝おう」
「死神さんの手助けをいただけるなら、心強いですわ」
「もとはと言えば、死後の定めの不具合を、人間の君に押し付けているようなものだからな。
せいぜい、こき使ってくれ」
「お言葉に甘えますわ。では、まず最初に……」
翌朝、夫は、わたしの遺体と対面するつもりで帰宅したのでしょう。
ところが、彼は家に入ることが出来ませんでした。
「おい! 門番がなぜ、この屋敷の主人の帰宅を妨げる!?」
「この家のご主人様は在宅です。
どなたか存じませんが、あまりしつこいと捕縛して地下牢へ案内することになりますが」
「なにを言っているんだ!?」
様子をうかがっていたわたしは、さも偶然であるかのように玄関を出ました。
わたしの隣に立つ夫に、優しくエスコートされながら。
「あら、どうしたの? お客様かしら?」
「奥様、この方が、自分はこの家の主人だと言って……」
「!? お前! なぜ生きて……」
夫は状況に慌てて、半分自白してしまっています。
なんて可笑しいのでしょうか。
「どちら様ですか? 領主家の者であるわたしを呼び捨てにするなど。
これ以上、おかしな振る舞いをするのでしたら、捕縛するしかありませんが」
「な、どうなってるんだ!?
その男はなんだ!? まるで、俺と同じ顔じゃないか」
そう。わたしの隣に立つのは、確かに夫の顔をした男です。
「同じ顔? 変なことをおっしゃるのね?
あなたの顔のどこが、わたしの夫と似ているのかしら?」
門番が笑いました。
「いい加減にしておいたほうがいいですよ。
言っちゃ悪いが、あんたの顔はハンサムな旦那様とは似ても似つかない」
彼は門番小屋から手鏡を持ち出すと、男の正面に向けます。
「え? は?」
男の顔は、街でよく見かける労働者のような顔でした。
着ている物も、ありふれた平民の服。
とても、領主代理の装いではありません。
「とにかくお帰りいただいて」
「奥様、かしこまりました」
門の向こうの夫はしばらく叫んでいましたが、そのうちあきらめて去っていきました。
「少し気になるわね。
あの男を調べてもらえるかしら?」
家の中に戻ったわたしは執事に頼みました。
「手配いたします」
警備のために雇っている使用人の中には身が軽く、尾行や調べものに向いている者もいるのです。
翌日には、報告が上がってきました。
「あの男は、ボルデ森の奥にある古い木こり小屋に向かいました。
迷いのない足取りでしたので、そこに勝手に住み着いているのではないかと思われます」
「何か怪しいところは?」
「小屋の裏に獣道にしては均された小道がありまして、崖へとつながっていたそうです」
「それで?」
「崖下は流れの速い川になっておりますようで」
「あの森を通る川は、ジオノ男爵領のほうへ流れていたわね。
念のため、男爵へ問い合わせてみましょう。
あの男が、妙なものを川へ投げ落としていたら大変ですもの」
報告を上げてきた執事がハッとしました。
これで、あの男と行方不明の噂がつながったはず。
自然にあの男が疑われていくことになるでしょう。
一週間後、男爵から返事が来ました。
それによれば、川で溺れたらしき数人の女性の遺体を、この三年の間に六体確認し、男爵領で埋葬したとのこと。
あの男の容疑はますます深くなっていきました。
「捕縛して、尋問しましょう。
伯爵家へ連絡して、尋問官を手配していただいて」
いくら領内の事件だとしても、現行犯でもなければ簡単には裁けないのです。
過去の犯行に関しては、王国の正式な免許を得た尋問官を招かねばならないのでした。
尋問官は調査官の一団を引き連れて現れ、木こり小屋と周辺をくまなく調べさせました。
やがて、はっきりとした証拠が現れます。
十二人の女性たちを示す持ち物と、十二本の毒薬の空きビンが小屋の裏から掘り返されたのでした。
「そんなバカな……すべて捨てたはずなのに……」
それは尋問官によって自白とみなされ、男は有罪となりました。
自分は子爵家の婿であるという発言は、単なる錯乱として無視されます。
夫は、わたしに毒を飲ませてから二か月の後、子爵領の広場で公開処刑されました。
「ありがとう、君のおかげで死神の範疇で魂を救うことが出来た。
助かったよ」
「いいえ、これもみな、息子や領地のためですもの」
三か月で去らねばならないわたしは、出来る限りのことをしました。
執事をはじめ、我が家の使用人は信頼できるので問題ありません。
幼い息子の後見が気がかりでしたが、今回の事件の相談をしたおかげで、今まではそれほど懇意ではなかった寄り親筋の伯爵家と縁が深まったのです。
伯爵家には息子と年齢の合うお嬢様がいらっしゃいます。
処刑に立ち会うために子爵領を訪れた伯爵様は、そのお嬢様を伴われました。
子供たちを処刑に立ち会わせるわけにもいかず屋敷に残したのですが、二人は仲良く遊んでいたと使用人から報告を受けています。
ひょっとすると、彼らが結び付く未来もあるかもしれません。
