第二章 夢の外側
放課後の校門は、いつもより静かだった。
人が減ったわけじゃない。
声がないわけでもない。
ただ、一色には、音が一枚薄くなったように感じられた。
一色は一人で校舎を出た。
校門を抜け、いつもの帰り道に入ったあたりで、
前を歩く背中に気づいた
昼間の言葉は、まだ胸の奥に残っている。
怒りでも後悔でもなく、
引っかかりのまま。
——言わなきゃよかった、とは思えない。
その事実だけが、少し重かった。
歩きながら、一色は無意識に視線を落とす。
靴先。
影。
地面。
影が、ひとつある。
当たり前だ。
夕方だし、人は歩いている。
それでも、一色は足を止めた。
前を歩く背中が、一つ。
制服。
髪の長さ。
見覚えのある輪郭。
——いた。
そう思った瞬間、
胸の奥が、ひやりと冷えた。
理由は分からない。
誰かを探していたわけでもない。
ただ、
いないはずのものを見た気がした。
距離は少しある。
声をかけるほどじゃない。
なのに、
目が離れなかった。
歩き方が、変だ。
遅れているわけでも、
急いでいるわけでもない。
ただ、
地面との距離感が、合っていない。
——影が、薄い。
夕方の光のせいだと、
一色は考えようとした。
でも、
昼間、体育館で感じた違和感が、
その考えを押し返す。
人が死んだのに、
世界が静かすぎる。
静かすぎて、
一つ足りない感じがしない。
それが、
一色には耐えられなかった。
歩き出す。
距離を詰める。
一歩、
また一歩。
近づくほどに、
背中の輪郭がはっきりしていく。
肩の線。
首の角度。
——知っている。
そう思った瞬間、
全校集会の声が、
頭の中で重なった。
北藪夏乃が亡くなった。
言葉と、
目の前の背中が、
噛み合わない。
一色は、
喉の奥が詰まるのを感じながら、
それでも目を逸らさなかった。
確かめたい。
その気持ちは、
正義でも勇気でもなかった。
ただ、
放置できない性分だった。
声が出る前に、
もう分かっていた。
それでも、
言ってしまう。
「……君、夏乃じゃないだろ」
声は、確かに出た。
夕方の空気に溶けるほど小さくはなかった。
届かない距離でもない。
それでも、その背中は振り返らなかった。
聞こえていなかったのか、
無視されたのか、
一色には判断できない。
ただ、
こちら側に向き直る理由が、
最初から用意されていなかったように見えた。
その沈黙で、
一色は確信する。
——やっぱり。
正しかった、という感覚と同時に、
足元が、わずかに揺れた。
音が遅れて届く。
風の向きが、ずれる。
世界が、
ほんの少しだけ、
別の層に触れた気がした。
一色は立ち尽くしたまま、
自分の胸に手を当てる。
心臓は、
まだ速くなっていない。
怖くもない。
ただ、
戻れない場所に足を置いた
という感覚だけがあった。
それでも一色は、
後悔しなかった。
後悔できるほど、
鈍くなれなかった。
王冠が、
まだ夢の中にあることを、
このとき一色は知らない。
ただ、
選ばされた、という感触だけが、
確かに残っていた。




