第十五章 当日
朝は、予定通り来た。
一色は、目覚ましが鳴る前に目を覚ました。
驚きはなかった。
そうなる気がしていた。
窓の外は明るい。
天気を確かめる必要はなかった。
制服を着る。
動作は迷いなく、
どこも引っかからない。
今日は、
待つ日だ。
それ以外の意味を、
付け足さない。
家を出る。
鍵を閉め、
一度だけ扉を見る。
戻る理由はない。
でも、
戻れないわけでもない。
そういう朝だった。
駅へ向かう道は、
いつもより静かに感じられた。
人はいる。
車も走っている。
それでも、
音が一段遠い。
一色は歩く。
約束の時間より、
少し早い。
遅れる理由も、
急ぐ理由もなかった。
駅前に着く。
改札の前。
人の流れ。
立ち止まる場所。
約束した通りの位置に立つ。
雪乃の姿は、
まだない。
それでいい。
待つ、と言った。
その言葉は、
今も有効だった。
時計を見る。
秒針が進む。
時間は、
問題なく動いている。
一色は、
ふと違和感を覚える。
人の流れが、
一瞬だけずれる。
視界の端で、
何かが遅れる。
——気のせいだ。
そう判断するには、
慣れすぎていた。
足元が、
少しだけ軽い。
地面との距離が、
曖昧になる。
一色は立ち止まる。
止まったはずなのに、
周囲が先に進む。
改札の音が、
遠ざかる。
呼び止める声は、
聞こえない。
代わりに、
意味のない音が増えていく。
言葉になる前の音。
選択肢になる前の分岐。
——違う。
一色は、
前を見ようとする。
そこには、
改札があったはずだ。
けれど、
輪郭が定まらない。
視線を逸らす。
逸らした先にも、
何もない。
気づけば、
駅の音は消えていた。
足元は、
平らで、
何もない。
空間だけが、
続いている。
一色は、
息を整えようとして、
それが必要ないことに気づく。
苦しくない。
怖くもない。
ただ、
待つという行為だけが残っている。
——まだ、
時間だ。
そう思った瞬間、
それが
どの時間なのか分からなくなる。
一色は、
立ち尽くす。
駅へ向かっていたはずの朝は、
いつの間にか
別の場所へ続いていた。
その頃。
同じ時間、
雪乃は別の場所を歩いていた。
短い髪が、
風に触れる。
改札の向こうを、
まだ見ていない。
約束の場所へ、
向かっている。
そこに、
誰がいるかを
想像しないまま。
当日は、
こうして始まった。
静かに、
取り返しのつかない形で。