そうでなくとも、今回の事件で伯爵様は親身になってくださいました。
おそらく、息子を一人残しても、力になってくださることでしょう。
あの日、わたしが殺され、そして生き返った日。
夫を人の世で裁いてほしいと依頼されたわたしは、死神とよく話し合いました。
死神が集める魂には、生前の身分や名前など関係ないそうです。
それで、死神の術で夫を別人に仕立て上げることにしました。
死神は十二人の殺された女性の遺体の場所についてはすでに把握していました。
ですが、それをそのまま明らかにするわけにもいきません。
知った理由を説明できないのですから。
結局、殺人方法と殺人現場、そして証拠は本物ですが、辻褄を合わせるためにいろいろと状況をでっち上げることになりました。
わたしに残された三か月では、人力による調査ではとても間に合いません。
死神の術に頼りながらも、必死に知恵を絞りました。
夫は愛人たちに、その関係性を絶対に秘密にすることを誓わせていたようです。
その気持ちが緩んだり欲が出たりする前に、全員を木こり小屋で殺害し、川に捨てたのです。
消息がつかめなかった遺体は川の底に沈んでいましたが、それらも死神の術で回収してもらい、わたしが秘かに埋葬の手配をしました。
遺品だけは一部拝借して、夫の罪の立証に使わせてもらったのです。
全てをやり終えたわたしは、彼と共に、領地から遠く離れた崖の上に立っていました。
目の前は大海原。
風が強く吹き上げてきます。
「ひとつだけ、聞いておきたいのだけど」
「何だろう?」
「息子は殺人鬼の血を引いているわ。
将来、その兆候が出たりはしないかしら?」
「彼の父親は、優しく家族思いで働き者のまま亡くなるんだ。
悲しみは残るが、殺人の記憶は彼には残らない。
きっと大丈夫だ」
「安心したわ」
そう、夫を子爵代理のまま裁くことも可能でした。
しかし、それをすると我が家は殺人鬼を出した家となり、息子は殺人鬼の息子となってしまいます。
領全体に影響が及び、とても安心して旅立つことができません。
だからこそ、死神の協力を得て一芝居打ったのです。
夫が愛人を十二人持ったことの記録は抹消しました。
流れ者の恐ろしい殺人鬼が子爵領に入り込み、捕まって処刑されたというのが人の世界に残った事実なのです。
「君は、よく働いてくれたし、もしもだけど」
「なにかしら?」
「もしも、その気があるなら、死神のアシスタントをしないか?
俺のそばで働けば、たまに、息子さんや領の様子を確かめることもできる」
「それは、魅力的なお誘いね」
領内の事件を解決に導くためと、わたしは常に夫の姿をした死神と共にありました。
幼い息子とは少しずつ距離を置き、家庭教師や教育係に任せたのです。
手を離すには、まだ早い年ごろですが、彼はこれから両親がなくとも、強く生きていくしかありません。
後は祈ることしかできない母を恨んだとしても、強くあれと願うばかりです。
寄り添うようだった死神とわたしの姿は、夫婦仲の睦まじさと解釈され、周囲からは第二子を期待する言葉がこぼれます。
それは、二人きりで旅行に出るには、丁度いい口実となりました。
夫に姿を変えた死神と過ごした、この三か月。
忙しく気の抜けない毎日でしたが、わたしはどこか傍らの存在に安堵していた気がします。
振り返ってみれば正直、夫に愛情を感じていたとは言えません。
あくまで政略的な結びつきであり、息子が家を継ぐための、単なるつなぎの存在だと認識していたように思うのです。
だからこそ、夫はわたしをあっさりと殺したのでしょう。
夫は浮気相手に不自由しないほどハンサムな男で、けれどもその容姿はわたしの心を揺らすことはありませんでした。
今、わたしの目の前にいるのは、顔色の悪い痩せた死神です。
間もなく魂だけの存在になるわたしの、たった一つの心残りは、彼との別れでした。
元の姿に戻った死神は、ひょろりとした肢体に黒づくめの衣装が妙に似合っていて、それだけのことに不思議と心が引き寄せられるような気がしたのです。
「行くわ、あなたと一緒に」
その一言で、わたしのドレスは黒一色に。
今、鏡を見れば、わたしも彼と揃いの血の気の無い顔をしていることでしょう。
「あら、そもそも鏡に映るのかしら?」
「死神の姿が鏡に映るかどうか?」
「ええ」
「吸血鬼ではないからな。
人に姿を見せないようにしているときは映らないが、そうじゃないときは映る」
「そうなのね」
「人間とはいろいろ違うところがあるけれど、追い追い説明するよ」
そう言いながら、彼はわたしの腰を抱いて空へと舞い上がりました。
「翼が無くても飛べるのね」
「君にも飛び方を教えよう」
「ゆっくりでいいわ。
しばらく、あなたの腕の中で風を感じていたいもの」
先ほどまで立っていた崖から、空の馬車がゆっくりと落ちていきます。
馬車から外した馬は自由に、望む場所へと駆けていくことでしょう。




